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May 04, 2011

原発開発をめるぐ京大と東大の確執

▼ネットでビンラディンの遺体といわれる写真が流れている。骨格と鼻の形状は似ているが、髭が余りにも黒々としていて彼の年齢からすると若すぎるように思える。連休となると近くの神社の藤の花を撮影するために、重い一眼デジカメを抱えた人が大勢やってくる。毎年の事ながらカメラの品評会と言った様子だ。結構な年齢で重いカメラを持っていると気の毒になる。それでシャッターを押すのはたかだか10枚程度だ。また家族の写真を撮るときは並べてシャッターを押すまでに時間がかかる。いいカメラを持ってくる人達もまたメーカーの宣伝に惑わされている。
▼カメラを買うとき店先のカタログを見て、そこに印刷してある写真を見て「これを買えばこんな風に撮れるのか?」と納得して買う。しかしカタログの写真は大勢のメイクやスタイリストなどのスタッフと照明を使っているからあのように撮影できる。ゆめゆめ高いカメラを買ったらあのような写真が撮れるなどと思ってはならない。カメラは長時間(半日程度)首にぶら下げても重さを感じないものがいい。
▼昨日4月からWOWOWで「攻殻機動隊」の神山健治TV版全シリーズが放送されて、現時点で述べ30時間くらいになっていた。それはHDDレコーダーに保存されていた。それを2日間かけて全部見終えることが出来た。今後まだ10時間程度放送される予定だが、見終わって全部削除したので、気分は良い。連休でもないとこういう時間は取れない。
▼30日に放送された「愛川欣也パックイン・ジャーナル」も見終えた。これは毎週2時間の討論番組だ。それをじっくり見る時間も取れないので、わたしは自分の興味がある部分以外は飛ばしてしまう。原発の部分で意外な事が分かった。わたしは新聞やTVで自分なりに行間を読んで、そこで感じた事を主観的にご紹介する。いつもそのつもりで読んでいただきたい。レギュラーの川村晃司は原発は1953年にアイゼンハウワーが「原子力の平和利用」と言いだし、それを日本で実行するために読売の正力が登場した。彼は1955年の新聞週間のスローガンで「新聞は未来を照らす、原子力」という標語を作って流した。その経緯はちょっと長い番組だがここをご覧頂きたい。
▼京都大学の湯川秀樹はずっと原子力をエネルギーとして使う事に反対していた。だが国はエネルギーを対米従属の切り札として使いたかったので、東大に働きかける。今も東大は東電から莫大なカネを引き出している。原発に好意的な発言をする学者が東大に多いのも、京大派が淘汰されてしまったためだ。現に京大で反原発・原子炉の発言と行動をしているのは小出裕章氏だけだ。(わたしの主観もかなり入っている)
▼わたしはここでふと某革新政党の事が頭を掠めた。その政党で反原発に積極敵なのは国会議員のY氏だけで、彼は京大で原子炉の研究をしてきた。3日ほど前の機関紙を読むと「全原発を総点検する」という政策が掲げられていた。今は即時停止と廃炉であるはずだ。国会議員の顔ぶれを見ると東大派が多いことに気づく。つまりその東大グループは○海村の原子力研○所にまで影響を大きな影響を与えている。だから某政党の原子力政策というのはずっと「核廃棄物の安全な処理方法が見つかるならば、原発には敢えて反対しない」方針を一貫して取ってきたのだ。困ったことだ。映画の続きを書こうと思ったが時間とシ紙数がなくなったので、明日に続くの心ーだ。(小沢正一風)

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