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January 26, 2011

南米世界半周の旅(13)

Sanpo
(ガイドさん中央、と公園を散歩する)
▼2週間ほど前に行ったブラジルのリオデジャネイロ州では、豪雨により1200人ほどの死者と行方不明者がでているという。お気の毒な事である。昨日書いた「不倫と南米」を図書館に行って再び借りて来た。1時間ほどあれば読める、アルゼンチンがテーマになったエッセイ集である。本書を読むと、ああ、あれも書けば良かったとか書き残した事があれこれと出てくる。最終日は午前中はフリーである。M氏を訪ねて来た友人のMS氏からブエノスアイレス市内に詳しい地図をお借りした。まず、昨晩トップページでご紹介したコロン劇場に向かった。劇場は空港からホテルに向かうときも見たが、分かりやすい場所にある。横断すべき7月9日通りと呼ばれるメイン道路が、何と両側16車線で見たところ300mほどもある。Hさんは横切るのに一旦途中で休まなければならなかった。
Toska
(コロン劇場トスカニーニの銘板)
▼コロン劇場では何やら3月までストライキをやっているという事で、組合員が始業前に入り口でピケットを張っていた。劇場を一回りすると、トスカニーニが演奏したというレリーフが目に入った。それからMS氏が教えて下さった有名なカフェに行かねばならない。それは1150年の歴史がある、ブエノスアイレス最古のカフェ「カフェ・トルトー二」である。書いて下さったのは手書きのメモで、現実の地図上に合わせてみるとよく分からない。劇場の受付をしていた女性に道順を尋ねる。開館間際で忙しかったにも関わらず、新説に教えて下さった。大きな通りを4本行って、地下鉄の通りを左折せよ、という事だった。何度か歩いている人に聞きながら15分ほどで辿り着いた。
Cafe
(カフェの入り口)
▼店の作りはシックで家具類は重厚である。問題の飲み物は適当に頼んだ。しかし肝腎の揚げパンの名前をはっきり覚えていなかった。後でガイドさんにお聞きしたら「チュロス」というのだそうだ。しかし「ロ」の発音は巻き舌で日本人にはできそうにない。年配の店員さんは最初「分からない」と言ったがしばらくして「クロワッサン」を持って来てくれた。これはどう見ても現地でいう「メディアルーナ」というクロワッサンである。意思は通じなかったが、このパンで良いことにした。店の中にはカフェに関連した資料が沢山展示されていた。
▼再び元に戻ろうとしたがその道は大通りと並行になっていない。迷ってしまうとまずいというM氏の提案で元に戻ることができた。M氏は道歩きとか、大きなホテルでも一回通ったら決して道を間違えない人である。わたしなど方向音痴で国内では時々、同じ所をグルグル回って目的地にたどり着かずにいるので家族からは信頼がない。
Crowassan
(どこからどう見てもクロワッサン)
▼吉本ばななは、ブエノスアイレスの町を「はじめて見たブエノスアイレスは、ヨーロッパの街並みに確かに似てはいた。しかし、そのに息づく濃厚な南米のムードは至るところから漂い出て、すべてを覆いつくしていた。」と表現する。次に行くのはフロリダ通りである。ここは一番賑やかな通りで色々な店が建ち並ぶ。わたしは南米の地図と、タンゴとバンドネオンのCDを数枚買った。昼の直前にマリアさんが迎えに来てくれたので、荷物を一式もって観光に出掛ける。5月広場を経由して、昼食で来たのはアサード(牛肉の炭火焼き)の店だった。もう店先には動物を焼いている様子が繰り広げられている。マリアさんは「飲み物どうしますか?」というので「昼は酒を飲まないので水を」という。「いいんですか?日本のお客さんはみんな昼からビールを飲み、それが終わるとワインを飲んで眠ってしまうので、観光どころではなくなってしまいます」という。ステーキも日本人向けに小さく300gにしてあるというが、厚さは写真でご覧の様に3cmほどはある。わたしもM氏も脂身は外してやっと3分の1ほどだけ食べた。
Daiseido
(大聖堂の内部)
▼大統領宮殿はあたらしく建て替えたものだった。その前には20年ほど前のフォークランド紛争で出征した兵士が、待遇の改善を求めて立てこもっていた。時々猛烈はデモを展開して機動隊ともの凄い衝突を繰り返しているという。20年たってて政府に抗議デモをしているのも凄いが、鎮圧の方法も半端ではないらしい。隣にあるカテドラルメトロポリターナ(大聖堂)を見学する。そしていよいよタンゴ発祥の地であるカミニートへと車は進む。建物が色とりどりのペンキで塗られているが、これは当時町に住む人がお金がなかったため、船で余ったペンキを塗ったため、このようになったと伝えられている。色々な店もあるが治安が良くないという。昨日の晩MS氏から聞いた話でも、数日前に日本のJICAの女性がバッグをひったくられそうになり、取られまいとして大けがをしたという新聞記事を見たという。わたしたちは土産はここで買わねばならないし、アズレージョには拳銃の弾痕らしき跡があったので緊張して車を降りた。

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