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February 02, 2017

二つの「沈黙」(サイレンス)で考える。

Humie
(「踏み絵」の複製品、長崎にて)
▼日曜日の夜NHKで大越キャスターが「バルト3国」を訪問する番組があった。録画していた物を昨晩ようやく見る事ができた。期待していなかったが、意外とよかった。歴史的にロシアや周辺の大国に蹂躙されてきた歴史を持つ。とくにナチスが撤退した後はロシアに占領され、各国とも人口の25%程度のロシア人が「移住」定着してしまった。いわば満州国が戦後も日本が占領しているような状態なのだ。だから市民はロシアに対する警戒心を解かない。さらにエネルギーでのロシア依存を少なくしようとして、ペレットなどの自国生産をしているのが印象的だった。リトアニアでは徴兵制で常備軍を増やそうとしている。エストニアでは国語の普及させる部署があって仕事に応じてランクをAからCまで作って、実際点検のパトロールをしていた。
▼正月のNHKでマーティン・スコッセシの遠藤周作原作「沈黙(サイレント)」(以後、米版と略称)のメイキングを放送していた。これが2時間の番組だった。昨日は「映画の日」なので映画を見に行ったが、これが3時間の大作で見るだけで疲れた。その前の昭和46年に篠田正浩の「沈黙」(SILENCE)という映画が作られている。詳しくは書くまい。遠藤の小説はかなり強烈であり、映画はそれに比べればたいしたことはない。篠田作品はどちらかと言うと妻の岩下志摩に力点が置かれている。
▼両作品ともなぜ「転向、ころび)したかが主眼点だ。踏み絵で通詞が「形だけでも踏めば許す」というが、奉行は彼ら隠れ切支丹のその瞬間の息づかいまで観察している。棄教を拒否したものには、残酷な刑罰が待っている。日本版では貼り付け、簑をを着せて放火する。水中投棄、地中に首まで埋めて馬を走らせるなどが出てくるので目を覆いたくなるほどだ。しかし海外版では簀巻きにして海中投棄と、海中人柱だけだ。
▼こんな苦難を受けているのにエイスは助けに来ない、というのがアメリカ版のメインになる。一方その場の苦しみを逃れるため頻繁に転んでみせるキチジロー。その直後に何度も懺悔をしたいと何度も願い出る要領の良い生き方をする。キャストで比較するとロドリゴの師であり、棄教した司祭であるフェレイラを演じた俳優は日本版丹波哲郎で、米国版は、シンドラーのリーアム・ニーソンだが、これは両方ともミスキャストにしか見えない。
▼日本版のキチジローはマコ岩松が演じていたが米国版のそれは窪塚洋介で、マコの方がずるがしこく感じる。日本版通詞は戸浦六宏が演じた通詞は浅野忠信。このあたりは甲乙つけがたい演技だ。しかし井上筑後守は日本版が岡田英次で、米国版は何とイッセー尾形だ。こちらは日本版の岡田のほうが重厚感がある。米国版は当然外国人が見る事を前提に作られている。
▼8年ほど前にポルトガルに行ったが、ポルトのサンフランシスコ教会には日本で殺害された24人の切支丹の絵が掲げられていた。しかし情報は何もなく、伝聞だけで描いているので、日本人がかなり野蛮っぽく描かれている。米国版で転ばなかった切支丹の首を即座に切って引きずる場面もそうだ。手順から行ってそのような事がある筈がないが、描き方の問題。逆さづりも日本版の方がはるかに怖い。3時間は長すぎる1時間半でも出来る映画である。日本版は1月に2回「日本映画専門チャンネル」で放映されました。

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