年間放送ドキュメンタリー(1)を見る。
▼やるべき課題がヤマのようにある。昨晩は「街宣活動」がなかったので、夜は先の連休にNHKで放送された、「年間放送ドキュメンタリー・ベスト作品の1」を見た。1部だけで4時間余。印象に残ったのは九州の民放が作った、戦後外地からの引き上げが始まってから、各地の援護局で始まった「特殊夫人」の対応策だ。この聞き慣れない言葉は、日本の敗戦が決まると、満州にはソ連軍が押し寄せる。その尖兵となったのは、「囚人部隊」で、日本人の居留地に押し寄せ「女を出せ」と言って、多くの女性暴行事件(はっきり言えば強姦)が起きた。その結果として妊娠し、帰国することになる。「このままでは故郷に帰れない」と接岸を前に、投身自殺をする女性が絶えなかった。
▼そこで復員局が密かに考えたのは、検疫所でチラシを配ったり、聞き取り役の女性を配置して、「聞き取り調査」をすることだった。そして厚生省を通じて派遣された、医師や看護師たちが中絶手術を行った。当時の日本では兵士を増やさねば鳴らなかったので、堕胎は犯罪であり、医師たちも「起訴・訴追」されないかとおそるおそる手術をしていた。その手術の実体は余りにも悲惨で書けない。これは政府の「満州に行けば土地が与えられ、豊かな生活がある」と,「満蒙開拓団」として,入植した。しかしその実体は現地の農民の土地を奪って、日本人に与えたのが実体である。敗戦が決まると従順に見えた現地の人々は、日本人の復讐を始める。女性は暴行され、男性もぼこぼこに、頭が変形するほど殴られた。そして食べ物もなく、日本まで気の遠くなるような徒歩の逃避行が始まる。
▼もう一つは脳性小児麻痺の障害を持ったご夫婦が結婚して、二人の子どもを育てる20年の記録。後は青森県の浅虫温泉の近くにある「しあわせ食堂」。老人が偏食で健康を維持するために、という目的で1日一食を安価で提供していた。ところが医師夫人の協力を得て1日三食。さらに病院として老健施設に変わって行く10年位を撮影した番組はとても良かった。医師夫人は公子さんとおっしゃって、栄養バランスから仕入れまで安心・安全の食材を手に入れて、メニューも考えて奮闘していた。しかし最後に体調が悪くなり、結果として卵巣腫瘍で志(こころざし)半ばで帰らぬ人となってしまう。
▼この3本目の作品で先に倒れた夫を見舞う妻は、ひと口ひと口、夫を養ってやる。夫は無表情だが、妻の顔を見るとうれしさを隠せない。人の営みというのは、大勢の人達に助けられてできあがっている。そういう事を実感させられる特集だった。浅虫の沖合にある「湯ノ島」を見た四季の移ろいがとてつもなく美しかった。ラストは湯ノ島の鳥居から浅虫を見るが、人間の営みも自然のごく一部であると感じさせられる。
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