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January 19, 2012

「ダージリンへの旅」6(野良牛と兵舎)

▼実はインド滞在中の最後の2日は食べものが喉を通らなかった。13日は三食チャイやコーヒーだった。さらに機内食も喉を通らず2回とも紅茶にした。帰国後も腸の具合が悪くヨーグルト類は食べられず、魚の臭いが気になって食事ができなかった。それがようやく治ったのは18日朝で、この日から温野菜のスープが飲めるようになった。昨晩からはいつもの筋肉トレーニングを復活させた。
▼旅行中にブログリーダーは一日200件だから2千件もたまってしまった。これはタイトルだけ見て終わった。この間ずっと話題になっている「愛川欣也パックイン・ジャーナル」の4月以降の存続問題が同番組のシナリオライターの横尾和則氏のブログで明らかにされた。それによれば資本が朝日新聞に移行するにあたり、愛川に内容の大幅な改変が求められたという。それで愛川は存続不可能という結論を出したという。どうりで14日の出演者の顔色が冴えなかった理由が分かった。横尾氏によれば今後はネットで継続する方向を探りたい。ついては賛同する方に資金援助などを要請するかも知れないと言っている。
Hotel
(これが街の様子でホテルとレストランとある)
▼「ダージリンへの旅」(野良牛と兵舎)
地図を見ていただくと分かるがダージリンの北東400kmの位置にはチベットのラサがある。国境さえなければ車で2日くらいで行ける距離である。だから昔から交易が行われており行き交う人々の顔がチベット系であるのもうなずける。(「インドの歴史」近藤治著)タタの4WDは10kmくらいは平地を走る。街にはバザールがあり、学生達も歩いており、活気がある。さらに行き交う小型の車には定員オーバーと思われる人々が鈴なりで詰め込まれている。途中で牛が散見されるのでBガイドに「あれは何か?」と訪ねると「野良牛です」とこたえる。インドにあって牛は神聖な動物であり、使役に使う事はおろか食肉にすることもできない。
▼普通道路を走る車は昔日本にあって神風タクシーよりすさまじい。舗装もされていない埃だらけの道をクラクションを鳴り響かせながら、そこのけドケドケという風にすっ飛ばす。しかし牛を発見すると流石にスピードを緩めるか、牛が通りすぎるのをじっと待つのだ。しばらく走ると道がちゃんと舗装されているところがあり、さらに立派な建物や広大な土地が出てくる。これはなに?と聞くと、陸軍の基地だという。田舎でも都会でも一等地を占領しているのは軍隊の敷地である。さらに「ARMY SCHOOL」という表示もある。Bガイドにインドでは軍隊に入るのは難しいのかと聞く。すると成績もさることながら身長が1m80cm以上で裸眼で1・6、鼻筋は曲がっていてはならず、しかも虫歯も1本もあってはならないという極めて厳しい条件があるのだという。しかも給料は一番高い。
Matinoyosu
(街の人々の様子)
▼その後都市部を走っていると映画「愛と青春の旅立ち」そっくりの「来たれ若者よ」(文字は読めないが…)風のマッチョなポスターが散見された。つまりインドにあっては軍人になるにはエリートたる出世コースに立つ事になる。インドでは軍人官僚が国を握っているように思えた。それがあのインドを代表するIT産業と結びついている。
▼昨日のテロに関連していうとインドの諜報部員は6000名で、人数が少ない上に情報収集能力の低さが問題化されている。ちなみに日本に公然たる諜報機関はないが(陸幕二部別班や内閣調査室は別として)類似の日本の公安調査庁の人員はネットで1500人とされている。とするとインドでは最低1万2千人いなければならない。それに防諜組織は軍隊と違って装備で派手にカネを使う事ができないので、インドでは疎かにされていると推測される。基地にはミラージュ戦闘機や、旧ソ連軍のT62戦車がディスプレイされていた。
Norusi
(これが野良牛で、ノラ犬よりも数は多い)
▼平地を過ぎるといよいよ上り坂にはいる。この道はまったく未舗装で岩がゴロゴロする一車線の道を上り道優先でもなくひたすらクラクションを鳴らし続け、2~300m走ってはつづれ織りの道を上っていく。上下の車がすれ違う時は片一方が多少幅の広いところで待っている。中盤にさしかかると子どもたちが道路に綱を張って通せんぼをしているではないか。もしかしてこれはダージリンの山賊なのか?思わず身が固くなる。

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