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January 27, 2011

南米世界半周の旅(14)最終回

Dankon
(カミニート地区にあったアズレージョの拳銃弾痕)
▼リオのガイドFさんから、マテ茶を飲む道具はアルゼンチンで買った方が良いといわれ、カミニートで購入する。わたしたちが歩き始めると、背の高い現地の不審な男が二人近寄って左手をだして「コンニチハ」と怪しげな日本語を使って握手を求めて来た。わたしよりかなり背が高い。下手に握手をして引き寄せられると、右肩から左に下げたバッグがっと抜き取らるかも知れない。それにからかっているかも知れないが妙に馴れ馴れしい。同行の3人は袖を引っ張られたり、何度も追いかけられた。旅の最後に何か盗られてもシャクなので逃げるようにして歩いた。わたしはここでゲバラのTシャツを一枚買った。アズレージョの弾痕はわたしが分析したところによれば、これは撃ち合いではない。38口径か9mmの拳銃で弱装弾を使って5~6mくらいの距離から標的にして遊んで撃ったものだと感じられた。
Ebitaboti
(エビータの墓碑銘)
▼レコレータ地区にある墓地にも行った。ここはお金持ちが大理石を使って豪華な墓を建てている。しかしもの凄いカネを使って建てた墓も手入れをしないとペンペン草が生えたり、錆だらけになっていた。ここに埋葬されている有名人の一人にエビータがいる。その回りにはカメラを抱えた多くの観光客がいた。「エビータ」(WOWOWで2月24日午後7時から放映される)はマドンナが映画に出てから、日本では有名になったと思う。彼女はペロン大統領の愛人から大統領になった人物である。そして貧しい人に支援するなど活動が評価されている。しかしそれは自分の懐から出たカネではなく、国庫のカネである。それでも貧しい人からの評判が高かった。
Kikanhei
(フォークランド帰還兵の抗議キャンプ)
▼空港には早めに着いてチェックインする。コンチネンタルの検査は厳しい事で有名である。ガイドさんは「ここから先は通訳やガイドのわたしも入れない。スペイン語が話せないと特に厳重に審査される」と言われて別れる。「スペイン語か?英語か?」と言われ英語を選択する。しかし早口で半分以上理解できない。すると荷物検査場でバッグをひっくり返し、裏側まで念入りに検査された。よく見ているとリチューム電池を探しているようだった。さらに飛行機に乗る直前にもう一度検査がある。係員がゴム手袋を付けたので、裸にされて身体検査でもされるのかと思ったが、今度は機内持ち込みのバッグに病原菌などが入っていないか念入りに検査された。
▼検査ついでに帰りのヒューストンの税関では、指紋と写真をもう一度撮られた。更にわたしだけが別のコースであの全身スキャナーにかけられた。ズボンとTシャツ一枚になると、「マネーベルトはないか?」と聞くので「ノー」というが、さらに「マネーベルトとブリーフ」という言葉が聞こえて来た。まさかズボンを脱げという事でもないと思ったが、ズボンに手をやると女性税関職員は「オーノー」と苦笑いをした。頭に後ろに手をやってちょっとホールアップ風の格好でスキャナーは一瞬のうちに終わった。これも何故わたしだけこうなったのか分からない。しかし見ていると指紋を取る係員が用紙に何か書き込んだ人物だけ全身スキャナーに送られているようだった。
Minato
(「母を訪ねて3000里」のマルコ少年が降りたとされる波止場)
▼アルゼンチンとはどんな国なのか?わたしが見たところ街にはホームレスの人々が日本くらいの多さで段ボールの生活をしていた。ガイドさんの話によれば彼らにも国から、最低限の生活保障をするカネは出ているという。乳飲み子を抱えたホームレスの女性も路上で生活していたが、「あれは何?」と聞くと彼らはバルト三国から流れ着いた人々だという。リオのガイドFさんによれば「リオは暖かいので1年中ホームレスは海水で身体を洗ってそばのシャワーを浴びているから、世界で一番清潔なホームレス」と言っていた。ブエノスアイレスには観光用の路面電車が走っていた。あれも市民の反対を押し切って作られた長さたった1kmの実用性のないものだという。帰国して先週の日本で発行された新聞を読んでいたら、「アルゼンチンは脱税がもっとも多い国」だと出ていた。美容整形会社などが、北米からやってきた客から得た所得を誤魔化しているのだ。
Daitouryo
(大統領宮殿前で)
▼わたしは駆け足でアルゼンチンを丸約30時間滞在したから大きな事は言えないし、経済学者でもない。しかしそこで見聞きしたのは2001年にアルゼンチンが経済破綻した事からみてもかなりいい加減な国であると思えた。さらにガイドさんは、ある金持ちがパタゴニアの先住民を皆殺しにして手に入れたのが、現在のパタゴニアであるとも語っていた。わたしには、それがアルゼンチンの軍事政権下で、3万人ものデモ参加者や民主活動家がそのまま行方不明になったままだという事実と重なって見えた。しかしヨーロッパの雰囲気を持ったアルゼンチンは、できれば一人で2週間くらいもう一度行ってみたい国である。いつも旅ではいくつかの別れと、たったひとつの出会いがある。そんな事をヒューストン空港で感じながら帰国した。
▼帰国後14日間にわたって連載をお読みいただきありがとうございました。メールで励まして下さったみなさんどうもありがとうございました。もし執筆した他にご質問等がありましたら、お寄せ下さい。知っている限りの事はお答えします。このブログで南米の記事は約2万8千字あります。わたしは地方新聞の連載で、M氏と交互に担当する3回分を執筆することになっています。それは1回分約1100字となり、一回目分はすでに送稿済みです。どこをどう取捨選択するかが悩ましいところです。(おわり)

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