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February 11, 2014

「民教協SP藤田嗣治未公開の手紙が伝える真実」を見る。

▼11日午前10時半から10系で「民教協SP藤田嗣治未公開の手紙が伝える真実」を放映していたので録画して見た。藤田嗣治はご存じのように戦前はフランスでおかっぱ頭の画家として有名だった。しかし太平洋戦争が始まると帰国して戦意高揚絵画を描き出した。一番有名なのは(筆者が知っている)「哈爾哈河畔之戦闘」(昭和16 年)である。この戦闘で日本はソ連にボロ負けしている。ところが素手に近い形でソ連軍戦車に立ち向かい、ハッチを開けてなかにいるソ連兵に小銃を向けている。
▼原画は東京近代美術館に行けばみることが出来ず筈だが、畳4,5枚を横にした図柄だ。はっきりと藤田は言っていないが、戦闘場面を克明に描くことによって戦意高揚を計っている事は間違いない。他の画家が証言しているが、軍部のOKが出ると絵の具を買うための引換券を貰う。といっても無料ではなく、販売許可券である。この部分を見ているとスターリン統治下のソ連にあって画家達がレーニンやスターリンの絵を描くのを義務にされていたのと同じである。現在のようにTVもネットもない戦時中にあって、この絵画を使ったプロパガンダは一番手っ取り早かったはずだ。
▼絵は次第に「勝っている場面」から「負け戦」になる。アッツ島玉砕、ガダルカナル、サイパン。一部の絵画で軍部から「残酷すぎる」というクレームが付くが、藤田は「残酷でない戦争はない」と反抗する。絵の前には賽銭箱が置かれ、見た人はそこに拠金したという。戦争末期は神奈川県に疎開して絵を描いていた。しかし敗戦が確定的になると、今まで描いた絵を村の人に手伝って貰って焼却した。その火は数日続いたという。さらに絵の片隅に「藤田嗣治」とサインした文字をアルファベッドに変える。人々が問いただすと、「世界に通用するには英文字のサインでなければならない」と答えたという。
▼連合軍が上陸してくると藤田の絵は接収されていく。ただ村人が出征して行くときは「生きて帰ってくるように」と軍部に悟られないように「豆とカエル」の図柄で色紙や日の丸の旗に描いて渡した物が残っている。戦後は戦争協力者として非難をあび再びフランスに旅立ち戻って来ることはなかった。
▼戦争中、軍部の要請で従軍記者になった作家たちは戦後知らん顔をしていた。さらに満鉄映画社で戦争協力映画を作って、戦後進歩的映画人ともてはやされた監督が多い中、藤田の生き方は潔かったのかも知れない。
▼本日は気分が乗らなくて、ブログの更新が夕方になってしまいました。その一番の理由は夜間に家の前のガス管を耐震管似鳥帰る工事をしている。その工事の激しい音は地面に何かたたき付けるような激しい。さらに振動が一晩中続くのだ。それでほとほと疲れてしまった。楽しみにしていた方々すみません。

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