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January 15, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(1)

Sohumei(ロカ岬到達証明書、花文字で名前が書かれている)
▼お早うございます。昨日はまだロシア上空で朝食のイングリッシュ・ランチを食べていた頃です。ヒースロー空港は凍結のため40分も延着したため、乗り換えは30分しかありませんでした。そのため免税店での買い物の時間どころか、「走って下さい」とせかされました。その間最後のボディチェックでわたし自身のトラブルも発生しましたが、添乗員さんの機転とみなさんの協力でそれも無事に脱出できました。
▼留守中ブログのアクセス数はどうなっているか気になりました。実はナザレで滞在したホテルは出来たばかりで東芝のノートパソコンも2台自由に使える事ができました。さらにチェックすると日本語も使えました。そこで自分のブログもチェック出来ました。所がログインするときパスワードを入れたら、フリーズしてしまい、それ以降の操作はストップしてしまいました。しかし帰宅してアクセスエリアをチェックすると「ポルトガル」という国名が残っていました。通常このブログのアクセス数は1日100件前後です。しかし留守中のアクセス数は130から150人と普段よりも多かったので一安心したところです。
▼昨年はトルコから帰国して数日間、時差ぼけで苦しみました。今回旅慣れた人にお聞きしましたら、眠らずに身体を積極的に動かす事だと教えて下さいました。昨日帰国してから多少身体はだるかったのですが、積極的に動かし、午後12時近くに寝ましたら、眠気はありますが、時差ぼけの辛さはほとんどありません。きょう明日は時間を作って水泳に以降と考えています。
Choko
(ポルトのサンデマンで買ったチョコレート)
▼出発する日成田で足止めされて、ホテルで待機してから体調管理に狂いが生じてしまいました。つまり自分のイメージトレーニングでヒースローまで14時間、5時間トランジットで待って、2時間半でリスボンと考えてイメージトレーニングしていました。リスボンのホテルでは仮眠する時間もありました。しかしリスボンに着いたとたんバスに乗せられロカ岬です。エールフランスのジャンボの中は、狭くて眠る事もできず飲んだくれていました。パリからリスボンはエアバス320でとてもゆったり感じました。添乗員はスペースは同じだというのですが、明らかに巾は広かったです。
▼成田でジャンボに乗ると、我々19人と添乗員1名のグループはみんなバラバラさせられました。ご存知のようにヒースロー行きは雪で欠航になったので別の航空会社に振り分けられたからです。しかし旅行会社の力もあるかも知れませんが、ヨーロッパ便の中から20人の空き座席を5時間ほどで探し出してしまうのですから、ワールドワイドの仕事とは大したものです。わたしの座席は同じツアーの客3人が座りました。右隣はMさん左は同じツアーの見知らぬ女性でした。せっかくなので自己紹介をすると左のAさんは何とMさんの隣町にお住まいの方で、A台にお住まいでした。MさんはT台です。それで盛り上がってワインのボトルを次々に開けることになりました。
▼ツアーは一種の運命共同体ですから、バッグを積んだり下ろしたり手伝っていると、気心に知れた気の合う仲間も出来て来ます。今回はまず隣町のAさん。わたしより2歳年上なので、あなたたちよりお姉さんだと胸を張っていました。Aさんはクラシック音楽が好きで、その関係で世界を回っています。もう一人一番年上と思われる親分肌で姉御とも言えるBさん。この方も世界中を回っていて、今回いちばん助けていただきました。そしてF市在住で30歳くらいの写真修行中の若い女性Cさん。大学を出て定職にはついていないが、一番貫禄のあるアルミの巨大なバッグを抱えて、遅くても15日には帰国しないと、エステを予約してあるので困ると言う同じ年頃のDさん。最後は一番若く一生懸命働いて1年に一度世界旅行をしているEさん。そしてケラケラと明るい笑い声を常に絶やさなかったF夫妻。この人たちと話ながらポルトガル旅行は始まります。

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