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April 20, 2015

追悼愛川欣也さん。

▼金曜日のブログを書いていたら愛川欣也さんの訃報が入って来た。わたしが愛川さんの報道に対するこだわりを知ったのは7~8年前のことになる。友人から「愛川欽也のパックインジャーナル」という番組がある」と聞いたからだ。当時は朝日ニュースター」の番組の枠内でたしか土曜日の午前11時から2時間の番組で、進歩的なジャーナリストやリベラルと思われる政治家が登場して、世相に切り込む大胆な番組だった。その番組の進行役が愛川欣也さんだった。
▼土曜日の昼頃は大体映画館に通っていることが多いので、すべて録画して見ていた。番組は一週間に4回くらい再放送されていた。その中で川村晃司さん、田岡俊二、内田誠さん等の存在を知った。その後4年前に朝日ニュースター突如番組の縮小が発表され、愛川さんは放送枠の縮小に抗議してインターネット放送として番組を引き継ぐ決意をする。愛川さんは自身目黒のキンケロシアターの一角にスタジオを作って一日も途切れることなく放送を続けた。
▼その放送が1年続いた頃、愛川さんは本業が役者なので、報道番組は中止して俳優と映画作りに集中したいと発表があった。わたしは愛川さんのこの3年間に作られた映画はすべてキンケロシアターに見に行った。「昭和の赤い灯」「黒駒勝蔵」などだ。番組に出演していたジャーナリストたちは驚愕jして、すぐさま自分たちで資金を出し合って会社「デモクラTV」を立ち上げた。わたしは参議院会館で開かれた発会式の記者会見にも駆けつけ、その様子はYouTubeにアップしてある。
▼最初は画像も安定ぜず音声も途切れる事が多少あった。しかし愛川氏の思いは彼らに引き継がれた。わたしは愛川氏の有料放送に切り替わってからは「会費」を払って視聴してきた。デモクラTVになってから、さらに2年間継続してきた。インターネット放送は免許制度ではないので、多少の資金と技術力があれば誰でもできる。だからこそ権力に対抗出来る唯一の放送手段である。愛川さんはその後半年前に、ご自身の放送を復活させたが、体調の悪化もあって途中で終わってしまった。
▼ということで口先で政府を批判する事は簡単だが、愛川さんのように身体を張って政府のやり方、311で原発はどうなっているか、事故直後に京都大学の小出弘章助教をスタジオに呼んで、解説してもらっている。民放の何処にも出来ないことを愛川さんは放送して警鐘を鳴らし続けていた。
▼権力に屈しない姿勢と行動力を愛川さんはわたし達に身をもって教えてくれた。

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