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April 26, 2011

NHK「瓦礫の中から言葉を ~作家・辺見庸~」を見る

Goyogura
(本日オープン野田の醤油御用蔵)
▼昨日の昼頃のTV中継を見て驚いた。各局とも一様にあの元キャンディーズの一歌手だった人の葬儀を延々と取り上げているではないか。大震災のあった東北地方ではまだ遺体の半分も埋もれたままになっている、というのに。こういうスタンスはわたしには異常としか思えない。
▼日曜日の朝5時からNHKで「こころの時代 瓦礫の中から言葉を ~作家・辺見庸~」が放送されたので録画して見た。辺見はわたしと同じ年齢でしかも病気の一つまで同じである。大きく違うのは辺見は文章を紡ぎ出す達人であり、わたしは駄文を書いている人ということだ。辺見はさいきん詩人としても活躍しており、メルマガの前号でご紹介した「生首」は中原中也賞を受賞した。辺見は釜石の出身だが、脳出血で半身が不自由のため行く事はできない。画面の最初でホスピスに入所しているお母さんと携帯で話す場面が出てくる。彼はお母さんを気遣い、「テレビなんか見なくてもいいから、じっとしているのがいい」と優しい言葉をかけていた。
▼彼はTVも見たがふる里の友人が送ってくるデジカメの画像を見ていると、決定的に違う事があるという。その画像データには重なって傾いたクルマのなかに、何人もの遺体は見えない。ふる里の自分が出た小学校の写真には焼けた時の炎が残っているが、それがない。震災直後から民放のTVではCMが消えて「人に優しさ」を押しつけ始めた。その次は「ニッポン、ニッポン」の連呼である。そこでは「どこか空しい集団や、日本人は強い国である精神の高揚を鼓舞する。こんな言葉だけ を振り回すのではない」被災者のなかには日本人以外の人はいなかったのか?そんな筈はない。今問われているのは、国でもなければ民族でもない。今、問われているの疑いもなく「個人」であることを言う。
▼辺見は絶望の淵から、アドルノの「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という警句を引き出す。さらにカミュ「ペスト」の原文を引用し、そこに登場する医師ベルナール・リウーが語る伝染病 ペストに立ち向かう唯一の方法としてのペストの蔓延する地に残って治療する医師の姿に「誠実さ」を発見する。
▼辺見はこの時期にあってその誠実さが必要なのだという。このチャンスに一儲けしようなどと考えるのはとんでもない。放射能の強い被災地に飛び込んで、あるいは残っている人々に治療を続ける医師がまさに「ペスト」に登場する誠実な医師なのだ。誠実であることは別に医師でなくてもできる。
▼さらにここからが大切だ。医療の場などにあって、若者の命は尊く、年寄りの命などどうでも良いという様な考え方だ。以下はわたしの考えを入れる。つまり優秀な人の命は残されるべきで、老人の命などどうでも良いという考え方はナチスの優性保護の思想とつながってしまう。それを発展させると、例えばわたしは心臓が悪いという子どもたちは外国に行かせて高額な金を払って手術をさせる事を、新聞・テレビで報道する姿勢にも疑問を持つ。可愛そうだから何とか日本国内でも臓器移植をという、既成事実をマスメディア世論つくって臓器移植法を作ってしまう。国民や医療関係者の合意など一切ない。これには国家と厚労省を中心とする一部グループの思惑があったはずだ。
▼辺見は役に立たない年寄りこそ生かしておかなければならないと言う。自分たちがいる現在を作って来た年寄りにもっと敬意を払えということだと、わたしは受け取った。辺見は今回の「故郷喪失」と「死」に向き合っている。最後に「瓦礫の中に落ちている、我々が浪費した言葉たちのかけら拾い集め」をそれを「もう一度てい ねいに磨いて、抱きしめるように」組み立ててゆきたいと締めくくった。辺見のこれから生きていくスタンスは、昨日の田中優子とかなり似ていると思った。おお昨日はドイツ語圏からもご覧になっていただいた。今朝は取材で出かけるので以上。

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