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August 27, 2011

NHK「96歳のジャーナリストむのたけじ」(2)

▼有象無象の乱立で、民主党も遂にタマ切れかと思っていたが、岩手のドンの一言であの東京一区の叔父さんに決まりそうだ。涙を流して見せと思ったら笑って忙しいことだ。しかしNHKはアメリカの軍事利権に直結している前原のことが大好きらしい。こういう世論操作をするのは、NHK元ワシントン支局長をしていた日高や手島であろう。
▼昨日午後の東京地方の雷雨はもの凄かった。火曜と金曜日はジムに行くことにしている。それが終わって猫の汚されたスニーカーも「ズックリン」(商品名)で洗って天日で乾かしていた。ところが雨が降り出したのでレインシューズに防水スプレーを吹き付けて準備したが、とても間に合わない。Tシャツ、短パンも上下のレインスーツに着替えた。しかし一歩家を出たら、地面から吹き上げるような雨と、落雷の轟音で足がすくんでしまった。
▼夜は会議があったので、「」小降りになったら出かけるとメールを送る。2時間遅れて時間調整で停まってばかりいる電車に乗って現地に着く。すると、「みんな体調が悪いので会議は終わってすぐ解散した」というではないか。もうガックリして疲れが一気に吹き出した。夜は疲れるので出かけたくないのだが、無理して行ったらこの有り様。もうこれからしばらくの間は、編集会議だけでで、後はまっすく帰宅しようと思う。
▼お陰で往復の電車の中で届いたばかりの「週刊金曜日」を読み終えた。この中で話題の「フクシマ論」の著者開沼博氏が次の様に言っている。「脱原発と自然エネルギー導入で問題全て解決」ぐらいの論調がある。AがダメならBという二者択一方式。脱ダム派も反風力派もいる。用地をどうするか低周波の問題とか。今は、彼らの存在を忘却したかのように何も言えなくなりつつある。上からの設計主義的に原発を置き、「安全」と言ってきた結果がこの惨状を招いたのに、この設計主義的に進めていったら、必ず別の型式の問題が出てくる」。この考え方は先日取材であった反原発運動をしている牧師さんも同じ意見だった。
▼NHK「96歳のジャーナリストむのたけじ」(2)昨日のブログの文末に書いたら、被災地の近くにお住まいの愛読者から「続きを書いて」という励ましのメールを頂いた。メモは10枚以上あるが手短にご紹介する。かつて新聞は「この新聞の社説が好き」ということで購読していたが、1970年代以降はどの新聞を読んでも代わり映えがしない。従軍記者になって見た物は、戦争はもう人の世の中ではなかった。自分が生き残るためには理由はなくても敵を殺さなければならない。現実の社会で殺人は罪である。しかし戦争になると大勢人を殺すほど褒められて勲章すら貰う。戦争は一体なにを目的としているのか分からなくなった。
▼1970年代中国から招待されて行った。そこで感じたのは民衆の冷たい目だった。戦前は昭和15年に中国に従軍記者として行った。そこで見たのは中国の民衆は子どもまでが覚悟して日本と戦っている事実だった。民衆の人達は決して日本を許さないという態度だった。記者をしていながら書いても記事にならないという書けない悲しみがあった。それは誰から命令されるものではなく、自主規制してしまうのだ。
▼学童疎開にしても子どもたちは、一体何の必要があって疎開しているのか分からない。しかし中国の民衆はそれと違った。この戦争は日本の軍部が始めた戦争だから、その不当な戦争とは断固として戦うという姿勢が見られた。そのことを昭和20年にもっと反省すべきだった。ただ戦争になると日本兵だけではなく、アメリカ、イギリス、オーストリアなどすべての兵士が占領地の女性を強姦をしているのを目撃した。戦争になると人間は狂気になるのでそうなるのだろう。チャップリンの映画「殺人狂時代」を見るまでもなく一人は殺人罪で、戦争で大勢を殺害すれば勲章を授与されるというのは狂っている。
▼かつて東京のある生協で「従軍記者が見た戦争について話してくれ」というので行ったことがある。集まったのは40代から50歳代の主婦だった。戦争で犠牲になって女性たちを目にしたという話をすると、途中で「もう話を止めてくれ」と言われた。しかし平和な世の中を望むのなら戦争をやらせないことに今こそ力を注がなければならない。(メモはあと7枚あるので続く。)

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