「水俣」も「福島原発」の爆発も根っこは同じ。
(「ガイガーカウンター」を売る店、秋葉原にて)
▼深夜2時の地震は東京でもかなり揺れたので驚いた。一瞬NHKラジオのスイッチを入れ、身の回りに津波が来ていないか耳を澄ませた。
▼ゴーヤの話には若干続きがある。Mさんはゴーヤを沢山収穫しようと、鹿沼土を買った。しかしその後放射能汚染が気になって調べて欲しいというと、「二週間ほどまってくれ」と言ってそのままになっている。何か体内汚染が心配なのだという。ゴーヤは摘芯と肥料であって土は心配ないと思うのだが…。わたしは専門家ではないので、黙っていた。
▼昨日の「愛川欣也パックイン・ジャーナル」では、今の日本は1945年8月15日に次ぐ歴史の曲がり角にきた。つまり45年は自分の力で民主主義を勝ち取ったとは言えない。その後最近まで「教科書問題」に見られるように「戦後レジームからの脱却」が言われ続けて来た。しかし311の今こそ、自分たちの手でほんとうの民主主義とは何かを考えて実行すべきときだ。原発爆発が収束するまでには100年単位のスパンが必要かもしれない、それは日本のあちこちに「汚染地域」が広がり、「汚染食料」が蔓延するなかで、それを承知しながら少しでも良い方法を選択することになろう、という事だった。
▼長い討論だったので出席者が言わない言葉も入っているが、要するにそういう意味だとわたしは受け取った。今朝4ch系で「遠くに行きたい」は青山学院の生物学者福岡伸一が水俣を旅していた。そこで福岡は「企業(チッソ)が発展するために、水俣湾の汚染が隠蔽されて多くの犠牲者が出た」という事を指摘する。とりもなおさずそれは企業つまり東電の発展を許し、それと引き替えにわたしたちは物質が溢れた一見豊かな生活を送ってきた。しかしそれは地震が来たら破壊するという砂上の楼閣の様なものだった。そして被害を一貫して事故の被害を隠蔽し続ける電力会社。わたしは福岡伸一の旅を見ていて、水俣と福島原発も共通していると思った。
▼昨日は岩波ホールの「おじいさんと草原の学校」の初日初回を見に行った。初回はいつも支配人の岩波律子の挨拶がある。総支配人の高野さんは具合でも悪いのだろうかここ数年まったく出て来ない。岩波さんは紙に書いた文書を読み上げる。もっと事前に練習してくればいいのに、つっかえつかっえ読む、しかも締めくくりは毎回同じだ。映画は「ブーリン家の姉妹」の監督だからイギリス側から見た、ケニア支配の歴史観が多分に入っている。映画のスタンスは「マンデラの名もない看守」ににていると思う。周囲では後半すすり泣きをしている人が多かった。「??」
▼映画が終わってからいつものように秋葉原まで歩いた。家にもう一本LANケーブルを引き回す必要がでてきたからだ。現在1本はメインのPC2本目はノート。3本目はHDDレコーダー。4本目は家族用、5本目をリビング常時使用に引っ張った。探すとフラット型ストレートLANケーブルが10m880円でで売っていた。わたしは無線LANというものはセキュリティ上信頼できないので、一切使っていない。その店の隣を見たら外国製ガイガーカウンターが3万円台で売っていた。近く国内メーカーで2万円以内のものが発売になるらしいけど…。
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