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April 17, 2010

市川で開かれている「米原万里展」を見る

Yosizawag
(会場となっている芳澤ギャラリー遠景)
▼市川市で開かれている「米原万里展/ロシア語通訳から作家へ」を取材してきた。「どうしてこんなに沢山の本を読むことができるのだろう?」わたしは米原さんが生前『週刊文春』の書評欄に掲載された、簡潔で核心をついた文章を感心して読んでいた。この会場に来てその謎の一端を知ることができた。これは会場に展示されている資料や、わたしが読んだ万里さんの何冊かの著作から、彼女の足跡をたどってみたい。
 米原さんはかつて日本共産党の幹部だった米原昶(いたる)氏の長女である。米原昶氏が『平和と社会主義の諸問題』誌の特派員としてチェコスロバキアの首都プラハに赴任したとき、小学生3年生の万里さんも同行して、現地のロシア語学校に通っていた。万里さんは現地で語学を学ぶには日本に帰国してからもテキストが入手しやすいと思ってロシア語を選択したという。
▼チェコから帰国して大学受験をするが、いくつかの大学を受験した末に東京外語大のロシア語科に入学することになる。しかし卒業しても、「共産党幹部の子弟」という事で就職先が決まらなかった。そこで資格を取ってソ連(当時)旅行の添乗員となる。会場には日本の旅行者のためにホテルの片隅で、万里さんが天ぷらを揚げている写真が展示されている。そのときのエピソードが紹介されている。現地で「みなさんソ連のバスは定刻通りに出発します。もし乗り遅れるとシベリアに行って木こりの仕事をさせられる可能性があります」と冗談を言ったが、乗客はそれをまともに受けてきちんと集合時間を守ったという。
▼会場にはボロボロになった露日辞典やメモが展示されている。しかし現実には新しい分野の通訳をしなければならないから既成の辞典はあまり役に立たない。どうするかと言えば専門書をたくさん読んで自分で専門分野の辞書を作るのだ。その一部が会場に展示されているが、鉛筆書きで力強い文字で書かれている。わたしが興味のあったノートには軍隊の組織で「師団」「連隊」「大隊」「中隊」「小隊」と書かれた分類の脇にロシア語の言葉が書かれていたのが注意を惹いた。一体これは何を通訳するときに使ったのだろう。さらにロシア語通訳仲間で手作りの辞書の情報を交換して精度を高める工夫をする。万里さんは同じロシア語通訳仲間を集めて「ロシア語通訳協会」を作り初代事務局長を務める。そのときに翻訳や通訳の最低料金規定を作るなどの努力をしている。
▼その後『不実な美女か貞淑な醜女か』が読売文学賞を受賞したことから、作家になる決心をする。
 「ロシア小咄の作り方」コーナーで、ブレジネフが地獄に行って地獄の係員に「書記長といえども何かの罰を選ばなければなりません」といわれ「地獄の罰」を見歩く。レーニンは針の山に座らされている。スターリンはぐらぐらと釜ゆでにあっている。そしてフルシチョフはマリリン・モンローと抱き合っている。すかさずブレジネフは「マリリン・モンローの罰がいい」という。地獄の係員は拷問にあっているのはモンローの方ですと答える話がパネルで展示されており、思わず吹き出してしまう。
▼いずれにしても型にはまらない生き方を選んだ万里さんをこの展示で見る事ができる。市川市真間5-1-18芳澤ガーデンギャラリーで047-374-7687(JR市川駅から徒歩15分)5月9日まで。写真撮影は禁止。休館日があるので事前に確認すること。朝9時半から午後4時まで。入館料200円。

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