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January 31, 2013

「遙かなるキューバ」(その12)

Sokoressha1
(脱線したままの装甲列車)動画
▼250g缶入りの100%ARAVICAというキューバコーヒーを買って来たがはっきり言ってまずい。わたしは近くのセイジョウ石井の500g800円のパックの方が飲みやすい。
▼「遙かなるキューバ」(その12)サンタクララのゲバラ像とモニュメントの裏側が墓所になっていた。そこに入るにはウェストバッグはじめカメラ等の持ち込みは一切禁止だった。順番を待っている外国人は100名くらいいたが20人ずつ交代で入ることができる。部屋は二つあって、左側が墓所となっており、ボリビアで戦死したゲバラとその同志たち29名(英文サイトに名簿がある)「地球の歩き方」の38人は誤り)の遺体が安置されている。その中にはあのターニアも入っている。ベニチオ・デルトロがゲバラのそっくりさんを演じた「チェ 28歳の革命」の第一部の最後はサンタクララの闘いがメインになっており、最後のシーンでジープに乗ってハバナに向かうゲバラの前に座っている女性がターニアである。映画では彼女の説明がまったくなかったので、知らない人が見ると何なのか分からない。(注釈MG130131a)
Kikanhou
(積載されていた対空機関砲の台座部分)
▼遺体はボリビア政府との交渉で返還されたもので、3段で29人の骨壺が納められている。その部屋は薄暗く照明が落とされていた。わたしはゲバラの棺の前である決意を述べて十字を切って祈ってきた。その部屋にはゲバラが使ったとされる銃も展示されていたが、ボリビアで使っていた物ではなかった。ゲバラが最後に持っていた銃はアメリカ製のM2カービンというのだが、当時の写真によれば銃床に2発の銃弾が当たって砕けていた。だがここの銃にはその痕跡はまったくなかった。
▼隣の部屋はゲバラの生い立ちや、彼の愛用したNIKONのカメラや写真が展示されていた。見学すること約15分で契約書にあった「armored train」である。ガイドは「銃の列車」とか「軍用列車」と訳していたが、これは「装甲列車」が正しい。しかし実物を見ると単なる貨物列車にしか見えなかった。つまり装甲などされていなかった。これは1958年12月28日の作戦だった。同時期フィデル・カストロはハバナに全面攻撃をして一気に決戦に持ち込もうとしていた。ところがバチスタはそれを察知してサンタクララから装甲列車を仕立てて兵員、武器弾薬を運ぶ計画を立てる、ゲバラはそれを察知してブルドーザーなどを使ってレールを外して列車を転覆させてしまう。
Tracter
(線路を破壊するのに使用したブルドーザー)
▼これでフィデルとゲバラの信頼関係は揺るぎないものとなる。列車はそのまま現在も転覆したままの姿で展示されている。作戦は31日に終了する。この列車転覆の場面は上記「28歳」の映画でCGを使って見事に再現されている。わたしは現場の動画をYouTubeにアップロードしたが、グーグルによってなぜか削除されてしまった。有蓋の貨物列車の中には対空機関砲やバズーカ砲が積載されていた。

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January 30, 2013

「遙かなるキューバ」(その11)

Che01
(モニュメントのサンタクララ作戦のゲバラ像)
▼長い間使って来たノートPCを入れ替えた。今までのレッツノートは本当に日本中の旅のお供にしてきた。北は小樽、富良野、南は博多から鹿児島北陸は金沢、四国はずっと一緒だった。買った時はとても軽かったしかしHDDは60G、メモリーは1G未満で立ち上がりが遅く感じるようになった。秋葉原ではその数倍の機能を持ったアウトレットPCが2万6千円だった。(NECのB5ノートBL350F)8年も一緒に旅してしていると手放すのはつらくもある。しかし狭い部屋ではPCを何台も置くスペースはないので下取りに出す。夜はソフトのインストールをして午後11時にはなんとか作業を終えた。後は全国を旅するような仕事が来るかどうかだ。
▼「遙かなるキューバ(その11)キューバで当てが外れたのはマテ茶だ。ゲバラの写真を見ていると大体マテ茶を飲んでいる。当然キューバで大量に仕入れて来ようと思っていた。とことがガイド氏いわく、キューバ人はコーヒーは飲むがマテ茶は飲まないという。コカコーラで昨年発売になった「太陽のマテ茶」は、リオらしきところで痩せた若い男女がスポーツをしているようなCMが流れていた。しかしわたしが見たリオにはそういう締まった体型の男女は一人もいなかった。今まで飲んでいたマテ茶は、友人にいただいた、アルゼンチン産のものだ。あと1週間で終わるが、家族が表参道で粉末状の個包装をしたマテ茶を探して来てくれた。おお、これでしばらく心配はいらない。健康のためというよりも、ただゲバラが飲んでいたという理由でマテ茶をきょうも飲む。
Che002
(左側側面が「別れの手紙」
▼サンタクララに向かう道路の脇に妙な草が生えている。ガイド曰くキューバの雑草を退治しようとアフリカからその雑草を駆逐する草を輸入したが、今やそれがはびこって困っているという。そしてそれを石炭にする方法を考え出したという。石炭?石炭は何万年もかかる。違うだろう。しばらく走ってどう考えても分からない。「その石炭はスペイン語でなんていうの?」「カルボント」(Carb?n)?はOの上に点が二つつく字だが化けしてしまう。英語のカーボンだろうな。「それはきっとカーボンで炭だよ」彼はさっそく自作の単語帳に買い入れていた。そしてその雑草は炭になってピザ窯用の燃料として輸出されているという。転んでもただでは起きない、したたかさが良い。
▼サンタクララが近くなってくるとベニアで裏打ちされたゲバラの像が次第に増えてくる。そしてひときわ広い「広場」に到着する。左手に夢にまで見たゲバラのモニュメントが見える。走り寄るように近づいてビデオカメラを回し、デジカメと携帯内蔵カメラで銅像を撮った。しかしゲバラ像に近寄って見るとかなり大げさにデフォルメされて、まるでライオン丸のように見えた。モニュメントにはサンタクララで一緒に戦った同志と一緒だ。さらに右側には「別れの手紙」がある。手紙の最後には「CHE」とサインされているが残念なことに「H」だけ欠落していた。わたしたちがゲバラ像として見ている髪が乱れてキリスト像のように見える肖像画は、実はサンタクララの作戦を指揮しているときのものだ。銅像はその作戦で塀から滑り落ちた彼は左腕をけがしているので、包帯を巻いているところまでリアルに再現されていた。

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January 29, 2013

「遙かなるキューバ」(その10)

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(こんなクラシックカーが町にはたくさん)
▼「遙かなるキューバ」(その10)パック旅行ではないので、サンタクララには簡単に行けなかった。日本語の分かるガイドに趣旨を伝える。その上司から「英語は話せるか?」と電話がかかってくる。その後面談の時間を指定して来たのでホテルのロビーで会う。契約書と領収書を持って来るように伝える。そこにはINVOICEとして「full day excursion to Santte Clara,icluded visit to Che Guevara's Memorial,visit to the armored train lunch with 1 rink includede,japanese speaing tourguide' car and driver」と電話で話し合った内容が書いてあった。日本語ガイドに電話して「本当に払って良いか」と確認して780ペソ上司に渡すと「perfect」と言って受け取った。これで所持金は一気に減ってしまい、お土産も買うことができない。
▼車に乗っている時間が長いのでいろいろ話を聞いた。「わたしは若い頃キューバの革命文学で『ベルチリヨン166』という小説を読んだ記憶がある。ガイドは「そんな小説は知らない。大体若い人たちはそういう小説は好まない」という。小説の内容はおぼろげな記憶では革命家がバチスタ政権の秘密警察に逮捕され、凄惨な拷問を受ける話である。ガイドはハバナ空港に着いてホテルに向かっている車中でも「カストロさんは歳をとったからね」と彼にはあまり期待していないようなことを言っていた。
Clasiccar2
(クラシックカーのツアーもあるようだ)
▼牧場らしきところには長い長い石垣の塀がある。ガイドによれば「これは刑務所に入れられた人たちが作った」という。キューバでも犯罪はあるのか?殺人事件はほとんどない。人の家に強盗で入ったり、ホテルなどに勤めている人が備品を自宅に持ち帰ったりする犯罪がほとんどで、その人たちを使ってこの長い塀を作らせたのは成功だったという。罪を償う方法としてその他に「草刈り」があるという。キューバの人は働くのが大嫌い。とくに農作業は誰もやりたがらない、というのはガイドの言葉だった。
▼通常高校までは義務教育で授業料は免除されている。大学もあるが、入学も卒業もものすごく難しいので頭の良い人しかいく事が出来ない。高校を卒業して普通の人は学校から「あなたはこの仕事、あなたはこれ」と割り当てられる。卒業後2年間は日本のお礼奉公のようにそのあてがわれた仕事をする。その後はそのまま残ってもいいが、自分で仕事を探すのも自由である。
▼ただし年金の支払いはシビアで、30年勤続して働かないと支給されない。男は65歳、女は60歳から支給される。しかし29年11ヶ月で1ヶ月不足してもダメで、30年勤続して勤務していることが絶対必要である。車を走らせていると両脇に桜の花のような木が花を咲かせている。あれは何?「ピニョンボティバ」(帰国後ネットで見るとブランボアイア)と言います。2日目に旧市街を散歩していると妖艶な花が見つかったっけ。あれは何?「ブーゲンビリアです」です。そう小柳ルミ子の「「星の砂」という歌の歌詞にあったっけ。

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January 28, 2013

「遙かなるキューバ」(その9)

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(ハイウェイの土産物屋さん)
▼2晩続けて遅かったのでかすがに疲れて、必要最小限の買い物と図書館にCDを返却に行っただけだった。それに午後から校正があり、毎月月末は4ページもあるので、さらに疲れてしまう。CDは5枚借りたが1時間余でパソコンに取り込むことができる。通常CDは貸し出し期限は1週間だ。そして本は3週間。CDはなくしたり、傷つけたりすると困るので取り込みが終わるとすぐに返却する。その図書館は区内で一番大きくて30万冊の蔵書がある。ところが施設が老朽化して、4月から移転する。
▼今の地に引っ越した理由の一つに図書館から徒歩7分という至近距離が気に入っていた。ところが今度は1kmも遠くなってしまう。しかも蔵書の移動させるため、2月と3月と実質上の閉館になってしまう。困ったことだ。
▼「遙かなるキューバ」(その9)トロピカルショーで書き忘れたことがある。それはF・コッポラの「ゴッドファザーパートⅡ」の12カットで「ハバナへようこそ」という場面がある。主演のアル・パチーノがこのキャバレーを訪れる。ところが当時はここでいかがわしいショーが行われており、それに顔をしかめて外に出る。すると町は争乱状態になっており、「バチスタはアメリカへ逃亡した」という情報が駆け巡る。つまりこれは1958年12月末のことという設定なのだろう。
Aopret
(営業車)
Kipret
(個人用)
▼午前7時半に車は迎えに来た。サンタクララはハバナから東へ約260km。普通ならば一日がかりだろう。しかしこの道路はハイウェイ(フリー・ウェイ)となっている。そのためビュンビュン飛ばすと3時間余で現地に到着できる。キューバの車のナンバープレートは何種類かある。簡単に言えば黄色の個人用車、そして営業が認められている個人の緑色プレートだ。通勤時間帯に車は走っているのだが、路線バスに乗りきれない人たちが停留所の近くにたむろしている。そして営業許可が認められている車を止めて職場に向かっているようだ。それもかなり大勢の人たちで果たして乗り切れるだろうか、と心配するくらいだ。ところが帰りに同じコースを走ってみると取り残された人は一人もいないので、受給関係はうまく成り立っているのだろう。
▼そしてハイウェイ上で何か持って立っている人たちがいる。聞くとそれは農民で、ピーナッツやチーズを売っているのだという。キューバは全員国家公務員である。だからこのような「個人営業は認めていられない」ところが余剰農産物をこのように「密か」に販売している。もちろん違法でパトカーはそれらを取り締まる。しかし農民はパトカーの姿を見つけると付近の牧場やサトウキビ畑に逃げ込む。もちろんつかまれば罰金である。キューバでは賃金がみんな国で決められている。人気の仕事はチップが入るガイドなどだ、という話も納得できる。

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January 27, 2013

意外なところで意外な人に会う。

▼25日金曜日は国会前で抗議の開会をまっていたら、ある紳士から「キューバの電力事情」について聞かれた。先週のわたしのスピーチを覚えて下さっていたのだ。少しだけお話して名刺を交換させていただいた。現役時代は某TV局に勤務されていたという。
▼国会から帰って友人にスペイン語の件で助けを求めた。この方はスペイン語圏に延べ8年ほどお住まいだった。とてもお忙しい方なのでメールを出して良いかどうか迷っていたが、久しぶりにブログを見て下さってことが分かったので、キューバの町に掲示されていた看板や新聞の内容をお聞きした。後日書くが「CIAの看板」に関しては大間違いをしていた。
▼昨日の午後、ある映画鑑賞グループの例会があって新宿まででかけた。その前に友人からメールがあった。まずGさんが携帯メール下さって防寒方法をアドバイスして下さった。ホカロンは背中に貼るよりも足の裏に貼ると効果があるとのことだった。考えて見ればヒートテックは肌から出た気化熱を逆流させて暖める方式なので、2枚重ねしてもまったく意味(効果)がないように思われる。しかし風を防ぐということから考えると登山をするときのように、新聞紙を背中に入れるかゴミの収集に使う、炭化カルシウムの袋に切り込みを入れて首と手がでるベストを作った方が効果があると思われる。これは今週末に試してご報告する。
▼もう一方からも「寒いのに無理をしないように」というメールをいただいた。さて出かけるとき蔵前通りの角の豆屋さんの前までくると、ある独特の雰囲気を持った人たちが椅子に座ってたむろしていた。その一人は段ボールにマジックで「脱原発」という意味のことを書いてあったので話しかけた。「これからデモですか?」「いやこのそぞろ歩きがデモです。休憩ばかりしているけど」という返事だった。茨城からいらしている方が多いという中で、一人の若い女性は経産省の第2テントに毎週いらしているという。さらに名刺を交換したら二人目の方が「週刊金曜日」編集部に勤務している方だった。バッグから「週刊金曜日」最新号を取り出し「創刊号から読んでいる」とお話すると、「こんなところで読者に会うとは」と大喜びされた。
▼毎週金曜日に国会前に行くと、いろいろな立場の人からお話を聞いてとても参考になり、激励もされる。しかしそれだけがすべてではない、という気持ちにもなりつつある。
▼出かける前に図書館に予約しておいた「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」のCD3枚を引き取ってきた。いや流行していたときに3枚買った記憶はあるのだが、探しても行方不明なので確認したい歌詞を確かめるために借りたのだ。
▼見た映画は山田洋次の「東京家族」。ご承知のように小津安ニ郎の「東京物語」のオマージュだ。場末のくたびれた飲み屋の女将を5分ほど演じていた風吹ジュンは上手いと思った。
▼ゲストハウスで「MINさんのあたふたキューバ訪問記」の連載が始まりました。

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January 26, 2013

◇「東ベルリンから来た女」を見る。

Fukusiman
25日国会正門前で訴える福島の農家の方
▼お早うございます。夕べの首相官邸前抗議行動はYouTubeに5本アップしてありますので、ごらん下さい。見方が分からないとかパソコンが壊れると心配なさっている方もいらっしゃいます。そんな心配は一切いりません。動画をアップするだけで1時間もかかります。さらにリンクまで作るサービスはいたしません。ブログの左を30cmくらい下げて行くと、携帯URLというQRコードが出てきます。その下に『鍵盤乱麻』HPリンクがありその最初に出てくるのがYouTubeで、最新動画から逆に出てきます。ぜひ時々見て下さい。もちろん専門家のように美しく編集してあるわけではありません。およそ3分以内での撮りっきりです。
▼しかし夕べの国会前は寒かったです。桜田門の脇の内堀から駆け上ってくる寒風が身を突き刺します。ヒートテック2枚もまったく効果ありません。来週はホカロン2枚を背中に貼って行きます。
▼昨日原稿を2本送ってホッとしていたら編集長から電話があり、「シネマの原稿をいただいていません」と言われる。「あれっ来週じゃなかったっけ」というと毎月最終週ですと勘違いを指摘される。wait 60 minites といって2本書き上げて送信しました。以下の「東ベルリン」は順序が普段とは別になります。普段はブログに書いてそれを要約したものが「シネマ」の原稿になっている訳です。今回は400字の元原稿に肉付けをしました。
◇「東ベルリンから来た女」(原題はバルバラ)ベルリンから一人の美しい女医バルバラが田舎町の病院に配属されてくる。東ベルリンではエリートコースを歩いて来たようだが、西側に住む男性と恋仲になり結婚して西側への移住許可申請をする。ところがそれを当局ににらまれ、海の見える寒村に追放されてしまう。村人はバルバラを興味を持って見つめている。おそらく全員がシタージ(東独秘密警察)の手先のように彼女を監視している。
 さらに驚くべきことに時々抜き打ちで、室内の持ち物から裸なって身体の奥まで検査までさせられる。ピアノを持って来たが調律師が見つからないので、起きっぱなし。病院の同僚もなぜ自分が追放されて田舎町に来たのか興味津々で気が許せない。
 あるとき病院に感化院に入れられ逃亡を企てた少女が疑いで運び込まれる。検査すると少女は看守たちによって性的暴行を受けている疑いが出てくる。さらにもう一人少年が高い場所から落ちて骨折の疑いで運び込まれる。レントゲン検査をすると脳に出血があるので開頭手術をしなければならないことが分かる。一方バルバラは村はずれの十字架の下に手紙を置いて、西に残して来た恋人と秘密の連絡を取り合う。さらにその結婚式の資金も密かに貯めていた。バルバラは隣町の外国人専用ホテルで一度だけ恋人に会って意志を確認し、逃亡する日時を決める。
 このシーンがよいしかし少女を放っておくわけにはいかない。バルバラは男の子は脳の手術をするために麻酔係として立ち会うことになる。手術をする日と脱出する日は同じだ。追い詰められるバルバラのとった行動とは。渋谷ルシネマ。

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January 25, 2013

懸案の2本の原稿執筆が終わりOKがでる。

Maruoutis
(「ぽっぽの丘」にあった地下鉄丸ノ内線の旧型車両)
▼疲労困憊の一日でした。昨日ちょっと生意気なことを書いたかな、と反省している。まず取材対象者の「原稿を見せてくれ」という件にかんして。ご本人にお目にかかったらとても良い方で、本業は酪農家で肉牛を1000頭も飼っていた。しかしリーマンショック以降、アメリカでは追い打ちをかけるようにトウモロコシからエタノールを作る方針がでて輸入えさ代は高くなる一方。さらに311の東日本大震災以降は、農水省の指導で国内の飼料も食べさせることは出来なくなった。牛は成牛にならないと売れない。だから仔牛を成牛になるまで、たとえ、えさ代がいくら高くなっても食べさせ続けなければならない。
▼経営者は牛に巨額な投資をしても銀行に普通預金するよりも、資産が目減りしてしまう。それを防ぐために、この苦渋の選択をしたのだ、ということがお話を聞いていて分かって来た。取材が終わったのが午後2時近くで、本拠地に戻る。編集会議は4時半から1時間で終わり、例によってまっすぐ自宅に戻る。原稿を書き終えてファクスで指定場所に送り終わったのが午後10時だった。「今晩中に送ってくれないと明日25日は朝から仕事の立ち会いがあって原稿をチェックする時間はない」という。
▼その原稿を書いている最中に、一本の電話がかかってきた。月曜日に取材に行った真空管アンプの件だ。この方も「ゲラを見せて欲しい」とおっしゃる。新聞印刷までの時間的な制約から、「ゲラをお見せする時間的な余裕はないが、原稿ならばお見せする」とご返事して、郵送で送ってあった。ほぼこれでOKになったので、重圧になっていた肩の荷が一つ下りた。
▼ブログに「遙かなるキューバ」の連載を中止すると書いたのは、その複数の執筆原稿の重圧が重なって気分がめいっていた。毎年1月は稼働日数が少ない。4日から挨拶回り、7日頃から毎年1週間は海外旅行に行っている。ということは実質的に動けるのは10日くらいしかない。結局は自業自得なのだが、原稿を書く時間がない。書けないというジレンマにおちいってしまった。ブログは簡単に書いていると思っていらっしゃる方もいるかも知れない。実際、毎日書き続けるというのはそれほど楽ではない。
▼キューバも後半になると、外国語が苦手な筆者は、各種の外国語辞書と格闘しなければならない。さらに音楽CDやDVDを再度チェックする必要がある。原稿の執筆で乱雑なった部屋はとても他人にお見せすることなど出来ない。という訳で月曜日から「遙かなるキューバ」の連載は断続的だが再開できると思う。良い文章を書くには、良い万年筆(筆記用具)や処理速度が速い高性能のパソコンなどは一切必要ない。たくさんの読書をしてなおかつ、そのデータの入った引き出しを沢山作り、必要なときにサッと引っ張り出せる頭脳を作る以外にない。
▼今朝の新聞広告に「週刊FRIDAY」の広告が載っていた。毎週国会前でお目にかかっている福島育ち電脳アイドルは闘い続ける「決意の反原発ヌード」が掲載されているという。わたしはそういう物に興味はないので立ち見することもないと思う。

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January 24, 2013

アルジェリアの人質事件の本質を考える。

▼今朝も取材なので手短に書く。しかも書いた原稿を取材された側が「見せてくれ」というので今晩中には仕上げて送らねばならない。じゃあ自分で書いたらこちらがチェックするから…。と言いたくなる。わたしは原稿を見せてくれという、生意気なことをいう奴らの取材などはしたくない。普通なら取材に来てくれただけで、「ありがたい」と思わなければ変である。何か勘違いしている。
▼アルジェリアの話。どこかで狂って来てしまっている。フランスの社会党政権がマリに軍隊を送って弾圧しようとしたことで問題が発生した。イスラム武装勢力が先に攻撃をしたのではない。まずそこをはっきりさせておかないと問題が見えてこない。その後に石油施設などがイスラム過激組織によって襲撃された。そして人質が取られた。アルジェリア政府はメンツがあるので、紛争を長引かせないために、イスラム過激組織と人質も一緒くたにして銃を乱射してバスごと破壊してしまった。
▼事件の経過を話としてまとめるとこうなる。アルジェリアをフランスの一つの州として巧みに支配して来た経緯については、19日の「愛川欽也パックイン・ニュース」で田岡俊次氏が詳しく説明していた。この田岡の話はとても参考になる。有料ネットTVなので録画か録音をお金を払ってご覧いただきたい。
▼事件が起きてから日本政府の外務政務官は、いち早く現地入りしたが、結局何の役にも立たなかった。絵に描いたようなエリートコースを歩いて来た外務省役人の姿を見るようだった。ここでおかしいのは、8年くらい前に高遠菜穂子さんら3人が、イラクの武装勢力に逮捕、監禁されたとき、政府は何もしなかった。わたしはあのとき初めて夜の首相官邸に「人質を殺すな」と交渉せよという抗議行動に参加した。あのときは機動隊に規制されて地下鉄出口から首相官邸には行けなかった。結局政府は何もせず、民間レベルで宗教者が武装勢力と交渉して、3人は無事解放された。そして当時の日本政府は「自己責任」というバッシングに手を貸した。
▼ところが今回は、得体の知れない日揮という大企業が進出しているので、外務政務官から、政府専用機まで派遣するというサービスだ。民間人は蹴っ飛ばして「自己責任だ」と冷たく突き放す。ところが国のお役にたっていると思われる企業に対しては至れり尽くせり。さらにおかしいのは、邦人救出のために自衛隊法改正まで飛び出してきた。こういうのを泥縄という。だいたい軍隊が海外進出するときは「邦人(あるいは同国人)救出」ということで始まる。しかし歴史的に見て満州を守っていた関東軍はソ連の参戦が決まると幹部だけは飛行機で国内に避難し、他の民間人は見捨てられた。こうなることはアルジェリアの日揮の例一つ見ても予測出来る。
▼それにフランス社会党政権下の軍隊は12月にご紹介した映画のニューカレドニアでも同じことをしている。左翼も政権を握って多数派になると変質することは、歴史が証明している。多数の選挙民の考え方に逆らったら次はないから。

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January 23, 2013

「遙かなるキューバ」(その8)

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(経団連前の筆者・右)
▼キューバ連載は中止にして国内外のことを書こう。あとはMINさんの連載をお読みいただきたい。それにオタクっぽいことばかり書いているためか、感想も寄せられない。いずれキューバ取材のホンネは数ヶ月後、メルマガにだけ書きます。18日、金曜夜の国会前で風邪をひいてしまい声が出にくくなっているので、経団連前に行くのは止めようと思っていた。ところがTさんから午後に「現地でお会いしましょう」というメールをいただいた。抗議行動も1時間くらいで早めに帰ろうと思ったら、顔見知りと次々挨拶を交わしているうちに、そのタイミングを失って最後まで居残ってしまった。抗議の模様を午後10時過ぎにYouTubeに乗せたら今朝までに、すでに20人ほど方からアクセスあった。YouTubeをご覧になったらぜひ「グッド」に一票いれていただきたい。そうすれば次回も録画して流そうという気持ちになる。黙って見ていても、撮影する側には力がわいてこない。
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(トロピカルショーの入り口)
▼見たところ、経団連前の抗議に来ている中でわたしが一番高齢ではないかと思う。抗議集会の最後に参加者数が主催者から発表になる。それも先月のクリスマス12月25日の抗議の時に比べて参加者は200人ほど減っている。ブログを読んでいる方々もコタツやストーブにあたっていないで、次回2月19日にはぜひお運びいただきたい。それに経団連はスピーチをする人が少ない。わたしはアジ演説は苦手でできない。来月の19日には1分間スピーチを準備して行こうと思う。
▼不思議なことは経団連前と自民党本部前の抗議行動に某政党の幹部が一度も来て演説をしていない。おそらく文句を言われるのが怖いのだろう。国会前のように実現不可能なことを並べたて、大見得切って欲しいものだ。自民党や経団連が怖くて政治の変革や革命などできっこない。昨晩からドラム隊の大太鼓が「近隣住民からのクレーム」とやらで、来る事が出来なくなった。こういうクレームは選挙の時に演説をしていると、KM党支持者から「子ども眠れない」、「病人がいる」と主催者に文句を言ってくるのと同一である。
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(トロピカル・ショーの一部)
▼とりあえず「遙かなるキューバ8」キャバレーで入場拒否にあったため、ガイドがタクシーを呼んでくれて自費でホテルまで片道15分ほどで往復することになった。ドライバーと片言の英語での会話はそれなりにおもしろかった。ホテル近くに着くと「right here」というので「wait five minute」と言って降り、冬のスラックスを引っかけてタクシーに飛び乗る。最初にホテルに迎えに来た時にガイドがわたしの姿をチェックして「それはダメ」と言ってくれれば、こんな無駄なお金を使わなくても済んだはずだ。会場に戻って25ペソを支払う。走行距離による実質的な感触としては日本円の3千円くらいに思えた。
▼戻るとショーはすでに始まって15分くらいたっていた。テーブルには高級そうなラム酒と炭酸飲料がおいてあった。しかしいわゆる「つまみ」は甘ったるいクッキーとチョコのようなもので、とても喉を通らない。せめて割きイカとかバターピーナッツはないのか?ショーはYouTubeでご紹介した通りである。歌と踊り、それに中国雑伎団のような体育会系のものもある。セクシーさとストーリーでいうとリオが一番だった。踊りの内容ではイスタンブールのベリダンス。歌ならばリスボンのファドかな。途中で気づいたのだが、このトロピカルショーの舞台は青天井で星が見えたのには驚いた。つまり屋外にステージを作って舞台として仕切ってあるのだ。
Pasta
(昼食のサーモンとトマトパスタ)
▼最後は観客まで巻き込んで踊りが始まる。イスタンブールのようにその姿を写真に納めて、「1枚5ドル」と売りつけられることを警戒して踊り子さんとは一緒に踊らなかった。しかしトルコのようなあざとい商売はしていなかった。ショーが終わったのは午前0時を回っていた。しかも明日はサンタクララに行くので、午前7時半には迎えに来るというので、おちおち寝ている時間もなくなってしまう。

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January 22, 2013

「遙かなるキューバ」(その7)

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(ローマ法王がミサをした教会)
▼アルジェリア政府の人質事件の対応は、クリント・イーストウッドの「ガントレット」のようですな。夕刊のバスらしき車両に打ち込まれた弾痕は、まさに蜂の巣状態。これでは誰も生きていられません。これに関連して書きたいが、キューバを急がないとあとが閊えている。
▼「遙かなるキューバ」(その7)その施設の中にはCIAによるピッグス湾攻撃のことも書いてあった。CIAはこの作戦で建国まもないキューバ政府を打倒すべく1500人の傭兵などをキューバ本土に上陸させた。しかし民兵らの抵抗であえなく作戦は失敗する。この湾には多数のワニも生息していた。それを知らなかった傭兵は鉄のヘルメットを残して、ワニに食べられてしまったもの多数いた。展示物の中にはカストロを殺害するための暗殺部隊の暗躍として、アンプル入りの毒薬なども展示してあった。
▼軍事博物館の展示でグランマ号はもっと小さなクルーザーかと思ったが、予想に反してかなり大きな船だった。現地からの速報でもお伝えしたが、屋外に展示されていた、SUA100型という自走砲は初めて見る物だった。英語ネットで見てもこの型番を入れて検索すると軍事博物館の前に展示されているこの自走砲が出てくる。わたしの家には戦車関係の本が沢山あるがそこにもこれは掲載されていない。
Restran2
(これがブエナビスタの生演奏を聴かせる店だったような気がする)
▼現地でM氏から自走砲とは何かという質問があった。ここで若干ご説明する。現代戦の手順はまず空爆、次が地上戦の前に砲撃をして敵陣地を叩く、その後に戦車が出て、それが終わってから歩兵が登場する。大砲はこの2番目に使われる。しかし現代戦では一発撃つとレーダーの発達で2分後には大砲の位置が特定されて逆に攻撃される。そのため数発撃ったら自分の位置を移動して隠蔽しなければならない。
Jisouhou
(自走砲のサスペンションも傷んでいない。保存状態はきわめて良い。)
▼昔は大砲を牛馬やディエンビエンフーでは人力で引き上げていた。ところが現代では動力を使う。大砲を車に乗せたのが自走砲である。だから砲は大きいが前面装甲は軽くして移動しやすいような設計になっている。屋外展示されている武器を見ると、ベトナムのサイゴンは湿地帯なので保存方法がかなり劣悪で近くで見ると錆でボロボロになっていた。その点キューバは赤道に近くて雨も少ないので、戦車類の保存状態はきわめて良かった。

Ensou1
(カフェや居酒屋ではこんな生演奏がふんだんに行われている。だたし聞くにはチップが必要)
▼キューバの音楽といえばなんと言っても「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」だホテルの近くにはあの映画に登場したメンバーが時々来るというレストランもあって、表だけのぞいて来た。ちなみにわたしはメンバーがソロで歌っている5枚組のCDを一組買って来た。
▼夜はいよいよハバナが世界に誇るキャバレーの「トロピカルショー」だ。ただ由緒正しいキャバレーは正装して出かけなければならない。わたしはそれを忘れ、Tシャツ短パンで出かけ、一人だけ入場を拒否されてしまった。

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January 21, 2013

「遙かなるキューバ」(その6)

Sa
(CIAキューバブランチがあった場所)
▼管理組合の総会では理事長に推挙された。13年前もそうだったが、わたしが理事長の時に限って「大規模修繕」が行われる。見積もりから業者選定、契約まで消費税が値上げになるまでに決めなければならない。今朝は遠方まで取材にいく。あいにく天気が悪そうだ。わたしが取材に行くときに限って荒天になってしまう。果たして帰って来ることができるかどうか?万一の場合は、釣り宿にでも泊まらなければ。風邪を引いてしまったので「葛根湯」を飲んで寝たら、多少具合は治った。国会前の抗議行動のYouTubeの動画はイタリア、ドイツからもアクセスがあり、とてもやりがいがある。
▼「遙かなるキューバ」(その6)その場所は革命前まではCIAのキューバ「SA」があったところだとされる。ただスペイン語辞典を開いてもこの「SA」は「株式会社」となっていて、よく分からない。
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(シェラ・マエストラで使われたスプリング・フィールド銃・上の銃)
▼しかし内部の展示を見るとカストロが使ったM1911ガバメント、それにゲバラが使ったとされるM2カービンがある。後にご紹介するサンタクララのゲバラ廟にもこのM2カービンは展示されているが、内部は残念なことに撮影禁止でシェラ・マエストラで使われたものと書かれていた。つまりゲバラがボリビアで最後に持っていた銃はM2カービンであることは広く知られている。しかし当時の写真を見ると、このM2の銃床に2カ所ほど弾丸が当たった痕跡が残っていた。ということはボリビア政府からゲバラの遺体は返還されたが、銃は返還されなかったのだろう。
M1911a
(カストロが使ったM1911)
▼この銃と後の戦車の部分だけ書いていても20回の連載は終わってしまう。それを見て昼になりガイドから「旧市内の見学はそんなに見るところがないからこれで終わり」と告げられる。仕方ないのでホテルに戻りレストランのメニューを見てパスタを注文する。これはかなりの量があった。朝食同様ホテルのカードキーを提示して部屋に戻るとボーイが追いかけてきて「請求書」を示すので支払う。昼食はどうやら現金精算らしい。一休みして「軍事博物館」にいく事にした。あらかじめPDFデータでお送りした「地球の歩き方」をMさんが印刷して持って来てくれたので場所はすぐに確認できた。
Guem2c
(ゲバラが使ったのと同型のM2カービン銃)
▼ところが博物館は改修中で建物内部には入れなかった。一回りすると敷地内に入っている人もいたので、ここでカネを払えという。外見を見てから敷石伝いに入ろうとぴょんぴょん飛び込んだら警備の兵士に制止される。荷物はすべて預けて来いという。その後すべての展示物の前ではウェストポーチすら持つ事は出来なかった。つまり爆破されることを警戒しているのだ。建物の内部にはカストロがメキシコから80余名の同志とキューバに乗り込んだグランマ号(grandmatherのスペイン語)が展示してあった。
M2car
(上記M2の説明文)
▼それだけではなく、T34戦車から、キューバ危機の発端になったアメリカのU2スパイ偵察機を撃墜したミサイル、現キューバ政府の幹部らが乗ったジープ、鉄板で補強したブルドーザーの即席戦車などの展示があった。

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January 20, 2013

「遙かなるキューバ」(その5)

Housin
(車両進入防止に使われている大砲の砲身のイミテーション)
▼「遙かなるキューバ」(その5)レポートは記憶が薄れないうちに書かなければならない。それに今回は英文和訳やら西文和訳やらあってそれに手間がかかる。専門家ならばあっという間にできるのだろうが、素人はそれができない。その苦労を知っていただくために「禁無断引用、転載」とさせていただいている。きょうはこれから管理組合の総会があって役員に選出されることが内定しているので、今後1年間はさらに多忙になる。
▼18日の国会前はことのほか寒かった。どうやら風邪を引いてしまったようで喉が痛む。今週は火曜は経団連と金曜の国会がある。今週はユニクロのヒートテックを2枚重ねで行こう。
▼ホテルの電源は110Vと220Vと二種類のタップがあった。かつては110Vだけだったが、世界各国からの観光客が増えることを見込んで増設したという。だから日本から持って行った家電用品はそのまま使える。試して見たらデジカメの電池はフル充電出来たが携帯のいくらやっても98%で満充電にはならなかった。電圧が低いのだろう。
Kyuusina1
(旧市内の小公園)
▼朝7時にホテルの7階に行くとすでにビュッフェ風の朝食の準備は出来ていた。並んでいる食事はかなり贅沢な内容だった。それに見た事もないフルーツが並んでいた。しかし野菜類はほんの少ししかなかった。やはり土地は野菜の生産に適していないのだろうか?パンハ何種類も並んでいたが、いずれもパサパサした食感で、日本でなれている味ではなかった。テラスから眺める風景はスペイン風で正面右側には要塞となっていた古城の城壁がみえた。
▼9時に迎えが来て、旧市内の散策が始まる。「ここはどこである」と話は聞いても覚えていられない。途中から車に乗っての案内になる。その途中で軍事博物館の位置を確認し、さらに前庭に展示されていた自走砲の大きさに驚いた。事前の案内では朝から午後2時までの案内となっていたが、「旧市内はそれほど案内するところははい」といって正午に解散になって出発地点に戻る。これは契約違反なので旅行日程書を指し示して問題点を指摘し後に交渉することになる。
▼途中「猟銃博物館」(通称)という建物の前を通ったので、「立ち寄りたい」と中をのぞく。この小さな建物の看板は「CIAによるキューバ侵略の痕跡」というような意味だと思う。中には猟銃だけでなく、小銃、拳銃まで並んでいた。キューバは比較的安全な国だと言われている。ガイドによれば銃は完全に規制されており、市民は持つ事ができないので、殺人などの犯罪はほとんどないという。たまにあってもラム酒を飲み過ぎて喧嘩の末に殺人事件がおきる程度だというのだ。
▼昨日は「東ベルリンから来た女」を渋谷のルシネマの初日2回目に見に行ったが、おもしろいのなんのって。午後は飼い猫を動物病院につれて行かねばならない。手間のかかることだ。

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January 19, 2013

「遙かなるキューバ」(その4:番外編)

0118k
(国会前に集まって抗議することの重要性を訴える人)
▼夕べは寒かった。先週はキューバにいたので参加できなかったので、寒さにめげず首相官邸前抗議行動に出かけた。わたしはお酒を飲んだり美味しいものを食べるのは、もう1年に1回で十分。国会前でシュプレヒコールをして見知らぬ人との連帯を感じて叫んでいる方が、遥かに生きているという実感がする。しかも他人の役に立っていると思う。
▼昨晩も国会前に行くと「先週来なかったね」と顔見知りの方に言われる。「先週はキューバに行っていたんです」というと「オレもかつて宇都宮德馬さんと一緒に行ったことがある」とおっしゃる。以下は昨日の反原連国会前集会でのスピーチ。申し込んだら一番目に話をさせてもらった。
▼みなさんこんばんは。寒いですね。実は先週はお休みしましたが、寒くて日和見を起こした訳ではありません。実はキューバに行っていました。現地は短パンにTシャツでしがが、14日成田に着くと大雪で家にたどり着くまでにかなり時間がかかりました。実はキューバでも1992年の完成予定で原発を作ろうとしていました。場所は首都のハバナから西へ260km行ったところにあの激戦地サンタクララがあり、その南にあるシンコフェーゴス湾です。ところが幸か不幸かソ連が崩壊し、キューバも経済危機になってその計画は頓挫してしまいました。
▼キューバは大きな川もなく水力発電はできません。しかし工業化をしなければなりません。現在の燃料であるオイルはベネズエラから買っています。しかし一カ所に発電所を集中させるのではなく、地域分散型にしています。全国4000カ所に小型重油発電機や、緊急用ディーゼル発電機を設置しています。これだと発電所の建設コストを低くし、電線を引き回すことによるロスを軽減させることもできます。
▼さらにキューバの主要農産物はサトウキビです。それを絞ったかすをバガスと言います。それを使ってバイオ燃料による発電を考えました。これは2013年度に全面稼働します。そうすると電力不足はなくなると言われています。たしかにキューバにはネオンサインも少なく、自販機など一台もありません。そして空疎な放送を垂れ流しつづける24時間テレビもありません。
▼しかし考えてみるとその日本の現状は虚飾の「豊かさ」と「電力不足」いうマインドコントロールされた世界にあるのだと思います。寒いけど原発を完全に廃止させるまで、今年もがんばりましょう。(以上:この項禁無断引用、転載)
▼動画は6本撮影してYouTubeにアップロードが終了したのが午前零時ころだった。今朝起きてチェックするともう複数の方々がアクセスして下さっていた。今回で100本目のアップロードが終了しました。YouTubeはチャンネル登録しておくと、更新されると自動的に案内が行きます。

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January 18, 2013

「遙かなるキューバ」(その3)

Yane
(ホテルのテラスから見た住宅街の屋根瓦は美しい)
▼「遙かなるキューバ」(その3)今晩は今年初の国会前集会に参加するので、「キューバの電力問題」についてスピーチをしてこようと思っている。概要は明日のブログでご紹介する。キューバの税関を出るとまず両替をしなければならない。キューバは実質的な二重価格制度である。わたしたち外国人はペソに交換する。使った感触としては10ペソが1000円くらいだ。あとわたしたちが使う事ができない、キューバ国民だけが使う人民通貨がある。こちらは外国人は使えないので価値がまったく分からない。
▼しかし国民所得が低いので、おそらくペソの2分の1から3分の1というところではないだろうか?MG(注釈011801)M氏がガイドからもらった人民通貨はゲバラの似顔が入っていた。
▼昨日の続きガイドが言った「ゴヨウ」という言葉はまったく見当がつかないので、「英語では?」と聞くと「queen」だという。なんだ女王じゃないか。「それは、じょおう、というんだよ」と繰り返し発音を訂正させる。濁音は苦手なようだ。つまりここはスペイン支配時代「女王通り」とか「女王町」とか呼ばれていたのだ。その後分からない言葉は「英語かスペイン語」で喋ってもらって、それから咀嚼することにした。
3peso
(ゲバラがデザインされている3ペソの人民通貨)
▼かつてキューバではチップは必要なかったが、ヨーロッパからの観光客が増えるに従って「チップ」が一般化してきた。トイレの入り口にはチップ目当てで構えている、専門の女性がいて「25セント」(CUC:キューバ・セント)払うように指示される。さらに食事は5セント、ホテルのベッドメイキングも5セント等々。小銭がないとトイレにも入れないのは苦痛だ。
▼ホテルアンボス・ムンドスのエレベーターは手動の2重扉で、これにお目にかかるのはベトナムのサイゴンのドンコイ(蜂起)通りにあるコロニアルホテルに泊まって以来である。深夜の到着にもかかわらずバゲッジを2個運んでくれたボーイ(年配だからアンクルか)さんに細かいチップを持ち合わせていないので困っていたら、苦笑いして「いらないよ」といって部屋を出て行った。このホテルの419号室に泊まったが1階上の511号室はヘミングウェイが原稿の執筆に定宿として使っていた。
511
(ヘミングウェイが執筆に使っていた511号室)
▼「朝食は午前7時から7階のビュッフェで食べられる。朝9時には迎えに来るからね」とガイド氏は去っていった。風呂に入ろうとしたが水のシャワーしか出なかった。だが飛行機の椅子に合計16時間半も座っていたので、足が鬱血してとても疲れていた。冷蔵庫の缶ビールで乾杯するとすぐに眠ってしまった。
▼屋上のテラスから見るキューバの旧市街はスペインの古い町のようだった。朝食は日本のホテルのビュッフェと同じだった。おそらくこれは旅行者向けのメニューで市民はこれほど贅沢な食事を食べることはできないだろう。何せ主食の米などはブラジルとベトナムから輸入していて配給制なので自由に口には入らない。贅沢なモノを食べるよりも国民が飢えないことが重要なのだ。

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January 17, 2013

「遙かなるキューバ」(その2)

Toront
(トロントをたってハバナに向かうボーイングの窓から)
▼このレポートでは、すでに日本で発行されているキューバ関連書籍で紹介されている内容は引用しない。また現地ガイドさんの友人、交友関係のプライバシーについても書かない。できるだけ現地で見聞きしたことを中心にご紹介したい。本についてはタイトルのみ紹介にする。
▼トロントでのトランジットは乗り場に行って並んだ、係員は「too late」と言ってもう締め切ったという。チケットを見せて「we are transit」で「securitychech is over」言うと、ようやく別の乗り場を指示してくれた。昨年のインドでは相手の云う事が理解できない場面が多々あったが、NHKラジオ基礎英語を勉強して3年目の今年は大丈夫だった。3時間半のフライトでハバナにたどり着く。2年前のリオデジャネイロとアルゼンチンに比べてトランジットで待たされる時間も、フライトも短くて楽である。同じカナダ航空なのに、ハバナ路線の機内の飲み物すべて有料で降りるとき精算させられる。
▼タラップを降りて階段を上り始めると、二人の名前を書いたプレートを持った男性が待っていたい。Hさんは出発の前日に緊急事態が発生して不参加。いつもの二人になっていた。意外と早い出迎えに戸惑い、驚きもした。とにかく税関よりも前の場所に待っていたくれたのは驚きだった。一体どういう身分なのだろう。税関の手続きを待っている間に身分をお聞きすると名刺を差し出された。(注釈MG117001)そのCさんは税関のチェックにも立ち会った。税関の係員は小柄の美しい女性だった。
▼英語で話しかけて自己紹介をされたのかと思ったら、「take off your eyeglass,look this camera」と言われた。カメラはカンボジアでもヒューストンでも同様の円形のものだった。さすがにアメリカと同じ指紋による認証はなかったが、出入国はカメラで記録されて必要があれば検証するのだろう。キューバにたどり着くには3回もの荷物チェックがあった。成田、トロント、それにキューバの入国だ。トロントでは「have you PC?」と言われたので「only cellular phone」と言うとにっこりされる。ハバナの入国時のX線によるチェックはおそらく武器の持ち込みだろうと思われる。
▼ユーロからペソへの両替でかなり待たされる。ここで現地ガイドのL君を紹介される。彼は高校卒業後漢字の美しさに魅せられ、友人の協力もあり独学で日本語を勉強する。トロントでは昼間だったが同じ緯度を南下しただけで、キューバがなぜ夜なのか理解できない。ホテルに移動する車中から町の紹介がある。しかし堀田善衛の「キューバ紀行」にでてくる通訳サトウ・サトウ氏と同様に説明が分からない部分がある。「この町は日本語の女偏に王と書いたゴヨウという町なのです」「ゴヨウ??」妊婦の「妊」なのか?(続く)

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January 16, 2013

「遙かなるキューバ」(その1)

Kyuusigai1
(ハバナ旧市街の公園)
▼昨日書き忘れたが、大前提として20kgほどある海外旅行用のバゲッジを持っていることだ。さらに雪でキャスターは全く使えないので、バッグは橇状態になる。さらのわたしは航空機の中では一切眠れない。jet lagのため昨日は頭と眼がずっと痛かった。
▼「遙かなるキューバ」(その1)例によって準備編。心配なのは携帯を充電できる電圧があるかどうかが一番心配だった。そこで現地滞在の4日分の充電に必要な単3電池などを持参した。だがカナダ航空の座席に座って驚いたのは各座席にUSBの充電コネクターとAC100Vのタップがあったことだ。日本の国内線では考えられないサービスである。帰りの便では中国人らしき人物がそれを使って黒いレッツノートのキーボードをずっと叩いていた。
▼なぜキューバなのか?わたしが高校2年生の頃にキューバ革命は成功した。その頃ずっっと月刊「Z」という月刊誌を購読しており、そのグラビアページにFAL銃を構えて狙撃する兵士の姿に「反革命を粉砕する」キャプションがつけられており、強烈なインパクトがあった。だから後述するサンタクララの戦いも、ゲバラが来日して広島の平和祈念館に献花する姿も、国連で演説する姿も、ボリビアで逮捕され射殺される瞬間もリアルタイムで体験していた。
▼実は今回のキューバ行きを計画する前は、西安から列車に乗ってシルクロードをトルハンまで行こうと思っていた。それは旅行の申し込みをする9月までは計画に変更はなかった。しかしいざ支払いをしようと思ったら、石原の「尖閣国有化」で中国各地で「反日暴動」が起きてしまう。その動きを見て、何人かの方に相談したら「見合わせた方が安全だろう」ということになったのだ。それに自分の体力を考えても長距離移動が可能なのはあと数年だと思う。今の内に遠方に行ってしまおうとも考えた結論だった。
▼中国の次の選択肢はスリランカもあった。いつも同行して下さるM氏とも打ち合わせして、そこに決まりかけた。しかしどうも胸が弾まないので、高校時代からのあこがれゲバラが生きた「キューバ」に決定した。早速旅行社に申し込むと、指定した日時に航空機の空き席は3席あるという。そこで2年前に南米にご一緒したHさんにもお声をかけたら、「行きたい」というご返事だったので、急遽トリオの再結成となった。それにスペイン語はまったく分からないので、付け焼き刃だが旅の前日に「スペイン語会話集」も買った。
▼キューバは米国に経済封鎖をされているので直行便はない。これはマイケル・ムーアの「シッコ」でも明かでキューバに渡る場面は意識的にカットされている。日本国内からはカナダかメキシコ経由でしか行くことができない。旅行の準備は終わってお金は以前キューバに行かれたNさんにお聞きすると、米ドルは現地で両替できないことが分かる。さらに保険も米国系以外の会社にせよ、という知らせが届いた。要するに事故が起きてもアメリカとは国交がないので、決済する手段がないのだ。

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January 15, 2013

帰国後の大雪で自宅付近で遭難しそうになる。

Hotelmado
(ハバナのホテル窓から)
▼みなさんお早うございます。出張中にもかかわらず、普段より大勢の方々にアクセスしていただき恐縮しています。ありがとうございます。移動先では携帯を使ってココログに投稿をしました。ご承知のように家族からは紛争地以外で携帯が通じれば世界中どこに行っても構わないと言われています。行く先が果たしてドコモの携帯が通じるか調査するのがまず先です。帰国した今は月末の通話料の請求書が来るのが怖いです。
▼ところで通常は成田へ着陸するまで茨城の東海村を南下した九十九里海岸の手前銚子から東京国際空港に向かいます。しかし昨日は蓮沼あたりまで南下して迷走していました。後で分かったことはあの大雪です。家族からのメールでJRはすでに不通だというので京成で押上まできて意気揚々と地上に、機内と同じ姿格好で地上に出て驚きました。前がみえないほどの大雪ではありませんか。タクシーを30分も移動して探しましたが来ません。頭は雪でびしょ濡れ、靴は冷たい水が浸みてくる。さらに機内の軽装とはコットンのTシャツ一枚に、ユニクロのうすいヒートテックの長袖、その上にユニクロのフリースという簡単なものですから、たまりません。瞬く間に雪は冷たい水となって肌まで通り抜けます。
▼普段ならば歩いて15分の距離ですがから、タクシーは諦めてバスに切り換えましたが、頼みのバスも30分ほどきません。合計1時間、歯はがちがちとして閉まらない。頭はくらくらもう、真剣に雪で遭難するかと思いました。ダメかと思ったときバスが来て停留所まで家族に迎えに来てもらって、自宅の風呂に飛び込みました。それでも成田空港で1500人帰れずに泊まったという人がいますから、幸せだったのかも知れません。
▼キューバのホテルのバスルームに「プラス、マイナス50度を守れ」とスペイン語で書いてあります。しかしインド同様バスタブの栓はないのでシャワーしか使ってはならないと理解できます。それにどうやっても20度以上にはならないのです。1週間バスタブには浸かれずしかも水のシャワーだったのです。でも日中は気温が30度で日焼けをしたくらいです。ところが帰国して南極並みなのですっかり参ってしまいました。
▼今後のブログのあり方ですが、キューバに関してはわたしが取材した推測で書くために公式に書けない部分があります。そこで今後ブログに注釈(脚注)をつけます。脚注は毎月2回発行しているメルマガに書きます。もし今年からのメルマガを新規読者でお読みになりたい方は、『鍵盤乱麻』トップページから住所氏名、電話番号を登録の上、年間1200円を指定の郵便振り込み口座にお振り込み下さい。昨年末までに読者になった方々は当面無料です。(実験:脚注2013.01.15.001)となり、メルマガにも同様の番号がつきます。今後は動画の視聴や写真拡大サイズはなくなり、同様になります。とりあえずキューバの動画は『鍵盤乱麻』のYouTubeに6本ほどアップしてあります。では、明日からの「遙かなりキューバ」の連載をお楽しみに。

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January 14, 2013

鍵盤乱麻読者の皆様成田空港に無事到着

しました。明日からの遥かなるキューバの連載をお楽しみに。
Duke(mobile)

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予定通りトロント到着しました。

税関もトランジットもスムーズ。現地時間12時出発。成田空港15時40分に到着予定。12時間のフライト始まります。
Duke(CANADA)

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January 13, 2013

こんなに遠くまで来て日本に

無事帰る事ができるだろうか?と言う不安は常にあります。ハバナ空港の税関のボディチェックを終わって搭乗開始を待っています。午前7時に離陸します。
Duke(CUBA)

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さらばキューバの町よ。

さらばキューバの町よ。
最終日の今日は自力で市内観光をした。まず校倉常長が足を踏み入れた地点。彼は使節団としてヨーロッパに行く前にキューバにたちよりました。写真はコヒママル漁港にある昔の要塞で、現在もキューバ軍が監視に使っていると言う。兵士がいたらカメラを向けてはならないと、注意された。
Duke(CUBA)

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January 12, 2013

ヘミングウェイの書斎

ヘミングウェイの書斎
ハバナ市内観光の目玉の一つは彼の足跡をたどることにある。誰が為に鐘は鳴るが700万部の大ベストセラーになったため、郊外に巨大な邸宅を建てた。これは書斎の一つだ。そして生前に一度だけカストロに会っていた。
Duke(CUBA)

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January 11, 2013

遂にサンタクララにゆく。

遂にサンタクララにゆく。
今回のキューバ旅行の最大の目的はこのチェ・ゲバラ廟に来ることでした。中の写真は一切撮影禁止でした。彼とボリビアで戦って亡くなった同志たちの前で祈りを捧げて来ました。もちろんターニアにも。片道270kmもあって1日がかりです。
Duke(CUBA)

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January 10, 2013

キャバレーフロリダのトロピカルショー

キャバレーフロリダのトロピカルショー
キューバで一番有名なショーで外貨を稼ぎます。夜10時に始まり、深夜まで続きます。うっかり短パンで行って入場を拒否されました。YouTube『鍵盤乱麻』コーナーに動画たくさんあります。
Duke(CUBA)

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午後からハバナ市内観光をガイドブックを

午後からハバナ市内観光をガイドブックを
参考にして歩きました。写真は革命記念博物館前に展示されている旧ソ連のSAU100自走砲。昼のパスタは美味でした。
Duke(CUBA)

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January 09, 2013

ハバナのホテルのテラスの眺め

ハバナのホテルのテラスの眺め
ここで朝食を食べています。
Duke(CUBA)

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キューバのハバナ空港に到着しました。

こちらは夜の9時過ぎです。
Duke(CUBA)

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鍵盤乱麻読者の皆さん、おはようございます。

わたしはいまカナダのトロント空港に到着しました。日本から約12時間のフライトでした。あくまでもここら中継地でトランジットで、南米某国に行きます。後6時間もしたら、何処の国か分かります。携帯メールを頂いても個別にはご返事出来ません。
Duke(CANADA)

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January 08, 2013

◇「愛について、ある土曜日の面会室」を見る。

▼東京は電車に乗っても町を歩いていてもオリンピック招致狂騒曲が流れている。沢や吉田は言うに及ばず、ハマちゃん、テリー伊藤、それに最後は猪瀬まで巨大ポスターで登場する。今朝はスイスのIOCに沢や猪瀬が到着したと声までラジオから流れてくる。いくら東京がカネをかけても無理だろう。イスタンブールやマドリードに譲った方が喜ばれる。たとえ招致に失敗しても、儲かるのは広告代理店と土建会社だ。都知事選で猪瀬を積極的に支援してのは彼らだから…。
◇「愛について、ある土曜日の面会室」すでにメルマガで、てんぐささんがご紹介してくださった作品だ。場所はマルセイユの郊外にある刑務所だ。そこに服役している受刑者に面会するために来た家族や近親者たちが並ぶ。面会するとき獄中者と面会者との間に日本のようにアクリルの仕切りがない。ハグしたり抱擁したり、手を取り合う姿には驚く。この後30分くらいはわかりにくくつい、うとうととしてしまった。
◆面会と前後して3組の人間模様が並行して描かれている。その1は、母親とカネのことでもめている男性。いっしょに住んでいる女性は母親の気に入らない。母親は息子に働きがないことと、カネを返さないと文句を言い続けている。彼は、病院の血液をバイクで運搬する仕事をしているが、ある時バイクを盗まれてしまう。怪しい人物がバイクを取り戻してくれるが、交換条件として奇妙な仕事を依頼される。
▼その2、アルジェリア人の女性は、息子が殺され、パリから空輸される遺体に面会するために警察にやってくる。彼女は、息子を殺した同性の相手が彼の元恋人であったことを知り、その彼に会おうとする。
▼その3、16歳の女性は、バスのなかで知り合ったロシア系の青年に連れられて、不法移民の居住区に案内される。二人の生活を楽しむ間もなく警察の手入れで急襲を受けて逃げ出す。若い女の子は、彼が逮捕されたことを知る。
▼この3組の男女が刑務所の面会場でコーナーは違うが一緒になる。映画は1の話がメインになっている。そしてフランスの仕事がない差別社会や移民に冷たい現実を描いてはいる。だが力点が1のサスペンスだけに絞るかした方がよかった。もしくは16歳の少女とロシア系移民だけにする。せっかくの良い話なのに3話を並べたことで、ストーリーをわかりにくくしている。銀座シネスイッチで。
▼それでは皆さんごきげんよう。明日からブログの更新時間が不定になります。

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January 07, 2013

歌舞伎の宗家というのも大変だなー。

▼暮れの29日に書いた件で、当該の組織に4日の仕事始めに連絡したが返事がない。ということは今日7日が仕事始めなのだろうか?わたしは昨日銀座で映画を見ていたら、日曜日なのに留守番電話や携帯メールが連絡がいくつも入っていた。
▼昨晩NHKスペシャル「香川照之・密着300日」をつい全部見てしまった。元はといえば猿之助が愛人、藤間紫に走ってしまったのが原因である。そのことには一言も触れていない。知らない人が見ていると何がなんだか分からなくなる。それにしても家名を継がなければならない、宗家というのは大変だ。男の子が生まれなければ、妻は生み続けなければならない。
▼しかし中村吉右衛門のように生まれたのは娘3人という例もある。となると血筋はいったんおいて、もっとも近い人に継いでもらうことになるのだろう。吉右衛門自身は養子に入っている。血筋がなければ芸が継承できない、ということもないと思う。要するに香川照之は自縛にあっているのだ。「親父が勝手に女を作って出て行ったことが原因だろう。テメエで責任とれよ」と言えば良いだけの話だ。
▼昨日本当は渋谷まで映画を見に行きたかった。だがわたしにとってあの渋谷駅前のスクランブル交差点をわたるにはかなり「覚悟」がいる。だから気力が充実していないときは、銀座か日比谷で済ませる。映画を見終わると熟年の女性二人が映画館の看板を見て、「楽しい映画はないかしら?」と話していた。わたしは見終わったばかりの映画は「かなり暗いですよ」と話しかける。お二人は「あのジャン・レノが出るのどうかしら?」というから「シェフ/三ツ星レストランの舞台裏」しょう。おそらくテアトルシネマで上映しているはずです」とお答えすると、「じゃあネットで調べて行ってみます」ということになった。

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January 06, 2013

再びドイツ映画◇「みえない雲」を見る。

▼明日はもう7日で松の内の終わる。この日までに年賀状が戻って来なかった人は来年から出すのは止めよう。送ってもすぐに返事のないのは、今後つながりを持ちたくないという意思表示なのだと思う。そんな中、おそらく5年ぶりくらいに年賀状を下さった方がいらした。地方都市にお住まいの方なのだが、時々わたしのブログをご覧になって国会周辺知って、ご自分も「元気が出た」と書いて下さった。多くの方からは意見がまったく来ないが、こういう手紙をいただくと「今年も国会通いを続けよう」という気持ちになる。昨日はブログを作っていたので出かけなかった。
◇「みえない雲」昨日ご紹介したが8年前のブログでご紹介した。しかし昨晩もう一度見直したらやはり新しい発見がある。ドイツのある地方、母親と暮らしている姉弟。母は地方都市へ出張する。長女が高校に行っていると、核警報が鳴り響く。生徒の指摘に教師は「演習だろう」軽くいなす。しかし警報は本物だった。弟の面倒を見るため自宅に帰ろうとする長女。脱出しようとする人々が道路に溢れている。交差点には乳牛が散歩している。これは双葉町と同じ風景だ。この映画は素晴らしい先見性を持っている。
▼ペットをおいて出かけるのをいやがる長男を、無理矢理連れ出す。しかし自転車に乗った長男は夢中で逃げる車に轢かれてしまう。弟をどうしようかと迷っていると、道路をふさいで逃げられないドライバーの心ない罵倒される。近くの駅に向かっても人々は殺到して警察や軍隊の制止も聞き入れられない。子どもと行方不明になって慌てふためく親たち。
▼気がつくと主人公の少女は病院に収容されている。逃げるとき雨に当たったのが悪いのだ。髪の毛は少しずつ抜けていく。訪ねて来るボーイフレンドにはもう顔を会わせたくない。母の行方は杳として知れない。迎えに来た叔母(母の妹)に「お母さんは死んだの」と教えられる。主人公は治療が終わって叔母の家から学校に通うが、用意したスカーフもかむらずに行ったため、「被災者だ」と学友たちから差別の目で指さされる。
▼最後はドイツには当時17基の原発が稼働しており、1410件もの小さな事故が起きているとエンディングロールで流れる。いかに今の福島を先験的に見ていたか?こういう映画を作る土壌があったから「廃炉」という選択も必然的にできたのだろう。それに引き替え反原発映画一本を作ろうとしても資金すら集まらない、日本は原発マフィアに蹂躙あされているとしか思えない。

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January 05, 2013

「通販生活」の付録にDVD「みえない雲」

Mienaikumo
(DVD「みえない雲」のジャケット)
▼昨日は新年の挨拶回りで午前中だけで1万歩を超えた。午後からPCに向かって本日中に送信すべき仕事に取り組み、午後5時に送信を終える。
▼自宅ポストに「通販生活」の最新号が届いた。その付録に「みえない雲」のDVDが付録として入っていた。これは8年前の1月3日に有楽町の読売ホール(現角川映画)で見ている。詳しくはそちらに書いているのでご覧いただきたい。映画を見終わって携帯の電源を入れてメールをチェックしたら「父死亡」の連絡が入っていた。
▼ドイツは日本と同様、つい数年前までは原発に燃料を依存していた。しかし日本と違ってこういう映画を作る力を持っていた。それに引き替え日本は原発事故が起きてから作られた「希望の国」にすら資金を提供しようというファンドは、国内では出てこなかった。どうでも良い映画にはテレビ局から様々な資金が集まる。
▼それはおそらく「資金を提供しよう」とする会社には、「原発を容認する」という暗黙の了解があるのだろう。しかしドイツではご存じのように、メルケル政権は2022年末までにドイツ国内の全原発を廃止することを決めた。しかし日本は舵を切ることができるのはいつになるのか?まったく目処すらたたない。
▼「みえない雲」はレンタルビデオ店にあるかも知れない。

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January 04, 2013

◇「007スカイフォール」を見る。

▼昨日の新年会はとても楽しかった。七福神巡りは毎年異なった場所を歩くが、飲み会だけはここで良いのではないかと言う意見が多数でた。ひれ酒はことのほか美味だった。この日わたしが歩いた距離は1万4千歩だった。新年会で見た、「浅草雑芸団」の「春駒踊り」の動画を追加しました。
◇「007スカイフォール」どうもダニエル・クレイグが演じるジェームス・ボンドはちっともセクシーではない。ただ不死身で強い以外の魅力に欠ける。場面はブルーモスクが見えるのでイスタンブール。そしてある部署にあったMI6のノートパソコンが盗まれ、その中に入っていたエージェントのリストが盗まれて危機が迫っている。しかし一台のノートパソコンに重要なエージェントの名前が入っているというのはお笑いである。容疑者はノートパソコンを壊してHDDだけ抜き出して逃げる。ボンドはイギリス本部の命令でその犯人を追う。イスタンブールのグランドバザールの屋根の上をオートバイで走り回る。
▼そしてボンドを見張るもう一人の女性エージェントは上司Mは「殺害せよ」と命令する。本部ではM(ジョディ・デンチ)は「もう歳でミスも多いから交代させろ」という人事異動案が出ている。列車の屋根の上で犯人とボンドが取っ組み合いをしているとき「撃て!」と命令するM。部下は取っ組み合いをしているので撃ったらボンドに当たる、と拒否する。しかしMの命令は冷徹なので、引き金を絞る。
▼死んだはずのボンドは香港のカジノに大金を持って現れる。なぜ香港なのか分からない。おそらく単なる観光名所とのタイアップであろう。その後M16の本部は敵によって破壊され、第二次大戦中のドイツの空爆を避けた防空壕に移る。そしてMと共にボンドの生まれ故郷スカイフォールへと行くのだが…。Mはボンドの腕に抱かれて、「遅かったわね」、「深みに足を取られて」は笑える。ボンドシリーズが生まれて50周年にふさわしい作品だったかどうか?

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January 03, 2013

◇「100万回生きたねこ」(その3)

◇「100万回生きたねこ」(その3)女優の渡辺真起子さんは中国で子どもたちと縄跳びをして遊んだり、日本に住む個人の家を訪問する。母親が娘に読み聞かせをするが、そこでも家族の大切さと普通に生きることが一番だ、ということが会話を通じて伝わってくる。そこの登場する人たちはみんな蔑の生き方をしているように見える。しかしこの佐野洋子の一冊の絵本を通じて、人が生きて死んでいくことは何なのかという映画監督の思いが伝わってる。
▼絵本をめくって読んでいくと、主人公の猫は王様や船乗りをはじめみんなに可愛がられて死んでいく。しかし猫は少しも悲しくなかった。それがラストで初めて号泣し、再び生き返ろうとしなかった。むかしから不老長寿の薬を求めるお金持ちが世界あちこちの存在する。しかし誰もそれを実現して人などいない。
▼自分がこの世の中からいなくなっても、家族がいるではないか。この童話を通じて生きていくことのすばらしさと家族の大切さを知る。この素朴な童話を通じて、佐野はわたしたちに人間社会の「生きるとは何か?」という根本問題を語りかける。ねこは「だから生き続けなくても」「100万回生きる」より今与えられた1回を生きることがいかに大切か教えてくれるに違いない。
▼昨日は何人かの評論家が「良い」と言っていた「007 スカイフォール」をマリオンまで見に行ったが、たいしたことはなかった。これから『鍵盤乱麻』恒例の向島七福神めぐりと新年会のため、これで終わり。飛び入りで参加したい方は、正午頃に言問橋東詰までお出かけの上携帯にご連絡下さい。わたしは明日から通常の仕事です。

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January 02, 2013

◇「100万回生きたねこ」を見る(その2)

▼今朝は箱根駅伝のスタートを見ました。このスタート地点こそ、毎月2回ほど抗議行動で訪れている、大手町の経団連の近くにあります。「経団連解体」、「電事連解体」、「米倉出てこい」と毎回叫んでいるわけです。元旦に届いた年賀状は発送した数の3分の1くらい。みなさん年内はかなりお忙しくて年賀状を書く時間がなかったのでしょう。
▼元旦はまずゴミ出しのついでに徒歩3分のところにあるコンビニに行って、「毎日新聞」と「東京新聞」を買いました。毎日のトップは「原発10基超防火に不備」という見出しが躍っています。それによれば可燃性ケーブルを使用していることが分かり、経産省と規制庁が調査に乗り出した、という内容です。そして東京は「原発マネー住民サービスに279億円」という内容でした。この2紙は原発を正面から取り上げていました。とくに後者は佐賀県玄海町の例として保育所の運営やゴミ収集まで町の一般会計の23%に達しているとあり、ハコモノを維持するために財政を圧迫して、「脱原発」が出来ない裏側をあきらかにしています。
◇「100万回生きたねこ」(承前)佐野はドキュメンタリー映画の完成を待たず他界してしまう。佐野が愛した生まれ故郷の北京の胡同の裏通りを訪れる女優の渡辺真起子さん。彼女は佐野とも親しく、スタジオで表題の本の朗読もしたことがある。胡同はとっくに取り壊されている。それでも歩き回ると佐野の幼い頃が思い浮かべることが出来る。
▼佐野は兄のことを心酔していた。彼はクレヨンを使って風景などを描いていたが12歳で死亡してしまう。自分よりも兄が長生きした方が良かったと何度思ったか知れない。兄が絵を好きだったことが、その後の佐野の生き方に強く影響している。北京のバレーレッスン場、その子の自宅で母親が翻訳した「生きたねこ」を読む場面。国は違っても佐野の絵と言葉はこの本を読む、母親と子どもを惹きつける。それは何か?(出かけるので、明日朝に続く)

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January 01, 2013

◇「100万回生きたねこ」を見る(その1)

Kohaku
(31日経産省、福島テント村の反原発紅白歌合戦風景)
▼あけましておめでとうございます。昨晩は「紅白」ご覧になりましたか?いえあのNHKのおバ○紅白のことではありません。「復興支援」という意味合いはでてきますが、「原発」については「げ」の字すら出てきません。NHKの国家政策にすり寄った隠蔽姿勢が如実にでています。わたしは予告した通り、経産省前の福島テント村の「反原発紅白歌合戦」をネット中継で見ていました。
▼昨日NHKの放映が終わったドラマ「薄桜記」のことを一言、書きましたらそのタレントの名前で検索して来られる方が10人くらいいらっしゃいました。わたしはタレントネタで書くつもりはありません。それと「キャパ」。これは2時間もあれば読めます。わたしは図書館で30分で読み終えました。文春の営業妨害をするつもりはないので結論は書きません。あなたの読解力をつけるためにも「買って」読んで下さい。
◇「100万回生きたねこ」大晦日に渋谷イメージフォーラムに行った。かなり多くの人は世界各国語で翻訳されている、佐野洋子の原作をお読みになっていらっしゃると思う。映画は本の内容ではなく、原作者の佐野洋子の生き様である。カメラは佐野に向けられて声だけでる。「あなた誰だっけ?ああそうだ顔を写さないという条件で、記録しているのね。」佐野は言う。彼女はがんが脳に転移していて「余命1年くらいだ」とつぶやく。
▼同時にとか「子どもにカネなんか残したらろくなことにならないから、絶対死ぬまでにすっからかんにしてやる」とあっけらかんとしている。佐野の知人、友人たちの生き様が出てくる。佐野は多摩美大でリトグラフを学んでいる。そしてこの「100回…」はベストセラーになっていて、これで生活ができるのだ、ともいう。佐野は北京で生まれて、あの湿気のない風が懐かしいという。(明日に続く)

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