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July 07, 2016

ボラカイへの旅(6)

Misenaibu
(ホワイト・ビーチ絶好の場所にあるお店の内部)
▼ふと感じたことなのだが、フィリッピンの国旗とキューバの国旗はかなり似ている。現地の人に話したが、あまり興味はないようだった。つまり歴史的に見れば両国ともスペインの植民地だった。キューバはコロンブス以来、スペイン領として続いていたが、1868年に独立運動が起こった。この独立運動は鎮圧されたが、90年代にホセ=マルティ(キューバ独立運動の父)を指導者とした独立運動が再び活発となり、1895年7月に共和国として独立を宣言した。しかしスペインの弾圧はなおも続いていた。それは、アメリカはキューバの砂糖資源に投資していたので、それを失うことを恐れて介入の世論が高まったためだ。1898年にハバナ港でアメリカの軍艦メイン号が爆沈して多数のアメリカ兵が犠牲となったメイン号事件(アメリカの謀略という説もある)が起きると、マッキンリー大統領がスペインに宣戦布告した。ラテンアメリカ・フィリピンでスペイン軍と戦闘の結果、4ヶ月でアメリカの勝利となった。
▼その後、1898年末に講和が成立し、パリ条約でキューバの独立は承認され、アメリカはフィリピン・プエルトリコ・グアムを領有することになった。これはアメリカが行った帝国主義戦争であり、これによって海外に殖民地をもつ国家としてイギリスと並び、一躍世界の強国となった。米西戦争の時、アメリカがキューバに上陸した地点を、戦後に永久租借とした。キューバが社会主義国となってもアメリカは返還せず、それが現在のグアンタナモ基地として使用し続けている。 また米西戦争ではアメリカに協力して戦ったフィリピンの独立派アギナルドのフィリピン共和国に対してはその独立を認めず、フィリピン=アメリカ戦争で植民地支配を開始し、それを足場に、中国への進出をはかることとなる。1937年12月、マッカーサーはアメリカ陸軍を退役し、フィリピン軍の初代元帥に就任した。(フィリピンはアメリカより1946年の独立を約束されており、独自の軍隊の編成中であった)フィリピン独立準備政府初代大統領マニュエル・ケソンの収入を大きく上回る給料がフィリピンの国庫からマッカーサーに支払われ、またマッカーサーはフィリピン財界と癒着し、ホテルや金鉱山の共同経営などの利権と莫大な財産を手にしたと言われている。このようにマッカーサーがフィリッピンに多大な利権を持っていたため、日本軍から奪還することに血道を上げていた理由がわかろう。
▼キューバやフィリッピンもそのようなスペイン支配の歴史があるため、例えば「サンタクララ」という地名は両国に存在する。サンタクララとはポルトガル語、スペイン語で聖クララ(アッシジのクララ)の意味でアルゼンチンにも、アメリカにも同名の土地が存在する。
(記事写真の転載・引用はお断りします)

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