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March 17, 2011

◇「再生の朝にーある裁判官の選択」を見る。

▼いよいよ我が家も今朝9時20分から午後1時まで計画停電に入る。明日は朝6時半からだからもっと大変でブログの更新もできなくなる。昨日はのんきに夕方買い物に出かけたが、ないないずくしだった。トイレット・ペーパー、紙おむつ、洗剤、単3電池、納豆まで一つもなかった。トイレット・ペーパーは生協の共同購入で買っているが、先週うっかり注文するのを忘れてしまった。こうなると地方の親戚に電話して、着払いで1パックだけでも送ってもらうしかない。しかし手紙なども普段2,3日で届くところが4,5日もかかっている。
▼水や食料、それに燃料がなくて飢えている被災者をTVを見て、自分もああなったら困ると思って買い占めに走るのだろう。その姿を報道するメディアもどうかしている。もっとはっきり言えば東京の下町に津波が来たら90mにもなると言われているから、生き残るのは奇跡に近い。こういう人たちはトイレットペーパーと心中するつもりでもいるのだろうか?
▼仕事であるパソコンのデータはバックアップを頻繁に行い。一日をメドに終了させ、得意先にはその日のうちに送ってしまう。昨日のアクセスの検索用語を見ていると、地域は沖縄まであり、どうやって自分が助かるかという内容の様に思える。わたしはそういう立場でブログは書いているつもりはないので、そういう内容は一旦止める事にする。余力があったら少しでも被災地に必要とする物資やお金をカンパして欲しい。
◇「再生の朝にーある裁判官の選択」60年代から70年に移行する中国の話。主人公は融通の利かない裁判官をしている。娘が交通事故死をして40代後半の中年夫婦とも大きなショックを受けてしまう。そんなとき自動車ドロボーの裁判を担当することになる。当時の中国の法律では自動車2台は死刑に値する。なぜなら当時の貨幣価値で死刑の基準となったのは3万元(約42万円)以上の損害が生じたかどうかなのだ。裁判官は機械的に法律に照らし合わせて死刑を求刑し、再審でも同じ判決がでる。
 物価が高騰する中国にあって富裕層にとってみれば3万元もたいしたカネではない。そこで腎臓移植の順番を待つ大金持ちが出てくる。被告の弁護を引き受け、片方では大金持ちの顧問をしている怪しげな弁護士が登場する。弁護士は被告とその家族の窮状を察して、死刑になったら直後に腎臓を摘出して金持ちに移植すれば10万元を家族に支払うという条件を持ちかける。
 若い妻を満足させる事ができなかった、金持ちの夫は大喜びでその話に乗り気になる。しかし裁判官は自分が死刑の判決は間違っていないが、腎臓を摘出することは間違いだと考える。死刑になる息子は「本当に貧しい母親に10万元が渡るならば、死刑は受け入れる」と諦める。
 死刑が執行されるのは代わり映えしない河原で、警察は見物客を規制して近づけない。被告が引き出され、「本当に母にカネが行くんだろう」と弁護士と裁判官に念を押して、河原に設けられた即席の刑場に引き立てられる。目隠しをされ射撃手が後ろからAKを構えて「用意!」の準備の姿勢で「発射!」の命令を待っている。裁判官は現地で「これは9月末の判決で、10月からは新しい法令で運用しなければならないから死刑をするのは違法ではないか」という疑問を刑務所の副所長に投げかける。「いまさらそんな事を言われても困る」と言い争う。刑場には死刑囚から腎臓を摘出する病院の関係者も大勢控え、固唾を呑んで待っている。銀座シネパトスで。
▼最初ご紹介したように計画停電に入るとPCメールの受信は出来ません。お急ぎの方は携帯メールをお願いします。PCから携帯にメールを送っていただいても受信拒否の設定にしてあります。

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