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October 22, 2010

佐久の人は誰でも小鮒を食べる訳ではない。

▼きょうは色々な人から聞かれるであろう事を先に書いてしまう。昨晩の「ヒミツのケンミンshow」で最初に出てきた「ヒミツの習慣」の事だ。「佐久の人は小鮒を甘露煮にして食べる」というのでゲストの皆さんは驚いていた。わたしの生まれ育った佐久地方ではああいう小鮒を食べる習慣はない。佐久は北佐久と南佐久に別れ、厳密に言えば水源も異なる。少なくとも実家の田んぼの近くでは田んぼの雑草をとるために小鮒を飼っている農家は一軒もいない。小鮒や合鴨を田んぼの除草に使って入るのは南佐久の農家に多い。
▼わたしがまだ小学生の頃は一族の田んぼごとに小さな用水池があった。秋になって稲の脱穀が終わる頃になると、その小さな池替えが行われた。池の水をすべて出して中にいる生物を取り出す。鯉や小エビに小鮒などが掬い上げられた。母は小エビは天ぷらにし、鯉や小鮒は腹を割いて天日に干していた。それらは正月のおせち料理として食べた記憶がある。だから昨晩のように、佐久の人が一律に小鮒を甘露煮にして食べている訳ではないことを書いておく。しかしTVというのもいい加減で、1年ほど前は佐久の人はイナゴの佃煮を食べるから長生きだと言い、次は鮒を食べるから長生きだと言い、今回は長生きとは直接関係ないが小鮒である。
▼TVに出てくる長生きの象徴は佐久市野沢町にもう一つあって、「ぴんころ地蔵」という平成15年に創建された神社である。そこに参拝するとピンピン生きて、コロリと死ねる、という事をウリにしている。この神社の守り神は地蔵で、新幹線の佐久平駅でも、その分身は発売されている。
▼先日取材に出掛けたときこんな話をした。最近本人の意思とは関係なく、親族の了解で「臓器移植」がされてしまう。臓器移植されたくなければ、身につけているものに「臓器移植はしません」と明記しておいた方が良い。もっとも我々の様な高齢者はその臓器の機能はすでに落ちているから、提供すると言っても拒否されるだろう、と。すると「献体」という死後に役立つ方法があるのではないかという話になる。某所の某氏は自分の死後に「献体」することを希望され、関係機関に相談した。しかしそこで「いまはもう十分間に合っていますから」と言われた。しかし某氏は「それでもと無理矢理献体したらしい。しかし献体して既に4、5年たつがご遺体は返還されない。とすると今もなお医学部の解剖室の隣にあるホルマリンの池にプカプカ浮いているのだろうか。
▼いま某氏の妻がそろそろあの世にいく順番が来ているという。妻がもし死んでしまったら遺族の家族、つまりお子さんたちは「もうご遺体は返して貰わなくていいから適当に処分してくれ」と言う可能性も出てくる。そうなるとご遺体は永遠にプカプカである。
▼「R25」に掲載された「闘えば給料アップも勝ち取れる」

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