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April 28, 2016

「牛飼いだから餌をやる」(2)希望の牧場吉澤正巳さんの話(2)

 ところがホームセンターには30分後には津波がガレキとともに押し寄せて来た。吉澤さんは牧場に帰ったが、停電だった。まず牛300頭の飲み水が困った。すぐ発電機を用意して配管を変え、牛が少しずつでも水が飲めるようにした。11日はそれで終わり、家は小高い、標高80mくらいのところにあるので第一原発の排気筒は丸見だ。その上を夕方ヘリ数機が飛び始めた。ところが自宅のテレビはBSアンテナが壊れて写らない。仕方なく姉の車のカーナビの内蔵テレビで被害状況を見ていた。TVは宮城や仙台空港の津波ばかり放映している。肝心の福島県の報道はなかった。福島はどうなっているのかとナビのテレビの小さい画面をみるとテロップで「フクイチ原発で避難が始まっている。3k、5k地域の避難が午後11時から始まっていた。夜、町を見に行くと、役場と警察署、消防本部は投光器が付けられ、大型テントが設置されていた。
 その時は、津波のレスキューに行くのだろうと思って帰宅した。翌日は福島県警のワゴン車が3台牧場に入ってきた。「牧場の小高い場所を使って第一原発のライブ衛星中継の基地にしたい」というのです。彼らはすぐ準備を始めました。彼らは3時半に一号機の爆発の映像をとらえた。「とうとう来るべきものが来てしまった。我々は命令で引き上げる。牧場の人はもうここにいない方がよい。国は情報を隠している」というのです。12日海を見に行きましたが、ガレキが山のようになっていて先の海までいく事ができない。この恐ろしく殺風景な風景を見たとき、世の終わりとはこのことかと思った。
 無人になった町には野生動物が横行するようになった。家畜は殺処分を余儀なくされた。乳牛は餌やりのための、スタンションと言う機具に固定されたままだ。このままでは牛たちはみんな死んでしまう。吉澤さんは牧場のこの牛たちの殺処分に反対し、330頭の牛たちと運命を共にする事を決心する。ほとんどの牧場主たちは仕方なく、大事に育てて来た牛の処分に涙を呑んで国の決定に従った。
 一度は殺処分に同意した高齢の飼い主は吉澤さんと話し合い、67頭の牛を希望の牧場に託すことになった。こうして迷い込んで来た牛を含めて、現在600頭近い牛を全国からの支援を受けながら育てている。
 フクイチ事故が起きてから吉澤さんは単身、東京新橋の東京電力の本社に乗り込み、原発事故の責任を求めて抗議行動をした。父の事を思い、引き揚げ者と原発避難民は共に国による棄民の犠牲者だと吉澤さんは怒る。「明日も餌をやるからな。もりもり食ってクソをたれろ。遠慮はいらねえ。おめえら牛なんだから。俺は牛飼いだから餌をやる。決めたんだ。お前等とここにいる。意味があってもなくてもな」。(文と写真:筆者)(吉澤さんが4月9日佐倉市で行った講演は次のYouTubeでご覧になれます。本編:https://youtu.be/BASuL7Y9H5ss質疑応答:https://youtu.be/lPSusiX-kLM

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