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January 31, 2012

NHK「非戦と平等を求めて/幸徳秋水と堺利彦」を見る。

Climing
(ダージリン、観光用「テンジンクライミング施設」)
▼さ、寒いです。明日の授業は、この寒さのなかをフィールド・ワークなので生徒さんには気の毒です。かゆみ対策には薬局にいって保湿剤他を買って来て塗ったので、夕べは何ともありませんでした。
▼NHKで日曜日2週連続で「日本人は何を考えて来たのか」を見た。15日の「自由民権東北で始まる」は福島の自由民権運動を追った。福島はご存知のように戊辰戦争で幕府に刃向かったため、中央政府から派遣された知事によって自由を受ける。一つは中央政府からの独立(地方分権)を求める運動が高まる。具体的には中央の道路政策に反対する人々は厳しい弾圧をうける。いま震災の中心地となった浪江町には苅宿仲衛(俳優のような二枚目)という自由民権運動家がいた。苅宿は投獄されるが獄中でも厳しい拷問に耐え抜く。そして四国高知県の植木枝盛の所を訪ねる。高知県とともに自由民権運動が高まったのはにはそういう背景があった。
▼さらに映画「大陽と月と」に描かれている部分と同じなのだが、植木枝盛らは私擬憲法草案(五日市憲法)が作られ、その中には拷問の禁止などが織り込まれていた。東北では草案の起草に参画した宮城県の千葉卓三郎、岩手の小田為綱らが、戊辰戦争で疲弊した三陸海岸の復興計画を作って何度も建白するが採用されることはなかった。この運動が再評価されるは戦後の事だった。番組の案内人は菅原文太でスタジオには五日市憲法を発掘した東経大の色川太吉らが出席していた。この東北地方を揺るがした1882年の福島事件のことは初めて知った。
▼29日第四回「非戦と平等を求めて/幸徳秋水と堺利彦」幸徳秋水の帝国主義を批判する論文をフランス語で翻訳したフランス・ボルドー第三大学教授のクリスチーヌ・レヴィさんが案内人だった。日露戦争の直前、国民世論は打倒ロシア一色だった。その中で黒岩流香の発行する「萬朝報」は唯一非戦論をかかげ堺や幸徳らを執筆者として採用していた。ところが日露戦争が始まり、旅順で日本が勝利すると政府は「萬朝報」を弾圧する。黒岩が非戦の旗を降ろすなか、幸徳や堺は「平民新聞」を作って非戦論を掲げる。しかし「新聞紙条例」を作った政府は「平民新聞」を閉鎖に追い込む。幸徳はサンフランシスコを旅してアナルコサンジカリズム(無政府主義)の労働者の影響を受けて半年後に帰国する。
▼このとき権力者は幸徳らの「社会主義」の萌芽を摘むことだった。ある人物がうどんや蕎麦に使う薬味「振りかけ唐辛子」の空き缶にかんしゃく玉を詰めたような爆弾を作った事を察知(出演者の一人、山泉進:明治大学教授・副学長の指摘)、し、天皇を暗殺を企てたとでっち上げる。この社会主義思想の弾圧をしようとフレームアップを考えたのは桂太郎や山縣有朋、平沼赳夫の祖父らである。大逆事件は社会主義者を死刑にして弾圧するだけではなく、国民の世論を抑制するという意味で大きな影響を与えた。(続く)

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January 30, 2012

イラク制裁には日本独自の外交姿勢をとるべきだ。

Tozangakkou
(ダージリンの「ヒマラヤ登山学校」ヒラリーとテンジンのモニュメント)
▼まだまだ寒い日が続きます。わたしの場合この時期、寒いところから暖かい場所にはいると身体全身がかゆくなります。具体的に言うと夕食をたべたあと、風呂に入って暖まりはじめた時。それに眠っている夜中です。いわゆる乾燥蕁麻疹なのか、乾燥肌なのかわかりません。さらに冬場はお酒を飲んだあとにそのような症状がでます。昨年は1月と2月は飲酒を止めてみました。今年はビールを飲むのを止めて実験をしています。
▼昨晩は日曜日で新聞の校正チェックをする日に当たります。最終日曜日は4ページもあるので編集も大変だと見えて、ゲラが送られて来たのは午後9時頃でした。それからチェックは1時間ほどかかるわけです。幸い冬は自宅でも飲酒はしませんので問題点はちゃんと指摘することができます。校正を返送した午後10時過ぎに編集長から電話があり、あるQの原稿に関しては認識が一致した。
▼「愛川欣也パックイン・ジャーナル」では最初に愛川欣也が「パックイン・ジャーナル」は3月末で放送が終了します。自分の読みが甘かったと反省の言を述べ、その経過は2月以降の番組で話すと語った。まず政府が原発事故関係の会議の議事録が何も残っていなかったことが話題になった。国会などの行政に詳しい川村晃司さんが、普通会議を開く場合は議長を決めて、議事録を作る人を決める。そして各秘書官は詳細なメモをとり、それぞれのメモをつきあわせて正式な議事録となる。さらにICレコーダーだって回す人がいる。それなのに全ての原発事故に関連する会議の議事録が一つも残っていないなど、にわかに信じがたいと語っていました。愛川欣也は「隠しているとしか思えない」川村「もし、重大な会議の記録がないことになれば、国際的な信用も失う。欧米の通貨危機だってすべて議事録が存在している」と指摘していた。
▼イランの核開発疑惑に関して、ゲストの落合恵子が「イランがやると核開発疑惑になり、日本が同じ事をやっても核の平和利用という表現になるのは変だ」と指摘していた。わたしもずっと同じ事を考えていた。とくにNHKの午前7時のニュースには、いつも枕言葉で「国連決議に踏みにじって核開発をしていると見られるイラン政府」としている。わたしは国連が常に正しい事をしているとは思えない。しかもIAEAが査察することに関しても、この組織自体アメリカの同盟国以外に核拡散をさせないという目的で作られた組織である。あのイラク戦争を始める前にも「査察」と称する調査団には、密かにCIA職員を混入させていたことは知られている。それに今回の日本の福島原発事故に対する調査団の派遣にしても、日本政府の話を聞くだけで意見は言わないとしている。
▼イラクのホルムズ海峡封鎖と日本の立場に関しても、日本は20年近く前のパーレビ国王を倒した「イラク革命」の時もアメリカの主張する「制裁」には一定の距離を置くという外交姿勢を堅持した。今回の「制裁」もアメリカの言いなりにならない姿勢を保持することが、日本の国益に適うという発言が多かった。

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January 29, 2012

ドコモのスマホがトラブル続きな理由は?

Omuretu
(昨日食べたベーコンオムレツ)
▼「ダージリンへの旅」は昨日で終わりました。アクセス数は増えましたが、感想をお送り下さったのはお一人だけでした。書き足りない部分もありますがいつもの14回で終わりにしました、登山家でもあるF氏は、ダージリンのヒマラヤ登山学校を羨ましいとおっしゃっていました。エリザベス女王の戴冠式に合わせたエベレスト初登頂は1953年の事で、当時の新聞記事を昨日のように思い出す事ができます。ダージリンのエベレストミュージアムと登山学校の中間に位置する場所には、ネパール人シェルパとしてヒラリーと一緒に登ったテンジンの石棺が安置されていました。
▼昨日義兄の一周忌があって法要が終わってから会食をしました。そこでオムレツを食べたのですが、インドで食べたあれは一体何だったのか、と思うほど美味でした。わたし健康のため、鶏卵を食べるのを月一度くらいに抑えているので、一層美味しく感じることができました。会食には甥も来ていまして、彼は15年前にインドを旅したといいます。そのとき食べ物と水が怖いので、チキンカレーを食べ、コーラをひたすら飲んでいたということでした。さらにどこかの空港を降りて街にでたとたん、物乞いをする人たちに取り囲まれたが、とにかく振り切って逃げるしかなかったということでした。それを聞いてインドはそれから15年経っても何も変わっていないのだと思いました。
▼昨日は電車で移動いていましたが、車中で見かけた青年たちはみなスマートフォンでした。さらに会食であった甥や姪もまたスマホでした。わたしは回線が足りないのにこんなに携帯各社は売りまくってしまって良いのかなと思いました。スマホとはキー操作をしていなくても、常時接続している小型パソコンなのです。ドコモの通信トラブルが多発している原因は一つです。昨日ご紹介した「週刊東洋経済」1月21日号14ページで、ドコモでネットワーク基盤の構築に携わった専門家が「サーバーの構成自体を根本的に見直さなければ、今後の加入増に耐えられない」と指摘しています。続けて別の専門家は「ドコモにも、根本的な見直しが必要という認識はあるかもしれない。だが、目先のスマホの加入者の増加に追われ、手が回らないのではないか」と見る。と指摘している。
▼つながらない携帯は弁当箱以下で、文鎮にしかならない。売りつけられた方こそいい迷惑だ。

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January 28, 2012

「ダージリンへの旅14」(わたしもインドで考えた)

Ganjihaka
(ガンジーの墓、石棺に近づくには靴下まで脱がなければならない)
▼12日は11時半の飛行機でコルカタからデリーに戻る。Bガイドは9時にはチェックインした方が良いと早めに迎えに来た。本来ならばコルカタから日本に戻れば3時間節約できるが、ここは国際空港ではないのだろうか?Bガイドは空港の建物に入らなかった。なぜなら「ボクは会社の方針で20時間かけて電車でデリーに戻る」という。日本人の経営する旅行社は経費節減を考えているのだろう。それを知らなかったわたしはBガイドにその日のチップを渡すのを忘れてしまった。その後1時間くらいしてわざわざ、「無事チェックインできたか?」と電話を掛けてくるなど、彼は責任感の強い人物だった。あとインドの2日の様子はM氏に任せたい。
Derytoun
(デリーの下町風景)
▼まずダージリンはどんな所なのか?1830年代中国との阿片戦争でイギリスは、安定して紅茶を手に入れる必要がった。そこで中国から茶の樹木をインドに持ちこんで栽培しようとしたが、いずれもうまくいかず、ここアッサム地方の標高2000mのダージリンに植えたものだけが成功したのだ。元もとは地形から見ても分かる様にネパールの領土だったものをイギリスが侵略して奪略した土地であろう。
▼1951年になって中国の人民解放軍はチベットを武力制圧する。そのときダライラマ14世は中国からインドに逃れて臨時政府を樹立する。ダージリンに中国系の顔をした人がおおいのもそのせいだ。最初にご紹介したダージリンのダライラマを祀った寺院には、昨年のラサ暴動で中国兵に殺害された、ラサ在住の民主活動家の遺体写真などが展示されているのもそのせいだ。
▼インドとは捉えようのない巨大な国である。これから書くのはわたしが主観的みたインドの感想であり、学術的な意味合いはまったくない。まずインドで一番力を握っているのは陸軍の軍人だと思う。それは地方に行ってもデリーでも一等地には軍の施設が鎮座している。デリーなど市の中心部に巨大な、軍将校専用のゴルフ場が存在していたのには驚いた。インドは中国との関係はダライラマ14世を匿っているようにかなり微妙である。また中国もあわよくばパキスタンを使ってインドにちょっかいを出そうとしている。これれは歴史的には中印戦争なども起きているから火だねのもとになりかねない。だから陸軍と空軍それに海軍を強化しようとしている。
▼「週刊東洋経済」1月21日号にインド政策研究センター教授のブラーマ・チャラニー氏がインタビューにこたえている。そこでは日本と一緒に「防衛システム共同開発と相互運用を進めよう」と言っている。はっきり言葉には出て来ないが、これは明らかに日本と一緒に中国を警戒して行こうというメッセージが込められている。
▼さらに5日のNHKBS1夕方6時の「海外ニュース」ではインドの教育文化大臣がNHKとのインタビューに応じていた。それによれば教育水準を高めてIT立国を進めるのだという。ところでインドには原発は現在20基存在する。国が大きい割りには少ない。日本との人口比で言えば200基あってもおかしくはない。インドは資源が少ないだが原油などもイランから輸入しているほどだ。原発も国内で反対運動が起きている形跡はなく、燃料はオーストラリアから輸入しているので、その国で輸出反対運動が起きているだけだ。
Tera1
(デリーのフマユーン廟、小型のダージマハールという雰囲気だ)
▼上記のニュースではインドでは人工衛星を独自の力で打ち上げたという事を再三に渡って同じ画像を流していた。これも対中国に対するアピールだろう。資源がないインドにおいては軍隊の力を強める(つまり彼らの発言力は高まり、国政への参加)。方や国が生き残り発展させるためには若い力を早期に発見し、IT分野に集中して教育する。これがインドが生き残る道だと考えているように思える。だからカースト制度には手を付けない。もし手を付けたら仕事が不足して国は大混乱になる。善意の篤志家や、慈母のマザーテレサはインドのイメージ高めるのに役立つから利用させていただく。おそらく13億の人口の1割程度はカーストの最底辺に住む人だろうが、今はそれには手を付けない。最終日に登場したFガイドは「インドのもっと汚い、貧しい人達が住んでいるところも知っているがボクは決して案内しない」といっていたのが印象に残っている。つまりイメージが悪すぎるのだ。だからそれらの人は見すてて、IT国家のイメージを力を入れることがインドの発展につながると指導者は考えているのではないかと思われるのだ。
▼Fガイドと別れるとき「もう一度インドに来たいか?」と聞かれたが「わたしは即座にすぐには来たくない」とこたえた。インドにはまる人と一度でイヤになる人がいるという。わたしは別に物見遊山ではなく、世界を回る目的は一般の人がどのように生きているのを直接見聞きすることが目的である。だからインドはその点では今までにない経験だった。もしこれから生きたいという人がいたら、「タージマハールだけにしておいた方が良い」とこたえるに違いない。2週間にわたり、つたない旅行記に長らくおつきあいいただき誠にありがとうございました。

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January 27, 2012

「ダージリンへの旅13」(コルカタの祭)

▼昨日に続いて日本は法治国家か?第二弾。160人以上が死亡したJR西日本の宝塚線の脱線事故で業務上過失致死傷罪を問われていた同社の前社長が神戸地検も控訴を断念した結果、無罪が確定した件。もう一つは今朝のラジオで福島の強制避難区域に立ち入ったドイツのカメラマンとフリーの日本人案内人が刑事告発されるという事件だ。佐野眞一も「震災と原発」を書くために、機動隊の目を避け地元のヤクザに頼んで道案内をしてもらったとTBSラジオで語っている。後者に関して言えば刑事告発されるべきは東電の社長なのだが未だに東電に対して家宅捜索すら行われていない不思議に、検察はどうこたえるのだろうか?
Maturi1
(祭に並ぶ人々)
▼「ダージリンへの旅13」(コルカタの祭)
今朝のNHKラジオではインドへ講談社がアニメ「巨人の星」を売り込むという。経済発展めざましいインドにはピッタリであるという。しかしインドには野球がないので、中身をクリケットに置き換えてアニメを作るのだという。インド滞在中TVのスイッチを入れるとたしかに日本のアニメは放送されていた。もっと不思議だったのはミュージックチャンネルで、ハリウッド女優、男優風の男女が出てきて「マハラジャ風」に踊りまくる。どう見ても貧しい人達が溢れている、インドの現実の風景とは想像もつかない風景だ。そのミュージックチャンネルはインドのどこに行っても見ることができた。
Maturi2
(祭の近くのバザール)
▼コルカタはちょうど祭の最中で、全国からお遍路さんのような人達がワンサと押しかけてきていた。その祭はシバ神には妻が3人いて(詳しくはM氏の原稿に期待したい)そのうちの一人が不倫をしたとしてシバは殺して切り刻んでしまう。このコルカタにはその死体の一部が埋葬されていて、何年に一度か彼女を祈り崇める行事が大々的に行われる。全国の善男善女たちが押し寄せてもう中心街は身動きも出来ない状態だ。Dガイドはそのありがたいお祭りに案内してくれるという。しかし「カメラは良いというまで出してはならない」、という。ここでは銃身の細いもう旧式と言えるFAL(イギリスの名ライフル銃)を持った兵士や警官が建物の入り口でチェックしていた。わたしたちもパスポートを出し、顔をチェックされた。特別は計らいで信者とは別の近道で中心に近づくことができる。
▼Dガイドはある場所にいくと「まだ血が流れていない」と呟く。ここではシバ神の妻のために生け贄を捧げるのだ。Dガイドは「生け贄がよいとは思わないがいつまでこういう生け贄が続くか分からない。だがそのうちなくなるだろう」と予測する。生け贄となるのは、生け贄専用に飼育された小さな子ヤギである。係の人は数分先の自分の運命をも知らない子羊の首を優しく撫でている。おお現場に立ち会わなくて良かった。しばらく歩くと太鼓の音のリズムがドドドドと早くなる。Dガイド「これから生け贄の首切りが始まるが、見ていくか?」という。と、とんでもないとその場を逃げるように立ち去る。写真は許可がでてから寺院を取り巻く人達を撮影したものだ。
Maturi3
(サトウキビを売る露店)
▼次はコルカタ最大のインド博物館である。ここはかつて小型の仏像が盗まれたということでバッグの持ち込みは禁止。カメラすら持ちこみできないので、受付のボックスに入れる。しかしM氏の風呂敷はなぜか咎められなかった。ここに展示されているのはインドで発掘された昔の彫刻や美術品である。と言ってもイギリスはめぼしい物は全てかっさらって大英美術館に持ち去っているので、ここにはめぼしいものはない。その余り物の美術品を見ても素晴らしいと思う。仏舎利の話にもなる。わたしは「うちの実家の近くにも仏舎利塔がある」というと、Dガイドは日本山妙法寺も仏舎利を奉る。しかし全世界に散らばっている仏舎利を合わせると、仏陀は270余体になるという。つまり269体はニセ物なのだが、この美術館にあるものは本物だと強調する。ホントかな?車で市内を走ると、Dガイドは街の一角にある橋の脇を指さしあの橋の上にいるのはみな売春婦ですという。お世辞も美しいとは言えない小太りの女性たちが真っ昼間から客引きをしていた。
▼Dガイドとは美術館を出たところで別れる。Bガイドは昼食は何がよいかと聞くので中華レストランに連れて行ってもらった。M氏は焼きそば、わたしは一度書いたようにインディカ米のチャーハンにした。店に入ったときうっかり出てきた水を一口飲んだ吐き出したが遅かった。あれは市販のミネラル水ではなく、明らかに水道水である。これ以降わたしは帰国するまで体調を崩してしまう。
▼Bガイドとはコルカタに行ったらCDショップに連れて行ってくれと頼んでおいた。街一番と思われる銀座のCDショップのような店に連れて行って貰う。シタールの名手と昨年一番インドでヒットした曲を6枚選んでもらう。これが約1500円だった。さらに夜のためにワインを買いにワインショップに立ち寄る。チリもアルゼンチン産もあると言われたがせっかくインドに来たのでインドワインを1本買う。ホテルではデリーで買ったピーナッツをつまみにして飲んだが結構美味しかった。だが夕食も翌朝のブレックファーストも喉を通らなかった。

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January 26, 2012

「ダージリンへの旅12」(コルカタへ到着)

▼25日の朝刊を見ていると、この国は一体法治国家なのだろうか、と考えてしまう。まず明石の歩道橋で11人が亡くなった事件で、警備に当たっていた明石警察署副署長が無罪になった話。わたしはずっと書いてるように小沢一郎は大嫌いだが、今回検察審査会で問題にされているのは4億円の記載ミスだ。それなのにマスメディアは全紙一斉に「小沢は怪しい」と書き立てる。歩道橋の警察署長こそ検察審査会にかけるべきだ。もう一つ原発事故対応をした政府対策本部で「当時の議事録を紛失」した事件。これも「頭の良い優秀な」官僚たちが意図的に隠しているとしか思えない。
Korukataeki
(コルカタ駅正面玄関)
▼「ダージリンへの旅12」(コルカタへ到着)
午後8時に猥雑なニュージャイバイグリ駅を出発した夜行列車は午前6時にコルカタに着く予定だ。ちなみにコルカタはかつてはカルカッタと言われており、インドの首都だった。しかしインドの人達は、政府がサイゴンをホーチミン市に変えたことを反発するのと同様、この名を好まない。電車に揺られても睡魔は一向に襲ってこない。それどころかトイレに3回も起きてしまった。午前5時半になるとBガイドが「何もありませんでしたか?」とニコニコしてやってきてくれた。列車はスピードを緩めて走るので窓を外を見ると、レールに沿って歩いている人達が大勢いる。
▼それを見ているとガイドがいきなり真顔で「駅では写真を撮らないで下さい」という。理由は聞かなかったが、おそらく警備上の理由だろう。実はインドに入国するにはビザがいる。その中でもパキスタンに知人がいないか書く欄があった事を思い出す。線路は汚物にまみれている。駅に着くとこれまた下車する人と出迎えの人たちで混雑している。そして警備兵はイギリス製のスターリング・サブ・マシンガンを持っている。この銃は今となっては旧式だが、スチールの肌色が美しくわたしの好きな銃である。駅を出る前にBガイドは、また朝食を食べようとという。もうインドの食事は見る気が起きないが、「ナンひと切れだけでいいから」と注文を付けてチャイと一緒にいただく。駅のコンコースには地べたに寝ている女性がおり、警察官が立たせ様としているが言うことを聞かない。
Humaerkame
(これが懐かしいハンマーとカマの旗)
▼駅を出て外観を撮影しても良いかと尋ねると、地元ドライバーはそれならばOKという。宿舎はあまりキレイなところではなかった。Bガイドは「気に入らなければ変える」と言ってくれたが、もう疲れていて面倒なのでここに入る。7時頃にホテルに入り、10時頃に迎えにくるからそれから観光をしようという。髭を剃って一眠りする。ベッドは2つくっつけてあったが、「夫婦でもないので離してくれ」とクレームをつけて離してもらう。コルカタのガイドはDさんで、現実の名前もDさんとおっしゃる。奈良に滞在していたことがあると言う知日家で、今は会社を二つ経営して、その合間にガイドもなさるという。
▼ホテルか数百メートル離れたところにマザーテレサホームがあった。まずそこに行くと細い小路と隣の敷地にハンマーと鎌の旗が沢山ひらめいているのが目に入った。Dガイドに「これは何か?」と尋ねると「インド共産党の教育施設だ」という。帰国後日本共産党のHPにある「一問一答」を見るとかつてインド共産党は毛沢東派とソ連派に別れていたが今は一本化しているという。Dガイドはさらに、コルカタでは34年間共産党が政権を握っていたが、役所ひとつとっても文書発行は手書きで事務効率も遅かった。しかしついに2年前に政権交代がおきてインド共産党は地方政権の座を追われた。その後役所にもコンピュータが導入されて住民の評判はまずまずだ、という返事が返って来た。うーむやはりインドも唯我独尊だったのだろうか?
Sekikan
(マザー・テレサの石棺)
▼ホームの入り口には記名帳がおかれており、パラパラめくると3人ほどの日本人が東日本大震災の事を書いていた。施設はすべてが手作業でおりから4、5人の修道女たちがシーツの様な洗濯物を絞ったり、叩いたりしていた。しかしこの施設もテレサの石棺以外は撮影禁止だった。しかしマザーテレサがいくら偉大でも、この施設に入る事ができる人は2~300人程度ではないかと思われた。だから善意の援助の域をでないし、ましてや街に溢れているカーストの最底辺にいる人々を救うのにはとうてい間に合いそうもない。
▼この連載も明後日の14回で終了します。明日はコルカタの祭、明後日最終回は「わたしもインドで考えた」です。ご質問などありましたらお寄せ下さい。

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January 25, 2012

「ダージリンへの旅11」(貧しき人々の群)

▼学校の授業にいくのは久しぶりだった。しかしブログを読んでくださっている一部の生徒さんの間で、わたしの体調がかなり悪いのではという噂が流れているように感じた。授業には昨年南米旅行に同行したHさんも見えて「元気じゃないですか」と呟いた言葉でそれを感じた。現地でも帰国後も一日たりと寝込んだりしたことはない。心配ならば電話を下されば元気な声をお聞かせできるし、ご希望ならば携帯で動画をお送りする事ができる。
▼「ダージリンへの旅11」(貧しき人々の群)
車を降りたら20歳くらいの若い女性が1歳未満の子どもを抱えてわたしの前に立ちはだかった。片目は見えないようだが、黄色痰の交じった唾をペッペッと地面に吐きながら右手を差し出し、カネをくれという仕草をする。しかも裸足だ。ドライバーは何か強い口調で「あっちへ行け」という指図するがどかない。もし日本ならば頭を下げて、「ください」という仕草をするが、それすらない。当然の要求をしているという風情である。しつこく付きまとったが、彼女から逃げるように跨線橋を渡る。するとその途中子どもが赤ちゃんを産んだのではないかという様な人。サラダボールの様な容器に貰ったであろうお金をジャラジャラ数えながら歩く男の子などにすれ違う。そういう人達でこの駅周辺は溢れていた。
Menu
(レストランのメニュー)
▼待合の休憩室に入ると満席で座れない。そこにも物乞いはやって来るので、Bガイドは有料の待合室に切り替えてくれた。それでも夜行列車用の枕売りや、毛布売りなどが次々やってくる。夕食はどこか別の食堂に行こうかとBガイドは誘ってくれたが、もうああ言う人達に会いたくはないので首を横に振ると、駅構内の食堂に入る。これがまた30年前の上野駅構内の食堂といった風情だった。もうこの頃から食事は喉を通らなくなる。
▼夜行列車が到着する。アンカラのように個室かと思ったらカーテンで仕切っただけだ。Bガイドは「自転車チェーンを持ってきたか?」という。用意する道具にそういう指示はなかったというと、彼は「ちょっと待て」と行ってチェーンを買いに走る。Bガイドはすぐに戻り、自分のチェーンを外し、わたしとM氏、2つバッグを絡めてロックする。「これで盗られる心配はない」と。しかし貴重品は身につけておけ。飲み物を貰っても決して飲んではいけない。食べ物も同様だと念を押す。そして「ボクはとなりの普通車両だから「何か困ったら連絡をくれ」と座席の番号を書いて渡してくれた。
Sindaisha
(夜光寝台が到着する)
▼座席に着席しても2、3本の骨だけ残ったホウキ状のものを持って、座席を掃く仕草をしてチップを要求する人物まで現れる。この人もまた裸足だった。ガイドの言うことを忠実に理解するならば、小型バッグを抱えて着の身着のままで眠れということになる。車両は通路を鋏んで向かい側が3段の2列6人、こちらは2段1列で2人だ。しかも仕切はカーテン一枚だけだ。乗客は電話の着メロや話し声はうるさく12時過ぎまで大声で話していた。この調子で10時間の寝台列車かと思うと、もう緊張して眠る事はできなかった。

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January 24, 2012

◇「灼熱の魂」を見る。

Koucha
(トワイニングダージリンのパッケージ)
▼「ダージリンへの旅11」を期待していらした方には申しわけないが、きょうは21日シャンテシネで見た「灼熱の魂」のメモだ。夕方買い物に行ってトワイニングのダージリン紅茶のパックを買った。今までまったく気づかなかったのだが、パッケージに写っている山こそ、ダージリン市内から見たヒマラヤである。
◇「灼熱の魂」中東某国少年達が兵士に監視されながら丸刈りにされている。彼らはみんな希望を失ったうつろな目をしている。映画は戯曲を映画化したもので、架空の国の架空のお話である。ちなみにロケ地はレバノンである。公証人の前に呼び出された男女の双子の兄妹。母親の遺言が手渡される。それによれば「お前たちの知らないもう一人の兄がいる。もし兄が見つかったらもう一通の遺言状を開くように」と書かれていた。
▼兄妹はたった二人かと長い間思っていたのに、納得のいかない二人だが、公証人に促されて見た事もない兄を捜すべく、妹がまず旅立つことになる。過去と現在のカットバックが頻繁にくり返されるので分かりにくい場面もある。母は昔の若い頃に中東某国(便宜上レバノンと呼称する)を旅していた。そこで一人のイスラム教徒の青年と恋に落ち、一人の男の子を出産する。しかし彼女がキリスト教とであったため、異教徒との恋は許されず一目赤ちゃんを見てから里子に出されてしまう。その後赤ちゃんの行方は杳として知れなくなる。しかも彼女の兄弟も現地にやってきて、異教徒の彼を射殺してしまう。
▼彼女は一旦母国カナダに帰国するが、「二度と来たり赤ちゃんの行方を探してはならない」と約束した事を破り、ベイルートに戻る。そして昔住んでいた村と息子が入れられた孤児院を探そうとする。イスラム教徒を装って探しに行く途中、バスはキリスト教徒の武装集団に襲われる。彼女はとっさの判断で、胸の奥にしまって置いた十字架のキリスト像を取り出し、「私はキリスト教徒よ」と叫んでバスを飛び出し、皆殺しから難を逃れる。そのとき生き残った少女を「自分の娘だ」として連れ出すが引き離される。
▼妹は母の過去を知るために、なおも危険な奥地へと旅を続ける。ようやくある村にたどり着き、まったく言葉が通じない。最初は心を開いて話を始めてくれた女達も、探している男が異教徒の女を好きになった過去を不名誉なことだとして、すぐ立ち去るように言われる。途方に暮れた彼女は最早母の行方を探すことは自分の手には負えないと判断してカナダに一旦帰国する。公証人に相談するとこれ以上は危険だから弟さんと自分が現地に行ってみようという事になる。しかし時間の制約もあるので現地の公証人に下調べを事前に依頼する。
▼するとある村に行って茶を飲んで自分の存在を言いふらすと、関心を持った相手が接触を求めてくるので、その人物と会ってみる様アドバイスされる。喫茶店もないような村で途方にくれるカナダの公証人と弟。ある男に「昔牢獄jにつながれて、拷問されても歌を唄っていた女を捜している」と呟くと「うちにでお茶を飲んでいかなかい」と誘われる。そしてホテルに戻ると見知らぬ男がドアをノックする。連れて行かれる前に密かに地元の公証人に電話すると「ついて行っても大丈夫だ」という返事だ。怖い気持ちを抑えて出迎えの車に乗り、目隠しをされてある場所に着く。そこで聞かされたのは17年間牢獄に繋がれていた母親と、牢獄に出入りしていた息子の、驚愕の事実だった。そして今は民間の小さな事業所で働く、まだ見た事もない兄にあって、母からの遺言書を手渡す。

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January 23, 2012

「ダージリンへの旅10」(さらばダージリン)

▼管理組合の定期総会では色々積極的に発言しなければならない。会議が終わって昼食後映画館に行ったら前日とは違って雨が小降りになったせいか、見たい映画は満員で入る事ができなかった。かといって、今更午後の銀座シネスイッチまで出かけるのは苦痛だったので取りやめて読書をする。わたしが有楽町のガード下のレストランが好きなのは、まわりの風景を描写すればすぐ分かる場所だ。そこでは60年代のアメリカンヒットホップスを常に流している。薄暗い店だが、ここで音楽を聴いていると30歳ほど前の事を想いだして気分が良くなる。だが同じ曲を自宅で聴いてもそういう気持ちにはならない。
Ekimae
(ダージリン駅前の雑踏)
▼「ダージリンへの旅10」(さらばダージリン)ホテルをチェックアウトすると、2日間のワインの支払いは2人で3000ルピー(約5千円)だった。割り勘で払ったがBガイドは「高い」ということだった。どこに行きたいか?と聞かれたので街を散歩したいとい案内を頼む。徒歩で街を探索すると駅前のバザールは終戦直後の日本に似ていた。銀行の前には旧式の猟銃を持ったガードマンが立っている。地方ではこの程度の武装で睨みが利くのだろう。昨晩買い物に歩いた場所の中心は広場になっており、小型のポニーの様な馬を引いた人達が子ども向けの乗馬サービスをしていた。往復2~300mを馬に乗せて歩くだけのサービスなのだが5ルピーくらいだった。馬だから当然馬糞を落とすのだが、それをせっせと清掃して歩く人もいる。大人も乗せると誘われたが、馬は苦手なので断る。
Roba
(この馬の背に子どもを乗せる)
▼昼食はあまり食べたくないので、「小さなナンでいい」とBガイドに頼む。連れて行ってくれた何でも食堂の窓の外を見ると真っ白なヒマラヤが見えるではないか。この店を早朝に開放すれば客は随分入ると思うが、他人の商売の領域は侵さないのだろう。Bガイドと「グルカナイフ」について話をする。「グルカ」と何度言っても理解して貰えない。しばし彼は逡巡して「それはゴルカだ」という。わたしたちが入った店も店主がゴルカ人で店先には「GORKHA」と書いてある。現地ではゴルカが正しいのだ。ゴルカ兵は勇猛果敢な兵士として知られ、イギリスが植民地支配をするとき、常にその尖兵の役割をさせられた歴史がある。映画「イングリッシュ・ペイシェント」で英軍従軍看護婦のアンナ(ジュリエット・ビノシュ)の恋人になり、巨大な爆弾の不発弾処理の仕事をさせられていたのがグルカ兵という設定になっていた。
Madonosoto
(ゴルカ人の経営するレストランからヒマラヤを望む)
▼いよいよホテルの人々に別れを告げて4WDに乗り込む。Bガイドはネパール国境沿いの平坦な道を下るコースがあって景色が良いが料金が高くなるという。「ノーマネー、アイ・ライク・ロープライス」と言って来たときと同じ道を下る事にする。後部補助座席にはドライバーの娘さんが街に本を買いに行くと言って同乗した。途中ガイドが杉の木を指さし、「あれは日本の木でパインか?」と聞かれる。パインは松だからと電子辞書を引くと「japanese cedar」とお教えするとBガイドは大いに喜びメモしていた。途中で一日一往復の登山鉄道にもすれ違う。さらに紅茶の茶畑と乾燥工場を見学し夕方5時頃にニュージャイバイグリに着く。ドライバーから別れのケープを掛けてもった瞬間、衝撃的な光景を目にして絶句してしまった。

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January 22, 2012

「ダージリンへの旅9」(トイ・トレイン)

▼昨晩ダルビッシュがアメリカで記者会見をしていたが、日本語だった。契約が急転直下で決まったのでスピードラーニングもやる時間がなかったのだろう。金曜日夕方6時50分にNHKで放送された放射能値は、いつも「低い」という場所も全て高かった。これは冬になれば当然予想されたことで、北風が吹くからだ。アナウンサーは「風邪や雪で転倒しないように注意しましょう」とは言ったが「放射能」を付け加えることはなかった。
▼映画は日比谷シャンテシネで「灼熱の魂」を見たが、予備知識なしに行ったが、かなり強烈な内容だった。映画がおわって有楽町ガード下の某レストランに入る。「○○○丼」とウェイトレスに注文する。何度くり返しても分からない様子なので、わたしはハッとなった。ここはインドか?それともわたしの口から言葉が出ていないのか?5回目くらいにさらにゆっくり喋ってどうやら理解して貰えた。店員さんは中国人だった。この1分ほどの間随分焦ってしまった。店員さんを雇用する人もちゃんと面接しなかったのだろうか?
▼テレビを見ているとアクサダイレクトのCMで最近「正社員が対応します」というのがある。わたしも仕事柄色々なアンケートの集約を頼まれる。そこで散見するのは「正社員は臨時と同じ仕事をしているのに賃金が半分くらいと安い。正社員は仕事をしない、というものが多い。
Kikansha
(蒸気機関車停車中)
▼「ダージリンへの旅9」(トイ・トレイン)ホテルに戻ってブレックファーストを食べ、メイドさんに「夕べの水枕は何のために持ってきたのですか?」と聞いたが、「わたしは分からないのでフロントに聞いてくれ」と逃げられてしまった。ダージリンに来たもう一つの目的はこのトイトレインに乗る事だった。エイドリアン・ブロディが出演した2008年の映画「ダージリン急行」は後述する鉄道で、これとは異なる。この路線はイギリスの植民地時代にダージリンから紅茶の茶葉を運ぶために建設されたものだ。言わば黒部峡谷を建設するために作られた資材運搬用の鉄道が、今は観光用のトロッコ列車になっているのと同じだ。
▼ブログの現地速報で書いたように、昨年5月の地震までは街までおよそ100kmの線路は寸断されてしまった。観光用の蒸気機関車を使った路線は始発のダージリンから40分間だけ走る。街まではジーゼル機関車で通勤客や荷物を牽引する列車が一日一往復だけ運行されていた。観光用の列車は外国人観光客だけだ。途中で水を補給して民家の軒先を掠めるように走る。街の人達は列車が通過するまで線路に腰掛けたり、椅子をだしたりしてのんきだ。
Kikansha2
(坂道を登る蒸気機関車)
▼テレビで見た機関車の先頭部分に乗務員が2人座って、坂道を登るとき滑り止めの砂を撒いている風景が印象に残っていた.そのことをBガイドに何度話しても、「そんな話は聞いたことがない」と理解してもらえなかった。トイトレインの終点には4WDが待っていて、ここの名物ダライラマを讃える寺院や、有名なヒマラヤ登山学校に行く。登山学校の手前には観光客用のクライミングがあった。一つは10mほどの高さで上では専門家がロープを保持してくれている。もう一つは高さ30mでオーバーハングだ。クライミングは登山家の友人Fと違って未体験なので止めておいた。学校に隣接してヒマラヤ登山博物館もあって、エベレストに人類最初に登ったネパール人ガイドのテンジンさんが高く評価されていた。さらに日本の女性登山家田部井淳子さんも写真入りで紹介されていた。
Manisha
(寺院のマニ車)
▼動物園には目玉のヒマラヤタイガーがいたがこれは怖かった。あとヒマラヤオオカミや、ヒマラヤのクロヒョウは人間に馴れていて怖く感じなかった。ここで絵ハガキを買う。一度ホテルに戻ってBガイドに買い物につれて行って貰う。インド政府認定の店でダージリンティーを買う。さらに同行のM氏が奥さまにブレスレットを買いたいとおっしゃるので、装身具の店を覗いたが、高すぎると見るだけにした。その棚の一角にグルカナイフがあった。これは日本に持って帰れば高く売れそうだ。しかしインドは出国できても、成田の税関で取り上げられる可能性大なので買うのは諦めた。夜はホテルのレストランでワインをボトル一本注文してしまった。明日いった幾らの請求書がくるかも知らないまま。

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January 21, 2012

「ダージリンへの旅8」(タイガーヒル)

▼ダルビッシュは英語は大丈夫なのだろうか?ホークスにいた和田君はメジャーに挑戦するという記者会見を、わたしと同じレベルのカタカナ英語で15秒ほど話していた。週刊誌によればダルビッシュ君は、別れた妻に手切れ金の5億円と、養育費を毎月500万円を払うというお金持ちだから個人レッスンでも何でもできるだろう。もしかしてスピードラーニングだったらお笑いである。
▼年賀状をきっかけに5人ほどの人と会う約束が出来つつある。しかしこの8日間は土日に管理組合の会議や法事がある。さらに集中講義、月末のルーチンワークがあって自分の自由になる時間が少ない。映画は最低3本は見たいところだが、新聞の映画広告を見るとお子様ランチメニューしかない。
▼先週届いた「週刊金曜日」で松崎菊也の「新春いろはかるた」は政党の部分が面白かった。「ほ」ね折り損のみんなの党。「ち」みもうりょうの小沢一派。「う」いている国民新党。「む」なしい社民党。「い」ばる石原。「の」さばる橋下。「ゆ」いがどくそんの共産党。「め」つぼう寸前の自民党。etc,etc「唯我独尊」は笑える。
Mizumakura
(使用法不明の水枕、翌朝のホテル)
▼「ダージリンへの旅8」(タイガーヒル)この旅日記もいつものように14回で終える。わたしは宗教や仏教に詳しくない。しかも巨大な墓にも興味がわかないので、その部分はM氏の蘊蓄に期待していただきたい。水枕ならば金属の留め金で水が漏れないようにしてあるが、そうもなっていない。説明を求めても要領を得ないので、「いりません」とお引き取り願う。翌朝はタイガー・ヒルに行くので1階の暖炉があるサロンに降りていくと1人のネパール系の男性が話しかけてきた。わたしが地元ガイドでタイガーヒルに案内する、と。地元ガイド氏はCさんとする。発展途上国などを旅すると分かるが、最初の旅行社のガイドは全体を把握するだけで、地元のガイドの領域は決して侵さない。つまり共存共栄の関係になっている。
▼しばらくするとBガイドと昨日のドライバーがやってきて4WDに乗り込み、真っ暗な道を進む。こんなところで追いはぎや強盗に遭ったら命はないと不安がよぎる。走ること30分ほどで山頂に着く。山頂近くなると細い山道は車の大渋滞である。ここにも関門がってCガイドが許可証を見せて車を停め、歩く事になる。皆さんヘッドランプを頼りに歩き出すが、わたしたちは足もとすら見えない。寒い山頂で待っていると、今朝チップをわたしたBガイドさんがホットコーヒーをご馳走してくれた。
Yoake
(タイガーヒルの夜明け、デジカメや携帯が光る)
▼パノラマの空は抜けるように高く今まで見たこともない数の星が輝いている。まだ太陽のひかりのかけらすら見えない。まっ暗だった東の空がかすかに白んでくると、観光客は一斉に叫び声をあげる。日本のご来光ではこんなシーンはあり得ないのだが、彼らの声は叫び声に近い。わたしにはまだ大陽の光は見えないが彼らは特殊な知覚でも持っているのだろうか?上の画像は東を見ている。北方向を見ると白い雲の塊が見える。おおこれぞわたしが見ようとしていたヒマラヤではないか。大陽の光が当たるに従ってヒマラヤは赤みを増してきた。『鍵盤乱麻』HP1面トップにあるのがそれだ。このヒマラヤを撮るために日本から来たのだから、露出とホワイトバランスを変えて可能な限りシャッターは切った。一番良いモノは来年のカレンダーに使うので、残念だがここではご紹介できない。
▼真っ暗なうちは眼下に墓石の様な塊が見えたがインドにそのようなモノがあるはずはない。大陽の光が地上を覆う頃になると、それは飾り用の小さな小旗であることが分かって来た。夜明けから30分間ほどタイガーヒルに滞在してホテルに戻ることになった。Bガイドによれば8月にもここに来たが雲に覆われていてヒマラヤは見ることが出来なかったという。冬に来たわたしたちはとてもラッキーだったのだ。

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January 20, 2012

「ダージリンへの旅7」(ホテルの水枕)

▼昨日7時のラジオニュースが始まったとたん、「今入ったニュースでダルビッシュ投手のレンジャー入団が決まりました」というのには驚いた。原発事故の収束もままならないのに、日本ハム所属の一投手の入団契約がなぜトップニュースになるのだろう?人の命よりもプロ野球が大切なのだろうか。
▼NHK15日夜のETV特集「海のホットスポット」は上流で汚染されたセシウムが雨水と川に流れて東京湾が汚染されているという内容だった。当然予想された事だが、隅田川の下流や東京湾の海底に棲息する魚類に汚染が集中している。わたしの住んでいるところは隅田川の支流でスカイツリーの膝元を流れる横十軒川が流れている。夏から秋にかけて地元の老人を中心に釣り糸を垂れ、ハゼの釣果を競っている。いつもそれを見て「食べない方がいいですよ」と言おうと思っている。しかし魚屋の店頭に出るわけではなく、釣り人が自分が食べるだけだろうか、黙っている。
Hietlgate
(ダージリンのホテル入り口)
▼「ダージリンへの旅7」(ホテルの水枕)その山賊とおぼし青少年はあどけない顔をしているし、武器は持っていない。ドライバーは通行証を見せて通りすぎる。ガイドに聞くと、この地域の祭礼があり、その寄付を求めているのだという。ドライバーのフロントガラスの前には「領収」を示す緑色の紙が置いてあった。「ほら払ってあるよ」というと子どもたちは一斉に「サンキュー」という声が返ってきた。もう山頂かと思うと、「まだこの先だ」という。もういい加減胃袋がひっくり返そうだ。
▼昨日書いた野良牛の話はジョーク風に書いたが、実は1890年代にヒンズー教とムスリムの価値観の違いから牛の扱いを巡って民衆暴動にもなっている。紙数が限られたこのレポートなのでそれだけ書いているとひと月になってしまう。詳しくはケンブリッジ版の「インドの歴史」(創土社3200円)をお読みいただきたい。ようやくいくつかの峰を越えてダージリンにたどりつく。ホテルはイギリス植民地支配時代に建てられたコロニアル風のものだ。門扉の所には黒いベレー帽を被った警備員が2名いる。4WDを止めるとポーター駆け寄ってくる。ドライバーにはM氏と2人で4ルピーのチップを渡した。しかし今考えて見ると、一日のご苦労に200ルピー(340円)はわたすべきだった。インドのフロントの宿帳はどこも巨大でブランケットの新聞紙を広げた大きさだ。パスポートを提出すると、さらに顔写真を一枚提出せよと言われる。パスポートの盗難対策で一応予備の写真は2枚持ち歩いているので、不審に思いながら1枚手渡す。
Dinner
(ホテルのまともな夕食)
▼部屋は3階にありエレベーターはないので階段を登る。小銭がないと動きが取れないのでBガイドに250ドル渡し、細かく指示をしてルピーに両替を頼む。昨晩のデリーの連れ込み宿風のホテルと違い、部屋もベッドもバスタブも快適である。しかし後で分かったことだがダージリンには水道水というモノがない。つまり高い場所にあるので、水は「WATER TANK」と日本でいうタンクローリー車に詰められて契約者の家に運ばれる。各戸の屋上には黒い貯水タンクがあり、ローリーに内蔵されたポンプでそこに押し上げる方式を取っている。ホテルでも水の出具合は悪いし、そんな苦労をして買っている水を風呂のためにふんだんに使うわけにはいかない。
▼レストランでワインの値段を聞くが高そうなので、グラスワインにして乾杯をする。Bガイドは明日はタイガー・ピーク(ヒマラヤを見る有名な絶景ポイント)に行くから4時半に出発です、と言って自分の宿舎に帰っていく。このように毎日が早寝早起きの連続であった。ところが夜10時頃にドアがノックされる。ドアをあけるとメイドさんが4人ほど立っており、ニコニコ笑って水枕を2個抱えて立っているではないか。普通の日本で風邪などで熱を出したときに使うラバーの水枕だが、一体何に使えというのだ。
▼本日メルマガの締め切り日です。

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January 19, 2012

「ダージリンへの旅」6(野良牛と兵舎)

▼実はインド滞在中の最後の2日は食べものが喉を通らなかった。13日は三食チャイやコーヒーだった。さらに機内食も喉を通らず2回とも紅茶にした。帰国後も腸の具合が悪くヨーグルト類は食べられず、魚の臭いが気になって食事ができなかった。それがようやく治ったのは18日朝で、この日から温野菜のスープが飲めるようになった。昨晩からはいつもの筋肉トレーニングを復活させた。
▼旅行中にブログリーダーは一日200件だから2千件もたまってしまった。これはタイトルだけ見て終わった。この間ずっと話題になっている「愛川欣也パックイン・ジャーナル」の4月以降の存続問題が同番組のシナリオライターの横尾和則氏のブログで明らかにされた。それによれば資本が朝日新聞に移行するにあたり、愛川に内容の大幅な改変が求められたという。それで愛川は存続不可能という結論を出したという。どうりで14日の出演者の顔色が冴えなかった理由が分かった。横尾氏によれば今後はネットで継続する方向を探りたい。ついては賛同する方に資金援助などを要請するかも知れないと言っている。
Hotel
(これが街の様子でホテルとレストランとある)
▼「ダージリンへの旅」(野良牛と兵舎)
地図を見ていただくと分かるがダージリンの北東400kmの位置にはチベットのラサがある。国境さえなければ車で2日くらいで行ける距離である。だから昔から交易が行われており行き交う人々の顔がチベット系であるのもうなずける。(「インドの歴史」近藤治著)タタの4WDは10kmくらいは平地を走る。街にはバザールがあり、学生達も歩いており、活気がある。さらに行き交う小型の車には定員オーバーと思われる人々が鈴なりで詰め込まれている。途中で牛が散見されるのでBガイドに「あれは何か?」と訪ねると「野良牛です」とこたえる。インドにあって牛は神聖な動物であり、使役に使う事はおろか食肉にすることもできない。
▼普通道路を走る車は昔日本にあって神風タクシーよりすさまじい。舗装もされていない埃だらけの道をクラクションを鳴り響かせながら、そこのけドケドケという風にすっ飛ばす。しかし牛を発見すると流石にスピードを緩めるか、牛が通りすぎるのをじっと待つのだ。しばらく走ると道がちゃんと舗装されているところがあり、さらに立派な建物や広大な土地が出てくる。これはなに?と聞くと、陸軍の基地だという。田舎でも都会でも一等地を占領しているのは軍隊の敷地である。さらに「ARMY SCHOOL」という表示もある。Bガイドにインドでは軍隊に入るのは難しいのかと聞く。すると成績もさることながら身長が1m80cm以上で裸眼で1・6、鼻筋は曲がっていてはならず、しかも虫歯も1本もあってはならないという極めて厳しい条件があるのだという。しかも給料は一番高い。
Matinoyosu
(街の人々の様子)
▼その後都市部を走っていると映画「愛と青春の旅立ち」そっくりの「来たれ若者よ」(文字は読めないが…)風のマッチョなポスターが散見された。つまりインドにあっては軍人になるにはエリートたる出世コースに立つ事になる。インドでは軍人官僚が国を握っているように思えた。それがあのインドを代表するIT産業と結びついている。
▼昨日のテロに関連していうとインドの諜報部員は6000名で、人数が少ない上に情報収集能力の低さが問題化されている。ちなみに日本に公然たる諜報機関はないが(陸幕二部別班や内閣調査室は別として)類似の日本の公安調査庁の人員はネットで1500人とされている。とするとインドでは最低1万2千人いなければならない。それに防諜組織は軍隊と違って装備で派手にカネを使う事ができないので、インドでは疎かにされていると推測される。基地にはミラージュ戦闘機や、旧ソ連軍のT62戦車がディスプレイされていた。
Norusi
(これが野良牛で、ノラ犬よりも数は多い)
▼平地を過ぎるといよいよ上り坂にはいる。この道はまったく未舗装で岩がゴロゴロする一車線の道を上り道優先でもなくひたすらクラクションを鳴らし続け、2~300m走ってはつづれ織りの道を上っていく。上下の車がすれ違う時は片一方が多少幅の広いところで待っている。中盤にさしかかると子どもたちが道路に綱を張って通せんぼをしているではないか。もしかしてこれはダージリンの山賊なのか?思わず身が固くなる。

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January 18, 2012

「ダージリンへの旅5」(ターバン)

▼体調は戻りつつある。来週は学校の集中講義が始まるので今週中には万全の体制になっていないとまずい。昨日の夕刊にキネマ旬報の2011年ベスト日本映画が紹介されていた。わたしが見たのは4本あって、1位の「一枚のハガキ」2位の「大鹿村…」3位の「冷たい熱帯魚」までは見ていた。夕べ8時からNHKBSプレミアムで旅のチカラ 「医師ゲバラの夢を追う キューバ 作家 海堂尊」を見た。彼はまずシェエラマエストロからサンタクララへと行く。ゲバラが医師だったのになぜ革命家を目指したのか?医療は公平にすべての人に施されなければならない。それがヒューマニズムというものだ。これがゲバラの基本理念だ。
▼診療所は街々に一箇所はある。そこにいる医師は聴診器と血圧計しかない。しかし住んでいる家族の記録ノート(いわゆるカルテ)がある。診療科目は内科から外科それに産婦人科まで幅広い。住民と時間をかけて話をするのが最大の目的だ。それが信頼活動につながっていた。
Heisi1
(兵士の背負っているのはインド軍制式INSASアサルトライフル・デリー空港で)
▼「ダージリンへの旅5」(ターバン)わたしはインドに行くまでターバンとはインド人全員がするものだとばかり思っていた。しかしBガイドによればシーク教徒のシンボルだという。シーク教徒はインド13億の人口の約1割いる。高級ホテルでは観光用にボーイ全員にターバンを巻かせるところもあるらしい。Bガイドに「紫のターバンに意味があるのか?」と聞いた。すると単なるおしゃれで、自分は4枚もっているという。それで着用をはじめたばかりの時は1時間もかかったが、今では15分くらいで巻けるという。さらに驚いた事があった。街でオートバイにのったドライバーは日本と同様にヘルメットを着用していた。しかしシーク教徒だけはターバンだけだった。ターバンの上にヘルメットを着用できないし、その逆もできないのでノーヘルメットが認められているのだろう。
▼デリー空港は昨晩同様厳重を極めていた。兵士達の持っているのはAK47ライフル。それに牽引しやすいように小さな車がついた可動式の楯は厚さ1・5ミリほどの鉄板で出来ていた。さらに飛行機に乗るまでには成田より厳しいチェックがまっていた。金属探知機を潜ってからボディタッチがあり、さらに蒲団叩きの親玉のような機械で全身をくまなくチェックされる。もし荷物に水のボトルが入っていたりすると、「出して目の前で飲んで見せろ」と言われる。
Kuukou2
(バグドグラ空港で)
▼なぜこんなに厳しいのか外務省のHPを見ると、インドには大きく分けて4つのテロ組織がある。昨年は列車爆破はじめ政府機関の駐車場の爆破など4つな大きなテロが起きている。その大きなものはパキスタン系のテロ組織が関与しているとされている。その関門を通り抜け3時間のフライトでバグドグラ空港に到着する。ここで乗って来た飛行機の写真を2枚撮って、さらに空港管制塔を撮ろうとしたらAKを構えた兵士に「ノー」と追い立てられた。
▼待合室を出ると、モンゴル系のドライバーとチベット系の顔をしたポーターが待っていた。本当はポーターにここでチップを渡すべきなのだが、まだ小銭は持っていない。そのまま車に乗り込むと怪訝な顔つきをされた。車はインド最大の自動車メーカーであるタタの5人乗り4輪駆動車だった。ガイドさんは見事な日本語を操るので、どこで習ったのかお聞きすると大学で3年間履修して、現在の旅行社に就職したという。何か日本の文学作品で好きな作家はいるかお聞きすると、漢字がむずかしくて会話しかできないと謙虚である。そして「自分の年齢はいくつに見えるか?」と逆に質問される。「30歳?」というと「31歳だ」という返事が返ってきた。今度のインド旅行では大勢のガイドさんに出会ったがBさんが一番親切で細かい事に気がついて思いやりに充ちた方だった。

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January 17, 2012

ダージリンへの旅4「デリーのホテル」

Display
(ホテルのディスプレイ、ガネーシャ)
▼帰国してたまっていた新聞はすぐ読み終えた。昨日は録画したTVを殆ど見終えた。8日間で「愛川欣也パックイン・ジャーナル」は2回分放送されている。もうこれは興味のある項目以外は早送りしてしまった。基礎英語3は録音したが手がついていない。久米宏も2週分あったが移動中の電車の中で聞き終えた。14日の放送で「海は誰のものか 東日本大震災と水産業の新生プラン」の著者小松正之さんが出演した。漁業のあり方は日本が世界の中で一番遅れてしまった、と指摘したが、わたしの考えと同じで重要な問題提起をしていた。本は図書館にリクエストを出したのでいずれご紹介する。
▼朝日「プロメテウスの罠」はますます面白くなってきた。事故が起きた直後の菅首相がどういう対応をしたかに迫っている。首相補佐官のメモを中心に菅の行動を再現している。中でも菅が東電に乗り込み撤退はあり得ないと発言し、官邸に戻る。再び東電幹部を呼びつける。「東電の中に対策室を作れ。枝野を派遣するから部屋と机を用意せよ」という。東電は準備に2時間必要だというが、菅は1時間で準備しろという。その直後に東電は連合系の議員に何とかしてくれと泣きつく。バ○議員はそれを真に受けて電話を掛けまくるが、「どうにもならない」と突き放される。この部分を見るだけで「連合」という組織が、いかに企業の手先になっていることが分かる。
Yomise
(いかにも怪しい夜店が建ち並ぶ)
▼ダージリンへの旅4「デリーのホテル」
ガイドさんは沢山でてくるので、一番目からAさんとよぶ。Aさんはホテルに行く車の中で注意事項を言う。水は買った未開封のミネラル・ウォーターだけ。野菜サラダも食べない。果物もダメ。露店で売っている食べものもすべてダメ。その薄汚い郊外のホテルには車で40分ほどで到着した。周囲の状況はかなり怪しく、男でも夜になったら一人で出歩くのは怖いくらいだ。焼き鳥屋風の店がたちならび、男たちが飲み食いしている。Aガイドはわたしたちに「明日4時半には迎えにくるから」とだけ言って立ち去る。
▼部屋は留置所か独房のようでかなり薄汚い。しかも蒲団は湿気があり、マットは波打っていた。シャワーだけはあるが果たしてお湯がでるかどうか分からない。そのくせベッドルームにある、サムソンの40インチTVだけは立派だ。飲み水もないしどうすれば良いのだ。M氏と相談して怖いが水だけでも買いに行こうという事になる。暗闇を目を凝らして散策すると50mほど歩くと、オヤジ一人で切り盛りしている小さな雑貨屋があった。M氏は「ウォーターツー」と言って、つまみのピーナッツを買った。
▼インドはチップで成り立っている国である。ホテルにつれて来られた時、運転手やホテルのボーイにチップを渡して欲しいと言われる。しかし空港のエクスチェンジで多少のドルはルピーに交換したが、小銭はまったくないので渡しようがない。屋台は怖すぎてとても近寄れないので、携帯のタイマーを4時にセットして寝ることにした。喧噪がうるさかったがすぐ眠ってしまう。しかし夜中まで同宿していた、日本人女性たちの騒ぐ声だけが聞こえていた。あの街に出かけたのだとしたらかなり勇気がある人達だ。
▼目覚めてフロントに行くとボーイが、「ブレックファースト」を準備するから部屋に戻れと言われる。どうやら朝食がでるらしい。しかしガイドさんが迎えにくる時間が迫っている。トーストをオムレツ、それにコーヒーを立ったまま胃袋に流し込む。ほどなくして紫のターバンを巻いたBガイドがやってきて、空港に向かう。後で彼から聞いた話では、「あのホテルの周辺は危険だから午後5時以降は外出しないように」という事だった。

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January 16, 2012

「ダージリンへの旅3」(機内と空港)

▼あるネット記者がインドを旅行中で3週間目になるという。混雑した道路の粉塵、カレーの香辛料にはホトホト参っていると書いている。そして食事はマクドナルドのベジタブルマックに頼っていると書いている。彼もまた私たちと同じ苦労をしている。道具で一つ忘れたが、呼吸器の弱い人にはマスクは欠かせない。ただ現地の人が使っているのは黒い布を使ったものだ。露店でもカラフルなモノを売っている.日本から来た人は一様に白い病院で使うようなマスクを使っているので一目で分かってしまう。
Kinaishoku
(昼の機内食)
▼今朝は仕事で早く某県まで出かけねばならないので、手短で失礼する。インドへは往路が10時間、復路が8時間だったので時差による体調への影響は少ない。カルチャーショックだけが残っている。海外旅行に行くときはいつもM氏と京成津田沼の3、4番線のプラットホームで待ち合わせて成田に向かう。約束の時間に彼の姿が見えない。ラッシュ時だが何やらわたしを呼ぶ声がする。見ると1番線で「こっちだ、こっちだ」とM氏が叫んでいる。慌てて重いバゲッジをもって人をかき分けて階段を駆け上り駆け下りる。行き先案内板を指さし「ほら、こっちだろう」しかし目を凝らしてみると8時02分は「成田」ではなく「羽田」と書いてある。上り車線に成田行きがくる筈がない。「羽」と「成」が違っていると指摘して再び重いバゲッジをもって階段を駆け上がる。こんな調子でこの先大丈夫か、しっかりしなければと思う。
▼座席につくとまもなく昼食がでる。M氏は、旅行中に2kg減量すると言って食べなかったが、その決意はこの一度だけだった。カレーは日本で作ったものが提供されているが、かなり味付けが辛い。いつも航空機に10時間ものっていると足が冷えるのが悩みだった。今回はウールのレッグ・ウォーマーを持参したので長いフライトもかなり快適だった。
Dkuukou
(デリー空港の夕暮れ)
▼デリー空港に着いたのは午後6時頃だった。上空は雲に覆われており、地上に降り立つと夕暮れのように真っ暗だった。たまたま隣の席に座っていた、日本語が堪能なアジア人の若者は入国審査書類の書き方を色々教えてくださった。そして今回も仕事で長期滞在になるが、デリーはいつもこんな梅雨空のようにどんよりしていると語って降りていった。
▼空港で驚いたのはテロ対策の警備の厳重さである。アサルトライフルを持った警官や兵士が沢山いる。14日成田に戻って気づいたのだが、この小銃を持った人が大勢いるのはかなり心理的圧迫を受ける。後で書くがこの銃を持った兵士たちは、テロリストに心理的圧力をかけるために存在しているのだろうと思う。
▼旅行会社の職員といえどもテロ対策で空港ビルに入れない。建物の外に出るとネームプレートをもった人物がたっていて、もう2グループくるから待ってくれと言われる。

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January 15, 2012

「ダージリンへの旅2」(道具編)

▼成田で空港の外に出るとダージリンよりも寒かった。ダージリンのホテルのあるところは海抜2000mくらい。1面トップのヒマラヤを見える写真を撮影した場所は2500mくらいだ。その2500よりも寒く感じた。
▼インドは大体英語は通じる。そのために2年間NHKラジオの基礎英語を学んで来た。英会話というのは喋るのは単語と身振りで理解してもらえる。しかし大事なのは相手が何と言っているか理解するためのヒアリングだ。しかもインドの英語はかなりなまっているから、それを理解するのに何度も喋ってもらわなくてはならない。例えばホテルの朝食でオーダーを受けにくるとき「エゴオワオモレト」が「egg or omelet」と理解するには時間がかかった。それでシャープの携帯型電子辞書は一応持参した。しかし外交交渉やビジネス交渉にいったわけではないので、まず必要ない。使ったのは携帯電話に内蔵されている辞書で十分だった。
▼整腸剤、これは商品名で言うと糖衣錠はあまり効かない。ホンモノの苦い方だ。といっても普通の加熱処理した食事と、ペットボトルの水を飲んでいればまず問題ない。
▼変圧器、これは携帯やウォークマンもちゃんと充電出来ず、水も沸騰しなかった。過去の旅行では大丈夫だったが今回はトラブってしまった。命綱の携帯用には外付け大容量電池パックを持って行った。これはちゃんとしたモノを持って行った方がよい。
▼懐中電灯。わたしは超小型のモノをキーホルダーに付けているが、中型のモノを持参した方が何かと役に立つ。ダージリンの登山は真っ暗な山路を登るのでヘッドキャップ型が良い。
▼携帯電話。わたしの使っているパナソニックのP3Cは、フル充電にしておけば待ち受けで3日間もつ。しかし電源を入れっぱなしにしておくと、基地局を一生懸命探し続けるので、それだけで電池を消耗する。昼間だけスイッチを入れるようにしておいたほうが良い。うっかりスマホ等を持って行くと、おそらく数時間で電源は切れてしまうに違いない。インド旅行中の8日間のパケット使用料金を帰国後調べたら約1200円だった。
▼日本の食糧。インスタント麺か、パックのお粥などを食べると元気になる。
Socks
(これが現地で買ったスニーカーソックス)
▼これだけあれば、日用雑貨品はシャンプーなどもすべて現地の露店で手に入る。わたしは靴下が不足したのでダージリンの露店で3足セットモノを60ルピーで買った。日本円にして102円だ。フリーサイズだが使い勝手も中々良い。いよいよ明日から本編が始まる。わたしの体調はまだ万全ではない。インド旅行で体重は1kg減った。昨年のアルゼンチンは食事が美味しかったので2kg太って帰国したというのに…。
▼皆さん昨日ご紹介した「トップページ」を誤解していらっしゃいます。『鍵盤乱麻』HPトップページとはこちらです。写真はクリックすると大きくなります。

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January 14, 2012

「ダージリンへの旅1」(準備編)

▼夕べの飛行機では一睡もしなかった。だからこうしてキーボードを叩いている間も居眠りをしそうだ。まず『鍵盤乱麻』HP1面トップの写真は入れ替えた。この一枚を撮るには大金がかかっているので流用されないように大きな文字でクレジットを入れた。
▼「ダージリンへの旅1」は「準備編」だ。夕べホーチミン市を旅している友人が「今晩はサイゴンクルーズだ」とわたしのブログで苦闘ぶりを見て、エールを送ってくれた。この友人は欧米やNZの高い山も登っていらっしゃる。現役時代海外遠征をするとき、奥さまに「現在いる位置と様子をファクスで送って」と約束させられていた。
▼わたしの場合「戦争や紛争地以外は携帯さえ通じれば世界中どこに行っても良いことになっている。出かける前に果たしてダージリンは通じるのか必死に調べた。というのは1年前の南米ではヒューストンも入れて3ヶ国に行ったが、通じたのはリオだけでしかなかった。過去にトランジットも入れて10ヶ国くらい足跡を残しているが、通じなかったのは2011年正月の旅だけだった。帰国後ドコモに電話すると、同じパナソニックでは当時最新のP01C、P02C,P03Cを買うしかない、ということだった。5月頃になって中古ショップに2万5千円と半額くらいのモノがでたので迷わずかった。しかし出発前にネットで通じる範囲の地図を見るとダージリンが入っていない。最初のダージリン滞在中に仕事の連絡が入り可能性が一番高い。ドコモのHPに出ていないのならば、直接サービスセンター電話した。相手はダージリンの地名を知らなかった。「スペルはどう書くのか」などとぼけた事を言うので、「インド北部の東をネパール、西をブータンに囲まれた虫垂炎状のところだ」と説明すると、しばらくして「大丈夫だ」という返事があった。
▼しかし昨年フートンさんがドコモの携帯をもってインドを旅したときに通じなかったというので更に心配になった。この際いっそのことイギリスの携帯を持参しようか、とも考えた。だがドコモのサービスセンターが太鼓判を押したのだから大丈夫だろうと、心配を抱えながらインドに向かった。
▼経過は速報に書いたが通話は大体できた。ところがネットが繋がらない。その理由を現地で調べたら、インドでドコモと相互協定を結んでいる会社を探して携帯にインプットしなければならない。インドは国が広いが、移動する地域によって3社がドコモからの現地メールで送られて来た。携帯を海外設定にして海外ネットワークサーチに入れる。そののちに携帯の電源を一度切る。するとしばらくして現在に最も近い、強力な電波の会社があなたの携帯の電波を拾ってくれるはずだ。
▼その方法が分からなくて2日間の空白が出来てしまい、何人もの読者を心配させてしまった。来年?地上の電波が届かない可能性がある場所に行くので衛星携帯をレンタルし、さらに念のため英国製の携帯を準備していかなければならないかも知れない。明日は「道具編」。

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ただいま無事成田空港に到着しました。

みなさん応援ありがとう。余力があったら夕方ブログを書きます。
Duke(NRT)

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着席完了しました。

AI306号便デリー空港。
Duke(DELHI)

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January 13, 2012

きょうはフリーでデリー観光

本当はタージマハールに行こうと思っていた。だが金曜日はお休みなので、市内観光になる。いつもならば写真は1日百枚撮っている。しかし撮影禁止の場所が多く、悲惨過ぎてとてもレンズを向けられない。それでいつもの半分しか撮っていない。
Duke(DELHI)

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January 12, 2012

きょうの目愛読者の皆様へ

携帯を使ったネット接続の方法がわからずご心配をおかけしました。デリーに再び戻り、苦心惨憺の末、それが理解できました。設定して一度電源を切らなければいけなかったのです。若干遅れた話もありますが、お読みください。現地時間13日夜9時にデリーをでて、成田には日本時間朝8時に到着する予定です。私はダージリンにいるとか、某法律家から電源があったので、そのまま打ち合わせに直行します。おそらく午後1時以降には個別のメールにご返事できるて思います。いずれにしてもインドは想像を絶する世界でした。
Duke(OELIHI)

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インドの食べ物は胃袋が受け付けない。

いよいよ現地時間明日の夜9時に立つ。昨日の昼飯にガイドさんは中華料理に案内してくれた。M氏は焼きそば、私はインディカ米のチャーハンを頼んだ。スプーンとフォークしかないので、ハシ・スティクと頼む。彼は指真似をして持って来てくれた。しかし今朝はもはや胃袋はインド料理を受け付けない。ナンとチキンカレーは見るのもイヤになった。今日の昼飯はコルカタ空港で、ベジタブルサンドイッチと、コーヒーを飲んだ。夕食もデリー空港で、サンドイッチを買って、ホテルで食べようと考えている。
Duke(KOLKATA)

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10時間夜行寝台に乗ってコルカタに着く。

これまた喧騒の町だった。あらかじめガイドから、駅構内は撮影禁止であると言われる。インドの国鉄のレール幅は目測で1・5M程あり、広軌だ。駅はテロリスト対策と思う軍隊が配置され、スターリング・サブ マシンガンを持っていた。昨日アップデートできなかったのは、通話はできるがネットに接続できないためでした。更新が待たれているかどうか分からないが、すみませぬ。
Duke(KOLKATA)

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♪帰り道は遠かった、いまコルカタ

ダージリンに行くには国内線に乗り換えて三時間、更に4輪駆動車に乗り換えて廿楽道を揺られて3時間30分。胃袋の中身がひっくり返した状態になる。昨日つはその道を逆行して最寄りのニュージャイバイグリに到着する。ドライバーと別れの挨拶をしている最中に子どもを抱いた若い物ごいが押し掛けてくる。わたしはソドムとゴモラの世界に迷いこんだような錯覚を受けた。これは11日朝書いて送信できなかった物です。
Duke(KOLKATA)

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January 10, 2012

昔は茶葉、今は観光客を運ぶ

昔は茶葉、今は観光客を運ぶ
トイトレイン。イギリスの植民地時代に敷設されたこの鉄道は世界遺産として知られている。民家の軒先を掠める様に走る列車のレール幅は50cm位だ。地元の人達は車か力車ゃ、それに徒歩で、載っているのは、観光客だけだ。かつては下の100kw先にある町まで線路は延びていた。所が昨年5月の地震で線路は破壊され、今はこの40分の区間だけ運行され、復旧のメドどは立っていない。
Duke(DAJEELING)

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January 09, 2012

ヒマラヤが見えた。

ヒマラヤが見えた。
今回の旅行の最大の目的はこのヒマラヤ山脈を見ることだった。ホテルを朝4時45分に出発する。車に揺られて40分。高度はダージリン市街地から500m上がる。寒さに震えて待つこと30分。太陽の光と共にヒマラヤは輝きを増した。
Duke(DAJEELING)

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January 08, 2012

目的地のダージリンに到着しました。

目的地のダージリンに到着しました。
飛行機を二回、四駆で揺られて三時間余。胃袋がひっくり返える状態でダージリンに到着しました。ホテルも昨晩とは違って高級リゾートホテルで、入り口には、守衛さんもいます。これからインドにきてから初めてまともな食事にありつきます。
Duke(DAJEELING)

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朝4時30に迎えに来る。

ホテルは空港から小一時間の場所にある、かなり怪しげな店が林立して、男たちが焼き鳥の様な物を食べていた。両替をして貰ったが一番少額紙幣が100ルピーなので、どうしようもない。勇気を出して怪しいお菓子店に行く。同行のM氏がミネラルウォーターと言うとんか見事通じた。ピーナッツ一袋と、一リットルの水二本でお釣が20ルピーだった。因みに一ルピーは1・7円。水は想像だが、50円くらいだったのだろう。これからダージリンに向かう。Duke(DELHI)

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January 07, 2012

ナマステ!デリーに到着しました。

私もインドでじっくり考えようと思います。いま午後5時分です。空は露空のようにどんよりしています。気温は16度です。(DELHI)

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東京も「任意避難地域」に入っていたかも

▼朝刊をみると首相が「40年で廃炉」と言っているらしい。大体原子炉は30年しかもたないと言われているのに、検査を大甘にして耐用年数をオーバーして使っていることにも問題がある。そのことは「愛川欣也パックイン・ジャーナル」で時々ゲスト出演している、元東芝の原子炉格納容器の設計者だった後藤さんが指摘している。それによれば安全なのは30年としている。ところが今回の「基準はそれを10年引き延ばしている。
▼国民の世論が「脱原発」に動いているなか、官僚たちもバ○ではないので、野田を次の選挙で勝たせるために、「廃炉」に舵を切ったと考えられる。問題なのは「原則」という部分だ。朝日によればすでに40年を過ぎているのは、福島第一、美浜が2基、敦賀の1基で、合計4基ある原発だ。地元では「特例に期待する」と言っているが、即時廃止になってしまったら、補助金が入って来ないという目先の利益を考えての発言だろうと思われる。事故が起きたら補助金どころの話ではなくなり、人が住めなくなってしまう。そういう事を真剣に考えていないのだろうか?
▼社会面に3月15日の最悪シナリオがでている。細野はパニックになるからあえて発表しなかったと言っている。わたしは3月16日千代田区の遊就館に行っていた。千鳥ヶ淵のまだ固い桜の蕾を見ながら、東京ももう見納めだと思っていた。170m以内は強制避難で、東京には「任意で避難」勧告が考えられていたようだ。東京東部地域はかなり危ない範囲になっていただろう。それは直後の江東区で発見された「汚染スポット」でも明らかである。情報を握っていたのは政府だから「官房長官は家族をマレーシアに逃がした」なとというまことしやか噂が出回るのも納得出来る。「自分の息子が子弟が同じ学校に行っているが、最近見かけない」などの情報がツイッターには溢れていた。では、また。次回は日本時間の今晩9時頃には書けると思う。

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January 06, 2012

半藤一利氏に聞くリーダーシップの条件

▼メルマガをお送りしましたら、1年ぶりくらいに珍しい方からメールをいただきました。編集後記に「現地の気温は24度」と書いたので「行き先は避暑地のようなところですね」とおっしゃる。元避暑地だった場所が目的地だ。しかし高度は2500mもあって今の時期はかなり寒い筈だ。
▼わたしの場合旅行にどんな本を持って行くかは重要なポイントになる.1年前は片道31時間の長旅だから、一緒に行く人たちに「退屈しないように一人4冊の文庫本を持参するように」話しておいた。しかし現実の場に置かれると、雑誌ならばともかく本を読む気力など残っていない。4冊持参したが1冊も手に付かなかった。読めるのは紙質が白くて文字が大きな本に限るようだ。
▼先日「半藤一利さんの話を聞いた」と話したら友人から、「そのことを原稿に書いて欲しい」と年末に依頼された。今朝ポストを覗いたら、早くも掲載紙が送られて来ていた。それに関連して今朝の朝日にその半藤氏がインタビューにこたえて「311は第二の敗戦/指導者は決断に責任を」と発言している。その中でリーダーシップとは元もと軍事用語で素人を徴兵で集めた政府が戊辰戦争を勝ち抜いた日本最強の薩摩軍を相手に最新の武器で戦った。総大将が例え素人だったりしても、参謀が優秀ならば当時もっとも優秀な軍隊と言われた薩摩軍をも破ることができたと指摘している。
▼そして「統帥綱領」で将軍の心得が規定されたが、それは神でもなければできないことばかり書き連ねられていた。結局「威厳と人徳があればいい」ということになった。今回の大震災でも自分が情報を集め、自分が判断権者であることを明確に示した上で、決断に責任をとることが大切だ。あれほどの被害を出しておきながら責任を取った人がいないのは、世界の笑い物だと締めくくっている。
▼今朝の報道では、オウムの平田容疑者の自首を巡り、警察は手回しよく潜伏先の関西に捜査員を派遣すると発表している。ところが福島第一原発ではあれだけの災害を出しておきながら、東電は家宅捜索すらうけていないし、会社幹部はのうのうと自宅や会社を行き来している。これが不思議でなくてどうする。

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January 05, 2012

「通販生活」1月号で宜野湾基地の実態を知る。

Tenji1
(「ご真影」は二人だが、親戚一同の写真、佐倉歴史生活資料館で)
▼昨日届いた年賀状のなかに「お話をききたい」と書き添えられた一枚があった。さっそくご自宅にお電話する。最初はお出かけ中で、2度目の夕方はいらした。何のご用かと思っておそるおそるお聞きすると、仕事に関する内容だったので一安心。こちらの携帯番号をお教えして月末にでも、要請にあったお話をすることにした。5日を過ぎて年賀状の返事が来た場合は、「つき合い」の可能性が高いから、来年は出すのを遠慮しておこう。
▼3日が1万2千歩、4日が半日で1万歩を超えた。3日のアップダウンがきつかったせいか、左足の脹ら脛が痛む。それでも昨日は人出が少なく、前日の七福神よりも歩きやすかった。夜は新聞の校正が待っていた。
▼「通販生活」という雑誌が送られて来た。表紙に米軍のC130輸送機が飛び、中年女性が枕を抱えている。これが表紙の写真だ。タイトルに「ここでは占領は終わっていなかった」とある。写真の主は作家の森まゆみさんだった。タッチアンドゴー訓練をする宜野湾の基地の眞下に住んでいる住民は、「普段のTVの音量は8か9で聞いていますが、ドラマのいいところでで邪魔をされると悔しいから30にも40にもするの」と語っている。
▼我が家では通常ボリュームは25くらいだから、この騒音下の日常生活は想像を絶する。更に夏は窓を閉め切りにするのでエアコンの電気代がひと月に3、4万円もかかるという。森さんは「本土の我々がこれを見逃してよいものか。通販生活が提唱する『普天間基地はアメリカに引き取ってもらおう。どうしても無理ならくじ引きで本土の都道府県に移転しよう』、私はこの考えを支持する」と語っている。左下リンクの下「第一回を読む、全3ページ)で掲載している全文を読む事が出来ます。取材時のビデオ画像もあり。
▼声高にコブシを振り上げて基地撤去を迫る図式の行動だけが「評価」されがちだ。しかし普段基地の近くに住んでいるお宅に泊まり込んで体験してそれを書くというスタンスはさすが「通販生活」ならでは、と思う。
▼きょうはメルマガの締め切り日だ。正月は本もあまり読む事が出来なかった。正月の混雑と人出が大嫌いなので映画館には1度も行っていない。

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January 04, 2012

佐倉七福神めぐりをする。

▼昨日は『鍵盤乱麻』の読者である親しい友人たちと恒例の七福神巡りをしました。ことしは佐倉七福神で、一生懸命歩き続ければ1時間で歩ける距離です。しかし道は起伏に富んでいてアップダウンがあり、かなり足腰に響きます。途中「歴史生活資料館」があり、入って見ているうちに懐かしい生活道具にすっかり魅入ってしまいました。撮影禁止とも書いてなかったので、かなり撮影してきました。
▼通常とは逆の麻賀多神社を最後にしました。するとズラッと人が並んでいて、参拝する場所まで15分ほどかかりました。それが終わって近くのそば屋さんにはいって、新年会が始まりました。冷酒とソバ焼酎を各1杯ずつ飲んで仕上げは七福神ソバでした。この間約3時間、来年は振り出しに戻って元祖向島七福神を歩く事を決めて解散しました。本日は仕事はじめの挨拶をするため、これで終わり。
▼参加者のお二人はすでにスマートフォンをお持ちでした。電池が保たないとか、ガタイが大きいといいながら愉しんで使っていらっしゃるご様子でした。

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January 03, 2012

情報機器だけを新しくしても信頼関係はできない。

Burinabe
(新春の特別メニュー「ぶり鍋定食」)
▼親戚一同の新年会があって昼飯を食べるために、新潟県のアンテナショップへいく。一階では振る舞い酒のサービスが行われており、この日は「八海山」を飲ませてくれた。おまけにそれが出来上がるまでを紹介するDVDを無料で配布していた。地下の食堂ではぶり鍋定食が元旦から3日までの特別メニューで提供されていた。ただメニューの写真が素人写真でとても美味しそうには見えなかった。
▼金子勝の「ニュースにだまされるな!」の12月31日最新版で、通信情報機器は発達したが、使いこなせていないと、津田大介氏とか佐野眞一氏が触れている。大震災の時どこで何が不足しているか把握して、それをさばく人や場所つまり機関がない。
▼たとえばある地点で「○○が不足している」とネットに書く、すると情報を書き込んだ日時が分からないまま情報が流れ、届けると書いた情報だけ残り、書いた人は別の場所に移動させられてしまうので、「ガセネタ」として処理される。阪神淡路の時ならば、紙に書かれていた情報は物資が届けられると「×」をつけて消して行ったからそれほどの混乱はなかった。あのときとは情報伝達手段だけは進んでいるが、震災地域があまりにも広範囲で誰がチェックするかという支援体制も不十分になってしまった。
▼さらに災害掲示板としての安否情報はNHK、NTT、それにドコモと3つも存在してそれぞれに別の情報が掲載されて混乱していた。佐野氏は今回の震災で医療機関だけは情報を蓄積して、運び込まれた人の状態を一瞬で把握して助けられる人なのか、もう手を付けてもダメなのか判断できるようになった。だから無駄な資源を使わず、助けられる人に力を注げるようになったと言っていた。
▼物資情報や援助が必要な場所に関して、津田氏は情報を一元化して管理する部署があればボランティア団体などが混乱することは避けられたと指摘する。震災直後の報道を思い出しても、水害で土手に避難していたお年よりが呼吸困難になっていく。側にいたひとたちは一斉に携帯を使って救急に連絡しようとするが電話が通じない。という場面が多々あった。携帯は無線機ではないから中継機が水を被って呼称したらタダの箱でしかない。それに普段暇つぶしの遊びだけに使って訓練していなければ、場所と状況をできるだけ短い時間で警察や消防に伝える、という簡単な連絡をする事すら出来ない。
▼わたしがもう一つ印象に残った話は「ニュースにだまされるな!」に出演していた朝日を早期退職した外岡秀俊という57歳の元記者が喋っていた事だ。それは会社所属の記者とフリーとまったくちがうのは、話を聴こうとする相手と人間関係を作らないと取材もできないという事を知ったという言葉だった。これなど普通の世の中では極めて普通のことなのだが、大新聞社の名刺だけで仕事をしてきた人にとってはかなりショックだったのだろう。わたしたちの日常の生活とは、そのような基本的な信頼関係を築くのが基本にあると思う。最新型携帯を持っても人類の進歩には何の役にも立たない。きょうはこれから七福神巡りなので終わり。

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January 02, 2012

原発は日本を発展させたか考える時だ。

▼珍しく箱根駅伝を見ていました。往路一区のトップを走ったW大の選手はふる里、佐久長聖高校の出身でした。わたしが高校生の頃にはまだこの私立高校はまだ設立されていませんでした。その後スポーツで頭角を現すようになりました。
▼昨日届いた年賀状の一つ友人は現役時代に原発機器の設計をしていたと書いてありました。そして今は「その知識を反原発に方向に活かしたい」と書いてあって力強く思いました。家族に届いた映像関係の仕事(旅番組で一番長寿)をしている方は年間73本の映画を見たと書いてありました。慌てて自分の昨年見た映画の数を数えて見ましたら、映画館で見たのは65本でした。お勧めの映画で共通していたのは、「チェルノブイリハート」、「ゴーストライター」「サラの鍵」など5点ほどあった。
▼金子勝の「ニュースにだまされるな!」はジャーナリズムという視点で色々考えさせられた。津田大介さんの事は詳しく知らなかったが、かなり問題点を整理して的確に指摘していた。つまり今のマスメディアはデスクにコントロールされた情報しか書けない。だったらアメリカのメディアのように記者がビデオカメラを持って取材してその内容のWebに貼り付ける。もしくは記者の実名を公開してツイッターで新聞記事を補足することも考えられる。等。
▼佐野眞一氏は「震災と原発」に書いている事と共通しているが、あの爆発する様子を中継するパラボラアンテナを設置する地点に入るには警察の警備が厳しかったので、地元のヤクザに頼んでけものみちのような所を通った。また今までの日本の繁栄は原発に支えられていた、という論理がまかり通っているが、それが本当かどうか時間をかけて検証しなければならない。この意見は全員に一致していた。さらに九州の電力は43%が原発に頼っている状態にさせられてしまった。この春には日本の全ての原発がストップするが、そこで本当に原発が必要か考える機会になる。
▼金子勝と佐野氏はもっとも重要な指摘をした。それは東電は最早自転車操業で倒産寸前の状態である。それで政府資金を注入して見せかけを良くして金融機関の融資を頼んでいる。再起動と必死に言うのもその資金繰りのためである。というような対談だった。

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January 01, 2012

明けましておめでとうございます。

▼あけましておめでとうございます。
31日の大晦日はいかがお過ごしでしたか?わたしはまず年末の仕事納めに入った仕事に取り組んで、無事終了させました。珍しく紅白を殆ど見てしまいました。しかし若い歌手は知らない人ばかり、「少女時代」も31日の朝NHKの番宣で知りました。どうも歌に関しては浦島状態です。「愛川欣也パックイン・ジャーナル」は3時間の特番でしたが全部見ました、3分1のは元東芝の格納容器設計者だった後藤さんのお話でした。これからロボットを作って溶融している現場を見ることができるのが、2~3年後でそれを取り出す技術はない。
▼政府がなぜ「収束」等と、できもしないことを声高に叫ぶか?それは民主党の政治日程に合わせただけだ。放射能の被災地から避難している人達は自分の家に帰る見込みすら立っていない。こういう棄民政策を認めて良いのか?さらに放射能は全国に降り注いでおり、放射能汚染水や瓦礫は太平洋を周遊している。3月13日頃は1号機から4号機まで連続爆発危険性があった。そうなると3000万人強制避難で関東も人が住めない状態になっていた。たまたま連続爆破は避けられたというのが実態だ。今連続爆発の危険性はなくなった。しかし全国の原発の3分の1はGEのマーク1沸騰型で、外からの圧力で破壊される危険性がある。
▼ストレステストでは循環型も含めて耐用年数は30年とあり、それを40年、50年も使い続けているのは破壊の危険性はさらに高まっている、という様な内容でした。番組が始まる前に読者からのメールやファクスの意見を紹介するコーナーがある。この日はテキサス州のヒューストンに長い間仕事で行っていた人の声が紹介された。それによれば現地では食糧品とドラッグストアで買える薬には消費税が掛けられていなかった、なぜ日本は全品に消費税がかけられるか納得いかないという声があった。
▼金子勝の「ニュースにだまされるな!」もメディアのあり方を中心に討論があった。佐野眞一氏らも出席していたが、震災直後現地に行くと一線の若い記者は取材して書いているが、デスクがその記事を握りつぶしていると推測されると語っていた。また津田大介氏はTVクルーは絵になる場面しか撮らずに他に行ってしまいと指摘していた。まだ録画しただけで殆どみていない。ので、後日ご紹介する。
▼今朝は猫のトイレ交換などのルーチンワークをした後、近くのコンビニに出かけ、普段読んでいない、毎日新聞と東京新聞を買って来た。ふと並んでいた読売のトップ見出しを見たら、防衛省がサイバー兵器を使って攻撃を無力化することに成功した、だったのには驚いた。
▼また今年もこのような戯言をご紹介していくつもりですが、おつきあい下さい。昨日書いた事は、地震や津波が来たら命からがら逃げるのが精一杯。昔の写真一枚手許に残らない現実です。昨年はそのような話を沢山見聞きしました、したがってモノは持たず記憶にとどめておくのが一番だという事を言いたかったのです。

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