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December 22, 2011

逆流する津波に一斉に点灯したテールランプ

▼夕べになってようやく17日に放送された「久米宏のラジオなんですけど」を聞き終えた。聞いていたら羽子板市が既に終わってしまったことに気づいた。この日久米は「男の一人旅」と称して震災に遭った石巻市を訪れていた。そのきっかけになったのはこのブログやメルマガでご紹介した、「震災と原発」の著者である佐野眞一さんがスタジオを訪れた時のことだった。放送がオンエアしないCMの部分で「ところで久米さんは被災地に行った事がありますか?」と聞かれたという。久米はその場で「震災をラジオで伝えるのは難しいですから」と話した。
▼その後「どうしても行って見なければ」という気持ちになって、今回の企画となったらしい。久米はインタビューして、現地で喋っている人の言葉をはっきりわかりやすく語りでくり返す。聞いていて感じる事だが、わたしと同年の久米は、語尾の方が滑舌気味になているが年齢だから仕方ない。わたしなどは慌てて喋るクセがある自分の発音は聞きにくいと思う。市内でDという喫茶店経営して店は流され、いまは駐車場整理係の仕事をしている男性と湾を見下ろせる神社がある小高い丘に登っていく。彼は身重の妻と近所の老婆と3人で軽自動車で逃げる。神社まで来て車を捨て、階段を必死に登り始める。
▼この日階段を登っている久米もかなり息が切れていた。彼はチリ地震が起きた翌年生まれている。途中で振り返ると海はまっ黒で、遠くに積乱雲の様なものが見えた。それが津波だったのだ。100段くらい登ったが、車がマッチ箱の様に流されていくのでさらに上へと登る。そのときは緊張していたから「とにかく逃げなければ」という気持ちで、最後の200段を登り切ったが疲れは感じなかったという。
▼別の所では近所の老婆が津波でいなくなってしまい。必死に探したら高さ15mほどの木の枝に引っかかって亡くなっていた。津波が20mはあったのだから、それが戻るときに引っかかったのだろう。今にして思うと誰もが逃げようと必死だった。死んだ人は流されて行く途中、「ああ自分もあの高い方向に逃げていれば助かったかも知れない」と思ったに違いない。
▼一番凄い話は久米のスタッフがタクシー運転手さんから聞いた話だ。車に乗っていた人が逃げようとするが車から出られない。引いていく波に車も一緒に流されていくのだ。その瞬間渋滞したまま流されて行く車のドライバーたちは必死に力一杯ブレーキを踏み込む。その赤いテールランプ真っ赤に点灯しながら、一斉に津波に引きずられていく。当時の石巻市内は夕方の様に暗かったので、濡れた路面に連なって光る真っ赤なテールランプが揺れていた。死の恐怖に逆らえない車内のドライバー達は、その瞬間どんな事を考えていたのだろう。
▼きょうのおまけ。北朝鮮アナウンサーの話術。

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