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August 25, 2011

「一枚のハガキ」を見る(2)

▼NHKラジオを聴いていると投稿する人達は本当に幸せなのねと、つい思ってしまう。今朝もエアコンを止めたらどれだけ電力を使っているのかが分かったという人がいた。エアコンを止めるよりもTVを消した方が消費電力は減る、と何度も書いてきた。昨日の朝日にはある建設会社で、髪の毛の省エネカットを奨励すると出ていた。ヘルメットを被っている人が脱いだ後も髪の毛がぺたっとならないようなカットだとして男女の使用例が出ている。もうこうなると、国民服にもんぺでパーマは止めろと叫んでいた戦時中と変わらない。
▼「一枚のハガキ」(その2)戦争は激しさを増して、最初の夫六平の骨箱が戻って来る。しかしその軽い箱の中には「英霊」と書かれた紙きれしか入っていない。ある夜義父と義母が「折り入って頼みがある」という。二人はもう身体が動かないので、大竹に実家にでも帰られたら死んでしまう。田んぼ一枚しかないがどうか残って欲しいと懇願される。大竹は「この家に嫁入りしたのだから夫がなくなっても帰るつもりはない」と言って義父たちを安心させる。ついてはこの村のしきたりがあって、長男が死んだら次男と結婚することになっている。町の製材所にいる次男と結婚してくれと頼まれ、大竹はそれを承知する。家族だけの淋しい祝言。それが終わってから煎餅蒲団で初夜を迎える大竹。やがて夫にも赤紙(召集令状)が届く。最初の夫と同じように村人の太鼓の音に誘われて出征するが、また白木の箱で戻って来る。義父は死亡し、義母も行く先に絶望し首つり自殺をしてしまう。
▼戦争終わって復員して実家に帰る豊川。帰ってみると妻は自分の父親と駆け落ちしてしまった。家には「ごめん」と父の文字が書かれた紙が一枚置かれている。家を処分してふと戦友から預かった一枚のハガキがあることを思い出す。山間の家を訪ねると大竹が一人で住んでおり、ハガキを手渡す。「なぜあんただけ生き残ったのだ」となじられる。豊川は「これもすべて上官の引いた籤によって決まった運命だ」と話をする。話をしてすぐ帰ろうとすると、「せっかくハガキを届けてくれた人をすぐ帰す訳にはいかない」、ロクなものはないがと粗餐と五右衛門風呂で接待する。その様子を怪しんで忍んでくる村の区長である大杉漣とのやり取りはユーモラスでもある。豊川は大竹の家が貧しいのを見て取り、家を処分してブラジルに行こうとしていた20万円の半分をわたして、これで生きていってくれと話をする。だが大竹は突っ返すので全額を渡そうとするが、それも突き返される。そして自分もブラジルに一緒につれて行ってくれという。翌朝線香をあげて家を出ようとすると、その火が家に回って全焼してしまう。
▼24日NHKハイビジョンで100年インタビュー「映画監督・脚本家 新藤兼人」渡辺あゆみと新藤兼人の2時間にわたる対談の再放送があったので録画して見た。新藤はこの映画は自分の人生最後の作品として作った。何故かと言えばそれが上官の籤に当たらず生き残った6人のうちの一人の役割だからだと語る。そしてこの映画は天皇陛下(新藤の言葉)も見て下さって「最後の場面に救われた」とおっしゃっていただいたということだった。最後の場面はあえて書かないが映画館でご覧いただきたい。
▼先日NHKで再放送された「さかのぼり日本史」はゲストが東大の加藤陽子でとても良かった。この日は「分岐点 熱河侵攻裁可」だった軍部は政府の承認を得ずに中国の作戦を次々拡大して行く。その背景には515とか226で軍部の独走を許した背景があった。つまり軍部に反対するものは命を奪われる。政府も現地日本軍の越境は認めないが、予算は認めるという方針になってしまう。1932年天皇は一度は熱河侵攻を裁可する。しかしそれは国際連盟の規約違反になると斉藤實首相も気づき、天皇の裁可を取り消そうとした。戦争になるのを嫌った天皇が、側近に「裁可を取り消したい」と興奮された、と侍従の日記に書かれている。しかし軍部に反発されると何が起こるか分からないので、天皇の「裁可取り消し」は伝えられることがなかった。
▼つまり絶対主義天皇制とはわたしがかねてから主張しているように、軍閥、軍事産業が密接に結びつき、それに天皇の権威を利用したものだったのだ。

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