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January 31, 2012

NHK「非戦と平等を求めて/幸徳秋水と堺利彦」を見る。

Climing
(ダージリン、観光用「テンジンクライミング施設」)
▼さ、寒いです。明日の授業は、この寒さのなかをフィールド・ワークなので生徒さんには気の毒です。かゆみ対策には薬局にいって保湿剤他を買って来て塗ったので、夕べは何ともありませんでした。
▼NHKで日曜日2週連続で「日本人は何を考えて来たのか」を見た。15日の「自由民権東北で始まる」は福島の自由民権運動を追った。福島はご存知のように戊辰戦争で幕府に刃向かったため、中央政府から派遣された知事によって自由を受ける。一つは中央政府からの独立(地方分権)を求める運動が高まる。具体的には中央の道路政策に反対する人々は厳しい弾圧をうける。いま震災の中心地となった浪江町には苅宿仲衛(俳優のような二枚目)という自由民権運動家がいた。苅宿は投獄されるが獄中でも厳しい拷問に耐え抜く。そして四国高知県の植木枝盛の所を訪ねる。高知県とともに自由民権運動が高まったのはにはそういう背景があった。
▼さらに映画「大陽と月と」に描かれている部分と同じなのだが、植木枝盛らは私擬憲法草案(五日市憲法)が作られ、その中には拷問の禁止などが織り込まれていた。東北では草案の起草に参画した宮城県の千葉卓三郎、岩手の小田為綱らが、戊辰戦争で疲弊した三陸海岸の復興計画を作って何度も建白するが採用されることはなかった。この運動が再評価されるは戦後の事だった。番組の案内人は菅原文太でスタジオには五日市憲法を発掘した東経大の色川太吉らが出席していた。この東北地方を揺るがした1882年の福島事件のことは初めて知った。
▼29日第四回「非戦と平等を求めて/幸徳秋水と堺利彦」幸徳秋水の帝国主義を批判する論文をフランス語で翻訳したフランス・ボルドー第三大学教授のクリスチーヌ・レヴィさんが案内人だった。日露戦争の直前、国民世論は打倒ロシア一色だった。その中で黒岩流香の発行する「萬朝報」は唯一非戦論をかかげ堺や幸徳らを執筆者として採用していた。ところが日露戦争が始まり、旅順で日本が勝利すると政府は「萬朝報」を弾圧する。黒岩が非戦の旗を降ろすなか、幸徳や堺は「平民新聞」を作って非戦論を掲げる。しかし「新聞紙条例」を作った政府は「平民新聞」を閉鎖に追い込む。幸徳はサンフランシスコを旅してアナルコサンジカリズム(無政府主義)の労働者の影響を受けて半年後に帰国する。
▼このとき権力者は幸徳らの「社会主義」の萌芽を摘むことだった。ある人物がうどんや蕎麦に使う薬味「振りかけ唐辛子」の空き缶にかんしゃく玉を詰めたような爆弾を作った事を察知(出演者の一人、山泉進:明治大学教授・副学長の指摘)、し、天皇を暗殺を企てたとでっち上げる。この社会主義思想の弾圧をしようとフレームアップを考えたのは桂太郎や山縣有朋、平沼赳夫の祖父らである。大逆事件は社会主義者を死刑にして弾圧するだけではなく、国民の世論を抑制するという意味で大きな影響を与えた。(続く)

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