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July 03, 2010

NHKHV「兵士たちの記録、ズンゲン支隊」を見る

▼昨日書いた「パリ20街区…」は荒れた教室の中に手持ちカメラを持ちこんでいるように見えた。画面は終始揺れているし、時間も感じさせない迫力だった。カメラが生徒たちに壊されないかとヒヤヒヤしてみていた。帰宅してネットを見たら、あれが劇映画だというのでまたまた驚いてしまった。教師も生徒も演技だったのです。
▼さてNHKHVの「シリーズ日本の戦争の記録.生きて延びてはならなかった、最前線部隊」である。ようやく30日に再放送を録画して見たので書く。これはニューギニアにある、ニューブリテン島のズンゲン支隊の話である。ニューギニアは昭和17年当くらいまは飛行場を建設する絶好の場所として占領し利用されていた。ところがその後連合軍の支配地域が広がると日本本土の影響力から切り離されてしまった。
▼そのズンゲンを守るために派遣されたのは寄せ集めの歩兵299連隊400人だった。成瀬隊長は実戦経験のないサラリーマン風で男前の人だったと当時の部下は証言する。その地域を指揮していた今村均司令官は、最初「遊撃」という戦闘命令を出していた。所がズンゲン島を視察に来た参謀が「これは死守だな」と呟いたことから命令が「死守」に変更される。
▼そこを攻撃していたのは連合軍のオーストラリア兵だった。彼らは朝6時から一日中砲撃を繰り返す。兵士の証言では、「向こうは大砲をズドン、ズドンでこっちは39式歩兵銃でパン、パンでは勝負にならない」という。「死守」という命令は絶対で、死ぬことだけがその目的になってしまう。若い支隊長も自ら白刃を持って切り込んで死んでしまった。オーストラリア側は拡声器で「投降を呼びかけていた。しかし目の前に刀を構えた日本兵が出て来たら撃つしかない」という。つまり日本兵は「戦うことより死を求められた」のだ。
▼どうしてそうなったのか?前のニューギニアのある戦闘で日本兵は玉砕と新聞報道された。ところが半数近く生きていた。参謀本部は「玉砕と言ったのにこれでは天皇陛下に申しわけがたたない」として、散り散りになった部隊を再編成してズンゲンに派遣した。だからここでは兵士に必ず死んで貰わなければ陛下に対する面目が立たないという論理が出てくる。成瀬の下に児玉中尉という人物がいた。階位は下だが実戦経験は豊富だった。そして切り込みに向かう部下の兵士たちの耳元に、「夜になったらここに集まれ」と囁いた。部下の1人はこれは無駄死にしないで生き残れという事だなと理解したという。
▼夜に再結集した生き残りの兵士は隊長が戦死したので、児玉が指揮して移動を始める。しかし児玉も途中砲撃で重症を負ってしまう。そして部下に「俺は置いて行け」と先に行かせてしばらくすると、児玉が自決する銃声が聞こえて来たという。こうして参謀本部に逆らった児玉中尉がいたため、かろうじて何人かの兵士が生き残った。戦争では本来生き残る事が目的の筈だ。参謀の陛下に対するメンツのために死を求められる、というのは何とバカげたことだったのだろうか。

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