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August 18, 2017

「軍事郵便」とは何だったのか?

▼「軍事郵便」で思い出すのは梯久美子の「散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道」に出てくる一節である。硫黄島に残って米軍と戦う事を命じられた栗林は、最後に「郵便止め」という事態に追いやられる。つまり本土との連絡は無線だけになり、もう兵士たちの手紙の送受信はできなくなる。「そこで死ね」と最後の連絡用の軍用機は木更津海軍基地に戻ってしまう。戦場にいる兵士は戦意高揚のために基地の名を暗号にした場所にいる家族の元に郵便や荷物を送ることが出来た。だがお互い検閲があるからどこなのかは分からない。だが太平洋戦争中、「軍事郵便」は戦地と故郷を結ぶ唯一の手段だった
▼NHK8月6日放送「BS1スペシャル「戦後72年の郵便配達」72年たっても変わらない「大切な人への愛」を感じた。というのは番組ディレクターは最近オークションサイトで、太平洋戦争中に戦場と故郷を結んでいた「軍事郵便」という手紙が売られていることを知る。その手紙を調べていくと、その中に、アメリカ軍に押収され故郷に届かなかった手紙が存在していることがわかる。日本軍兵士は筆まめでとにかく戦場にあっても日記を書き、家族に手紙をせっせと書いていた。アメリカには日記を書く習慣はなかったようだ。さらに、日記は落としたりしたら情報が漏れるから禁止もされていたようだ。
▼番組では、ネットオークションでその手紙を収集していたお寺の住職さんが登場する。その手紙は日本軍の兵士が持っていたもので、死体から回収したり、捕虜から手に入れた物もあったようだ。ご承知のように作家のドナルト・キーンはその回収した日記や手紙を分析するのが仕事だった。ディレクターはその坊さんに会い、「軍事郵便」。その中に、米軍によって押収され「故郷に届かなかった手紙」が数多く存在し、ネット上で売買されていることを突き止めた。それは上記の検閲が終わって「価値無し」のスタンプが押されたものは一般米軍兵士の収集対象となったのだ。
▼記念品として集めたが、日本語が読めない彼らは「軍事郵便」に価値は見出せなかった。ディレクターは最初木更津の住所に行くが、当時の人の所在は不明だった。硫黄島から東京に送られるはずだった手紙も同様だ、激戦地ペリリュー島から長野県の家族にあてた手紙を探し当て、長野市の聾唖学校から発信された手紙を持って現在の学校に行くと、卒業者名簿に、女性の名前が出てくる。そして探すとご家族が軽井沢にいるらしいと分かる。そして今、止まった時間が動き出す。軽井沢では戦友会の人がおり、その手紙の息子さんがいることが分かる。さらに手紙のお姉さんという方が川崎の老人ホームにいることが分かる。
▼手紙をもって川崎まで届ける。ペリリュー島にいた兄は激戦地で戦死してしまった。しかし自分のことより妹の事を気遣う言葉で溢れており、ただ涙が溢れてくる。
▼似た様なテーマでは13日深夜放送されたNNNドキュメンタリー「弾除け神社」~奉納写真 2万枚の思い~でも感じた。

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