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June 21, 2017

◇「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」を見る。

▼この時期になると、青果店にサクランボが並ぶ、近年では安価なアメリカンチェリーが幅を利かせている。しかしかつては国産のサクランボしかなかった。わたしの祖父は新しい事にチャレンジすることが好きだった。戦後まもなくリンゴ畑の一角にサクランボの木を植えて、商売として成り立つか実験していたようだ。ところが近所のガキ大将の格好の標的となって、無断で敷地にはいり、勝手に木に登って食べられ、自分たちの口には中々入らなかった。当時NHKのら女番組で「サクランボ大将」という番組があり、古河ロッパが出演して、全国を旅する番組を放送していた、今でもきおくに残っているのはそのテーマ曲である。♪「春の川岸 青葉の蔭に さくらんぼ 隠れんぼ さくらんぼ」というものだ。相手役の公子は楠木とし江だったと思うが、記憶はさだかではない。
▼日曜日深夜24時55分NNNドキュメントは『シンちゃんTV奮闘記 小さな町の記録係の10000回』だった。これはわたしの生まれ故郷の隣町の駅構内にある、とても小さなケーブルテレビ局の話だ。名前は「テレビ西軽」で社長と社員二人で取材から放送、経営までやっている。もし興味のある方は25日にBS日テレで再放送されるので、ご覧いただきたい。地域住民と結びついた報道姿勢は「サントリー地域文化賞」を受賞し、小さなスタジオには当時のサントリーの会長が訪問している。実はわたしも15年ほど前に出演させていただき、その模様を録画したビデオテープは家の何処かにしまってあるはずだ。
◇「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」ニッポンの100年を駆け抜けた女と男。むのさんはご存じのように朝日新聞を終戦のその日に退職jして故郷秋田に帰ってしまう。映画の中で喋っているのは、「今まで天皇制を肯定していたのが、敗戦と同時に真逆の占領軍を肯定するような記事は書けない」というものだ。それも新聞社としての反省もなく翌日から恥知らずにそんな新聞を作る事に協力できない、というものだった。むの氏のことは「たいまつ30年」とか NHKテレビ出演のものがあるから、それをご覧いただきたい。
▼映画は。 2014年4月。まもなく100歳を迎える二人が対面するシーンから始まる。同じ時代を生きてきた、笹本恒子とむのたけじ。笹本は日本初の女性報道写真家である。わたしはこの映画を見るまで笹本の事は殆ど知らなかった。むのは誰にも、どこの資本にも頼らない孤高にして伝説のジャーナリストだ。
▼その日、出会いの記念にと笹本は持参した赤いバラの花束を贈り、1本引き抜いてむののスーツのポケットに刺す。すると、むのは「赤いバラが好き。いのちを表す花だ」と目を輝かせて笑う。そしてカメラは、100歳を超えてなお現役で活躍する二人の、いのちの輝きとその秘訣に深く迫っていく。 むのは「たいまつ」という週刊の手作り新聞を発行する。と言っても当時はワープロなどないから、活字を買って自ら植字工として一本一本活字を拾う。当然読者はいないから、読者の獲得から始めなければななり。半年続けて「潰れないメド」が付き、1年たってようやく採算ベースに乗る。社員など雇うお金はないから妻や長男たちが製作から配布までの一切を手伝う。
▼監督は、NHKのディレクターとしてドキュメンタリー番組「がん宣告」「シルクロード」「チベット死者の書」などで数々の賞を受賞、大ヒット作『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』で知られる河邑厚徳だ。
▼本作では、むののペンと笹本の写真を交錯させながら、二人の証言を通して激しく揺れ動いた時代の人間ドラマを描きだしている。 笹本は戦前だったが、新婚旅行は憧れの野尻湖にいく。笹本は戦争下にあって女性たちはどのように生きてきたか活写する。さらに60年安保の時は強行採決から自然成立までの一ヶ月間は毎日国会に通っていたという。写真の一枚にはあの国会議事堂南門で「虐殺抗議」と大書された看板の前で立ち尽くす人々の姿も写っている。
▼わたしがこの映画で衝撃を受けたのは、笹本が追っていた鈴木真砂女の事だった。映画の中で鈴木の「かくれ喪 あやめは 花を落しけり」を聞いたときは目眩を覚えたほどだった。さっそく図書館にリクエストを出し、すでに2册読み終わった。むのも鈴木も人々の日常に寄り添う血の通った視点が優れていると感じた。むのは最後の方で早稲田の学生たちに呼ばれて「SEALDs」らしき二人の青年に問われて語る。彼がが自慢だったSEALDsは解散して、」共謀罪でも姿のかけらも見せなかった。所詮はしかのような流行だったのだろうか?
▼正しさを貫くのは容易なことではない。テレビに取り上げられたり、十把一絡げ(じっぱひとからげ)では組織活動は出来ない。身の回り5m以内にいる人たちにどう働きかけ、意識の変化を待つしかない。100年の歳月をしなやかに生き抜き、笑いながら終えようとする二人からは、学ぶべきことは多い。有楽町ヒューマントラストで午前9斑45分の回のに上映中。

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June 20, 2017

岩波ホールで「残像」を見る。

▼読まねばならない本が次々出てくる。ストックされたTV録画が溜まっていく。さらに屋内、屋外集会の取材が目白押しでした。きょうはメルマガの送信を終えたので、ブログに向かっております。1週間前に公開2日目に岩波ホールで見た「残像」です。予告は良かったので、さぞかし観客で溢れているかと思ったらガラガラでした。ツイキャスやYouTubeでもおもうのだが、国会正門前で若者らしきグループが集まって黄色い声を挙げている集会は視聴率も多い。しかしじっくり考えながら見る集会は、アクセスは少ない。おそらく前者は自分が参加して大声を上げて鬱憤をはらしているような気分になってしまうのだろう。韓国の100万人規模で集まった大統領弾劾集会に比べると、この国の民主主義への動きはまだまだ遠いと思ってしまう。ケン・ローチの「の「The Spirit of''45]」を見ると、第二次大戦から帰ったイギリス兵士たちは、「自分たちはファシズムに勝ったのだから、何でもできる」と自信を持って国民保険サービス(NHS)を作り、主要産業の国営化を始める。ところが日本の場合、在郷軍人会やら軍歌を歌って戦争を懐かしむグループになってしまう。
▼もっともソ連に抑留されて帰国した人たちには別の道が待っていた。代々木の某政党本部へ分列行進で挨拶に向かいのである。このことは「東京五輪音頭」を唄った某国民的歌謡歌手の手記にも出てくる。
▼以下は映画と関係ない、かれこれ20年ほど前にあった実話だ。絵が好きな二人の青年は絵筆を取るたび、熱心に術論を交わしていた。それを見た風呂屋(銭湯)のオヤジが「今度風呂を建て替えて、富士山と帆掛け船の絵を変えたいが、一切任せるから斬新的なものにしてほしい」と頼んだという。2ヶ月ほど二人は熱心に討論した結果、やはり昔と同じ富士山と帆掛け船になったという。つまりあまねく大衆が風呂に入って落ち着くのは、富士と帆掛け船だったという。
▼映画は1943年のポーランド。画家で大学教授のストゥシェミンスキは、10年ほど前に片手片足を失ったが、内にこもらず制作活動を続けている。画面は屋外の丘で学生たちと童心に帰って芝生を滑り降りる場面から始まる。そんな気さくなところが学生たちに人気でだ。ところが大学の方針は、ソ連の社会主義リアリズムをどうやって表現するかが政府や大学の方針になっている。スターリンの巨大な旗が学校に掲げられ、自分の研究室が、影になって灯りが入らないので、邪魔だと旗を引き裂いてしまうことから、教授に圧力が掛かってくる。やがてソ連文化政策や方針に反対したことから大学を追われ、美術品や彼の書いた絵も撤去されてしまう。しかし生徒たちが教授の講義録をタイプを使って清書しようとする。しかし学校はタイプも使わせない、文化大臣は「芸術家の表現の自由が大切だ」と訴える教授に「市電に轢かれて死ね」と暴言を吐く始末だ。教授は収入もなくなる、食料よりも大事な絵の具も「会員でないと売れない」と手に入らない。さらに学生が近くのスーパーの装飾の仕事を貰って来るが、それもどこかの圧力でなくなってしまう。
▼教授には一人娘がいたが、教授の手記をタイプする女子学生に気を使って、家を出て寮に住む。母親は一人死んでしまうが、それを見送るのは娘ただ一人だった。教授の信念は「文化は政治によって一つに統一されるものではない」というものだった。教授は衣食や画材まで奪われどん底の生活で、かつては同志だった元妻にも見放され、苦渋のなかで息を引き取る。その葬儀に参加してのは娘一人という寂しいものだった。だが彼が生きているうちは教授の希望する自立した芸術、が実現される事はなかった。アイジェワイダの遺作の一つ。遺作が次々出てくるのは不思議である。

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June 15, 2017

大洗、開発機構の事故を精査しない規制委員会

▼今朝の某政党機関紙の5面に「初めてのツイッター」という企画が掲載されている。その中の注意事項は「特定の人を攻撃するような中傷や悪口、情報源の怪しいもの、デマは拡散しない」などはちゃんと読んだ方がよい。昨日は朝から第15回原子力規制委員会の傍聴に出かけた。本当はこの日、東京都が豊洲の見学会の一般都民の参加者も募集していたが、「厳正な抽選」に外れてしまった。夕方分かったことだが15倍だったという。ちょっと無理だったか。
▼昨日の朝NHKラジオ6時台の歌は「河は呼んでいる」だった。南仏プロヴァンス地方を流れる♪「デュランス河の流れのように」を舞台に、という歌だ。この曲を聴いているうちに中曽根美樹の「川は流れる」を思い出した。♪「病葉(わくらば)を、今日も浮かべて、街の谷、今日も流れる」だった。
▼そして今朝のNHKラジオ「きょうはどんな日」でアメリカのヒットチャートで「スキヤキソング」がヒットした日。さらに60年安保で樺美智子さんがなくなった日であるとも…。わたしがこの道に足を突っ込んだきっかけも、高校時代に遭遇した樺さんの死だった。2ヶ月ほど前の永六輔の追悼ドキュメンタリーで、彼が「上を向いて歩こう」の歌詞を作ったのも、樺さんの死を知ってからだという話が紹介されていた。実はもっと前に永六輔が小諸に疎開していたとき、通っていた上田高校でいじめに遭い、つらくて懐古園で歌詞を考えた、という説もあったのだが、それは事実ではなかった。樺さんが圧死したのは、国会の南門から10mくらい入ったところだと言われている。わたしは茱萸坂を登って首相官邸方向に行く時は常にその位置に向かって黙礼する。
▼第15回原子力規制委員会。4年前に比べると傍聴者は10人足らずで極めて少ない。申し込む時点では議題は分からない。行って着席すると第一議題は日印原子力協定だったが、過去に同様の内容があったので、審査、討論する必要なし。パブコメも受付ない、で終わり。おいおい、プルトニウム日本が引き取るんだろう。もし原発事故が起きた時はインドは日本に全部押しつけると言っているぞ。
▼大山の降灰問題は調査したら山の東側に10cmほどの積もった跡があった。どうする?大昔のことだから問題ないだろう。簡単に言うとこの調子だ。だが配布された不鮮明の地図を見ても大山が噴火したら瀬戸内海、福井方面の原発への影響も十分考えられる。原子力規制委員会の中に火山の専門家が一人もいかいが重大なのだ。大学でも火山学者を養成しようとしていない。
▼機構改革と人事案。これは委員長のイエスマンだけ揃えるという内容だ。会議の発言を聞いていても、そう受け取れる。核セキュリティ部門を格上げした事が目立つ。登録認証機関への立ち入り検査報告もおざなりである。各期間とも2日で検査を終えているが、大丈夫なのだろうか?わたしは会議の参加に応募した時点では議題は決まっていなかった。しかし当然大洗の原子力開発機構で発生した事故が第一議題になると思っていた。しかし議題にはなく、プレスリリースが添付されただけだ。YouTubeの最期20分くらいで討論がある。現場で何が起きていたか、委員たちは何も把握していない。更田委員は「作業になぜグローブボックスを使わなかったのか?」と繰り返しているが、マニュアル通りに作業をしない「文化」」はJCO事故の柄杓いらい何も変わって居ない。さらに作業員一人に2万ベクレルもの放射能汚染があったが、その後低レベルに変化した理由の説明はない。監視カメラはなかったとされるが、記者に配布された資料にはその記録写真が添付されている。
▼さらに最期に田中委員長は浜岡2号機、柏崎刈羽の審査に取りかかるようやっきになっている発言があった。それにしても、みなさん。再稼働派はパブコメを組織的に書いています。再稼働反対派は…。書くのが難しかったら、「再稼働反対」の一言でも書いて出して下さい。現実に原子力規制委員会の撮影をしてアップしても、アクセス数はたった1件のみ。反原発の動きはストップしてしまったのだろうか?
▼傍聴が終わってから、原子力規制委員会の前再稼働阻止ネットのみなさんが抗議行動をしていたので、参加させていただきスピーチして来た。その後国会に回ろうかと思った。しかしネットで検索しても、きょうは動きはなさそうだった。前夜のYouTube編集で寝不足、朝は寒くて厚着をして来たが、午後から蒸し暑く耐えられない。それで事故や怪我をしてはまずいので撤収する。

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June 12, 2017

国会大包囲でお会いした尼さん。

▼土日と忙しくてバタバタしていて、何人かの方に不義理をしてしまった。来月は必ずまいります。土曜日国会包囲に行った。本当は沖縄差別とたたかうグループに参加したかった。しかし憲政会館前に開会10分前まで待機していたが、みなさんの顔が見えなかったので、やむを得ず急遽国会正門前に移動した。もっと早く行って入れば良い場所を確保する事が出来た。かなり外れに三脚を立てた。しかし混雑してくると、狭い正面ステージ前に立ち止まる人が多い.仕方なく三脚を抱えて立ち上がった。YouTubeが揺れているのはそのためだ。途中目の前を知りあいの人が何人も都おろ過ぎるが、手を振ることもできない。
▼その中に先月取材させていただいた、成田の日本山妙法寺の尼さんが通過して行った。取材の時は手ぬぐいの鉢巻きでダンプを運転していらしたが、今回は法衣で剃髪したお姿だった。3時間近く立ちっぱなしだったので、かなり堪えた。氷で満たして持参した水筒一本は空になってしまった。
▼夜BS日本TVで、太川陽介が司会をする歌番組があった。この日は美空ひばりの曲を大勢の歌手が歌いまくっていた。その中に「みだれ髪」があった。歌詞の中に「赤い蹴出し」というフレーズがあった。自宅で本を読むときは左手にシャープの小型電子辞書の「広辞苑」6版を手にして疑問を調べる。それによれば「婦人が、腰巻の上に重ねて着るもの。着物の裾すそを上げて歩くとき腰巻があらわに見えるのを避けるために着ける。」とある。iPhoneのコトバンクには写真入りで詳しい。万葉集の(巻12・2851)に「人に見ゆる 表は結びて 人の見ぬ 裏紐あけて 恋ふる日そ多き」というわたしの好きな歌があるが、かなりにている様に思う。
▼日曜日は半分仕事で岩波ホール土曜日公開になったばかりのアンジェイワイダの遺作「残像」を見に行く。「社会主義」政権下の文化政策など「リアリズム」という戯言を使った上意下達の押しつけでしかない。その古い旧式の論議をわたしに押しつけようとしている、時代遅れの考えを持った人が生き残っているというのも、現代七不思議な一つだ。人間はロボットではないから、号令や命令では絶対動かない。個人個人の生まれ素性を知った上で、個別に説得して納得して貰わうことが第一歩になる。映画の詳細は後日ご紹介する。映画館を出たら、群馬にいる友人が「渋谷に来ているが貴方の姿が見あたらない」というショートメールが来た。後で分かったが「公共」のみなさんの主催する集会があったらしい。最初はとにかく集まりが悪かったらしい。いきなり言われても撮影機材を毎日もっていない。「公共」にもまったく興味がないのでいかない。不義理の一つは同時刻の国会前集会だ。毎回中継と撮影にお邪魔しているが、ツイッターでは気づかず、第三週の18日かと、勝手に思い込んでいて失敗した。すみません。今月いっぱいは土日も撮影機材はもって歩こうと反省した次第です。

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June 08, 2017

記者クラブという名の情報独占システム。

▼毎朝NHKのニュースを聞くたびに「警察への取材によれば」という言葉の多さに呆れる。NHKには取材記者はいなかったのか?こうなるともう記者ではなく、「御用聞き」である。日本の主要官庁や自治体、大企業にはかならず「記者クラブ」なるものが存在する。一例として関東地方の某県庁の例を書く。県庁の3Fに50平米ほどの場所が無料で提供されている。家賃は無料でコピー機も無料、さらに電話も無料で、お茶くみの女子職員も配置されている。記者にために無料の駐車スペースも確保されている。朝晩決まった、新聞社の締め切り時間に合わせた時間に記者説明(会見)があり、場合によっては「記事のひな型」まで配布される。これでまともな記事を書ける筈がない。
▼例えば原子力規制委員会を傍聴しても、記者席の記者たちは必死にノートパソコンを打つ音しか聞こえてこない。つまり要約を指定の時間までに本社のデスクに送らねばならないからだ。もう仕事ぶりは速記者と変わらない。会議が終わったあと「囲み」と呼ばれる、当該部署や会社の責任者と記者の立ったままの取材が行女子中学生が自殺した事件で、1年たって学校が両親と面会して「事情説明」に訪問した場面があり、その様子がテレビで放映された。横柄に顎を上げて頷く我孫子市教育委員会の責任者に対して、現場にいた記者が「謝罪が先でしょう」と怒鳴られていた。実はこういう骨のある記者は希である。
▼防衛省にも記者クラブがある。そこに加入できるのは、5大新聞とか5大放送局の社員記者だけで、質問も彼らしかできない。それ以外の記者は外国人特派員の枠で入れてもらうしかない。だが質問時間や内容に制約がある。ある日あるとき、その後者の記者が防衛省の担当者に質問して本音を引き出そうとしていたら、記者クラブに所属しているNHK記者から嫌がらせを受けたとブログに書いていた。ブログによれば「2013年10月11日の小野寺防衛大臣の記者会見後、NHKの防衛記者クラブキャップだった鈴木徹也記者から「個人的な質問をするな」とインネンをつけられました。」というのだ。
▼さらに「皆様のNHK」含む記者クラブが当局とナアナアの、八百長プロレスみたいな記者会見ばかりやっているから、完全にジャーナリズムが当局から舐められている」とも指摘し「記者クラブ所属の記者」が所属していない記者の質問を止めさせようとするのは、姑の嫁いじめ」ににていると指摘しているが、まったくその通りである。似た様な事はわたしの身の回りにも起きている。
▼昨日東電本店前でツイキャスをしていたら視聴者が「現場で配布している東電株主運動のチラシがほしい」と書き込みで言ってきた。概要はツイッターで送ったが、詳しい情報が欲しければ自宅に引きこもっていないで、現場に来る事である。

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June 06, 2017

自治体の健康診断を受けた日。

▼5日の民放ニュースによれば、荒川河川敷を不法に占拠している釣り人が問題になっているという。荒川は一級河川だから国が管理している。釣り人たちは「自分専用の釣り場」と称して仕切りやベンチを作っている。国交省によれば河川が氾濫したとき、構築物が流されて下流にある橋などにぶつかって、大きな災害を引き起こす危険がある。さらに釣りをしている本人の命も危ない、という。さらに占拠しているグループは2つあり、かつては会費まで取って運営していたらしい。さらに後発の個人が来ると、「俺たちの場所だ」と追い払う事態も発生しているという。
▼リポーターが釣り人に話を聞くと「国有地であることは承知している。しかし国有だから国民がどう使っても勝手でしょう」という奇妙な論理を振り回す。その場所には鍵付きの扉があったり、警戒のための覗き窓まである。さらに奥に進むと野菜の耕作地まで出現するから驚きだ。「先住権」を主張するなら「権利書を見せろ」と言えば良い。たかが素人のヒマを持てあました趣味の釣りなのだから、もっと仲良く楽しくやれば良いと思うのは、私だけではないと思う。まあ、こういう争い事は、全国各地の二級河川でも行われている。
▼歴史的にみて、先住民の権利が守られているかと言えば、必ずしも守られていない。近くはアメリカのネイティブアメリカンの人たちは、後発のヨーロッパ人に僻地へと追いやられたままだ。この場合、ヨーロッパが持ち込んだ先進的な武器と、組織的工業力の力に負う部分が多い。だがネイティブの人々が精神的に貧しかったかと言えば、むしろ逆だった。
▼昨日は自治体の健康診断に行った。水曜から忙しいので、週の初めにした。問題は医者である。いつも健診に行っている医者は某駅ビルの中にあって医者とは顔なじみで、楽しい話しができる。予約の電話すると受付の女性が「今年は健診をやらない」という。儲からないのだろうか?わたしはどこの病院でも良い訳ではない。弱者の味方で思想堅固な病院でないと困る。必死に探した。するとようやく見つかった。「わたしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。」で始まる永井荷風の「墨東奇譚」の舞台となった近くである。我が家から徒歩30分のところにある。電車で行くと最寄りの京成駅まで徒歩20分電車で7分、歩いて10分だ。結局自宅から歩いた方が早い。
▼場所は地図をプリントして、およその見当をつけて行ったので、迷わなかった。近くに行くと、「共謀罪反対」などそれらしきポスターが貼ってある。受付の女性も看護師さんも、待合室にいる患者さんも皆、親切だった。検査はほぼ1時間。眼底検査は自宅近くの行き付けの眼科医で午後6時からだった。そのため民進党抗議には行けなかった。眼はそれなりに痛んでいる。注意事項は一つ、「重いモノは持ってはいけない」だった。

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June 04, 2017

「テロ対策」を口実にした「共謀罪推進派」のデタラメ

Adati
(お話しする関東学院大学名誉教授の足立昌勝さん)
▼先週日曜日も中継に行った。それは池袋産業会館の「横浜事件と共謀罪」学習会だ。レイバーネットに告知されていたが、みなさん新宿方面でご活躍だった。視聴者は若干いたが、コインやお茶はゼロ。わたしは視聴者数やコインが欲しくて中継をしている訳ではないので、たとえゼロであってもそれは気にしない。主宰者に「発言者だけ撮影させて欲しい」と記者証と名刺とを出してお願いする。「横浜事件」すら風化している。しかし今朝の朝刊を見ると金田法相が「治安維持法」を肯定する発言を参院でしているが、危険な兆候jである。先日も書いたが横浜事件で進歩的ジャーナリストを拷問し、殺害した特高らは何も責任を問われず生き延びているのだ。
▼後半の報告者は関東学院大学名誉教授の足立昌勝さんという人格者である。当日配布資料で目を引いたのは以下の部分である。2)共謀罪法案における「敬作罪」の主体である。ここでは「刑期」について書かれている。続いて組織犯罪集団=団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表3に掲げる罪を実行することのあるものとして、せっかく資料を貰っても行間が読めなければ「○○に真珠」
3、法律により規制されている団体1)破防法による団体。・2)に暴力主義破壊活動があり、そのイ)内乱罪、外患誘致・外患援助に当たる行為やその教唆、その実行の正当性又は必要性を主張した文書図画の印刷、頒布、掲示、、「無線通信による通信等の行為(4条1項1号)とある。
▼つまりここをよく見ていただくと、ツイキャスは無線を使っているので、ここで引っかかるのだ。とくにアクセス数が多い人は「影響力が大」として狙われる可能性が多い。人格者である足立昌勝氏は「週刊金曜日」18ページ5月26日号にも「テロ対策を口実にした「共謀罪推進派」のデタラメ執筆している。その中で「実際、国内では「テロ」など20年以上起きておらず、政府は2002年9月の法制審議会で、共謀罪を必要とするような「立法事実はない」と認めている。
▼加えて日本政府は2000年7月に開かれた(国連越境組織犯罪防止条約」の起草委員会第10回会合で、適用対象に「テロ犯罪」を加えることに反対していた。オリンピックのテロ対策や「朝鮮半島危機」を口実にしてるが、「危機」はアメリカが作っているのだ。(長い論文の要旨です。転載・引用禁止)

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June 02, 2017

◇「オリーブの樹は呼んでいる」を見る。

◇「オリーブの樹は呼んでいる」いまは認知症になってしまった祖父。その祖父が大切にしていたリーブの樹を父はオリーブはスペインでなくても安いものがいくらでも入って来るので、経営は苦しい。そこでお金のために売り払ってしまう。大きな重機が運び込まれ、オリーブは根こそぎ持ち去られる。主人公孫娘であるアルマはその木を「お化けの樹」として大事にしていたので幹によじ登って抵抗する。
▼友人がネットで調べてくれるとある環境エネルギー会社のテラスに飾られているという。そのオリーブの樹を取り戻すため、スペインのバレンシアからドイツへと向かう。同行する大人の二人の友人には、「教会で引き取ったオリーブの樹は手入れが出来ないので返却したがっている」と嘘をつく。そして勤務している会社から大型トレーラーを無理矢理持ち出す。
▼20歳のアルマは気が強く扱いにくい女の子だ。しかし、オリーブ農園を営む祖父とだけは幼い頃から強い絆で結ばれていた。祖父が大切にしていたオリーブは樹齢2000年だった。アルマの父が樹を売り払ってしまってから、祖父は食事も喉を通らなくなってしまう。そんな祖父のため、アルマは樹を取り戻そうと無謀な旅に出る。途中大人の友人の家から「自由の女神像」を盗み出し、トレーラーに載せる。
▼ようやくドイツの目的の会社に着くと、果たしてオリーブの樹はロビーに植木鉢のように置かれている。見つめていると警備員に建物の外に追い出される。困っているとスペインの友人たちがネットを通じてその会社の悪行を並べ立てたてる。ドイツ中からその会社に抗議する人々が笛や太鼓を鳴らして数百人も集まって会社を包囲し抗議する。アルマは当然樹の上にしがみつく。と、その時一本の電話が入る。ロードムービーなのだが、EUでも色々温度差があることが分かる。そして派手ではないが肉親の愛と、国際連帯のようなものにも共感できる作品である。銀座シネスイッチにて。
▼今朝のツイートで辺見庸さんのツイートをリツイートしたら、数人の方がリツイートして下さった。ご存じだと思うが、マルティン・ハイデガーはドイツの哲学者で戦争中はナチスに積極的に協力していた。名著「存在と時間」は難解で一、二度読んだくらいでは到底理解できない。ただはっきりしている事はハイデガーは戦後ナチスの協力者であることから180転換してしまう。ハイデガーはハンナ・アーレントの愛人であったことも広く知られている。「アーレントとハイデガー」を読むと、」妻に内緒でアーレントの会うため苦労している話も出てくる。そして死の床にあったハイデガーにアーレントは「一目会わせて」とやってくる場面など、手に汗を握るほどで、とても面白い。余談になってしまった。
▼日本でも戦争が終わると180度態度を変えた文化人が大勢出た。加藤周一の「言葉と戦車を見すえて」を読むと京都大学を中心とする哲学者グループが、侵略戦争の論理を作るバックボーンの役目を担っていたことが分かる。上記の本の中には具体的に、中野好夫や亀井勝井一郎が「戦争に協力」した事をどのようや言い訳をしたか書いているので、一読していただきたい。

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