« 大洗、開発機構の事故を精査しない規制委員会 | Main | ◇「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」を見る。 »

June 20, 2017

岩波ホールで「残像」を見る。

▼読まねばならない本が次々出てくる。ストックされたTV録画が溜まっていく。さらに屋内、屋外集会の取材が目白押しでした。きょうはメルマガの送信を終えたので、ブログに向かっております。1週間前に公開2日目に岩波ホールで見た「残像」です。予告は良かったので、さぞかし観客で溢れているかと思ったらガラガラでした。ツイキャスやYouTubeでもおもうのだが、国会正門前で若者らしきグループが集まって黄色い声を挙げている集会は視聴率も多い。しかしじっくり考えながら見る集会は、アクセスは少ない。おそらく前者は自分が参加して大声を上げて鬱憤をはらしているような気分になってしまうのだろう。韓国の100万人規模で集まった大統領弾劾集会に比べると、この国の民主主義への動きはまだまだ遠いと思ってしまう。ケン・ローチの「の「The Spirit of''45]」を見ると、第二次大戦から帰ったイギリス兵士たちは、「自分たちはファシズムに勝ったのだから、何でもできる」と自信を持って国民保険サービス(NHS)を作り、主要産業の国営化を始める。ところが日本の場合、在郷軍人会やら軍歌を歌って戦争を懐かしむグループになってしまう。
▼もっともソ連に抑留されて帰国した人たちには別の道が待っていた。代々木の某政党本部へ分列行進で挨拶に向かいのである。このことは「東京五輪音頭」を唄った某国民的歌謡歌手の手記にも出てくる。
▼以下は映画と関係ない、かれこれ20年ほど前にあった実話だ。絵が好きな二人の青年は絵筆を取るたび、熱心に術論を交わしていた。それを見た風呂屋(銭湯)のオヤジが「今度風呂を建て替えて、富士山と帆掛け船の絵を変えたいが、一切任せるから斬新的なものにしてほしい」と頼んだという。2ヶ月ほど二人は熱心に討論した結果、やはり昔と同じ富士山と帆掛け船になったという。つまりあまねく大衆が風呂に入って落ち着くのは、富士と帆掛け船だったという。
▼映画は1943年のポーランド。画家で大学教授のストゥシェミンスキは、10年ほど前に片手片足を失ったが、内にこもらず制作活動を続けている。画面は屋外の丘で学生たちと童心に帰って芝生を滑り降りる場面から始まる。そんな気さくなところが学生たちに人気でだ。ところが大学の方針は、ソ連の社会主義リアリズムをどうやって表現するかが政府や大学の方針になっている。スターリンの巨大な旗が学校に掲げられ、自分の研究室が、影になって灯りが入らないので、邪魔だと旗を引き裂いてしまうことから、教授に圧力が掛かってくる。やがてソ連文化政策や方針に反対したことから大学を追われ、美術品や彼の書いた絵も撤去されてしまう。しかし生徒たちが教授の講義録をタイプを使って清書しようとする。しかし学校はタイプも使わせない、文化大臣は「芸術家の表現の自由が大切だ」と訴える教授に「市電に轢かれて死ね」と暴言を吐く始末だ。教授は収入もなくなる、食料よりも大事な絵の具も「会員でないと売れない」と手に入らない。さらに学生が近くのスーパーの装飾の仕事を貰って来るが、それもどこかの圧力でなくなってしまう。
▼教授には一人娘がいたが、教授の手記をタイプする女子学生に気を使って、家を出て寮に住む。母親は一人死んでしまうが、それを見送るのは娘ただ一人だった。教授の信念は「文化は政治によって一つに統一されるものではない」というものだった。教授は衣食や画材まで奪われどん底の生活で、かつては同志だった元妻にも見放され、苦渋のなかで息を引き取る。その葬儀に参加してのは娘一人という寂しいものだった。だが彼が生きているうちは教授の希望する自立した芸術、が実現される事はなかった。アイジェワイダの遺作の一つ。遺作が次々出てくるのは不思議である。

|

« 大洗、開発機構の事故を精査しない規制委員会 | Main | ◇「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」を見る。 »