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April 27, 2016

「牛飼いだから餌をやる」希望の牧場吉澤正巳さんの話(1)

 福島県双葉郡浪江町にお住まいの吉澤正巳さんは、まだ放射能で汚染された現地の牧場に留まり300頭の牛の世話を続けている。父親は終戦時ソ満国境の黒竜江省にいた。ソ連が攻めて来るというので、関東軍や満鉄の人たちはサッサと逃げてしまい、大勢の開拓団が取り残された。父親はシベリアに3年抑留されていた。仲間はシベリアで大勢死に、生きて帰った事が不思議なくらいだったという。帰国して四街道の砲兵学校の跡に入植した。四街道で開墾、開拓をし、入植20年後にその土地を売り、南相馬と浪江に土地を購入し牧場を作って牛たちを育てて来た。
 吉澤さんの牧場は福島第一原発から北西に14kmの場所にある。牧場からはフクイチの煙突と復旧作業中のクレーンが見えるほど近い。フクイチ事故の発生前は警戒区域内で牛は約350頭、豚3万頭、ニワトリは44万羽が飼育されていた。事故後この地域で飼育されていたニワトリはほぼすべて、牛や豚の過半数が餓死された。そして生き残った家畜は国の指示で、地元自治体が殺処分をした。吉澤さんは地震があったとき、地面がまるで回転運動をしているように感じたという。激震を体感しふと牧草地を見ると段々畑のように裂けていた。翌3月12日、1号機が水素爆発した。何が起きたのか知らされないまま、浪江町はじめ、原発の近くの町や村から住民の避難が始まった。
 しかし吉澤さんは牧場に留まった。理由は330頭の牛を育てていたからだ。牛たちは停電で水も飲めないし、草もない。このままだと多分全滅するだろう。もういても立ってもいられない気持ちになった。
 地震直後に情報はまったくない。道路は壊れている。ガソリンは一斉になくなる。放射能は流れて来ているというのにスピーディ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステ)情報は握りつぶされている。浪江町の人たちは右往左往していた。吉澤さんは震災の当時南相馬ホームセンターで買い物をしていた。店の棚の商品が次々落ちて来た。建物の中は危険だというので外に出ると、周辺の住宅の屋根瓦が土埃を立てて崩れて行く。
 浪江の防災放送が「津波3m」と放送を始めた。ホームセンターは海岸沿いにあったので「帰らねば」と思った。しかし国道6号線で渋滞が始まったので、裏道を通って牧場に帰った。(新聞原稿完成版)

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