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November 21, 2011

半藤一利氏東京大空襲の体験を語る。(その1)

Handosi
(講演する半藤一利氏)
▼昨晩午後10時にお祝いメールと電話が掛かってきた。わたしは野球をTVで見るほど好きではないし、ホークスファンではない。強いて言えば、「反金権球団」が勝ってくれればどこでも良い。「週刊金曜日」最新号のトップに内紛が発生した金権球団の裏話がでている。それによれば読売Gの観客動員数が減っていることと、さらに新聞の広告収入が減ったので、ナベツネは「自分が出張るしかない」と考えたようだ。それに先立ち記者会見で、「自分は85歳になるが、J医大の血管学の権威に調べて貰ったが異常もなく、脳の収縮も認められなかった」と自慢したという。つまり、やる気満々なのだ。
▼わたしに言わせれば「常勝」とか「不滅」だなどと言うのは戯言である。先日サッカーのザッケローニ監督がウズベキスタン戦や北朝鮮戦で負けたとき「人間がやることなのだから勝ち続けるという事はあり得ない」と語っているではないか。
▼土曜日の半藤一利氏の講演は約2時間あり、その殆どが自ら体験した東京大空襲の話だった。それを要約してお伝えする。半藤氏はいまの墨田区八広のロータリー近くに住んでいた。彼は学徒動員で現在の花王墨田事業所の場所にあった海軍兵器工廠で働かされた。仕事は海軍の20ミリ機関銃(陸軍ではこの口径になると機関砲と呼ぶ)の銃弾の缶製品の検査をしていた。そこで忍ヶ丘高校からやはり学徒動員で来ていた、年上の上野さんという女性に好意を寄せる。1月20日の空襲では上記兵器工廠にも爆弾が落とされて燃えてしまう。上野さんの事を心配したが、彼女は無事だった。(この話を書くと長くなるので省略する)
▼最初B29が西からの偏西風に乗って飛来したが高度が1万メートルと高すぎて日本の戦闘機では届かない。高射砲だけが打ち上げられたが、その爆発する様子は空ではまるで綿飴のように見えた。3月10日未明の空襲では付近は、文字通り火の海になった。父は焼夷弾の炎は消せないと言っていたが、自分は消せると思っていて気がつくと神田や浅草など回りは火の海になっていた。そのとき早く北側の荒川放水路に逃げていれば良かった。しかし群集心理でみんなと一緒に南へ逃げてしまった。仲居堀まで来て右折する。そしてみんなと一緒に小村井から平井橋の方に逃げてひと息ついてしまった。
▼黒澤明の「七人の侍」の中で加藤大介が演じる侍が「戦になったら止まらず走れ、ひたすら走れ」というセリフがあったが、これは本当に正しい言葉だと思った。一同立ち止まって休んでいると火が回ってきた。平井橋を渡ろうとするが今のような鉄橋ではなく、火が回ってしまっていた。仕方なく泳いで渡ろうとすると、平井側から船を出してくれる人がいて、そこに引き揚げられた。大人しくしていれば良かったが、助けられたら今度は泳いでいる人を助けようと思った。そのとき大人の女性を助けようとしたが、相手の体重があり、着衣が濡れているので逆に自分が再び河に引きこまれてしまった。
▼河は1mくらいで浅い筈だが真っ暗なので、どちらが川面なのかまったく見当がつかない。もう息が続かなくてダメかと諦めたが、じっと息を堪えていると明るい方向(つまり上が)分かった。昔から水泳は得意だったので、それから必死に泳いでいると再び別の船に引き揚げられた。(明日に続く)

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