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July 31, 2016

小説&DVD「渚にて」のこと。

▼今朝NHKTVのスイッチを入れたら昨年7月84歳で亡くなった抵抗のカメラマン「福島菊次郎」さんの生き様を紹介していた。記録映画を見た方はご存じかもしれない。福島さんは原爆を投下された広島で、子ども達を育てながら自らも被爆して背中に刺さったガラス片の痛みに苦しみながら、生活している男性の様子を撮っていた。お子さんが成長してお父さんの弔問に訪れると、「自分たちの生活を撮って食い物にして」と罵声を浴びせられる。福島さんはその後、被爆者の苦痛に歪む顔よりも、一瞬の笑顔を切り取ろうとして、気持ちを切り替えて再びカメラを握れるようになる。NHKの番組はそんな内容だった。
▼先週は月曜日から4日間抗議・要請活動に通い、さすがに疲れた。それに輪を掛けて疲れるのは友人とばかり思っていた人物から「あの人は好きでやっている。どうせやっても世の中変わりはしない」と心ない言葉を浴びせられる時だ。黙って見ていればよいものを、いつのまにか、そういう言葉は耳に入ってくる。自分の価値を下げるだけだから敢えて反論はしない。だが、そういう人物とのつきあいは次第に疎遠になる。
▼昨日三鷹で開いた学習会はチューターが持ち回りで、わたしの番だった。この前は桐生悠々だったが、今回はネビル・シュート小説「渚にて」にした。こえrはわたしが中学2年生の時当時の1958年頃に文藝春秋に抄訳が発表され、話題になった。当時は人間には生命の終わりがあり、死後は誰の記憶にも残らないという事を知り、毎晩夜が怖くて震えて泣いていた記憶がある。さて出席者から「あなたはなぜこの本を紹介したのか?」と問われた。わたしは戦争を無くすための戦争は矛盾していることをこの本から学んだ、と答えた。
▼ある人物はこの本の前半は退屈で中々ページが進まなかった。しかし後半次第に意味が分かってきた。それは自分が子育てをしている最中、夏休みにプールに連れて行ってくれとせがまれ、無理してつれて行く。その帰り道にかき氷を食べさせてやると本当に嬉しそうな顔をして食らいつく。あの微笑みが忘れられず「良かったなー」「楽しそうな顔をありがとう」という気持ちになる。つまり小説の前半はさりげない日常生活が描かれている。それが核戦争で放射能が南下して残り数週間で人類は滅亡してしまう。だから日常生活を続けることの大切さを大切さを訴えている。というお話しをして下さった。
▼DVDの内容は小説とは若干違うところがある。それは原子力潜水艦のタワーズ艦長とモイラという女性のラブロマンスが絡んでいて、勉強会ではなぜあの二人は結ばれなかったのだろうか?という論議になってとても楽しかった。小説はキンドルでも読める。DVDはアマゾンで500円(送料別)で売っているので感想を聞かせて頂きたい。
▼会議が延びそうなのて、定時を延ばすという提案があった。しかし「隅田川の花火大会があるので定時に終わろう」と帰ってきた。家の近くにはスカイツリーをバックに花火を見物できる名物の橋があって人だかりがしていた。しかしわたしは連続参加4日で疲れ切ってしまい、その元気もなかった。

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July 29, 2016

マンションに監視カメラが設置されそうだ。

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(7月28日防衛省前でスピーチする火焔瓶テツさん)
▼昨日は朝から歩き回っていたが、もの凄く暑かった。朝刊をみるとやはり「梅雨明け」宣言がでていた。彼女はわたしより年上かと思っていたら、同じ年齢だった。エッセイの「ショパンコンクール」は楽しく読んだ。みんな同じ人間なので審査をしている時も退屈するのだろう。昨日の黒沢年男は40年も前に実物をみた事がある。ちょうど皇居の脇でロケの合間に共演の酒井和歌子を散歩をしていた。女性ピアニストでは、マルタ・アルゲリッチの演奏が好きだ。最初聴いた曲はチャイコフスキーのPC1だった。だが彼女は精神不安定で、狂気と紙一重のショパンの方があっている。日本に演奏旅行でやってきたとき、夫の女性関係に腹を立てて、一度も演奏しないで帰国してしまったり、そういう痴話話にいとまがなかった。
▼わたしの住んでいるマンションで「監視カメラの設置」が論議された。今まではダミーカメラが2台設置されていた。ところがエレベーターの改修工事が終わったとたん、管理会社から「設置の提案」があった。臨時総会の議案に組合費の納入方法の変更があり、同時に監視カメラのアンケートがつけられていた。わたしは当然反対なので、同じフロアの人びとには説得して「同意しないよう」説得した。住民に聞いてみると過去に空き巣に入られた人はお二人いた。一人は1階の住人でもう一人は2階の人だった。いずれもちょっと用事がある、として家に鍵をかけないで外出したときに空き巣に入られている。一人は10万円入りの封筒から9万円抜かれ、1万円だけ残っているという、「思いやりのある空き巣だ」と被害者は笑っていた。
▼要するに普段の鍵掛けをしっかりしていれば防げるのだ。それを十把一絡げ(じっぱひとからげと読む。じゅっぱではない。)監視カメラを4台も入れるという案で、カメラの買い取り価格は合計100万円だという。カメラは4台あるから3台はわたしが個人的に貸し出してもいい。それに小さなマンションなので管理室に誰か常駐している訳ではない。たとえ刺されても警備会社のブザーを押さない限り来てくれない。本人は刃物でカ刺されて大けがカメラの記録動画に人物を特定できる情報が保管されているだけだ。もう一回会議は開かれるようだが、4台を2台にするという案で落ち着きそうだ。反対は全体の4分の1くらいしかいなかった。
▼おりから津久井介護施設の殺傷事件で、昨日山東明子議員が犯罪予防のため、事件を起こしそうな危険人物にはGPSを装着させてはどうか、と発言している。どこかの警備会社の売り込みだろうが、イスラエルが舞台になた「オマールの壁」を思い出した。

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July 28, 2016

NHKBSで「日本のいちばん長い日」を見る。

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(27日都庁前で「築地でええじゃないか」とコールするかむろてつさん。
▼月曜日の首相官邸前の「高江ヘリパッド建設に抗議する集会」を撮影したYouTubeはアクセスが100件を超えた。知り合いの顔が見えなかったので心配だったので、昨日、某氏に不参加の理由をお聞きしたが、たいした理由ではなかった。無理して知らない場所と知らない人の中に出かけたが、主催者のスピーチ位置の真横を確保出来たので良かった。
▼ところが昨日の東京都庁前の通称「築地でええじゃないか」集会はまたまたビデオカメラを忘れてしまった。前回もそうなので、都庁は鬼門になってしまった。仕方なく最近購入したデジカメを使ったが、こちらは今まで検証したところによれば、バッテリーの連続使用時間は1時間半である。予想したとおり、1時間40分がギリギリだった。予備バッテリーを持っていけば3時間は何とかなる。しかし行くたびに荷物が増える。夏は背中に汗疹ができるので、今更リュックは背負いたくない。かといって海外旅行用バゲッジでは大げさ過ぎる。いや何人かはそれをガラガラ引っ張って、集会にいらしている。
▼午前中は原稿執筆。2週間前に取材した話しなので、思い出すのに時間がかかってしまう。執筆は取材後2~3日が最も良い。先日親戚の法事に行くとき、電車の中にキリンの新しい発泡酒のCMが出ていた。「ビーサンの 鼻緒の痛みも またいとし」だ。中々良いなーと思ってiPhoneの「メモ」に書き込んだ。わたしがボラカイ島に行って3週間、ホテルで借りたビーチサンダルで海岸を往復したら、1日で鼻緒で足の親指と人差し指の間が切れてしまった。 そのかさぶたが取れたのは一昨日だ。歳をとると傷口がふさがるまでに、とても時間がかかる。
▼NHKBSプレミアムは水曜日まで、岡本喜八監督の特集だった。月曜日は「日本のいちばん長い日」で三船敏郎が阿南陸将を演じた。狂気の青年将校役(畑中健二陸軍少佐)は黒沢年雄だ。今や電気釜のCMでしか見る機会はなくなってしまった。しかしこの演技は見事で適役だ。作品も兵隊の所作が実際軍隊の経験もある人達もいるので決まっている。昨年リメイクされた同名の作品は、その辺からした甘い作りになっている。敬礼のマネはしているが、残念ながら心がこもっていない。つまり頭では、その意味をまったく理解していない。黒沢はわたしと同年、同月生まれで彼の方が2日早く生まれている。6つもガンの手術を克服しているが、元気で何よりだ。
▼火曜日は岡本監督作品で、火焔瓶テツさんがオススメの「肉弾」が放映されたが、残念なことに録画するのを忘れてしまった。

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July 27, 2016

◇「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」を見る。

▼先週金曜日に放送されたデモクラTV(インターネット有料放送)「ウッチーのデモクラジオ」の中で、あたしの投稿が紹介された。7月初めに投稿したので、もう読まれないと思っていたら、22日に内田誠さんが読んで下さった。「もっと詳しく」と仰って下さったので、続編を明日あたり送信するつもりだ。この放送の中で某候補者について触れて「女性問題がいつ出てくるかと思っていたが、やはり出てきた。週刊誌で報道された内容をリークしたのは内閣調査室だ、という情報がある」と言っていたが、さもありなんである。
◇「トランポ/ハリウッドに最も嫌われた男」ドルトン・トランボは脚本家として有名である。ところが第二次世界大戦後半はナチスをソ連軍が追い詰めたこともあってアメリカでは共産党の人気はうなぎ上りで人気になり、党員の数も増えた。ところが大戦が終わって、冷戦が始まるとアメリカはその共産党の存在が邪魔になってきた。文化人や俳優を次々米連邦議会に召還して「共産党員であるか否か」を宣誓させるようになった。友人を売るか、さもなくば「ノー」とシラを切るか?
▼だがトランボは証言を拒否したため議会侮辱罪で逮捕、収監されてしまう。数年に及ぶ拘束のあと出所したトランボは、家族4人を食わせていかなければならない。そこで小さなプロダクションにペンネームで脚本を安価で売ることを思いつく。腕を見込まれて下手な脚本のリライト、娯楽ものまで手がける。あまりにも需要が増えるので自宅に5本くらい電話を引いて、脚本別の作家を装う。それで急ぎの脚本は家族が手分けして配達で協力する。
▼そのうちペンネームで書いた「ローマの休日」がアカデミー賞原案賞を受賞したという知らせが届く。その代理受賞をしたのはカーク・ダグラスだった。このダグラスのソックリさんは顎のえくぼまでそっくりなので笑える。ダグラスから「スパルタクス」の脚本を書いてくれないかと頼まれる。俳優のジョン・ウェインや労働組合のロナルド・レーガンなどは裏切ってトランボに圧力をかけるが、ダグラスはそれを拒否してまけない。メキシコを舞台にした「黒い雄牛」もアカデミー賞を受賞してトランボの地位は不動のものとなり、実名であらためてアカデミー賞を受賞する。
▼たとえ共産党員であっても実力のある脚本家はきちんと使うというハリウッドの姿勢もしっかりしている。妻クレオ役のダイアン・レインを最初に見たのは「コットン・クラブ」だったが益々魅力的になってきた。

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July 26, 2016

ポケモンGOは官邸前には行けないが、わたしは行った。

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(官邸前で機動隊の弾圧のすさまじさを語る人YouTube(1)の31分あたりを参照)
抗議活動ビデオ(1)
抗議活動ビデオ(2)
▼3日間連続でかなりの距離を電車で移動して疲れたので、昨日のブログはお休みした。原則として土日は休む方針である。わたしのPCで「ほうしん」という文字を変換すると「砲身」が一位に出てくる。昨日の朝モーニングバードで羽鳥アナは「ポケモンGO」で、首相官邸と国会はアイテムがでて来ないようにしてもらったと語り「こんなところに行っちゃいけないですよね」と続けていた。しかしわたしはそのご意見に反して、夜は「高江のヘリパッド建設に反対する抗議集会」に参加してきた。地下鉄で内幸町に向かっていると、友人Yさんから「今晩は、官邸前に行きますか?」というショートメールが入った。行かない筈はない。それに山勘でメールをしてきたYさんはもっと凄い。
▼午後6時15分に官邸前に到着して、一番良い場所を確保した。いつものメンバーはいなかった。少し遅れてツイキャスのNさんが到着する。しかし昨日火焔瓶テツさんのこの集会の告知ツイートには60人余の人がリツイートしていた。だが、その人達は来ていなかった。リツイートでいわゆる「免罪符」を貰ったつもりでいるのだろう。夜遅くまでツイキャスの余韻に浸って叫び続けていらっしゃる。「空砲」で何の意味があるのだろう。欲求不満の発散場所にしかなっていない。トルコのエルドアンは市民に「ツイキャスを見て叫べ」と言ったか?ノーだ。市民は街頭に出て抗議しろと言った。
▼某選挙事務所でだ「無料の電話を持って電話がけを手伝ってくれ」とボランティアを募集している。おそらくLINEを使って票の掘り起こしを手伝ってくれという意味なのだろう。夜中に叫ぶのではなく、最寄りの選挙事務所に行って電話がけをしよう。もしくは事務所にいって電話リストを貰って自宅jで電話を掛けまくろう。その一本釣りの方が余程世の中の役に立つ。
▼わたしが言いたいのはリツイートが6ー件余のあってYouTubeを見る人がなぜ一桁なのか?だ。リツイートする人達は、左クリックして自己満足して終わって後は、ひっくり返ってTVのバ○番組を見ているに違いない。テレビは消して、高江の抗議行動に参加した人達の叫び声を聞け!機動隊から暴行を受けた人達の声を聞け!現地で行動に参加した人達は車を「逆ハの字」に並べて機動隊を阻止しようとした。このへんは徳川に攻められて抵抗した真田の作戦をマネしてのだろうと思う。車は機動隊によって破損させられた。また人びとは高い場所から低い場所に突き落とされ怪我をした人もいる。結果的に機動隊にロープでクビを締められた女性もいる。
▼わたしが撮影したYouTubeを見てこういう事実を回りの人達に広めて欲しい。現地で必要としているのは、怪我をした人の治療費や車の修理代。もしくは現地まで応援・支援に来てくれる人だ。
▼Yさんはネットの相談ごとがあって永田町駅まで歩きながらお話しした。何度言っても相変わらず、家から一歩も出ないみなさん。千葉市の東電敷地が放射線物質保管場所に正式に決まりました。地震があったら確実に大量被爆します。あなただけが助かる方法は「反対運動」を続けない限りありません。日曜日夜NHKBSでチェルノブイリの少女その後が放送されました。帰る故郷を失った女性が望郷の念にかられてチェルノブイリに戻って見たが未だに放射能が高くて滞在することすら許されない話しでした。この女性を見て自分の将来を考えました。

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July 24, 2016

上田城を見学し、都内に戻る

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(暴露週刊誌)
▼親戚の法事に来た帰りに上田城を見学ささせてもらった。NHKのタイがドラマを誘致するために60万人の署名を集めたというだけあって、誘致の効果はてきめんだったという。上半期だけで徳川勢が押し寄せた数より多い、40万人の観光客が全国から押し寄せたというから凄い。自分が歴史の主人公になったような錯覚をもって感激するのだろう。
▼朝6時半にその地域っでは有名な朝風呂に連れて言ってもらった。何でも2万円近いパスポートを買って通う人もいるらしい。新鮮な野菜を食べてこういうところに生活していれば、長生きするだろう、と思う。従姉妹が上田城を案内してくれた。わたしは近所に生まれたが、一度も城を見学したことはなかった。名古屋どうよう入り口には「武将隊」のような人たちがいて記念写真を撮ってもらった。ちょうどきょうは流鏑馬を披露する祭があってかなり混雑していた。
▼金曜日取材に行ったとき、駅前に新宿で有名なパン屋さんの支店があって入った。というのは半年ほど前に取材に来たとき、今は海外にお住まいの友人にお昼ご飯をここでごちそうになった。オーダーをして代金を払って待っていると、1冊の週刊誌が目に入った。あの週刊文春の最新号だった。パラパラとめくって読んでみたがかなりレベルの低い話である。32歳の匿名の男性の妻が20歳のころ都知事候補者の一人から「乱暴」された、というような内容である。
▼大体結婚する前の妻の行状や受けた行動に怒るのがおかしい。本当に怒るのならば夫婦とも実名で警察に告訴状でも提出すればよい。それをしないで候補者に送ったとされる、「夫」のメールだけを出している。おそらく夫を称する人物は「利用」されただけなのだろう。その」週刊誌の情報だけをセンセーショナルに一面使った白抜きの大見出し拡散している夕刊紙などのほうが遥に罪深い。(北陸新幹線の中から)

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July 23, 2016

昨日の高江でなにがおきたか?

▼今新幹線に乗るため北陸上野駅にいる。昨日沖縄の高江で何が起きたかご存じだろうか?賢明な読者のみなさんがご存じの筈だ。わたしは取材で房総半島の最南端まで行っていた。片道3時間半、往復で7時間、取材は1時間半。特急もあるが経費を出してもらえないので、常に鈍行である。特急に乗っても君津から先は単線なので、かかる時間は全く変わらない。座席の座り心地だけだからもったいない。
▼夜の金曜行動は欠席届けを出してまっすぐ帰宅する。TBSテレビを見たら安住紳一郎アナがバイオリニストの葉加瀬太郎と沖縄に行ってソバを食うバカ番組を放映してた。改めて不動産放送局のバ○さ加減に呆れた。この会社は本業の放送よりも不動産の転売で利益を上げているのだ。
▼その後の10ch「報道ステーション」では高江のヘリパッド建設に反対する人々が全国から動員された機動隊員によって容赦なく、暴力的に排除される様子が写し出されていた。警官に押されながら取材している中にはフリージャーナリストの田中龍作さんの姿もあった。ぽけもんGOじゃないぜ。高江は第二の「琉球処分」だ。なぜアメリカの基地を作るのに反対している沖縄の人たちをなぜ日本の機動隊が弾圧するんだ。恥ずかしくないのか?相変わらずPCの前で根っこが生えたように座視しているいなさん。あなたに出来る直接行動をして下さい。国交省、防衛省、警視庁などに足を運んで下さい。そこで抗議をしないと、もうすぐ全国にオスプレイが配備されますが、それに反対したら、高江と同じようにみなさんが弾圧されます。

Duke(iPhone)

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July 22, 2016

高江のヘリパット建設反対、無人機共同開発反対で防衛省前へ

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(21日、市ヶ谷防衛省前の抗議の様子)
▼水曜日の東京都庁前の築地市場移転に反対する抗議行動に続き、昨日は市ヶ谷の防衛省前で高江のヘリパット建設反対、イスラエルとの無人機共同開発に反対する行動が行われた。雨が止まないのでビデオ機材が濡れないように本体と照明、それにバッテリーが濡れないようにスーパーバッグなど防水対策をして出かける。防衛省に付くにはちょっと時間が早かったので、手前にある自衛隊グッズを売っている店に入って出てくるところを、市民中継メディアのMちゃんに見つかってしまった。
▼抗議の内容はYouTubeでご覧いただきたい。こう書いても一歩も街頭に出てこないで、PCやスマホにかじりついている人がいる。トルコのクーデターでは、「実は裏で操っていたのはエルドアン大統領である」という見方もある。わたしは7年前トルコに行っているので、その感想からすると、「実は」という観測には納得できる。クーデターが起きた勅語エルドアン大統領はスマホを使ってTV中継をして市民に「街頭に出て行動せよ」と訴えていた。スマホやPCにかじりつけとは一言も言っていない。実際に市民は街頭に出て戦車の前に身をさらした。犠牲は出たがクーデターは失敗した。ツイキャス応援団で1年に一度くらいだけ国会に来るみなさん。あるいは呼び掛けに「地方に住んでいるから行けない」と開き直るみなさん。そういうことですよ。ネットの応援は何の役にも立っていません。
▼昨日防衛省前で抗議をしている最中、「高江で抗議活動をしている市民が、何者かにひき逃げされた」という一報が入ってきました。それに中々救急搬送されません。現地機動隊は「何が起こるか分からないので、来るな」と強制敵に検問をして警告をしていました。まさに彼らの「警告」で言うとおりになってしまいました。
▼19日午後1時のNHKBS地方局ニュースを見ていました。するとオバマの広島訪問に関連して長崎の高校生がンケートを取ったという報道をしていました。それによれば過半数の高校生がオバマが広島に来た意味はなかった。核廃絶は実現しそうもない、と答えています。大人よりも高校生の方が現実をしっかり見ています。大人はもっとしっかりしろ!
▼朝のTVニュースを見てもその関連の報道は一切ありません。食べ物、イチロー、ブラジルのテロリスト発見で予防拘束、オリンピック関連と言ったところです。みなさんどうかそういう情報に惑わされないで下さい。そして街頭に出て意思表示をしましょう。本日取材に遠方まで行くのでこれで終わり。

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July 21, 2016

第22回原子力規制委員会を傍聴する。

▼午前中は六本木の原子力規制委員会の傍聴に行った。議題は3つ。1)は東大でX線階席装置が無断で撤去、廃棄された問題。わざわざ議題に載せるのもどうか、と思うような内容だ。2)は原子力規制人材育成事業の選考結果についてで、これも議題にするほどの内容ではない。3)が何度も議題に載せられているが、島崎前原子力規制委委員会委員長代理が、地震も基準地振動の計算の仕方について疑問を出したこと。これに対して規制委員会は二度目の聞き取りを行っている。前日の午後3時からの聞き取り内容が、原子力規制委員会にしては素早く、文字起こしされて配布されていた。
▼配布された資料によれば問題にされている計算式は入倉、三宅、武村という3つの方法である。詳しく説明して貰っても、わたしのような物理が苦手な者にはほとんど分からない。わたしなりに想像して簡単にいうと計算式を分母とすし、対象になる場所を分子と考える。どの計算式を使って、どの土地をどのくらい「対象」として決めるかによってかなり「危険度」も違ってくる、という事らしい。文字起こしの文書によれば、島崎氏の主張は入倉・三宅式は間違っているから止めろというものだ。しかし規制庁は、島崎氏の主張のように止めても、別の計算式た正しいとは実証できないので、結論は出せない、継続して研究調査するという事で終わった。
▼議題がすべて終えたところで、伊方原発で前日行われた過酷事故対応訓練の結果を報告した。それによれば真夏の訓練だったので、熱中症で倒れる職員が出てしまい。訓練は中止になってやり直した。タイペックスに放射能防護板をつけ、さらにリュックを背負っているので動きがとれない。それで倒れてしまった。訓練としてはいささか納得がいくような内容ではなかった。それで水漏れ事故もあるので、それが終わったら再度、訓練を実施するというものだった。四電はいつも「事故が起きても1週間は持ちこたえる」と豪語している。しかし、実際の事故では地震や津波で現場に到達できない自体もあるので、いささか心もとない。
▼フクイチでは、マスメディアで凍土方式はこれ以上続けられないという発表があった。さらに廃炉まで40年と机上の計画だけ発表されているが、これも数字だけが一人歩きして、サブチェンバーを塞ぐ方法すら見つかっていない。その上「石棺でフクイチを封鎖する」という計画が、地元でイメージが悪い」という反対にあって文書から「削除」されてしまった。だがあのチェルノブイリですら「石棺」以外の方法は見つからなかった。これら緊急、かつ重要な二つの案件は議題にすら上らなかった。夜は新宿都庁前で、「築地市場の豊洲を都知事選の争点にせよ」集会があった。偶然候補になる予定だった宇都宮健児さんが通りかかり挨拶をして下さった。写真入りでツイートしたら現在約70人の方々がリツイートして下さった。

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July 20, 2016

わたしは宗教政党支持者ではないぞ。

▼暑い日が続きますが、みなさま如何お過ごしですか?NHKなどを聞いていると、意識的に「景気が良い」という政府の政策を援護射撃するニュースが流されています。1)LINEが東証とNYで上場された。しかしLINEは韓国資本の会社です。2)19日はソフトバングがイギリスのIT関連会社を300兆円で買収した。しかし自分の持ち株会社を売却し、自己資本は2兆円くらいで、他は銀行からの借金です。そして今朝、第一生命がカンボジアで生命保険を売るために準備事務所を開設した、というのです。
▼ちょっと見た目には景気が良いようにも見えますが、国内ではカネが廻らない(集められない)から、外に向かっていくのです。それが証拠に、政府は年金の支払いを75歳からにする、と言っています。フィリッピンの平均年齢は70歳だそうですから、その国では国民から受け入れられないでしょう。しかし日本は、年金問題一つとっても、怒りに立ち上がる人の姿がほとんど見えません。若者は「払ってもどうせもらえない」と支払いを拒否するだけ。
▼この問題の根っこの一つは、大企業の優遇税制にあります。大もうけしている筈のトヨタが今まで長い間税印を納めて来ませんでした。それに内部留保の他に、海外のタックスヘイブン。儲けた会社は税金を払って、困っている人の社会保障のお金を負担する、というのが仕組みだと思います。しかしそれを払うのがイヤで儲けたカネをケイマン諸島のペーパーカンパニーに預けて、よその世界を廻っています。国内で投資するか税金を払えば、「日本にいて医療費が安くて良かった」という人が増えるに違いありません。しかし知られている限り楽天や警備保障会社のカネは海外の投資に使われ、税金の対象になっていません。
▼国政選挙ではないから仕方ありませんが、都知事選のテーマにもなっていません。それどころか「景気を支えている首相を総裁選挙で続投させる」という意見が自民党内ででているのには驚かざるを得ません。
▼昨日朝、我が家に一本の電話がありました。「もしもしお宅はもしかして○○学会の会員さんの○○○ではありませんか?」というのです。バ○いうなって。わたしは拝む宗教政党にはまったく興味がない。同じ名前の○○学会の人の家は知っている。昔故郷で葬儀があったとき、村の人がわたしの住んでいる場所を話したら「これこれの場所に親戚がいる」という。歩いて確かめに行ったら、某宗教団体のポスターが貼ってあったからそれ以後、近づかないようにしている。電話で「元」というからにはその人は亡くなったか脱会したのだろう。

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July 19, 2016

「蜂の巣」を見たこともない記者たちへ。

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(これを蜂の巣という)
▼関東地方では、暑い日が続きます。わたしは10年前の7月22日に脳出血で倒れた経験を持つ。だから梅雨明け前後はかなり気を使い、外出するのはなるべく避けている。脳幹に近いところに出血していて、最悪のばあい、半身不随か死亡したかもしれない。もし「最近顔を見なくなった」と思ったら、そういう理由だと思って頂きたい。
▼先週金曜日のNHKドキュメント72では「広島を訪問したオバマ」を迎える人びとを取材していた。街の声には「熊本県警が応援に来ているけど、こんなところに来なくても現地でたくさんやることはあるだろうに」というのがあったがもっともな話だ。さらにオバマが来ただけで、スピーチの中身を検証せずに「たいたもんだ」。とか「折り鶴を見たい」というミーハーまであった。なんども言うが、スピーチの原稿は専門のスピーチライターが書いたもの。何も心がこもっていない。(原爆を)「空から悪魔が降って来た」とういのは、その名詞を取り替えれば世界中で通用するシロモノである。あれはあくまでもセレモニーで、「謝罪」の文言など一言もない。その後、岩国の米軍基地に行っているが、その米兵に対する挨拶は「酷い」としか言いようがない。広島のオバマ・スピーチが謝罪に聞こえたらそれは余程お人好しである。
▼この間立て続けに「フランスのニースにおけるバス暴走(テロ)やトルコのクーデター騒ぎ。今朝のドイツの列車の中で斧を振り回した乗客が射殺されるなど、次々事件が起きている。昨日のワイドショーなどを見ていると、元警察関係者が「怪しいと思ったら通報せよ」とコメントしている。先週のネットにはキャノングローバル研究所の人物が「安全を確保するためならば、基本的人権の制限もやむを得ない」とまで言い出した。今や都内のバス停にまで「テロ警戒」という張り紙がしてある。為政者はオリンピック開催を機会に、監視カメラを増やして国民一人ひとりをきめ細かく監視しようとしている。マイナンバーはNECの救済策であり、監視カメラの人物認証のソフトはキャノンだろう。
▼今朝のニュースではフランスの大型トラックの暴走の射殺された容疑者のPCからは「イスラム」に関する検索履歴が見つかったと報じられている。閲覧履歴自体は、サーバーを管理しているプロバイダーに提出を命じれば簡単にできる。だが日本では先の、刑訴法改悪と盗聴法の適用範囲拡大で、簡単にできてします。心配なのは、国の目標達成のためには、個人の基本的人権を制限しても構わないと言う思想が当たり前になってしまうことだ。
▼ニースのトラックの事件で、ある民放記者は「フロントガラスが銃弾で蜂の巣のようになっている」と描写していた。わたしがフロントガラスの銃弾痕を数えたら28個だった。記者は「蜂の巣」を見たことがないのだろう。「蜂の巣」状態というのなら、クリント・イーストウッドの映画「ガントレット」のバスの状態を言うのだ。
▼金曜日は朝から取材で3時間近くも鈍行列車に乗らなければならない。都内に戻ることができるのは8時頃になってしまうので、経産省前までは行くことができない。おまけに翌朝は法事で午前7時台の新幹線に乗らなければならない。

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July 17, 2016

◇「辺野古圧殺の海、第二章」を見る。

▼この「辺野古圧殺の海、第二章」が公開されたのは知っていた。しかし最初上映は午後9時からだった。午後9時とは抗議行動が終わって自宅に戻る時間である。夜出歩くのは目に負担がかかるので、なるべく行かないようにしている。16日から8月5日までは、午後2時半からの公開になったので、ようやくポルポレ東中野まで出かける事が出来た。
▼辺野古のゲート前と埋め立てされる海での抗議行動はみなさんご存じの通りである。前回作品は翁長知事が沖縄知事選挙で当選するまでで終わっていた。今回は海でのマリンブルーのボート隊による決死の海上保安庁、ゲート前の東京警視庁の機動隊に対する抗議行動から路上の座り込みが描かれている。翁長知事は第三者委員会による調査の結果中山前知事の埋め立て認可に瑕疵があったとして、国交省に異議を申し立てるが、それが沖縄防衛施設庁に否定され、九州高裁の裁判に持ち込む。
▼現場では「ひろ爺」(山城博治氏)の指揮の下整然と座り込みや、コンクリートロックによる、正面ゲートの封鎖が行われる。海上保安庁の弾圧する姿は海賊以上の野蛮な行為である。抗議のボートに体当たり、中型の船にも職員が乗り移ってひっくり返す。海に投げ出された抗議の女性のクビを締める、引きずって海に沈めるなど目に余る行為が活写されている。辺野古の埋め立ては言ってみれば、米軍に対して「おもいやり予算」を使ってより鞏固な岸壁を作って大型戦艦を岸壁に横付けしようとする、海軍基地の「恒常化」である。海上保安庁の職員はとくに悪辣で、アメリカの手下(番犬)になって、日本・沖縄を守ろうとする人達を弾圧することに、何の心の痛みも感じていない。
▼それに弾圧される人は大体老人や高齢の女性たちが多い。彼らのヘルメットには防水ビデオカメラが取り付けられ、弾圧する様子を漏れなく記録していく。抗議の人達も同じようにヘルメットにビデオカメラを取り付けているが、それはもぎ取ろうとする。
▼この間ヒロ爺は一度逮捕される。抗議の人達は警察署の前で一晩中「抗議の声」を絶やさない。これがホントの連帯というものだ。ネットで「繋がっているよ」などと叫ぶのはチャンチャラおかしい。ホントに繋がっているなら現場に出て来て身体をもって応援するのが「連帯する」というのだ。わたしの前の席に座っていた老夫婦は機動隊や海保が乱暴をはたらく場面では大きな声を上げるので何度も注意したが止まなかった。また後ろの席の人はわたしの座席の背中を蹴り続けていた。映画鑑賞ではこのような行為は止めて下さい。
▼現場では約束を破って50tの大型ブロックが次々投下される。ヒロ爺たちは「翁長知事にすべてを託す」のは行政の力の限界もあるから間違いである。何としてもこの現場で身体と力を持って抵抗の意思を示さなければならないと決意を固める。映画の中にはわたしの女性の友人がデモと座り込みに参加し、ごぼう抜きにされる場面、と拘束され引き立てられる場面が写っている。もちろん現地に移住して、抗議の様子を連日ツイキャスをしているA君の姿も7カットくらい出てくる。沖縄の辺野古まで自分が行くという抗議の方法もある。それが出来なければ、この記録映画の続編を作るために一口1万円からのカンパを受け付けている。また「カヌーを贈る運動」もあるので、資金援助で協力するという方法がある。

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July 16, 2016

GMOに反対するドキュメンタリーを見る。

▼何故か夜8時にアクセス解析を見たら普段の日よりアクセスが多かった。気を取り直してブログを書く。昨日は親戚のつきあいがあって夜の行動には行けなかった。出かける前にカードリーダーの具合が悪くなって、どうやっても読み込みが出来なくなってしまった。あれこれネットを見て試したが上手く行かないので、出かける前に秋葉原で650円のモノを購入した。最近は1時間の労力を使って直す方が安いか、買った方が安いか検討して安い方を選ぶ。このリーダーは3年使ったので良いとする。
▼今朝はデモクラTVでアメリカのGMO(遺伝子組み換のトウモロコシ種子に、一例が病気の遺伝子を組み込んで突然変異させるのだ。そのトウモロコシや大豆が身体に良いはずはない。インドでは綿の種子に同じような事をして収穫量が上がると買わせる。ところがいずれのGMOも収入は増えていないのだ。インドではそのタネから油を絞るので、食べて身体の具合が悪くなる。身体が悪くなって収入が減って、モンサントに借金だけが増えるので自殺する人が何千人にもなっている。
▼いまのところGMOを使うのは大豆、トウモロコシ、米、モロヘイヤなど8種類だけなのでそれを食べなければ良い。それにしてもアメリカだけなぜ「非表示」が許されているjのか?健康に対する害がでていることに疑問を感じた大学の研究者たちは訴えられたり、仕事を失ったりする。アメリカの一般の人びとは動物の例えばニワトリ、ネズミ、インドでは豚や牛を使ってGMOの餌を食べるかどうか実験をする。動物たちはまるで分かっているように見事に食べる事を拒否する。メーカーに対してはボイコットを進める。たとえ20%でも売り上げが減ればメーカーは考えるだろうという実力行使だ。考えて見ればTPPが通ると無理矢理このGMOを食わせられる。さらに豆腐や納豆なども「非表示」が義務づけられる。
▼翻って日本のTPP反対運動は盛り上がっているか?ノーである。日本モンサントの抗議も参加舎は50人もいなかった。衆議院議員会館前のTPP抗議も最大で50人くらい。JAの人達と憲政記念館で抗議したときが200人くらいだった。ヨーロッパは数万人の抗議が行われている。はっきり言って誰からに頼っていても、ツイキャスを見て応援していてもメーカーも政府も何も怖くはない。実際街頭に出て売り上げを減らす抗議をしない限りダメだ。もしもキーボドを叩いて具体的にモンサントを困らせた実例があったら教えて欲しい。わたしなど京橋のモンサント日本支社の抗議をビデオに撮ってYouTubeに流したら、Googleから「バッくグラウンドで流れていたロック歌手の歌に著作権がある」と抗議が来たほどだ。
▼上記のドキュメンタリーは「「Genetic Roulette 遺伝子組み換えルーレット ~私たちの生命(いのち)のギャンブル~」で明日16日午後23時までにデモクラTV(インターネット有料TV)月額525円を払って入会すればご覧になれる。

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July 15, 2016

権力犯罪はみな起訴猶予か「時効」が成立する。

▼どうしてこうも権力者や大企業の犯罪は連続して「起訴猶予」や「時効」になってしまうのだろう。昨日で言えば兵庫の花火大会の警察署警備の事故責任。今朝で言えば東芝の水増し発注に関する不正経理。警察官僚や大学の同期のコネを巧みに使って実質的犯罪に問われる事はなくなる。その法律の解釈もまた、理屈にならない「抜け穴」を活用してくるから呆れる。わたしの選挙区に住む盆踊りが趣味という某元法務大臣も同様だ。
▼半年前に起きた軽井沢スキーバス事故も、事故直後から今朝のNHKの警察発表には何の変化もない。運転手はブレーキは二度踏んだが、旧式のため効かなかったという。7月3日(日深夜に、NNNドキュメンタリー 2「老いるバス 走り続ける、安全は確保されるのか?」という番組が放送された。そこで分かったのは北海道を走る観光バスは旧式のかなり古いものを再生して使っていることが分かった。北海道を訪れる観光客の多くが利用するバス。しかし、その多くは老朽化が進み、延命を図りながら運行されている。その中で相次いでいるのが出火事故だ。バスの車齢が上がるにつれて、火災発生率が高くなるとの指摘があるが、行政・業界ともに有効な対策を打ち出せていない。事業者がバスを買い換えたいと思っても買い換えられない現実も。老いたバスの運行実態に迫るともに、観光立国・日本の安全輸送を問う番組だった。
▼観光バスの規制緩和がされてから新型が1台あれば後は旧式でも参入できるようになった。その旧式とは地球を50周もしたシロモノである。今の走行メーターは10万キロでリセットされて「ゼロ」になる。ところが100万キロを越えたものを外見だけ新品同様にする。しかし足回りを見ると、錆びたり、腐っていたりする。なぜそんな車を買うかと言えば普通の中古バスの3分の1で購入できるからだ。ブレーキが掛かりにくいというのも、この旧式のバスの可能性が高い。さらに出火しやすい。会社経営者は「普通の中古の3分の1で買えるのは魅力的だ」と語る。
▼つまり規制緩和で新規事業に参入するのに敷居を下げたのだ。その結果、書類だけ揃っていれば、オンボロ中古車でも参入できる。しかし経営者は仕事を取るため、バスの外見だけは新品に見えるように塗装して磨き、帰庫するまで「事故が起きないように」と祈るようなハンドルを握る。そのバスに事故が起きやすいことを知らずに乗っている観光客や修学旅行生こを可哀想です。小泉規制緩和のなせるワザです。

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July 14, 2016

◇「ラスト・タンゴ」を見る。

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(ブエノスアイレス「7月9日通り」::禁無断使用。著作権あり筆者撮影)
▼昨日午後3時過ぎ、小雨降る中、新宿3丁目にある宇都宮健児事務所(選対)にチラシをもらいにいった。13日午前零時までに配布しないと「選挙違反」になってしまうというシロモノである。というのはわたしは中身と政策合意のない野党合意だけが先行して、宇都宮さんに実質詰め腹を切らせるような某政党のやり方に憤りを感じたからだ。水増し野党共闘たけが先行しても何の意味もない。事務所はすぐ分かった。すでに30人くらいの人達が作業を進めていた。中には取材にいらしていた田中龍作さんの顔も見えたのでご挨拶する。チラシは最初100枚と思っていたが、少なすぎると思って300枚に増やした。チラシは帰宅しながら駅北口の高層住宅を中心に配布を終えた。後で考えたら1000枚貰っても3時間あれば配布出来たと後悔した。最後に自宅マンションの配布を終えた午後9時頃宇都宮氏の「撤退声明」の一報が入ってきた。あくまでも戦う意思を見せつけただけで良いと思う。
▼しかし何があっても動かない人達は何を考えているのだろう。「どぶ板選挙」という言葉をご存じだろうか?自公の支持者たちは道掃除をしたり、どぶが詰まったと聞けば率先してどぶさらいをして地元の人達のために役立とうとしている。先の衆院選の後半、某候補が支持者を集めて品川で大集会を開いたが、結果として「票」には繋がらなかった。この候補者は普段「反原発」はおろか「安保法制」ではなにも抗議の意思を示さなかったからだ。
▼わたしは若い頃公団住宅の役員に選ばれた事がある。新役員のお披露目飲み会になったとき、初対面の住民から「貴方は車の車庫入れが上手いですね」と言われて驚いた。駐車スペースは1Fにあり、話しかけた人は5F。わたしは11Fに住んでいたにも関わらずだ。何年もずっとわたしの車庫入れを見ていたのだ。その場所に引っ越す前かなり狭い場所に駐車する必要があり、苦労していたので上手くなったのだ。
▼ツイキャスのネット応援団のみなさんも、貴方の車の運転、バスの乗り降り、ゴミの出し方まで一挙一頭足が見られているのだ。それでこの人の言う事なら信頼できる、となる。ネットで通行人の人達に「話を聞いていって下さい」などというのは愚の骨頂だ。手足を使って表に出ようぜ。パソコン打って疲れても支持者拡大には絶対繋がらない。これとは直接関係ないが、わたしはマンションのゴミ収集所の分別の仕方が間違っていると気になって仕方ないので、自分でさらにきちんと分別する。さらに庭に落ちているタバコの吸い殻は全部拾っている。誰に言われなくても自主的に宇都宮選対に行ってチラシを貰って自宅近くで配布する。ビラ折り、証紙張りに参加、ポスター貼りに参加するなど、やることはたくさんあったはずだ。
▼オバマ広島演説は文字起こしに時間をかけています。感想をお寄せ下さい。
◇「ラスト・タンゴ」
▼最初の場面は4年前に行ったアルゼンチン、ブエノスアイレスの7月9日大通りまたは7月9日通りだ。この通りは片道8車線あり、歩幅の小さい人は一気に渡りきることはできない。映画はアルゼンチンタンゴの伝説的ペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスを描いたドキュメンタリー。それぞれ14歳と17歳の時に出会う。その後50年近くにわたってペアを組んだマリアとフアン。何度も別れを繰り返しながらも必ずまた手を取り合ってきたふたりだった。やがてフアンはマリアの元を本当に去ってしまう。それはマリアに子どもが出来なかったことがきっかけになっている。ファンは愛人との間に子どもを二人作っていた事が発覚した事が決定的になる。二人は2000年代に日本公演が最後のダンスショーを開いた。今は80代になったふたりに対しが若きダンサーや振付師を聞き手に、ふたりの愛と想い出や葛藤を明かしていく。フアンへの愛とタンゴに懸けた情熱を若者たちに語る現在のマリアの姿が映し出されていく。だが後半に、「彼女にはうんざりだった」「コペスなんてくたばれ!」と本音で罵り合う2人の様子もある。互いに愛と情熱、そして子どもが生まれなかったことから、憎しみまでも捧げた50年の日々が描かれる。
▼そしてその中でも特にドラマチックな場面を、若きダンサーたちが美しいタンゴの振付で再現する。とくに最初の夜の道路から橋の上で踊るシーンは美しい。マリアは身体が動くうちはタンゴを続けたいと語る。確か若いときの流麗さはないが、確かな踊りをマリアは見せる。「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」のビム・ベンダースが製作総指揮に名を連ね、「ミュージック・クバーナ」のヘルマン・クラルが監督作品である。

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July 13, 2016

オバマの広島演説の裏話。(2)

▼過去2年間、ほとんど使っていないカード会社から新しいカードが届いた。わたしは電話をして継続の中止を申し知れ、カードにハサミを入れた。義兄の他界を機に、持ち物の整理を始めた。フィリッピンの平均寿命は70歳である。読者のみなさんも永遠の寿命があるわけではない。親と同じ時期にボケ、それよりも長生きしても、おそらく自己の意識は認識できまい。意識のあるうちに無駄なものはすべて処分するのだ。想い出の品というのは第三者にとっては一番邪魔である。学者・研究者・教師などの本は死後に処分しようとしても値段はつかない。むしろお金を払ってもって行ってもらうようになる。本の数と知識は正比例しない。単なる安心料だ。必要なものがどこにあるか?必要な記述がどこの本のどの部分に書かれているか瞬時に分からないと、探すのに時間ばかりかかる。あなたの時間はもはや有限である。今70歳の人ならば、冷静に判断できるのは、せいぜい10年程度だろう。財産も所有物もできるだけ早く処分して自分が管理できる範囲にするか、現金化してしまう。残されたヒトにとってゴミの処分は大仕事である。生きているうちに貴方の手でやってしまおう。
▼義兄はカメラが好きでライカやニコンなど何台か持っていた。そのうちの一台がフィルムのパノラマカメラだった。買った時は70万円ほどしたが、死後に長兄が売却したら1万円だったという。わたしも考えた。一眼デジカメ3台と高級レンズを5本ほど持っていた。しかし過去3年はほとんど使わなかった。カメラは保管をしっかりしないとカビが生えて使えなくなる。購入総額は150万円ほどだった。6月中旬、バゲッジに詰めてYカメラに持ち込んだ。査定に1時間半ほど掛かったが約9万円で売れた。その金額でC社のコンパクトデジカメを買った。このカメラの売りは撮った写真を内蔵WIFIでiPhoneに送る事が出来る。それで最近ツイッターの写真がシャープになったのは、暗くても高速シャッターが切れるためだ。
▼オバマの広島演説の裏話。(2)
広島の演説の文字起こしが来た。オバマは広島の現実をすべて自然現象のようにごまかして扱っている。それのみか日本の歴史を無視して語っていた。太古の昔から人類が、火打ち石で武器を作り、木で槍を作り、その頃から道具作り、その頃から道具作りの出発点と同時に殺し合い、相手の物を取ることから争いが始まったと言っている。ところがわたしたちが大森貝塚から学べる事は何か?日本列島に1万年間続いた縄紋時代があり、津々浦々の遺跡からどこをどう掘ってもでて来ないものが一つある。それは武器と武器によって破壊された人骨が一切ない。と言う事は組織的に日本列島で殺し合いが1万年間殺し合いがなかったという事を考古学から学べる。オバマはそれを知っているか、浅学で何も学ばずに来たのか?縄紋時代も否定して、それで江戸時代の300年間、組織的な戦争がなかった時代も無視して、それで原爆投下の事実も無視している。それで堂々と広島で演説をぶったというのは、スゲエ。悪質だ。考古学から学べる事は限られているかも知れないが、オバマが堂々とわざわざ日本に来て、考古学の話をしやぁがって。日本の考古学を一切学ばない。学んで上で全部外すというのは、大森貝塚に土下座しろと言いたくなる。
▼しかしそれが一切問題にならない。オバマが考古学の話を知ったかぶりして話しているのに、それを検証しない。それが今回のパフォーマンスの浅はかさである。だったら17分の演説を5分にすれば良かった。演説を中国新聞が文字起こししてくれて、一度体内に入れる。それを日本語としてはき出し、もう一度これを読み直したときにタイトルは「オバマ大統領広島演説」だ。これを消して「アーサーの広島演説」にしてもう一回やった。そうして読み返しても何も問題なかった。さらに消して「ブラッド・ピット広島演説」と書き直してブラピになって読んでもまったく問題がなかった。更に「デンゼル・ワシントン広島演説」にしたがOK。気になったからもう一度「アンジェリーナ・ジョリー広島演説」にしたが、男女の問題もなかった。だからこれはハリウッド俳優ではなくても、一般の国籍の人は、自分のことは一切書かず、言えることしか言えない。アメリカ大統領としての発言はあるが個人としての発言はない。今回広島演説で何が分かったかといえば、あの人はアメリカ大統領ではないということだ。すてきなチアガールと一緒に、その中には核のフットボールと言われるスーツケースを持って来た。いざと言うときは広島の平和公園から核ミサイルの発射を命令できる。それを持ち込んでいながら、そのことについて触れない。どうしようもない。大統領じゃない。おれはどこへ行ってもこれをもたなきゃならない。こんなものは時代遅れだ。どんな事があってもこんな物を使う積もりはないぞ。といってこれをなくさなきゃ。人類の存在そのものが脅かされる。なんていう小物だろう。なんていうフンヤフンヤ大統領。一本も骨がない。それがホントに現れたのは岩国の米軍基地に行ったときにおこなった演説であった。(了)

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July 12, 2016

オバマ広島演説の裏話。

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(11日東京都庁前でコールするかむろテツさん)
▼昨日は午後から佐倉の歴博で記者会見があった。ここでは本日から「シーボルト展」が開かれる。それに先立つ会見だった。ありがたいことに分厚い電話帳のような資料を配付して下さる。ありがたいが、わたしは夜の行動に備えてビデオの三脚や重いライトやバッテリーを持っている。それに加えて電話帳である。それを抱えて新宿東京都庁前まで駆けつける。到着したときすでに目が廻っていた。しかし調べると肝心なビデオカメラが入っていなかった。ガックリ。抗議・要請行動の内容は「誰が都知事候補になっても築地市場移転問題を争点にせよ」というものだ。集会を開いているとインド人らしい男性が「一体何をしているのだ」と聞いて来たので、思いつくありったけの単語を並べて事情を説明したら「分かって」くれた。終わってから大江戸線で飯田橋で乗り換えたが、重い荷物を持っての乗り換えはかなり身体に堪えた。次回は両国からJRに乗り換えにしよう。
▼永六輔さんの訃報があった。彼は戦争中、わたしの故郷の隣りのM村に疎開してきていた。それで現在の上田高校に通っていたのだが、いじめにあって辛くて小諸駅近くにある懐古園の城址に行って、そのつらさを堪えるために作ったのが「上を向いて歩こう」だった。
▼7月1日に放送されたデモクラTV(インターネット有料放送)の「内田誠のデモクラジオ」に詩人のアーサー・ビナード氏が3ヶ月振りにゲスト出演した。オバマがG7で広島に来たとき某放送局と新聞社に頼まれて17分の同時通訳を頼まれたという。わたしの友人にもこのオバマを評価する方々がいらっしゃるのだが、ビナード氏はオバマの所感をつぎのように解説した。事前にホワイトハウスからは5分くらいの演説だと言っていた。所感とはあるところに行って感じた事を喋るのだ。彼は感じたことは一つも言葉にしていない。演説はすべて既製品であって、持ち込まれたものであり、広島で感じたことは何一つしゃべっていない、アドリブはゼロ。森さんと抱き合ったり、安倍とのツーショットも事前に用意されたものだ。オバマは広島で何を感じたのか証拠は一つも何もない。所感とは意図的なペテンである。所感と言ってオバマがさも広島で感じた事を言っているように装っている。日本のメディアもそれを引きずっていた。
▼17分は長い普通は5分で交代する。中身はなかった。ライターが書いた物を自分では直しているかも知れない。しかしその形跡は分からない。人類の歴史を言っていた。そんなところからお前に語って貰っても困る。出だしから71年前、雲一つない抜けるような夏空から死に神が振ってきた。そして世界は変わった、、と主語が全部自然現象になっている。主語が死に神、世界が変わって世界が変わった。所感ならばオバマが広島に来て被爆者の体験から真っ先に誰でも学ぶ事は、原爆は落とさなければ落ちて来ない。だから「原爆が落ちた」とは言わない。ところが責任問題になるから死がとか死に神、天にまします死に神が、自然現象として降って来て、それによって鎮守した。鎮守は否定も肯定もしない。それが一貫して続いていた。(以下明日に続く)

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July 11, 2016

ボラカイへの旅(10)最終回

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(ボラカイ島への渡し船)
▼昨晩から「バンザイ」のラッシュである。この「バンザイ」という言葉が発明されたのは、大正天皇が生まれたとき東大の某教授になにか誕生を祝福する良い言葉はないか、と研究を依頼した。教授は「奉賀(ほうが)」がもっとも適当であろうと結論を出し、生徒を大勢集めて練習に励んだ。しかし何度やっても「アホーガ」(阿呆が)と聞こえるので、この採用を中止し、「バンザイ」に決まった経緯がある。もともと空疎な言葉なのである。
▼ボラカイへの旅(最終回)昨晩初めて、旅に関する読者からのお便りを頂いた。ありがとうございます。わたしがポルトガルを旅したとき、あのエンリカ皇子に率いられた海洋国家はなぜ、衰退してしまったのか考えた。それはポルトガルもカトリック国家だったからだ。それはカトリックの教え「教会に貢げば死後に幸せの国に行ける」という甘言に釣られたのである。たしかポルトガルの教会建築は素晴らしい。ただそれだけだ。売り物のポートワインもイギリスに依托して生産されている。プロテスタントの教えは「自助努力」である。だからアメリカに渡った、聖教人の人びとはそれなりの努力をして国を築き上げた。キューバもフィリッピンも「寄進組」である。教会の建物は立派になったが儲けたカネを社会資本として投資することをしなかったので立ち遅れたのだ。
Hotel
(宿泊したマンダリンホテル正面)
▼午前4時には目を覚まし、フロントに行ってチェックアウトの手続きをして貰った。飲み物はすべてDマートで買い入れて補充したので支払う金額はなかった。ランチを受け取り感想を聞かれたので、素晴らしかったと答え、ここへ来た本当の理由を英語で答えたら「今年亡くなったのか?」と聞かれた。感謝の言葉を述べ、ガイドの到着を待つ。「早いですね」と言われるので「家には猫がいて毎朝4時には起きています」と答える。来る時は真っ暗で外の様子は一切分からなかった。渡し船の場所には午前7時頃に着いたが、出勤や通学の人達が大勢順番を待っていた。
▼今回通信にどれだけ掛かるかわからなかったので「イモトの海外WIFI」に入ってきた。料金は1週間で8500円くらい。しかし高速WIFIは僻地のせいか使えず常にG3だった。ブログ更新やツイキャス視聴など僻地でやるべきではなかった。そのためドコモへの通信料が4日間で別途9000円ほどかかった。いちおう一家の代表で来ているので、連絡を密にしなければならなかった。海外通話の場合、受信も送信もわたしが負担しなければならない。帰りはトランジットもあまり待たされなかった。ただ荷物は地元空港で「成田ダイレクト」にして貰った。しかしわたしは受け取る時ソックリの荷物を間違えてをWIFI返却場所で開いたら他人の荷物だと分かって、その返却と交換で手間取ってしまった。さらに税関では怪しまれ「開けても良いですか?」とニコニコと聞かれ詳細に調べられた。しかし酒もタバコも見つからなかったので、無罪放免となった。税関の職員は怪しいと思った該当者の「そぶり」で判断するのだろう。しかしバゲッジの鍵が違う鍵で開いてしまうのは驚きだった。みなさんも鍵はあまり当てにしない方がよい。
▼それに旅は見知らぬ土地に住む人たちとのコミュニケーションがなければ「JALパック」と同じで、日本人社会をそのまま移動しただけだ。相手が何を言っているのは聞き取れなければまったく意味はない。NHKラジオの基礎英語を5年真面目にやれば大丈夫。わたしもこれから3ヶ国ほど一人で廻る予定である。
▼参考文献「物語フィリッピンの歴史」、「ニュースのなぜ?は世界史に学べ」以上2冊でした。YouTubeにのせたボラカイの動画を見て、ご自分が行ってきたような文章は決して書かないで下さい。(記事写真の転載・引用は固くお断りします)感想をおまちしています。

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July 10, 2016

ボラカイへの旅(9)

Crystal_cove
(韓国が作った観光島クリスタル・コーブの水中トンネル)
▼成田で手荷物検査する場所には「模造拳銃、模造刀の持ち込みは出来ません」と図入りで書かれている。ところがマニラなどは「リアルガンに手榴弾」の絵で持ち込み禁止とでている。わたしはこういうのを見るたびに「秀吉の刀狩りは正しかったのではないか」といつも考える。以下に書くことは必ずしも正確ではない。あくまでもわたしの直感である。フィリッピンで出会ったRさんは踊り、歌手、マッサージのライセンスを持っている。出来れば日本に行って仕事をしたい。「しかしまだ漢字のテストが残っていてそれがとても難しい。さらに政府にたくさんマネーを払わなければならない」と言っていた。だから簡単な方法は日本人男性と結婚して国籍を取得することなのだろう。
▼ケースは違うがフロリダにいるキューバ難民の人たちはTV番組で「いくら働いても政府に持って行かれるのは辛い」と話していた。ご存じのようにキューバには輸出できるのは砂糖くらいしかなかった。葉巻と言ってもキューバのそれは高級品で、誰もが吸えるようなシロモノではない。キューバで自立するのは私有企業が認められていなからかなり難しい。10年くらい前に在日キューバ大使が「日本の和菓子は甘くない、もっと大量に砂糖を使え」と言っていたが乱暴な話をする人だと思った事がある。味はその国の文化である。ソ連が崩壊してキューバの砂糖を国際価格よりかなり高く引き取っていたから困ったのはキューバである。わたしが旅行したときは様々な情報から、食料自給率を上げようと努力している様子がうかがえた。
▼しかしそれではくって行けないから、コロニアル建築である文化遺産の修復を大学の授業でやり、技術者を増やしす努力をしていた。さらに亡命した人達からの本国への送金は貴重な財源だったから、実質目を瞑っていた。キューバ本国で事業を興すには亡命した息子や親戚などのカネに頼るしかなかった。ここに来てアメリカとキューバの国交回復で観光事業やホテル建設で一層、弾みがついている。しかし重要なのは「資金」である。
▼フィリッピンも出稼ぎによる「国の復興」が国是になっているような印象を受けた。帰り道は昼間だったので農村の様子もつぶさに観察できた。バナナの木がなければ日本の農村風景とあまり変わらない規模の田んぼである。大型機械はほとんど入っていなかった。地方都市ではゴミ箱をあさる人もごく少数だが散見された。
▼中国には「華僑」が昔からあり今や世界的なネットワークになって、本国の家族に言われなくても送金している。だがフィリッピンもキューバも制度としてはない。おそらくそれはスペインのカトリック思想によるものだと思う。
(記事写真の転載・引用は固くお断りします)

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July 09, 2016

ボラカイへの旅(8)

Mangojuce
(マンゴージュース)
▼昨日は二週間振りに「行動」に参加した。テツさんはじめ何人かの人には欠席する理由を説明してあった。まず大手町のJAの抗議から始める。参加者は主催者も含めて3名。だが、そんな数にはめげないで抗議と要請行動を1時間余行い、経産省前に向かう。こちらは9時半近くまで抗議をして解散になる。久しぶりなので立っているだけで、かなり疲れる。顔見知りの方々にはフィリッピンのスナック菓子のお裾分けをする。帰りはうっかり総武線回りを選んだ。秋葉原でGファンがガヤガヤする満員電車は入って来た。その中に若い女性が背中に「クロマティ48番」というシャツを着ていた。かなり時代遅れである。選挙も原発汚染水もまったく考えない幸せな人びとだ。リツイートをしてツイキャスを見ているだけで1年に一度くらい国会前に来て満足している人も同様。自分の世界に閉じこもり、いざという時はまったく当てにならない。こういう人たちは一切無視する。
▼28日はDモールにある大型コンビニで食料品とビールを調達してホテルに戻る。夜中までカラオケはうるさかった。翌朝「店」まではホワイト・ビーチを歩いて行くことにする。ホテルを一歩出て歩き始めたら、わたしの名前を呼ぶ人がいる。このボラカイには顔見知りなど一人もいない筈だ。振り向くと「店」の社長さんだった。「怪我は大丈夫ですか?」と聞かれたので帽子を取りおでこを見せると安心して下さったホテルの名前入りサンダルを履き徒歩20分で到着する。昨日も2時間近く探し回らないで歩けば良かった。
Hiyasi
(ボラカイの冷やし中華)
▼さっそく冷たい水を出して下さったので、それを飲み干してからマンゴージュースを注文する。しばらくしてRさんがいらしたので「毎晩カラオケでうるさくて」というと、いきなり歌い出した♪「空を押し上げて 手を伸ばす君 5月のこと 必ず来てほしい」一青窈の「花水木」である。高い透き通った声だった。日本にいる親しい友人3名に絵はがきを書いて、切手代を店員さんに渡して投函してくれるように頼む。昼食は「冷やし中華」を注文して一休みしてから午後の行動を考える。もう一度船で同じ場所を巡っても仕方ない。陸路を4WDで廻るコースもあったが「船で一度廻ってしまえば、あまりオススメではない」と店長はいう。そこで店の前の海で泳ぐことを思いつく。昨日の失敗から、きょうは水着を持参してきた。
▼水着に着替えると副店長さんから「一体なにをしてそのような身体になったのですか?」と聞かれる。「腹筋と腕立て伏せ」と答え、久しぶりに海水に浸かる。平泳ぎで足を伸ばすと付け根が、痙れる。やはり脊柱がずれているせいで、ダイビング・コースに申し込まなくて正解だった。2時間ほど青空をみあげて浮遊し、義兄の事を想った。
▼海から上がってシャワーを浴び着替えると、Rさんが再び顔を見せて別れ際に「わたしの事を忘れないでね」と挨拶する。初対面なのにクルーズの時は随分親切にエスコートして下さった。それと随所でサービス精神と徹底した見事な職業倫理を感じた。親戚一同への買い物をしながらホテルに戻る。Dモールでは缶ビールを4本買ってくる。しかしこちらのビールはいくら飲んでも酔いを感じることが少ない。明日は午前5時に起きなければならないので、携帯のタイマーをセットする。火焔瓶テツさんたちのアメリカ大使館前抗議を応援しながら床に就く。一番大事なのは帰りのEチケットだけなのでパスポートと金庫に入れてあるのを再確認する。
(記事写真の転載・引用は固くお断りします)

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July 08, 2016

ボラカイへの旅(7)

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(PUKA島の木の枝だで出来たモニュメント)
▼ツーリストの事務所に着くと、高齢の日本人観光客が来ている事は既に知れ渡っていた。狭い島なのである。さらに店員さんの一人は昨晩のガイドさんの弟さんであった。昼食はオムライスを注文した。コメはいわゆるインディカ米だが、それ以外は日本で食べるのと変わらない味だった。この事務所に来たのはボラカイクルーズに参加するためだ。案内のパンフレットは乗り合いでビール飲み放題のプランが書かれていた。わたしは昼間は一切飲まない主義なので、そのプランは必要がない。ホテルまで送迎付きで7500ペソと店まで自力で行く金額の倍なので、自力で来たわけだ。他の観光客は誰もいないので、「一艘貸し切りで4000ペソ、船頭さんだけ」で良いと話したが、社長はそれでもといって、店で働いている女性のRさんをつけて下さった。
Puka2
(筆者とPUKA)
▼Rさんは一度日本にいらした事がある、という30代の女性で踊り、歌、マッサージと3つのライセンスを持ってお店で仕事をしていらっしゃる。船頭さんは二人でエンジンと転覆防止用のフロートが左右に付いている。最初は静だったが、次第に荒れてきて波が船の舳先から座っている部分まで入って来る。普通の人だったら船酔いで我慢できない暗いだろう。最後は雨まで降ってきた。それに島に上陸するときは、急ごしらえのハシゴを使うのだが、波が荒いので腰まで海水に浸かってしまった。
▼湾内の波は静かで砂浜は真っ白だった。PUKA島で降りたときそこにいた観光客は欧米人だけで日光浴をしていた。Rさんは砂浜の小石でわたしの名前を書いて下さった。波が荒く左右に揺れるのでRさんはわたしの方や両足を支えて下さった。とても親切な方である。回りは高級別荘が建ち並んでいる。おそらくこれも外国人向けのものだろう。最突端まで行くと、湾の風景はワニのような奇岩が多く、松のような木が生えていて、何と宮城県の松島に似た風景になってきた。
Puka4
(亀の形をした島)
▼途中、韓国資本の島に200ペソ支払って上陸する。見晴らしの良い部分とトンネルのような洞窟が続いていた。このトンネルでも下半身はさらに濡れてしまう。幸いカメラとビデオは水害には遭わなかった。トンネルは狭く苦しい。わたしは狭いトンネルは恐怖を感じる。閉所恐怖症なのだ。わたしはトンネルの出口で頭をぶつけ小出血するRさんは「傷を見せて」と言って携帯カメラで撮る。それはすぐさま事務所に送信されていて、戻って上陸したら救急箱を持った社員さんが駆けつけてくれた。
▼途中パラセーリングや様々なアクティビティを楽しんでいる光景を目にした。ダイビングツアーの船もかなり多い。わたしはダイビングのライセンスを持っているが、今回は持って来なかったので潜らなかった。ビデオは合計40分くらいだが、クルーズは2時間ほどだった。途中「あれがブラボー岬だ」という説明があったので、アメリカ軍と日本軍が戦った歴史でもあるのか?とお聞きしたが詳しいことは分からなかった。上陸後、土産を買うためにショッピングモールの場所を教えて頂く。30日現地で家族に出した絵ハガキは、7日日本に到着していた。
(記事写真の転載・引用は固くお断りします)

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July 07, 2016

ボラカイへの旅(6)

Misenaibu
(ホワイト・ビーチ絶好の場所にあるお店の内部)
▼ふと感じたことなのだが、フィリッピンの国旗とキューバの国旗はかなり似ている。現地の人に話したが、あまり興味はないようだった。つまり歴史的に見れば両国ともスペインの植民地だった。キューバはコロンブス以来、スペイン領として続いていたが、1868年に独立運動が起こった。この独立運動は鎮圧されたが、90年代にホセ=マルティ(キューバ独立運動の父)を指導者とした独立運動が再び活発となり、1895年7月に共和国として独立を宣言した。しかしスペインの弾圧はなおも続いていた。それは、アメリカはキューバの砂糖資源に投資していたので、それを失うことを恐れて介入の世論が高まったためだ。1898年にハバナ港でアメリカの軍艦メイン号が爆沈して多数のアメリカ兵が犠牲となったメイン号事件(アメリカの謀略という説もある)が起きると、マッキンリー大統領がスペインに宣戦布告した。ラテンアメリカ・フィリピンでスペイン軍と戦闘の結果、4ヶ月でアメリカの勝利となった。
▼その後、1898年末に講和が成立し、パリ条約でキューバの独立は承認され、アメリカはフィリピン・プエルトリコ・グアムを領有することになった。これはアメリカが行った帝国主義戦争であり、これによって海外に殖民地をもつ国家としてイギリスと並び、一躍世界の強国となった。米西戦争の時、アメリカがキューバに上陸した地点を、戦後に永久租借とした。キューバが社会主義国となってもアメリカは返還せず、それが現在のグアンタナモ基地として使用し続けている。 また米西戦争ではアメリカに協力して戦ったフィリピンの独立派アギナルドのフィリピン共和国に対してはその独立を認めず、フィリピン=アメリカ戦争で植民地支配を開始し、それを足場に、中国への進出をはかることとなる。1937年12月、マッカーサーはアメリカ陸軍を退役し、フィリピン軍の初代元帥に就任した。(フィリピンはアメリカより1946年の独立を約束されており、独自の軍隊の編成中であった)フィリピン独立準備政府初代大統領マニュエル・ケソンの収入を大きく上回る給料がフィリピンの国庫からマッカーサーに支払われ、またマッカーサーはフィリピン財界と癒着し、ホテルや金鉱山の共同経営などの利権と莫大な財産を手にしたと言われている。このようにマッカーサーがフィリッピンに多大な利権を持っていたため、日本軍から奪還することに血道を上げていた理由がわかろう。
▼キューバやフィリッピンもそのようなスペイン支配の歴史があるため、例えば「サンタクララ」という地名は両国に存在する。サンタクララとはポルトガル語、スペイン語で聖クララ(アッシジのクララ)の意味でアルゼンチンにも、アメリカにも同名の土地が存在する。
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July 06, 2016

ボラカイへの旅(5)

29moning
(29日ホテルの朝食)
▼カラオケは毎晩続いた。理解出来ない言語を使い、集団で午前0時過ぎまで歌いまくっていた。翌朝6時半から朝食なおで「クーポン券」を持ってレストランに行くと、「まだだ」と言われる。フィリッピンと日本の時差はマイナス1時間である。わたしはiPhoneだけ現地時間に合わせ、腕時計はそのまま日本時間にしておいたのだ。30分時間をおいてから再びレストランに向かう。ビュッフェ方式だった。ほぼ日本のホテルと変わらない。プレートに様々な食材を取り分ける。フルーツは南国のバナナやパイナップル、マンゴーなどが並んでいる。リンゴもあったので一個取って、ナイフを使って自分で割って食べて見た。日本のそれとは味はかなり違うし、スカスカである。後であった現地の案内人によると「FAKE」だという。
▼「something drink?」(現地の会話は英語だったが以下すべて日本語で書く)と言われたので「コーヒー」を注文する。アラビア・コーヒーのような味がした。朝食を済ませ部屋に戻り、再びホテルの目の前にあるホワイト・ビーチに出て今回の旅行の最大の目的のやるべきことをやる。それはたった3分くらいで終わって肩の荷が下りる。
▼さて後は純粋な観光になる。しかし現地に知りあいは一人もいない。残り2日間ホテルに引きこもりでは仕方ない。自分の運命は自分で切り開く。パンフレットを見て、案内所に電話をする。まず社長の携帯に電話をするが、電波状況が良くないので、オフィスに電話すると、ホテルの名前と部屋番号を聞かれる。後ほどコールバックがあるのだが、わたしのパスポートは旅券事務所で「U」を除いて書くように言われている。だから菅原道真の「東風吹から、おもい起こせよ梅の花」の「東風」である。外から電話をしてくれた人はフロントに「そういう人物は泊まっていない」と言われる。次は着歴を見てiPhoneに電話が掛かってきた。持ってて良かった、と思う一瞬である。
▼「ボラカイ湾クルーズを申し込みたい」というと、店まで車(タクシー)で来てくれと言われる。この地の乗り物はバイクの脇にリヤカー風の座席をつけた「トライシクル」が一般的である。広い道に出れば拾える筈である。警察署の先にトライシクルのたまり場があった。地図を見せて「ここに行ってくれ。分かるか?」と頼むと「ノープロブレム」という返事であった。ところが地図というものには南北の表示がない。海と陸の境目が分からない。道路は渋滞していて10分もしたら目的地に到着jする。しかし、そこからが問題だった。地図を見せて場所を聞くが誰も「知らない」という。ポリスボックスで聞くと「来すぎてしまったので、歩いて15分戻れ」というではないか。
▼目印の銀行も同名のものはたくさんあるという。道路の脇の銀行の入り口のアプローチに座って一息入れていると中国系銀行にオリーブドラド色した現金輸送車がやってきて作業を始めた。ガードマンはかなり手入れの行き届いたレミントンのショットガンを構えている。これはギャングには効き目がありそうだ。再び電話すると「30分以内に行く」という返事があったが、結局向かえは来なかった。1時間後再び電話すると「場所を詳しく教えてくれ15分以内に行く」という連絡がはいった。15分すると見知らぬ美しい女性が「Kさんですか」と声をかけてきた。美人局というのもあるから気を付けなければと、思って会話すると間違いなさそうだった。トライシクルに乗って、海岸沿いにある旅行社まで行く。ホテルを出てから2時間も立っていた。わたしはかなり手前でおろされてしまったのだ。お店の人は冷たい水で歓待してくれた。
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July 05, 2016

ボラカイへの旅(4)

▼空港のフィリッピン行き受付開始は7時半からだった。ホテルの朝食は6時半からなので、食べていると間に合わない。荷物をまとめて空港には午前7時に着く。やらねばならないのは海外WIFIのルーターを受け取る事だ。場所はかなりわかりにくいところにあった。後発組なので隅に追いやられている。荷物のチェックをしてから朝食だ。飛行機が離陸して10時頃になるともう昼食である。マニラ到着が正午頃なので、繰り上げたのだろう。マニラ(ニーノ・アキノ国際空港)では自分のバゲッジを国際レーンから国内線レーンに運ばねばならなかった。
▼それが終わると車で3kmほど離れた国内空港に移動する。高速道路を建設中なので大渋滞だ。来る時の飛行機は前半分のビジネスクラスもガラガラ。後方のエコノミーもかなり空いていた。ガイドさんの話によれば、今まで2月の寒い時期、ゴールデン・ウィーク、夏休みは日本からの客で溢れていたが、現在は閑古鳥が鳴いていて、仕事にならない、とこぼしていた。20分くらい走ってようやくマニラの国内空港線に2時頃に着いた。トランジットは午後4時だ。ところが飛行機は遅れに遅れて到着したのは午後午後7時だった。その間2回、別の便が到着した。カウンターで何度聞いても「順番が来たらアナウンスするから暫く待て」というだけでとりつくシマがない。空港で泊まることになったらどうしよう、と言う不安が頭をもたげる。
▼午後9時予定より5時間も遅れて国内線は出発する。食べたのは機内でとても変わった味がするビーフ・ハンバーガー一つだけだった。寂しいカリボ空港に到着jしたのは午後9時を過ぎていた。真っ暗な道路をかなりスピードを上げて車は走る。私の他には若い日本人と思われる男女がひと組だけだったが、彼らも途中のカティクランで降りる。ボラカイは島なので、ちょうど鹿児島の桜島のフェリーのような感じで夜のフェリーに乗る。但し船にのるにはかなり厳しいボディチェックがある。あのハエ叩きの親分のような危惧で念入りにチェックされる。対岸のボラカイ港に到着してから再び車で15分ほど走る。ホテル・マンダリンにたどり着いた場面は(1)に書いた通りだ。注意事項が英文が書いてあり、「do you anderstand engrish?」と聞かれる。「about」と答える。海外旅行するとき、相手が何を喋っているか理解できなければ、トランジットも出来ないし、旅をする意味がない。単語は250ワード知っていれば日常会話に不自由はない、というのがかつて通っていた英語学校の校長の話だ。午後11時も過ぎてしまったので、レストランには行けない。くる途中ホテルの近くにマクドナルドもあったが、ここまで来てそんなファート・フードの店に入る気分にはならない。他の中華やら韓国料理の店もあるが怪しすぎて入れない。
▼持参した乾燥おにぎりと、乾燥味噌汁を食べて夜食は済ませた。ホテル・マンダリンは外観は日本の帝国ホテルのような作りで、ボラカイで最高級のホテルだ。いやもっと安いホテルで十分だが、あいにく空いていなかったのだ。この豪華なホテルの広い部屋で3日間過ごすことになる。しかし深夜なのに外国人が唄うカラオケがうるさい。
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July 04, 2016

ボラカイへの旅(3)

▼この1週間ほどフィリッピンに行っているときもツイキャスの「中継開始」のメッセージが絶えなかった。とくに選挙中盤になってから、一度も接触をした事のない見知らぬ人からも入って来て、集中できない。激しい時は10分間に4~5本も入って来る。ツイキャスはわたしの場合友人・知人の4、5人だけ入って来れば良い。ソフトその物を消去すれば良いが、そうもいなかい。昨日は昨日は消す方法が分かって、しらみつぶしに消してしまった。
▼30分ほどで粉骨にして頂いたものは2パックにして、水溶性の袋に入れて、さらにそれを名前を書いたポリ袋に故人の名前を書いて入れて下さった。係りの女性は外国に行ったことは一度もない、と仰るのでボラカイの動画を帰国後、葬儀社あてメールでお送りした。湯飲みほどの「骨壺はどうしますか?」と聞かれたので「廃棄処分」をお願いしますといったら、「粉骨証明書」をいただいて帰って来た。
▼旅行社との話では持ち出すとき、1)戸籍謄本、2)死亡診断書、3)火葬証明。4)埋葬許可証が必要だと言われた。まず1)は死亡したので発行してもらえない。しかも英文の謄本など存在しない。2)は日本語ならば発行すると言われる。3)、4)も同様である。「粉骨証明」は公的な文書ではない。
▼旅行社と話を詰めていくと、あの国は本来土葬だから、骨の持ち込みは拒否される可能性もある。いまならギリギリまでキャンセルを待つことも可能である、と言われる。あとは旅行社に一切関係なく、故人責任でやって欲しいと言われる。家族、親戚と相談すると国内の海でも良いのではないか、という意見もあった。わたしは、しかし故人の遺志を尊重すべきだと頑張る。言ってみればわたしの責任で行くことになる。書類は平河町の業務用の飜訳をしている会社を探して、そこに依頼した。読みにくい文字はルビを振ってお願いしたら中、5日間で飜訳文はメールは送られてきた。これで税関で見つかっても「麻薬」と間違えられる心配はなかろう。
▼ではブツはどう運搬するか?わたしの経験では、日本を出国の時に咎められなければ、現地の国で入国時で調べられることは、まずない。だが念のため非常食の水で戻すおにぎりと、味噌汁のパックをカッターナイフで切って押し込み、粉骨2パックを押し込みセロテープで留めた。
▼海外旅行で持参すべき物はリストを作ってあるので、それを見ながらパッキングする。いつもと違うのは通信事情が分からないので、海外WIFIを5日間約9000円で借りた事だ。結論から言えば、通信事情の悪いボラカイ島これはほとんど役に立たなかった。4日間で別途ドコモから同じくらいの金額の請求書が来た。28日は朝7時半成田第3空港ターミナル集合なので、前日に成田空港内のホテルに前泊した。
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July 03, 2016

ボラカイへの旅(2)

▼昨日は身体選対が痛くでPCにはほとんど向かう事が出来なかった。帰国した7月1日の東京新聞朝刊最終面にはジャーナリスト内田誠氏の連載の「私の東京物語」最終回が掲載されていた。内田氏は久米宏ニュースステーションの取材スタッフとして活躍して来られた方で、現在はデモクラTVのキャスターという肩書きである。その最終回に父親の介護と終末医療、そして散骨について書かれている。父親の亡骸は東京女子医大に献体され、荼毘に付され戻って来た。遺骨は兄が一晩かかえて砕き、家族で相模湾に散骨。その後母の遺骨も墓地から引き上げ、羽田沖へ。と書かれている。
▼わたしはなぜわざわざ成田から15時間もかけてフィリッピンのボラカイに行ったのか?内田氏の話と無関係ではない。実は義兄が終末医療を3年ほど続けていた。1月25日夜10時頃施設から「危篤」という電話があり、市場身軽なわたしが駆けつけ、朝6時頃まで付き添い、三番瀬の取材を控えていたので、施設を離れた。義兄が亡くなったのはその日の夜で火葬は27日午後だった。普通火葬を頼んでも数日から1週間も待たされる。ところが義兄の場合死亡から24時間後に火葬の順番がやってきた。それで生前から自分の遺骨は、自分が旅した中で一番美しかったボラカイに散骨して欲しいと言っていた。火葬場で分骨して貰い、納骨が終わったのは5月下旬だった。
▼ボラカイまで親戚一同で散骨ツアーに行こうかという話もあった。しかし全員わたしよりも高齢である。姪や甥と一緒という話しもあったが、日程を調整するのが極めて難しい。分骨を預かっている義姉からは「夢見が悪いからなるべく早く」という希望もあり、わたしが単身出かけることになった。第一にしなければならないのは、「粉骨」である。火葬場に聞いたら有料で粉骨にするサービスがあるという。コップ1杯ほどのお骨を、某日わたしは火葬場に運んだ。何か機械を使うのかと思って見ていたら、係りの女性は小鳥の餌をすりつぶす小鉢で手作業で粉にして下さった。
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