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August 22, 2017

NHK「戦慄の記録 インパール 」を見る。

▼木曜日が原稿の締め切り日で、「シネマ」は2本書いて送った。校正直前に次号で掲載する映画を書いてしまった事が分かり。直前に差し替える。夕べ編集企画書を見たら、24日もシネマの締め切りになっている。夏休みとお盆で日程が詰まってしまった。今日か明日時間を作って映画を見てこないとまずい。
▼8月某日NHKで、撃墜された米軍爆撃機B24=ロンサム・レディ搭乗員の生存者や遺族を訪ねてインタビューしたり遺品を渡したりするNHKの番組があった。B24は原爆投下の1週間ほど前に下調べに来ていたが、日本軍に撃墜されてしまう。数人はパラシュートで脱出する。一人の兵士は山に隠れていたが、空腹に耐えられなくなって投降する。日本人は草でも工夫して食べて生き延びるが、アメリカ人には無理だと思う。そのとき機長は憲兵に付き添われて東京に護送される。途中で焼け野原を見せ、「お前達のおかげでこうなったのだ」と話す。他の乗員は広島の収容所に入れられていたため被爆し死亡してしまう。憲兵が乗員の誰かのコンパス(磁石)を持っていた。そのためNHKの記者はそのコンパスの持ち主を捜すため渡米し遺族に手渡す、という話だった。たしか十年以上前の作品だった。
▼「戦慄の記録 インパール」そもそも番組では東条英機が陸軍士官学校の後輩である現地指揮官の牟田口に「手柄をたてさせてやれ」という事から始まった思いつきの作戦である。そして「援蒋ルート」の遮断を主目的とし、ミャンマー(当時ビルマ)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。 相手の戦力や兵站を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされるのが「インパール作戦」だった。このような作戦では兵站(食料や武器弾薬の輸送)が物を言う。現地の兵站を担っていた部隊は「到底無理だ」と言ったところおきまりの「軍上層部にたてつくつもりか?」と一蹴されてしまう。
▼大岡昇平の「野火」最初の場面でも、入院している兵隊が「ここは満員だから他に行け」と3日分の食料(バナナだったか?)だけもたされて放り出される。インパールの場合も一週間くらいの米だけだ。最近アメリカ軍のレーション(軍事食料)を作る工程をTVで見た。全部暖めれば食べられるパックになっており最終段階で異物混入や金属チェックもしている。さらに、嗜好品のコーヒーも入り、トイレットペーパーまで入れていた。
▼ところが日本軍はおにぎりと塩か漬け物があれば良い方だ。食料がなくなったら、現地の農民から手に入れる。というが実体は牛やニワトリなど農作業に不可欠なものを強奪して恨みを買う。食料がなくなれば草を食うしかない。本土ならば多少の野草は手に入る。だが現地では食べられるものが分からない.やがて作戦は遅まきながら中止になる。長雨が続き河川は増水する。歩けなくなり、赤痢になり歩けなくなった兵士はウジが沸いた状態で放置される。死体が放置され「白骨街道」の異名をつけられる。周到な準備をしたイギリス軍に圧倒され、この作戦から得た物は何もなかった
▼名著「失敗の本質/日本軍の組織的研究」によればインパール作戦の事を以下のように評価している。個人責任は不明確にさは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者を突出を許容した。このような志向が、作戦の客観的な評価・蓄積を制約し官僚組織における下克上を許容していった。東電の原発事故で幹部が責任をとらないものと全く同一である。
▼牟田口は4月29日の天長節までにインパールを陥落させることにこだわっていた。そして作戦終了前に将兵の労苦をよそに8月30日に牟田口軍司令官と河辺方面軍司令官はそろって解任、東京へ呼び戻されその後長生きする。

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