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March 25, 2015

NNN「ドキュメンタリー「戦災孤児」を見る。

Irido324a
(慰霊堂と河津桜)
▼年度末という事もあって駆け込み需要で仕事が大忙し。昼飯を食べる時間もとれない。
▼22日(日曜深夜)深夜NNN「ドキュメンタリー「戦災孤児」が放送された。例によって先週は録画したものを見る時間がまったくなく、昨晩ようやく見た。
▼ご存じのように70年前昭和20年3月10日の東京大空襲で東京下町は米軍の空爆によって、空襲の焼け野原になった。10万人以上の人は焼死したが、その正確な数は分かっていない。同時に親を亡くした何万人もの子どもたちが路上に放り出された。その子ども達は疎開先からわざわざ卒業式で東京に戻ったため焼死した子どもたちもいた。親戚がいればまだ良い方で、上野の地下道に眠る。そして翌朝には冷たくなった子ども達の姿も見受けられた。また親戚に預けられた事も、野坂昭如の「蛍の墓」のように、邪魔者扱いされたり、この家には3匹目の泥棒猫がいると嫌みを言われたり、2杯目のご飯茶碗を差し出すと、「米か水か?」と聞かれ、やむなく「水と」答えるしかなかった。
▼また両親の古里に帰っても食べるものはなく、常に空腹で、東京にいる兄のところに「仕事を探して呼んでくれ」という弟も結局行方不明になってしまった。そんな話がたくさんある。また野坂が入ったような施設に入れられた少年もいたが「戦災孤児」たちは、その後、国からの何の援助もなく、過酷な生活を強いられた。
▼終戦は、孤児たちにとって生きるための戦争の始まりだった。番組に登場した自らも孤児である金田茉莉さん(79)は一人奮起し、同じ境遇にさらされた孤児たちがその後どんな人生を送ったのか、約30年調査を続けている。生き残った人達は一様に「あの時、空襲で死んだほうがどんなに楽だったか」と口々に語る。金田さんの「孤児」を探し当てて、おそるおそる電話すると」かなり多くの人が「もう思い出したくないからそっとして」と口を閉ざす人が多い。
▼なぜこのテーマを取り上げたか?金田さんが下町い完成したスカイツリーに上って自分が空襲にあった場所をたしかめる。さらに両国にある、震災記念堂と慰霊碑の前をほとんど毎日バスで通るからだ。最近その脇に「かざず櫻」が蕾を開いて来たので、昨日途中下車をして歩いて見た。国は何の責任もないと開き直る。そして再び戦争への足音が高くなってきた今日。海老名葉代子さんは国に一切頼らない、慰霊碑をたて静かになくなった人達を祈っている。金田さんの調査活動の足跡をたどりながら、戦災孤児たちの悲劇を明らかにする。戦後70年を迎える今、多くの孤児たちが「死んだ方が良かった。生きている方が地獄だ」と重い口を開いた。

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