« ボラカイへの旅(8) | Main | ボラカイへの旅(10)最終回 »

July 10, 2016

ボラカイへの旅(9)

Crystal_cove
(韓国が作った観光島クリスタル・コーブの水中トンネル)
▼成田で手荷物検査する場所には「模造拳銃、模造刀の持ち込みは出来ません」と図入りで書かれている。ところがマニラなどは「リアルガンに手榴弾」の絵で持ち込み禁止とでている。わたしはこういうのを見るたびに「秀吉の刀狩りは正しかったのではないか」といつも考える。以下に書くことは必ずしも正確ではない。あくまでもわたしの直感である。フィリッピンで出会ったRさんは踊り、歌手、マッサージのライセンスを持っている。出来れば日本に行って仕事をしたい。「しかしまだ漢字のテストが残っていてそれがとても難しい。さらに政府にたくさんマネーを払わなければならない」と言っていた。だから簡単な方法は日本人男性と結婚して国籍を取得することなのだろう。
▼ケースは違うがフロリダにいるキューバ難民の人たちはTV番組で「いくら働いても政府に持って行かれるのは辛い」と話していた。ご存じのようにキューバには輸出できるのは砂糖くらいしかなかった。葉巻と言ってもキューバのそれは高級品で、誰もが吸えるようなシロモノではない。キューバで自立するのは私有企業が認められていなからかなり難しい。10年くらい前に在日キューバ大使が「日本の和菓子は甘くない、もっと大量に砂糖を使え」と言っていたが乱暴な話をする人だと思った事がある。味はその国の文化である。ソ連が崩壊してキューバの砂糖を国際価格よりかなり高く引き取っていたから困ったのはキューバである。わたしが旅行したときは様々な情報から、食料自給率を上げようと努力している様子がうかがえた。
▼しかしそれではくって行けないから、コロニアル建築である文化遺産の修復を大学の授業でやり、技術者を増やしす努力をしていた。さらに亡命した人達からの本国への送金は貴重な財源だったから、実質目を瞑っていた。キューバ本国で事業を興すには亡命した息子や親戚などのカネに頼るしかなかった。ここに来てアメリカとキューバの国交回復で観光事業やホテル建設で一層、弾みがついている。しかし重要なのは「資金」である。
▼フィリッピンも出稼ぎによる「国の復興」が国是になっているような印象を受けた。帰り道は昼間だったので農村の様子もつぶさに観察できた。バナナの木がなければ日本の農村風景とあまり変わらない規模の田んぼである。大型機械はほとんど入っていなかった。地方都市ではゴミ箱をあさる人もごく少数だが散見された。
▼中国には「華僑」が昔からあり今や世界的なネットワークになって、本国の家族に言われなくても送金している。だがフィリッピンもキューバも制度としてはない。おそらくそれはスペインのカトリック思想によるものだと思う。
(記事写真の転載・引用は固くお断りします)

|

« ボラカイへの旅(8) | Main | ボラカイへの旅(10)最終回 »