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January 21, 2012

「ダージリンへの旅8」(タイガーヒル)

▼ダルビッシュは英語は大丈夫なのだろうか?ホークスにいた和田君はメジャーに挑戦するという記者会見を、わたしと同じレベルのカタカナ英語で15秒ほど話していた。週刊誌によればダルビッシュ君は、別れた妻に手切れ金の5億円と、養育費を毎月500万円を払うというお金持ちだから個人レッスンでも何でもできるだろう。もしかしてスピードラーニングだったらお笑いである。
▼年賀状をきっかけに5人ほどの人と会う約束が出来つつある。しかしこの8日間は土日に管理組合の会議や法事がある。さらに集中講義、月末のルーチンワークがあって自分の自由になる時間が少ない。映画は最低3本は見たいところだが、新聞の映画広告を見るとお子様ランチメニューしかない。
▼先週届いた「週刊金曜日」で松崎菊也の「新春いろはかるた」は政党の部分が面白かった。「ほ」ね折り損のみんなの党。「ち」みもうりょうの小沢一派。「う」いている国民新党。「む」なしい社民党。「い」ばる石原。「の」さばる橋下。「ゆ」いがどくそんの共産党。「め」つぼう寸前の自民党。etc,etc「唯我独尊」は笑える。
Mizumakura
(使用法不明の水枕、翌朝のホテル)
▼「ダージリンへの旅8」(タイガーヒル)この旅日記もいつものように14回で終える。わたしは宗教や仏教に詳しくない。しかも巨大な墓にも興味がわかないので、その部分はM氏の蘊蓄に期待していただきたい。水枕ならば金属の留め金で水が漏れないようにしてあるが、そうもなっていない。説明を求めても要領を得ないので、「いりません」とお引き取り願う。翌朝はタイガー・ヒルに行くので1階の暖炉があるサロンに降りていくと1人のネパール系の男性が話しかけてきた。わたしが地元ガイドでタイガーヒルに案内する、と。地元ガイド氏はCさんとする。発展途上国などを旅すると分かるが、最初の旅行社のガイドは全体を把握するだけで、地元のガイドの領域は決して侵さない。つまり共存共栄の関係になっている。
▼しばらくするとBガイドと昨日のドライバーがやってきて4WDに乗り込み、真っ暗な道を進む。こんなところで追いはぎや強盗に遭ったら命はないと不安がよぎる。走ること30分ほどで山頂に着く。山頂近くなると細い山道は車の大渋滞である。ここにも関門がってCガイドが許可証を見せて車を停め、歩く事になる。皆さんヘッドランプを頼りに歩き出すが、わたしたちは足もとすら見えない。寒い山頂で待っていると、今朝チップをわたしたBガイドさんがホットコーヒーをご馳走してくれた。
Yoake
(タイガーヒルの夜明け、デジカメや携帯が光る)
▼パノラマの空は抜けるように高く今まで見たこともない数の星が輝いている。まだ太陽のひかりのかけらすら見えない。まっ暗だった東の空がかすかに白んでくると、観光客は一斉に叫び声をあげる。日本のご来光ではこんなシーンはあり得ないのだが、彼らの声は叫び声に近い。わたしにはまだ大陽の光は見えないが彼らは特殊な知覚でも持っているのだろうか?上の画像は東を見ている。北方向を見ると白い雲の塊が見える。おおこれぞわたしが見ようとしていたヒマラヤではないか。大陽の光が当たるに従ってヒマラヤは赤みを増してきた。『鍵盤乱麻』HP1面トップにあるのがそれだ。このヒマラヤを撮るために日本から来たのだから、露出とホワイトバランスを変えて可能な限りシャッターは切った。一番良いモノは来年のカレンダーに使うので、残念だがここではご紹介できない。
▼真っ暗なうちは眼下に墓石の様な塊が見えたがインドにそのようなモノがあるはずはない。大陽の光が地上を覆う頃になると、それは飾り用の小さな小旗であることが分かって来た。夜明けから30分間ほどタイガーヒルに滞在してホテルに戻ることになった。Bガイドによれば8月にもここに来たが雲に覆われていてヒマラヤは見ることが出来なかったという。冬に来たわたしたちはとてもラッキーだったのだ。

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