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July 03, 2016

ボラカイへの旅(2)

▼昨日は身体選対が痛くでPCにはほとんど向かう事が出来なかった。帰国した7月1日の東京新聞朝刊最終面にはジャーナリスト内田誠氏の連載の「私の東京物語」最終回が掲載されていた。内田氏は久米宏ニュースステーションの取材スタッフとして活躍して来られた方で、現在はデモクラTVのキャスターという肩書きである。その最終回に父親の介護と終末医療、そして散骨について書かれている。父親の亡骸は東京女子医大に献体され、荼毘に付され戻って来た。遺骨は兄が一晩かかえて砕き、家族で相模湾に散骨。その後母の遺骨も墓地から引き上げ、羽田沖へ。と書かれている。
▼わたしはなぜわざわざ成田から15時間もかけてフィリッピンのボラカイに行ったのか?内田氏の話と無関係ではない。実は義兄が終末医療を3年ほど続けていた。1月25日夜10時頃施設から「危篤」という電話があり、市場身軽なわたしが駆けつけ、朝6時頃まで付き添い、三番瀬の取材を控えていたので、施設を離れた。義兄が亡くなったのはその日の夜で火葬は27日午後だった。普通火葬を頼んでも数日から1週間も待たされる。ところが義兄の場合死亡から24時間後に火葬の順番がやってきた。それで生前から自分の遺骨は、自分が旅した中で一番美しかったボラカイに散骨して欲しいと言っていた。火葬場で分骨して貰い、納骨が終わったのは5月下旬だった。
▼ボラカイまで親戚一同で散骨ツアーに行こうかという話もあった。しかし全員わたしよりも高齢である。姪や甥と一緒という話しもあったが、日程を調整するのが極めて難しい。分骨を預かっている義姉からは「夢見が悪いからなるべく早く」という希望もあり、わたしが単身出かけることになった。第一にしなければならないのは、「粉骨」である。火葬場に聞いたら有料で粉骨にするサービスがあるという。コップ1杯ほどのお骨を、某日わたしは火葬場に運んだ。何か機械を使うのかと思って見ていたら、係りの女性は小鳥の餌をすりつぶす小鉢で手作業で粉にして下さった。
(記事写真の転載・引用はお断りします)

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