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July 05, 2011

「フ(ふ)号作戦に携わった人の話を聞く。

Fusenbakudan
(風船爆弾の3分の1模型:江戸東京博物館)
▼松本龍復興相が松本治一郎の孫とは知らなかった。それに自分が喋ったことがまずいと認識しているから、記者に「書いた社はつぶれる」ともクギを刺したのだろう。差別をさせない運動をしていたのが祖父で、差別を助長する発言をくり返しているのが松本龍だ。発言の内容はネットで見ていただくとして、お里が知れるというレベルだ。しかし孫というだけで祖先が大切にして来たものを継承できないというのは、与謝野薫の例を待つまでもない事は明らかである。
▼昨日の日本はスルメになりそうな暑さだった。気温はまだ40度まで行っていないので単に身体が暑さになれていないだけのことかも知れない。前に書いた風船爆弾を女学生の頃に勤労動員で作らされたという人を格納倉庫までご案内した。いま82歳のお年よりなので、MINさんにお願いして車を出して送迎していただいた。しかし矍鑠としていてスイスイ歩き回る。初対面なので待ち合わせの駅の改札口でA4の紙にお名前を書いて立っていたら、紙を指さしニコニコしてやってきた。
▼風船爆弾は当時「フ号作戦」という名称で秘匿されていた。この方は北区にある造幣局でその作業に当たっていた。風船の大きさは膨らませると直径が10mにおよぶ巨大なものである。軍部や学者が研究した結果、和紙にこんにゃくを塗ったものが一番軽いと言うことになった。紙風船をご存知だろうか?勤労動員された彼女たちは細長い半月形の紙をさらにヨコに切ったパーツを作って一斉に張り付ける作業をしていた。
▼指導する軍人からは「この作業のことは親といえども一切喋ってはならない」と命令されていた。たまたま空襲があって防空壕に潜ると、同期生たちと「どうやら風船らしい」と話していた。彼女たちは昼間の勤務で、この間授業はまったくなかった。しかしそれでも工場の食事としては恵まれていて、僅かな米に大根や芋が混ざっていた。中でも蕪を煮たものは大嫌いになり、今でも蕪を煮付けたものは食べられない。
▼しかし家に帰るとこんにゃくの作業をするときに来ていた着物は傷みが早く、母親から「一体何をしているんだい」と聞かれたが一切答えられなかった。(以下省略)それでそのKさんは体調が悪く50歳前に教職を辞して、平和活動をするようになる。その一環として海外の戦跡を回る事を始めた。国内も海外も観光旅行には一切興味がなく、沖縄などの戦跡を回る。海外では中国東北部(いわゆる満州)、韓国、グアム、サイパンなどでテニアンは10回ほど行っている。ジャングルまで小型トラックで案内して貰って、さらに現地のガイドは刀の様な大型ナイフで雑草を切りひらいて遺骨が眠る場所まで行った。自分たちが遺骨を勝手に持ちかえることは出来ないので、荼毘に付してから必要な手続きをして持ち帰った。そこで感じることは、日本国内の平和運動とは、「被害者」という面だけが強調されているが、実際には海外では「加害者」であった事を忘れてはならないという事だった。これからも海外に謝罪と慰霊の旅に行きたいが、もうテニアンは無理だと思う、と語っていた。これは8月末に新聞原稿となります。
▼暑さで疲れ切って帰宅するとS編集長から「成田の御料牧場の中にに戦前作られた天皇の待避防空壕があるから取材に行ってくれ」と電話がある。別の取材がダメになりそうなので、こちらに切り替えるという。天皇の待避所は松代だけかと思っていたが、こちらにもあって近年公開されているという。
▼昨日NHKの「クローズアップ現代」では、国民がいかにマスメディアの言いなりになって「節電」しているかその一部を垣間見た。ある80代お年よりは、60代の娘が「被災地の事を考えたら電気を無駄に出来ない」とエアコンを切ってしまい、母が脱水症状で重症になってしまったという話を紹介していた。人間の命を守る事がまず優先されなければならないのに、これでは本末転倒である。昼間は多少我慢しても夜は遠慮なくエアコンをつけるように。水分の補給は一日2リットル摂る。という様はことだった。マンションでは屋上や外壁に近い部屋は温度が他と較べて高くなる。エアコンの設定はみんなで調整してその部分に住んでいる人は内側の人より高く設定した方が良いというような話だった。

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