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April 25, 2010

NHKHV「兵士達の戦争/満蒙開拓少年義勇軍」を見る

Jidaitumuri
(銀座のニコンサロンで開かれている「時代の瞑り」展。27日(火)まで、必見
▼NHKHVでは毎月最終土曜日の午前8時から「兵士達の戦争」をシリーズで放映している。24日朝は「満蒙開拓少年義勇軍」だった。80歳、90歳の人々が証言するのだが、言葉の訛りがわたしの育った佐久地方の言葉とそっくりだったが、見ていると果たして佐久から行った人びとの証言だった。
▼かつて家族の実家には昔の古いSPレコードが沢山あった。そのほとんどはいわゆる流行歌手の歌だった。だがその一枚に「開拓の歌」というSPがあった。それは何と「満蒙開拓団を讃える歌」だった。当時満州に極楽王土を築く。そのために満蒙開拓団が組織された。その実態は北海道に行った屯田兵と同じで、普段は耕作をしてイザという時は兵隊になる役割を追っていた。しかも昭和13年に満州に渡った少年義勇軍はそれを補完する役割を担い、かつ有事には関東軍を援助する秘密の任務があった。それで彼ら、農家の次男、三男には3年間満州で働けば20町歩を与えられるというエサをぶる下げられていた。昭和19年に長野県第7次斎藤中隊として派遣された人たちの生き様を番組では追っていた。
Ginzaneko
(25日銀座4丁目にいた猫ちゃん)
▼彼らが派遣されたのは満州嫩江(はんこう)という場所だった。そこはとても寒かった。そして内地にいるつもりで朝顔を洗った次いでに水を飲んだら、水に当たって下痢をしてしまい次々赤痢に罹って死亡して行く。8月9日もソ連が参戦したこともまったく知らなかった。大砲の音もカミナリかと思っていた位だ。逃げ出したらトラックが次々やって来るので味方のものかと思っていた。空を見たら飛行機が沢山来たので、関東軍のかと思ったら赤いソ連の星マークが付いていて機関銃で銃撃されて逃げまくった。たまたま赤旗を翻したソ連の貨車が来たのでふざけて銃で撃ったら列車は止まって、クレーンで戦車が降ろされて来たのには驚いてひたすら逃げまくった。
▼下々まくった末9月末にソ連軍に捕まった。しかし正式な軍人ではないので捕虜収容所とは違う場所に収容された。あるとき中国人の少年が饅頭を3個持って来てくれて、「食べろ」と合図するので、友だちを分け合って涙を流しながら食べた。しかし寒くて零下30度にもなったのでもう夜は友だちと抱き合って寝るしかなかったが、そのときほど大陽が登る朝が待ち遠しく感じることはなかった。
▼しかしそこでも寒さと栄養不足で死ぬ人は絶えなかった。だが死亡すると土地は凍っていて深く掘ることはできないまま死体を埋めるしかなかった。だが春になるとその死体を野犬や豚が食い荒らす姿は、見るに忍びなかった。人間の腸というのは長いもので犬が食うと、何十メートルも引きずり出したのには驚いた。それに髑髏や歯形を見て、ああこれはあいつだなどと死んだ友だちの顔を思い浮かべていた。
▼斎藤中隊からは217名満州に派遣されて、121人死亡した。全体の死亡者は把握していないが、おそらく2万人にも上るだろう。軍人ではなかったので昨年(平成21年)になってようやく政府から長年の労苦に報いるという意味の銀杯が渡されたが、今となっては国のカネでタダで旅行させて貰えたと思うしかない。
▼しかしなぜ満州に行く気持ちになったかと云えば、親に楽をさせたいという気持ちが一つ。もう一つは学校に担任が「満州は良いところだから行け」と言われたから行ったと語る。これは映画「西部戦線異状なし」で果たした教師の役割と同じである。NHKの番組では現在94歳になる桜井達という当時の教師を捜し出して訪ねて行く。桜井は当時の宮川教頭から「4人の生徒を出せ」と言われたからそうしたまでだと悪びれた様子もなく語る。しかしその教師の一言で14、5歳の少年達は凍てつく荒野で死んでいかなければならなかったのだ。

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