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August 31, 2010

NHK「最後の言葉/作家重松清が見つめた戦場」を見る

▼昨日「桜葉と魔笛」をご紹介したのには意味がある。28日の夜NHKBS2で「最後の言葉/作家重松清が見つめた戦場」という番組を見てドラマと同じ気持ちになったからだ。重松氏はご存知のように91年に『ビフォア・ラン』(幻冬舎文庫)で作家としてデビューした。彼は1昨年サイパンを取材して「緑の島が戦場になった」という番組を作る。その後、戦場で死んだ兵士が書いた日記が存在している事を知る。それはアメリカの公立文書館とオーストラリアに保管されている。これは当時従軍していたドナルド・キーンらが収集した日本軍兵士の日記を分析して、彼らの士気などを分析していた。公文書館には翻訳した文書があり、原文は殆ど破棄されていた。
▼スタッフらは翻訳した英文から、逆に日本語に翻訳して、日記を書いた肉親が存在しているか探しだそうとした。1920年生まれで、当時22歳の千葉三夫の日記には「節子さん」という固有名詞が登場して「会いたい」と繰り返して訴える。ガダルカナルで死亡した兵士は空腹に飢えている。日記からは「死んだらどうか墓に菓子を供えて欲しい」と一行書かれていた。重松はこれらの手紙を涙を流しながら読む。沖縄出身の比嘉正次さんは遺族を見つけることができて、日記のコピーを持参する。10人近い遺族が集まってくれ、彼の残した日記を読む。ただ日常生活である、「ただ今」と云って帰宅し「お帰り」と云って迎える普通の家族が会話が途切れてしまった切なさを訴える。
▼長田和美海軍中尉の家族も英文の日記しか残されていなかったので、遺族を探すまでに苦労する。日記には3人の子どもと妻の名前が書かれていた。長男の名前が「kon」と書かれているので、「日本人にはない名前だ」を疑問に思うスタッフ。多くの日記が行書体で書かれているので、翻訳した人が「ken」と間違えたのだろうと見当をつける。果たして元海軍関係者を当たると、妻の「俊子さん」と長男の「健さん」が生きていることが分かる。日記の最後に「これまで過ごした年月に感謝する。どんなに礼を云えば良いか分からない」と書かれている。そして最後に届いた手紙には長男に母親を助けて暮らすように、と書かれていた。長男はその遺言とも云える手紙の言いつけを守って母親と生活をしていた。
▼妻の節子さんは出征する夫を駅までいくと混雑してあえないだろうと、家の近くの線路の脇で見送る。すると和美氏は列車から乗り出す様に、こぼれるような笑顔で帽子を振りながら別れて行った。その姿を今でも昨日の様に思い出す、というので重松もおなじ線路の上にたって当時の風景を思いだそうとする。
▼詳しい姓名が分からない「サイトウ」の言葉。妻からの手紙が届かないので、どうなってしまったのだろうと、疑心暗鬼に襲われる気持ちが綴られている。戦場にあって夫婦や恋人達の気持ちをつなげるのは唯一「手紙」だけなのだ。それだけに日米とも、軍事郵便を重視して確実に手紙を届けて兵士たちの気持ちを高揚させようとしたのだ。重松はこの手紙を早稲田大学の(重松の出身校)若い学生たちに読み聞かせる。また夜間高校でも手紙を読ませて一月後に感想を書かせている。「戦争は嫌」というのは簡単だ。しかし日常生活が断ちきられて、愛する人と別れ二度と会えなくなる。この視点にたって戦場で残された日記を分析して若い世代に読み聞かせ、感想を聞くという作業はとても地味だが、大切だと思った。この番組はNHKオンデマンド(有料)でも配信されています。

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