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September 13, 2016

◇「クワイ河に虹をかけた男」を見る。

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(12日都庁前アクションでスピーチする,火焔瓶テツさん)
▼日曜日の行動の疲れが中々抜けない。きょうから3日ほど外出は控えます。昨晩は豊洲新市場開設論外!「築地移転」中止せよ!都庁前アクション』 に出かけた。雨の対策はしていったが、昨日と同じ短パンで出かけたら帰りは薄ら寒かった。毎年お彼岸までは、これで過ごしているが、今年は危ない。回りを見渡してみると、短パンの人は一人もいなかった。動画をみていただければ、お分かりになる。朝のTVで共産党都議団の大山さんが「青果の場所を見せて欲しい」と担当者に頼んだら「酸欠になる危険性があるのでダメだ」と断られたという。あの東京ガスの跡地には様々な危険物質が埋められている。「おそらくナチスのガス室のようになっている」と話したら大受けした。
▼動画をアップするには自宅の光回線を結構な時間を占有することになる。昨晩は家族が風呂敷残業だった。そのためリサイズは自分のPCで出来た。しかしアップロードは家族の仕事の邪魔になるので途中で止めて電源を切った。そのため皆さんにご紹介するのが遅れたという次第である。
◇「クワイ河に虹をかけた男」クワイ河とはタイにある大きな河である。日本は戦争中イギリスのアジア進出を防ごうとして、まずシンガポールのイギリス軍基地を占領した。そしてインドのイギリス軍を叩こうとしてミャンマーからインドのインパールに向けて軍隊を派遣したが、ロクな食料や水、医薬品も持たせなかったので、白骨街道になってしまった。海上から石油などの物資を日本に運ぼうとしたが、連合軍に封鎖されてしまう。ならば陸路でという考え方がでて、クワイ河に橋を架けようという戦略が出てくる。交通の難所で人手もいない。それで国際法で禁止されている。捕虜を使って強制労働と苦役で橋を造らせたのだ。その一部は映画「戦場に架ける橋}(クワイ河マーチ)や「戦場のメリークリスマス」に出てくる。使われた捕虜はイギリス人、オーストラリア人、それが現地タイ人が中心だった。
▼このドキュメンタリー映画は、当時タイを占領して泰緬鉄道の架橋工事を指揮していた日本軍の憲兵の通訳をしていた永瀬隆さんの目を通して描いている。20年にわたって撮影をしている。運命の旅路」でも描かれたを追ったドキュメンタリー。多くの捕虜やアジア人が動員された建設工事で永瀬さんは、強制労働、拷問、伝染病死といった現実を目の当たりにする。
▼戦後、鉄道建設の犠牲者の慰霊に駆り立てられた永瀬さんは、妻とともに巡礼を開始。130回以上にわたるタイ訪問により、元捕虜との和解事業や平和基金の創設など、「ナガセ」の名は欧米、アジアでも広く知られることとなった。長瀬さんが一番印象に残っているのは,憲兵の口から腹に水を注ぎ込まれるなど、過酷な拷問に耐え、日本軍の司令部に送られるイギリス人捕虜に,英語で「何があっても頑張れ」と声を掛ける。そのことは相手も戦後面会したとき覚えていた。また日本兵が復員で日本に戻るとき、対政府は飯ごう一杯のコメと蓋に砂糖を持たせてくれた。
▼しかし戦争が終わっても日本政府はこれらの人びとに「謝罪」や「補償」をしてこなかった。長瀬さんは2011年に93歳で亡くなるまで、妻とともに真の和解を目指し援助や進学のための基金を作って活動を続けてきた。満田康弘監督は永瀬さんの出身地・岡山の地元放送局記者で永瀬さんの晩年20年を追い続けた。10日のポルポレ東中野の満田監督の舞台挨拶は以下にあります。対談は30分です。

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