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June 29, 2015

「沖縄うりずんの雨」を見る。

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(岩波ホール前のポスター)
▼昨日まで書いた「資源エネ庁原子力小委員会」はあまり評判が良くなかったので、一応2回で中止します。もしも今後28日のツイートがあと3つ増えたらその時は再開します。
◇「「沖縄うりずりんの雨」通常岩波ホールの初回は午前11時半である。そのつもりで出かけようとしたら、11時スタートだった。30分あれば間に合わなくもないが、2時半の回にした。
▼沖縄はペリーが初めてやってきたとき、琉球政府に上陸を拒否されたにもかかわらず、上陸を強行する。そして将来を見据え、本土を支配するには、どうしても沖縄を手に入れる必要があると考えた。わたしは「東方見聞録」でマルコポーロが「日本の家は金で出て来ている」と書いたのは、おそらく平泉中尊寺を見た人物の情報が「日本全体が金で出来ている」と誤って伝わったと思っている。だからアメリカやヨーロッパから日本めがけて押し寄せて来たのだ。
▼沖縄はその後薩摩藩によって収奪の対象となる。そして第二次大戦では、この島を支配すれば日本本土を空爆する拠点として便利になると、占領しようとする。その時の作戦で沖縄はアメリカによる地上戦の舞台となる。その時も日本の軍部は沖縄の人々を盾てつかう。もしくは米軍に投降したら耳や鼻を切り取られると教え込む。証言する一人は太田昌秀元沖縄県知事である。太田氏はそういう教育を受けてきたから死ぬのは怖くなかったという。また多くの人々はガマ(小さな自然の洞窟の中で生活する。
▼迫って来た米軍に投降するかどうか考えるまもなく、互いを殺しあって自決する。米軍はまず手榴弾を放り込んで抵抗できなくし、次は火炎放射器を使ってガマの入り口から内部を焼き尽くす。この模様は米軍側とガマの中にいた側の証言を紹介している。生き残った人々は「外は死体累々で足の踏み場もなかった」と証言する。
▼占領した米軍がまずやったことは土地を取り上げて滑走路を造ることだった。行き場を失った住民たちは収容所に入れられる。沖縄の基地は戦後まず朝鮮戦争で爆撃するB29に使われる。その後はB52がベトナムを爆撃する基地として使われる。(続く)

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