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November 22, 2011

半藤一利氏東京大空襲の体験を語る。(その2)

▼年末が迫って来たせいか仕事が輻輳してきた。しかも年末の休日は仕事に与える影響が多い。11月末から12月一杯は休日を移動して欲しいと思う。しかし現実にはそうもいかないので、私的な予定は犠牲にせざるを得ない。例えば24日は義母の13回忌がはいっていたが、同時刻に仕事が入ったので欠席せざるを得ない。そして今朝は朝から取材と仕事の打合せが入っている。
▼セルバンテス東京のHPのチェックを怠っていたら、映画会とか「キューバ革命映画ポスター展」などが18日に終わっていた。「ロスト・アイズ」というとても面白いスペインのミステリー映画を見逃してしまったので、これは仕方なく日曜日にレンタルビデオで借りて来た。いずれご紹介するがかなり怖い。今まで一番怖かったスペイン映画は「テシス/次は私が殺される」だったと思う。そういえばNHKBSプレミアムで今週木曜日にビクトル・エリセ監督の「エルスール」と「みつばちのささやき」が放映される。まだ見ていない方はぜひご覧頂きたい。
▼半藤氏の話の続き。平井で2回目の船に引き揚げられた。助かったのは2度目に沈んだ弾みで履いていた長靴が脱げた事が幸いしたと思う。平井鉄橋付近では3000人が死亡したが、自分はどうやら生きのびた。翌朝家に戻ったが、父は生きているだろうと心配はしていなかった。
▼当時学徒動員が始まる前に授業の一環て手旗信号とモールス信号の授業があった。今にして思えばもっと勉強しておきたかった。だが子どもの頃に覚えさせられたモールス信号は、その後試験で役立った。これは「相棒劇場版」最新号の様になってしまうが、「ダイ3モンの正答ハ?」と打つと、親切な学友が「○番」と打ち返してくれたというのだ。
▼余談はさておき、質疑に入ると、高齢で耄碌した人達からの余りにもバカバカしいものが多かった。1)半藤氏は「9条の会に入っていると聞いたが本当か?答)入っていない。自分一人で「9条を世界に拡げる運動をしている。2)ミッドウェイのとき戦艦の配置を変えていれば勝てたのではないか?今まで日本軍に優秀な指揮官はいたのか?答)歴史にもしはあり得ない。大体戦争を進めたという点で優秀な指揮官などいなかった。山本五十六は短期決戦で日米交渉を有利にしようとした。
▼3)真珠湾攻撃の時空母がいなかったのは何故か?(暗に日本の情報を察知されていたと言いたそうだった。)答)それは米軍は通常の作戦の任務に就いていたので、たまたま真珠湾に停泊していなかっただけのことだ。4)北朝鮮が攻めて来たら半藤さんはどう戦うのか?(これが一番バカらしい質問だった)答)金正日はそんな日本を攻めることなどする筈がない。簡単なのは数人で福井や新潟の原発施設を爆破すれば済むことだ。しかしエネルギーなどない日本を攻めても意味はない。
▼日本の戦争とは日露・日清戦争は海外に石炭を求めて戦った。第二次大戦は石油を求めて戦った。そして戦後は原子力にエネルギーを求めた結果、今回の原発事故が起きてしまった。こうなってしまった以上、国民みんなで原発をどうするか?新しいエネルギーはどうするかみんなで考えて行かなければならない。と締めくくった。どうも質問する人達はみな、敗戦の日に思考が停止してしまっているようだった。

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