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December 02, 2010

司法に正義がないなら自分たちで正義を行使する

▼おお、昨日の検索用語で、嫌がらせなのだろうか、あたかもわたしを殺害するような言葉が出て来ている。その人のIPアドレスは分かっているから、もう一度同じ事をしたら必要な措置を警察に依頼する。今頃の書店に行くと日記帳から、「仕事の整理学」などという本が、それはそれは沢山並んでいる。そういう本はすきだから買わないけど立ち読みする。一言でいうならば、個人レベルの整理は沢山分類しないこと。スペースからはみ出したら、売るか処分する。どうせ沢山の本や資料を持っても使うのはほんの一部なのだから…。衣類にしても本にしても2年間手にしなかったらもう使わないから捨てた方が良い。「いつか使うから」とか「もったいない」というのは幻想に過ぎない。スペースを占有したり、探すのに手間取った方がもっと無駄である。わたしたちが生きられる時間は限られているのだから…。
▼例のウィキリークスの件で面白い話がある。「週刊金曜日」の先週号に労働者協同組合の記事があり、その中に「京品ホテル争議」について廣瀬純という人が書いている。その中で映画監督のゴダールが「法が正義でないとき、正義は法に先んじる」と言っていることだ。監督は映画の著作権について話しているのだ。廣瀬はこの言葉で90年代のアルゼンチンのいわゆる「不法占拠」闘争を思いだしたと書いている。アルゼンチンは70年代の軍事独裁下で3万人が行方不明になっている。軍政が終わっても民政移管後も行方不明(つまり殺害)に関与していた人たちが、法の裁きを免れて何食わぬ顔をして暮らしていることに、遺族たちは反発した。その免れている人たちの住まいや職場を同定し、近隣住民にも参加を呼びかけて、彼らの罪を司法に頼らず裁きを罰しようとした。90年代後半から「失踪者」の子ども達を中心に「エスクラチェ」(英語のcrushと同語源)と呼ばれる活動を始めた。つまり運動のスローガンは(裁判がないならエスクラチェがある)。司法に正義がないなら我々が自分たちで正義を行使するというものだ。
▼戦争で人を「テロリスト」と断定して殺害するのが「正義」と言えば明らかにノーである。この事を忘れてクリントン国務長官や、前原外務大臣の「厳正に対処」、「言語道断」などという発言は戯言である。(本日早出のため、午後時間があったら続きを書く)

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