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July 04, 2010

NHKETV「新たに見つかった沖縄戦の映像」を見る

Pain
(昨日沖縄の友人が送ってくれたパイナップルが届いた)
▼休日も朝早くアクセスして下さっているご常連の方々もいらっしゃるが、特に土日はいつもと同じ時間帯で原稿を書くことはできない。というのはこの短いブログもかなり脳みそを絞って書かなければならないからだ。昨日10ch系の「旅サラダ」の「海外マンスリー」を見ていたら、秋本祐希がイスタンブールに行っていた。ボスポラス海峡クルーズから、ガラタ橋を渡ってグランバザールを歩き、最後はガラタ塔の下にあるお土産物に行ってスカーフに刺繍をして飾りを付けていた。このガラタ塔には昨年1月11日頃登った事を思い出した。
▼◇27日NHKETV特集「よみがえる戦争の記憶」~新たに見つかった沖縄戦の映像」米軍は作戦を始めるに当たって作戦と戦闘を綿密に記録させる部隊を組織していた。それが文書によるものと、今回の映像によるものだ。NHKが米国国立文書館で発見したのは、彼らが記録した600本のべ80時間の記録である。それを2年間かけて分析整理した。それを沖縄の人たちに見て貰って生き残っている人があったら証言してもらおうとしたのが今回の目的であった。
▼まず4月2日にカメラに向かって睨み付けている若い女性はすぐに見つかった。いまは当然老婆となっているが、そのときの記憶は鮮やかである。それは伊波トミさんで「集団自決」から逃れるために隠れていたガマ(壕)から出てきた直後に撮影された。同じようにガマに逃げていた人々は日本軍の命令によって家長が自分の妻子を首を絞めて殺害した例は余りにも多かった。伊波さんはそれを逃れていて米軍に捕まったが、これから何をされるのか分からなかったので、おそらくカメラを睨んでいたのだろう。
▼また、あのベニア製の特攻船も発見されて米軍によるテストが行われている風景が撮影されている。その船には「ロ86」と書かれていたので、どこに配置されたのか場所が特定される。その基地のあったところに行くのだが、映像には2人の後藤さんという老夫婦が米兵に取り調べを受けている。島の人に聞くとその後米軍から釈放されるが、日本軍からスパイ容疑をかけられ、夫は斬首され妻は銃剣で胸を突かれている遺体が見つかったという。しかも夫は遺体だけ埋められその上に生首が置かれているという残酷なものだったという。戦後その島に元日本兵が慰霊と称してやってきた。司令官は山内榮という人物だったが、「自分は殺害まで命令していない」という事だった。元日本兵と島の人との間にはわだかまりがずっと残っていた。元日本兵は謝罪と同時に村の行事に参加したり、村祭りに積極的に参加するなどして、村人と心を開いて話ができるようになるには38年も後の事だった。
▼また映像には戦争が終わる前に、若い男女が米軍の従軍牧師の前で結婚式を挙げている様子が写っている。作戦に加わって捕虜の尋問や、入手した文書の分析をしていたロナルド・キーンは、「これはプロパガンダのためのやらせの結婚式だ」と指摘する。この男性は木村中尉で妻は新川しず子さんという。米軍の一つの目的は結婚式の写真を映像として流すことと、もう一つは新聞に印刷して上空から投下し、アメリカ軍がいかに許容であるか宣伝のために使うことであった。
▼映像をみると2人はなぜこんな事をしなければならないのか、戸惑っている様子がうかがえる。そしてキーンによれば木村中尉が日本軍の重要な情報を握っていると考え、彼らの新居には盗聴器まで備えたのだという。木村の尋問調書も出てきて「OKINAWAN」「PW0032」(沖縄人、捕虜)という呼称になっていた。アメリカに利用された2人は沖縄の人々からは「戦争が終わる前にアメリカ人の手で結婚した」と快く思われず、木村夫妻は戦後もずっと東京都内に住んでいた。だが子どもには恵まれ幸せな暮らしをしている様子だった。しかし木村は偽りの結婚式を挙げることによって少しでも少しでも日本人の犠牲を少なくしたいという思いがあったのだろうと、解説していた。
▼最後は沖縄のこどもたの孤児院である。栄養不足で大勢の子どもたちが荷車に乗せられて埋葬されていく。その中でも一見元気に体操をしている子どもたちが写っている。これもプロパガンダの目的で撮影されたものだ。当時撮影したある戦場カメラマンによれば、米兵の死体は写さない。虐待も写さないという事を心がけていたという。ガマに籠もっていた助けられた年齢の若い女性は孤児院の看護婦として採用されて働くケースが多かったという。その中でも頭を半分包帯で巻いた子どもを見て「ああこれは自分に違いない」と証言する年配の婦人がいた。彼女は名前が分からなかったので施設で名前を付けられて里親に引き取られ現在に至っている。しかし里親には仕事をさせられるだけで、小学校にも行かせて貰えなかった。それが一番悲しい事だったという。今は孫達に囲まれて幸せだが、何とか自分のルーツとなる手がかりを死ぬ前に知りたいと、元孤児院の院長の元を訪ねる。院長は彼女のルーツは知らず、新しい名前をみんなで考えてつけたのよ、とだけ話すのだった。
▼これだけ書くのに要した時間は約1時間で文字数は2000余字。さらに録画ビデオを見るのに同じ時間がかかる。この時間と字数があったら頼まれている新聞のトップの原稿を急いで仕上げなくてはならない。それに明日はメルマガの締めきり日ですからね。

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