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June 25, 2014

いますぐ「集団的自衛権ノー」の声をあげて下さい。

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(24日官邸前で「集団的自衛権にノー」を訴える筆者。KENさん撮影の動画より。
▼ブログを読んで下さっている皆さん。お早うございます。わたしは昨晩も首相官邸前の『民意不在の与党協議許すまじ!解釈改憲絶対反対!永田町アクション』に行ってきました。おりからの豪雨だったのでゴム長に、短パンという奇妙な格好です。梅雨時は蒸れるのでこうするのが一番。折から首相官邸で6時半から安倍首相の記者会見が始まる、というのでそれに合わせて集まって抗議を開始しました。集まったのは約20人、はっきり言ってどこに行っても同じメンバーが半数以上います。
▼みなさんどうか真剣に考えて今すぐ行動して下さい。趣味に没頭する、ご旅行に行く、ご自宅でテレビ鑑賞、美術鑑賞、観劇etc.etcいずれも結構です。サッカーワールドカップは本日敗退しました。このどさくさに紛れて集団的自衛権を一気呵成に決めようと考えています。最初は7月3日に閣議決定をすると言われていましたが、1日に繰り上がりました。公明党は外交戦略を練っているのは外務省に巣食う、同党きもいりの官僚グループO会が仕切っています。ですから自民党に同調することはもはやハッキリしています。
▼もしも7月1日に閣議決定されたら、改憲はレールに乗ります。今アメリカのオバマはイラク再介入に二の足を踏んでいます。それは一つにはカネがないこと。二番目には米国兵士の血を流して、国内で反戦世論と自分の支持率を落としたくないからです。もしも手段的自衛権が発動すれば、オバマが「おい、日本の自衛隊はオレの代わりにイラクに行ってくれ」と言われたら拒否できなくなります。いま次々と言論統制関連法の成立が次々控えています。いまあなたが行動しないと、あなた自身、ご家族、将来生まれるお孫さんは軍国主義の時代を生きることになります。
▼これだけお願いしても、あるいは無理でしょう。なぜなら毎日のようにあれほど警告されて実例が紹介されても「振り込み詐欺」に騙される人が後を絶ちません。他の方が抗議行動をネット中継していてもその数は2~300人程度。官邸前に来ないと世の中は変わりません。いますぐ具体的な行動をして下さい。どうかお願いします。人類の未来に戦争を引き継がない、戦前多くの血を流して勝ち取った非戦の誓いである、憲法9条を守るために…。毎日国会周辺では、何らかの抗議行動が開かれています。県から汚染された牛を殺すように命じられた人はと畜を拒否して「きぼうの牧場」を作って頑張っています。この方は全国を軽自動車でキャラバンしています。そして3年前の国会前の様子を、あのときはお祭り騒ぎをしていただけなのか、と語っています。そして10年前のイラク戦争に反対の声を上げた数万人の人たちは、国内の戦争が起きようとしても何の声も上げようとしません。火焔瓶テツさんはこの人たちのことを「反戦は単なるファッションだったのか?」と問います。わたしも同じ事を考えています。
◇「石川文洋を旅する」石川氏を有名にしたのはベトナム戦争のとき日本TVで放映された「南ベトナム海兵大隊戦記」で爆弾でばらばらになった、解放戦線兵士の死体を持ち上げている一枚の写真だ。石川は沖縄で生まれ、父親は日活の脚本家で作家だったので地上戦が始まる前に内地に疎開した。それは船橋の夏見だった。その後中学から両国高校の定時制に通う。20歳の頃アメリカに行きたいという気持ちで貨物船に乗り、香港経由でベトナムに行く。そこに渡る船の中で堂本という沖縄青年に出会う。彼はベトナムのアメリカ軍に従軍してグリーンカードを所持したいと考えていた。堂本とは従軍カメラマンとして時々作戦の中で一緒になる。石川が戦争で見たものは、何も罪もない者同士があるときは敵味方に戦わなければならない現実だった。
Kantoku
(22日舞台挨拶をする大宮浩一監督)
▼従軍に当たって、石川はアメリカ兵から差別された訳ではない。むしろ助けられている。だが南と北に生まれただけで敵と味方に分かれて戦わなければならない肉親もいたことだ。だが写真を見ていると作戦とは水田を踏みつぶして行われている。アメリカ兵に取って、ベトナム人の主食の米を生産する水田は雑草にしか見えないのだろう。しかしそれを踏みつぶして味方になる筈がない。
▼武力だけ投入すれば勝てると思ったアメリカの誤算で、国際的にもますます孤立してしまう。結局ベトナム人の意思に任せるしかない。石川は日本に帰国中堂本がカンボジア線線で戦死したという一報を聞いて愕然とする。そして戦後自分が下宿していたサイゴンのアパ-トを最近訪れる。当時面倒を見てくれた女主人は死んで、その娘達が生きていた。父親は沖縄の人で彼女たちは日本語は堪能だった。父親が病で寝込んでいたとき、ベトナム人の母は高峰三枝子の「湖畔の宿」を何度も何度も歌って聞かせたという。二人の娘もまた石川にその歌を聴かせる。ネットで検索したらこの高峰の歌は特攻兵士を送るために作られたという。ポルポレ東中野で。

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