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January 25, 2011

南米世界半周の旅(12)

Hutari
(タンゴのレストランにあったゲバラ左とニューベリー右の写真、二枚を合成した。)
▼日曜日深夜にNHKHVでベトナム戦争を描いた「ハーツ&マインド」が放映された。一度映画館で見ようと思ってながらずっと見る事ができなかった。戦争を「肯定する側」は弾を撃つ側でしかモノを見ていない。それが証拠にアメリカの戦争映画は空襲を受ける側からの映像はない。ところが日本やドイツの映画は爆撃の下から撮影している。ここが根本的な違いである。「帰還兵」の多くは国のために戦ったと「栄誉」を持って迎えられる。しかしそれも五体満足な兵士だけである。下肢を失った兵士、ベトナムで子どもを殺害された親は登場しない。最後にでてくる米軍の爆撃機で、ボール爆弾を投下していた乗員の苦悩は戦争をするすべての兵士が知らなければならない事実である。
Hanayasan
(街角の花屋さん)
▼吉本ばななの「不倫と南米」という小説があり、アルゼンチンへの旅を書いている。巻末に吉本はアルゼンチンに行こうとしてもツアーがない。そこで旅行社に特別に頼んで、旅行プランを作ってもらう。彼女は幻冬社の有名な編集者や友人10人くらいと、14日間でアルゼンチン旅行に出掛ける。お金持ちの彼らのことだから、おそらく添乗員も付いていったのだろう。昔の小説なのでわたしが覚えているのは、イグアスの滝の遊覧飛行の場面だけだ。
▼送迎のマイクロバスはあちこちのホテルに立ち寄って客を集めながら、約30分でそのタンゴのライブハウス「ラ・バンタナ」に着いた。バスは「14番」であるとボール紙に書いた数字を何度の確認させられた。席は中央後部で座るとメニューが来るが名前から何が出てくるか見当もつかない。前菜から一つずつ適当に選んでゆく。Hさんがスープのところでサラダと二つ選ぼうとしたら、どちらか一つを「choose one」と言われる。無事選び終わって演奏が始まる前に室内を探検してみた。前方にはアルゼンチンの有名人のポートレートが飾ってあった。舞台にもっとも近い位置に「ゲバラ」がいたのは嬉しかった。次がアルゼンチンでもっとも有名なパイロットのホルヘ・アレハンドロ・ニューベリーだった。彼の名前は名前はブエノスアイレスの第2の空港、ホルヘ・ニューベリー空港に命名されている。あとは知らない人物が多かったが、当然エビータもいた。ステーキが出て、次に何やらソースが2種類出された。しかし一つがどうやって使うのか分からない。わたしはかなりデタラメな英語で「how use this sauce?」と聞いた。するとウェイターは「これ」と一種類の肉を指さしてくれた。
Tangomise
(翌朝撮ったタンゴの店)
▼演奏は南米のフォルクローレの様な曲から始まった。舞台では一組、二組とタンゴを踊るカップルが次々と増えてゆく。なかにはエビータの一代記の様な話も入っていた。料理は肉料理がメインだったが、ワインは美味しく2本も飲んでしまった。最後に登場したのはバンドネオンの大御所セルソ・アマトだった。淡いブルーのブレザーを着て登場した彼の音色は優しくホール全体に広がってゆく。さらにアマトに合わせて演奏する2人のバンドネオンを巧にリードしてフィナーレとなった。タンゴはそれほどアクロバットなものはなかったが、本場のタンゴを十分堪能することができた。演奏が終わるとM氏が「店員さんがなにかくれた」と言う。なにをくれたのかと思ってそれを手に取るとビニールでできた勘定書のバインダーである。ガイドさんにチップを渡すように言われて来たが、いつ渡して良いか迷っていた。みんなこういう高級な店には慣れていないのだ。1人1ドルずつ合計3ドルのチップをバイダーに鋏んで渡すと、ウェイターから「サンキュー」という返事が返って来た。
Tangoporteno
(大きなタンゴショーの店PORTEPO
▼足下はふらついていたが、「14番」のバスはちゃんと見つける事ができた。アルゼンチンだけでなく南米のこういう店がオープンするのは午後9時過ぎからで、終わるのは午前零時を過ぎてしまうのが一般的だという。Hさんは泊まっているホテルの目印をちゃんと覚えていたので迷うことなく帰る事ができた。時間は午前零時を過ぎていて、かなり飲んでいたが、「乾杯」を省略して眠る事はできない。冷蔵庫に冷やしておいた「ハイネケン」ビールで乾杯した。しかしタンゴの店でワインを2本も開けてしまったので、事前に買い込んだワインをさらに飲もうという気持ちはわいてこなかった。このワインはみなさんのお勧めでわたしがいただく事になった。しかしどうやったら無税で持ちかえる事ができるのか分からない。翌日マリアさんにお聞きすると、手荷物にすると申告が面倒なのでバッグに入れてしまえば良い、とおっしゃる。そこで靴下を3枚重ね、さらにTシャツでくるんだ。お陰で割れずに日本国まで持ちかえる事ができた。
▼ホテルのエアコンは利き具合が良く、寒いくらいだった。そのため明け方にはスイッチを切らねばならないほどだった。こうして南米最後の夜は更けていった。しかし帰国途中ヒューストンを飛び立ってから、毎晩飲んでばかりいて南十字星を見るのを忘れてしまった事に気づいた。これはあと数年後にボリビアにでも来るチャンスがあったら、そのとき見ようと思った。この南米の旅の後2回で終わりです。毎回どのように作っていたかというと、まずエディターで下書きをしてブログに張り付けます。次に画像ファイルから文章にあった絵を探してリサイズします。画像を組み合わせて登録してから文字校正を2、3回していました。

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