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May 30, 2011

◇「愛の勝利を/ムッソリーニを愛した女」を見る。

▼午前中は管理組合の会議で午後から夜にかけては仕事の一日になった。大規模修繕とか地震があってもドアが壊れない補強工事の方法などが討議される。機動隊のジュラルミン楯を圧縮した技術を使って、シールでドア枠を補強する方法があるのだという。実演も可能だという。今度火災訓練の時にやってみてもらおうという話になる。夜の校正は今週は4ページもあるので、かなり消耗する。さて福島原発終息の道は相変わらず見えてこない。東電は9ヶ月で終息させる、と言っていた。しかし放射能の放出量はまったく減らない。作業も原子炉の近くまで近づくことすらできない。
▼専門家の意見では封じ込めする終息までに、少なくとも9年かかると言っている。東電や政府の言っていることはまるで日替わり。時間帯で「放水を止めた」「止めない」、「すぐに危険はないと言った」「言わない」とまるで猫の目のようにクルクル変わっている。まさか9年間も地方に逃げていることなのできない。いま私たちに出来る事は、当該の組織に圧力をかけて、終息までの時間を1年、1時間でも短縮するよう、具体的に動くようにさせる事だと思う。
◇「愛の勝利を/ムッソリーニを愛した女」ヒトラーにエバ・ブラウンという愛人がいたことは広く知られている。だがブラウンも決して新聞や記録映画に残ることはなく、影の女として生きた。実はムッソリーニにもイーダという愛人がいた、という事をこの映画で知った。映画はまず1900年代の初頭、ムッソリーニが「社会主義者」として頭角を現すところから紹介する。非戦であるはずの社会主義者だが、第一次世界大戦で「ウジ虫どもを片付けろ」としてオーストリアに宣戦を布告する。わたしは愛憎劇としてよりもイタリアの歴史とムッソリーニに興味があった。
▼ムッソリーニはこのとき自分の主張を国民に知らせるために、機関紙の発行を思いつく。その頃彼は妻子がいるのにイーダの元に走ってしまう。まぁ、ああいうシチエーションだったら、男として参ってしまうだろうな、と映画は思わせる。ムッソリーニが資金に困っていると感じたイーダは私財を全部投げ打って彼に「使って頂戴」と差し出す。彼は「そんなのダメだよ」と言いながら「借用書」を書く。
▼彼はやがて党首から首相の道を歩き始める。あるときイーダが「大事な話があるの」というので聞くと「出来たの」と耳元で囁く。驚いた彼は仕方なくか、喜んでかとにかく教会婚を挙式する。イタリアには民事婚と教会婚があるようだ。そのとき教会はイーダにサイン入りの婚姻証明書を発行するが、これが問題となる。総統は清廉潔白で妻はあくまでも1人でなくては示しがつかない。イーダは当然ながら妻の存在が憎くて仕方ない。総統の側近が取った方法とはイーダを隔離してしまう事だった。それも精神病院に。当然1人息子も叔父が面倒をみるという前提で寄宿舎に隔離され、離れ離れにされる。
▼イーダは自分こそがムッソリーニ正式な妻であるとローマ法王や、イタリア皇帝に手紙を書き続ける。そして息子に会いたいと叫ぶがすべて無視される。(明日に続く)

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