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December 09, 2015

「海難1890」は軍事ではない国際貢献の大切さを教えてくれる。

▼1890年(明治23年)トルコ(当時はオスマン帝国)の親善使節を乗せた木造軍艦は、東京で天皇の面会してから帰国する途中、和歌山県串本沖で台風に遭遇して座礁してしまう。乗員656人は海に投げ出されえつぃまう。遭難を知った村人たちは、台風が収まらないうちに流れ着いた乗員を必死に救出する。そして家に運び込みお湯を沸かしたり、煮炊きをはじめる。その村にいた医師(内野聖陽)は村人を指示して人工呼吸や、体温で暖めて組成させる。
▼村は貧しく、一日でも漁を休むと食って行けないが、村長の指示の元、コメを持ち寄り船員たちを励ます。身体を温めようとするとき、若い娘が着衣を脱ごうとすると、村にいた花魁(もしくは芸者)が「そういう事はわたしに任せておきな」と帯を解くところは思わず、ジーンとなってしまう。
▼助けられた士官が荷物の点検をしていると、カネ目のモノがなくなっており、怒ると医者は「綺麗に洗って乾かしている作業現場に案内する。士官は自分の誤解を詫びるのだった。救助に当たった医師はトルコ政府から治療費の支払いを打診されるが「犠牲者の遺族に与えて」とそれを固辞する。助けられた乗組員はドイツの船で母国に回送されるのだが、村人と別れの場面ではトランペットで知られた歌を吹き、村人との別れを惜しむ。これらの事実はトルコの現在の小学校の教科書にも書かれているという。
▼さてそれから約100年後1985年3月テヘラン。サダム・フセインはあと48時間でイラク上空を飛行する物体は打ち落とすと宣言し、テヘラン在住の人たちは大騒ぎになる。そのときテヘランには日本人215人が滞在していたが、、日本政府は何も手を打つことができなかった。トルコ政府は自国の国民を救い出すために、飛行機を2機飛ばす計画をたてる。そのうち一機を日本人救出に回せないかという、日本大使館からの当時のトルコ首相は苦渋の選択で、一機を日本人救出に使う事を指示する。そのときパイロットや客室乗務員たちに「救出にむかってくれ」というと迷わず全員が「挙手」する。
▼空港で乗る順番を巡って、激しいやりとりはあるが、日本との歴史的なつながりを訴える男性の訴え(演出だと思うが)多くのトルコ人は陸路帰国することで納得する。ここで分かる事は安倍が「武力で邦人救出」がいかにばかげたことか、という事を教えてくれる。国民を守るのは軍事ではなく、平和主義による国際貢献と他国民との信頼関係がいかに大切かということがわかる。

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