クーベリックの「モルダウ」が聴きたかった。
▼打合せに終始した一日だった。届いたばかりの「週刊金曜日」を読んでいると「風速計」というコラムで法政大学の田中優子が書いている。彼女は4月22日の「週刊金曜日」コラムで「残りの分」として原発に反対してこなかった自分の責任として放射能に汚染された水道水を飲む、と書いていた。今回のコラムで佐高信に「内省していてはだめだ。東電や政府は反省していない。黙っていては彼らの思う壺だ」と書いている。
▼わたしもその通りだと思う。おりしも朝刊に、福島第一原発は3月12日ベントに失敗して実は水素爆発した、と書かれている。国民はみな薄々知っていたが、今更そんな事を公表されても、放射能汚染はその直後、日本中に拡散してしまっているので手遅れだ。同じコラムで田中は作家で法政大学教授の島田雅彦の話を引用している。「今までの自然災害は必ず治癒していた。しかし今回は自然の治癒力では、どうにもならないものが出現してしまった。今まで形成されてきた自我では、乗り越えられないのではないか」と。わたしも「頑張れニッポン」、「ボクがついている」などと言うレベルでは乗り切れないのではないかと、かなり悲観的に考えている。田中は今回の問題を「国難」と考えるのではなく、精神の深部に達する「自我難」という視点が重要だと指摘している。
▼関東大震災でも朝鮮人の虐殺、社会主義者たちの虐殺、中国人留学生王希天の虐殺が相次ぎ、治安維持法は震災時に発令され、まもなく法律になってしまった。この経過は今のネット規制法の国会提出の経緯と驚くほど似ている。ちなみに王希天が虐殺された地点は、わたしの住まいから歩いて20分くらいの地点にあり、王を讃える記念碑は同じく徒歩30分くらいの木根川橋のたもとの私有地にある。
▼田中はさらに災害は、したたかに立ち回る野心によって「国難」と名付けられて少数者排除の理由にされ、戦争の国難を準備した、と続ける。王希天虐殺事件の詳しいことはこちらにある。ここでも正力松太郎は活躍している。
▼先日民放でハンガリーの街歩きという様な番組があって、チラッとみた。どこか美味しそうなスイーツを食べさせるレストランがあり、コーヒーとセットで1000円ちょっとだった。さらに奥の間では3人の演奏家によるコンサートが開かれ、ヴィバルディの「四季」アレグロが演奏からはじまった。最後は、やはりというか、「モルダウ」をピアノソロで演奏していた。それを聴いているうちに急に「モルダウ」が聴きたくなって図書館のコレクションを探したが全曲盤はなかった。アマゾンもにカラヤンの演奏しかでてこなかった。わたしは思想信条によって、ナチスの手先カラヤンの演奏は一切聴かないし、CDも一枚も持っていない。一番聴きたかったのは、ラファエル・クーベリックが指揮したものだ。これはベルリンの壁が崩壊して、クーベリック初めて帰国して演奏したものだった。しかしこれもすでに20年もたっているのでネットでも見つからなかった。
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