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August 26, 2011

NHK「96歳のジャーナリストむのたけじ」(1)

Hmawari
(近くの公園で咲いていたひまわり)
▼昨日のアクセス用語で「たいまつ.むのたけじ」が約100件ほどあった。これはNHKが過去に放送したことのコメントをわたしが書いたものだ。ところが昨日はNHKプレミアムで有働由美子アナウンサーとの直接対話番組があった。(8月12日の再放送)それで番組中から夜中までこの検索用語が続いた。わたしの研究テーマはメディアと戦争なので、当然興味があるが、昼間の放送は仕事をしているので見る時間がない。アクセスして下さったみなさんには申しわけないが、Google検索のトップに過去に書いたブログがトップに来たのでアクセスが急増した。内容が最新でなくてお気の毒なことをしてしまった。
▼わたしはNHKが8月の終戦特集で放送した「日本人の戦争/700人の記録」上下6時間をようやく見終わったところだ。これは過去に「兵士達の戦争」を編集してまとめたものだった。いくつか印象に残ったが、ニューギニア戦線の話もその一つだった。それは日本軍としては珍しい集団投降をする部隊があった。指揮していたのは大隊長の竹永中佐だった。当時の日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」という島崎藤村がその文案の添削に加わった「戦陣訓」が日本軍兵士の思想を支配していた。だから投降することなどは当時の軍隊の常識では考えられない。しかし竹永はオーストラリア軍の投降勧告を受け入れる。そして部下に「この戦争は軍閥と軍人のためのものである。そのために命を落とすべきでない」と部下を説得する。
▼NHKの記録では生き残って復員した兵士がいまもなお、顔を見せず下半身と声だけ出演して「いまだに後ろめたい気持ちで戦友会に出席できない」と発言していた。これを見てわたしは最近読み終わった「『フクシマ』論原子力村はなぜ生まれたのか」とまったく同じだと思った。この書評はメルマガ次号でご紹介する。
▼25日放送された「96歳のジャーナリストむのたけじ」(再)との対話はまだ3分の1しか見ていない。その部分だけ書くと次の様になる。むのたけじは東京外語大スペイン語学科を卒業して外務省に入ろうとする。それは日本が国際連盟を脱退しようとしていた頃で、自分も何か平和のために役立ちたいと考えていたからだ。だが受験資格は19歳からで彼は年齢が1歳不足していた。それで外交官になることを諦め新聞社、最初は報知次は朝日新聞に入社する。戦争中は従軍記者となって各地を取材する。しかし戦争に負けて自分自身が戦争に協力してきたので、新聞社に留まるべきではないと思って退職する。そしてふる里の秋田の横手に戻って、世界を明るくしようという考えで「たいまつ」新聞社をおこす。
▼NHKの有働は自分もジャーナリストとしてむのさんの話をお聞きしたい。実は911の時ニューヨークに特派員として行っていた。それに対してむのは年齢差からすると孫みたいな年齢差だ。自分としては色々な人にあって話を聞くのが仕事で相手が自由に話をできる様な雰囲気を作る事に大切にしている。まず911に関して言えばあの事件直後からアメリカはあれはアルカイダの仕業だと発表した。しかし世界中にジャーナリストは沢山いるはずだがアルカイダに「あなたやりましたか?」と聞きに行ったり、オサマビンラディンと直接インタビューした記者はただの一人もいなかった。そのうちビンラディンはアメリカによって殺され、首謀者は誰だったのかは永遠の謎になり、最早解き明かす術はなくなってしまった。このように取材の基本で間違っている。原因があるから結果があるわけで、今は取材によって原因が解明されることはなくなってしまった。
▼有働が「ご自分が元いた会社に対してどう思いますか?」という質問に「あれはもう広告代理店と同じです」と言い切る。とにかく広告主や国の指導者におもねることばかりで、将来の見通しができない。国民にむかってこれはダメだと国民にむかって言ってきた新聞な存在しない。とにかく1960年安保以降、問題がおきるとすべて他人のせいにすることばかりする新聞になっている。本当のことが言えないのは情けないことだ。(これで最初10分の要約です。全部で1時間半もあります。多忙なので、来週以降に時間があったら書く予定。ご希望が多数寄せられればその限りではない)

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