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March 31, 2011

◇「トゥルー・グリッド」を見る。

Asakusatree
(浅草から見たスカイツリー)
▼昨日は完成したスカイツリーをみたいとおっしゃるご一行を浅草からツリーのある業平までご案内した。本当は16日に予定していたが、震災直後で電車も動くかどうか分からなかったので、急遽2週間ほど延伸した。すでにツイッターにで書いたが「花見と桜まつりは中止する」という手作りのポスターが墨堤のあちこちに貼られていた。
▼昨日聞いた話だが福島原発の事故が起きたとき、東京出身で現地に赴任していた東電社員は家族を直ちに東京に帰らせ、自分も即座に帰ってしまったという。これは関係者の話だから間違いない。これから推測される事は「正職員に対する緊急避難マニュアル」は存在していたという事だ。それに東電の会長は事故が起きたとき、「マスコミ接待」で中国に行っていた。ようやく昨日記者会見をして「東電の再建は無理」、「被災者は数週間で戻る事は出来ない」、自らは「目眩がする」と発言してさっさと入院してしまった。わたしだったあの地震いらいしょっちゅう目眩はしている。
▼普通の神経を持っていれば、まず被曝地域から避難している皆さんのところを訪問して謝罪し、現状と自宅には今後10年くらいは帰れないという説明くらいすべきだ。入院はそれからでも遅くない。朝刊でみた週刊誌の見出しでも、東電は広い施設を保有している。にも関わらず、現地で放水などをしている自衛隊、消防、警察の職員に対してこの施設を開放していないと書いている。事故対応は「協力会社まかせ」で逃げるなど昔の関東軍と何も変わらない。昨日の朝日でも「協力会社」の職員が「原発以外の仕事はない。親会社から戻って復旧に協力してくれ」と言ってきている。もし行かなければ仕事を切られてしまうから、怖くても行かざるを得ないと語っていた。
▼ふと、森進一の「港町ブルース」はもう唄われなくなってしまうんのではないかと思った。なぜなら2番の「港 宮古 釜石 気仙沼」という歌詞があって被災地を網羅しているからだ。さらに3番には「三崎 焼津に 御前崎」とまさに浜岡原発の設置されている場所が次々登場する。
◇「トゥルー・グリッド」この映画は1969年ジョン・ウェインの「勇気ある追跡」というタイトルで公開された。今回はコーエン兄弟が監督でリメイクした。普通リメイク映画はロクな作品がない。ところが本作品は違った。主人公は14歳の少女マティだ。父親がマスタング(テキサスの馬)を売るため町にやってきたが、使用人に殺され金貨2枚を持ち逃げされてしまう。町にやってきた娘のマティは父親の遺体の入った棺を汽車に乗せたらすぐ帰って来る様にと母から言いつかっている。ところがマティは単身馬の売買商人の店に乗り込んで馬を納入した正当なカネを支払うように交渉する。14歳と60歳くらいの老練な親父とは到底やり取りできる筈がないと考える。マディは牧場の正当な後継者として400ドル支払いを求める。したたかな親父は値切りまくるが、マティは一歩も引かない。それで最終的に320ドルで手を打つ。
▼なぜ彼女がそうしたか?有能な連邦保安官を雇って越境した元使用人チェイニーを追跡して捕まえようと考えたのだ。しかし酒場で保安官のコグバーンで見つけると酔っぱらっていてマティを相手にしない。しかし何とか50ドルの前金を払ってチェイニーを追跡すると約束させる。翌朝目を覚ますとコグバーンは既にいなかった。彼は第5騎兵隊のラビーフと連れだって追跡を開始していたのだ。マティは「一緒につれて行ってくれる約束だった」と馬で必死に追いかける。流れが早い深い河の先に2人は去っていくので、馬に笞をくれて大河に乗り込む。スタントを使っているのだろうが、マティの馬の使いこなしは抜群で見事に河を渡り終える。
▼原作の脚本を書いたマーゲリット・ロバーツはコミュニストと言われた。それで前回主演のジョン・ウェインには左目にパッチを当てて、右目を見えるようにした。つまりウェインは名だたる共和党支持者で右派なのだ。ところが今回は原作に忠実にジェフ・ブリッジスに右を隠して左目が見える設定にした。コーエン兄弟はそういう工夫をしたのだ。マティは2人に必死について目的を果たそうとする。しかし中継地点で容疑者を見失ってから2人の男は「もう見つける可能性はないから帰ろう」と二手に分かれる。しかしその直後ラビーフは襲われて怪我をする。そして河に水汲みに行ったマティは容疑者を見つけて父親のコルト・ドラグーンを一発撃ったまでは良かったが、逆に捕まって人質になってしまう。
▼紆余曲折はあるが仇は取ることが出来た。しかしその直後深い穴に落ちてしまい。そこで左手を毒蛇に噛まれてしまう。コグバーンはマティを助け出し、傷口をナイフで開き、血を吸い取ってから僻地の診療所(といっても小屋だ)まで馬でひたすら何昼夜も馬に笞を当て走らせる。汗だくになって倒れた馬はマティが「殺さないで」と叫んだにも関わらずコグバーンは馬を射殺してしまう。これが馬への愛なのだ。最後はマティを抱えてひたすら走る。この夜に馬を走らせるシーンはとてもいい。まるで西部劇版「走れメロス」のようで、みていて涙が出てくる。最後は書かないでおくが、この10年間みた「西部劇」では一番優れていると思う。一食抜いて映画館でみても決して後悔しない作品である。

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