« March 2018 | Main | May 2018 »

April 30, 2018

白金タワーまで取材に出かけた日。

▼課題が多すぎて、読書をする時間がない。YouTubeをご覧になればお分かりになるが、25日から昨日まで連日様々な行動があった。昨日は港区の上空を低空飛行撤回を要求するパレードがあった。わたしの場合は取材ルールに則って、事前に許可を求めてから行く。いきなり現場に来てマスクを掛けたままカメラを回すのは素人のやることで、ルール違反。あくまでも責任者を捜してご挨拶をして「許可」を得なければならない。担当者とはメールアドレスを探して連絡がついた。当該の運動を紹介しているブログを拝見したら、21日に江東区で行った学習会で、わたしが撮影した山添拓氏の動画がリンクされていた。そのため話は早かった。
▼集合場所は白金タワーという所だった。大昔職場は港区にあったが、三田警察署にベトナム反戦のデモの申請に行ったくらいだ。だから場所は見当がつかない。調べると都営三田線白銀高輪駅から徒歩3分くらいとあった。いや行動に行く前にヒューマントラストでロシア映画「ラブレス」を見て、有楽町で昼飯を食べてから日比谷駅で乗った。タワーとあるから東京タワーのような建築物を目指していった。ところが着いたら超高層マンションだったので二度驚いた。建物の表にたっている人に「ここが白金タワーですか?」とお聞きすると、ニッコリ笑って「そうです。どうぞ」と案内して下さった。
▼すでに大型ビデオカメラを持った方がいた。自己紹介をして名刺を渡す。TBSテレビで「噂の東京マガジン」の取材で来ている方だった。わたしは「東京マガジンの番組を毎週録画して見ている」と言ったら、とても喜んで下さった。中でも「やってトライ」が好きで、「あのとんちんかんな料理を披露する女性たちはやらせでは」とお聞きすると、彼女たちはスーパーの切り身の魚しか見たことがないので、魚の見分けがつかないのです」と話していたので納得する。帰宅してから29日に放映された「いなり寿司」の作り方には驚愕した。たった一人正しく作る事ができたのは、台湾から来た女性だった。
▼わたしが見知らぬところに敢えて取材に行くのは、次の取材の段取りを簡単にするのが目的の一つで、名刺を配って人脈を拡げる.この日もデモを中継しながらあるいていると、わたしの本名を呼ぶ方がいた。振り返ると先週江東区の低空飛行の学習会の責任者をしていた方だった。「ラブレス」は明日書く予定だ。
▼アフリカに行っていた10日間の電話料金の明細書が来た。ケープタウンの局扱いが2526円、アフリカAGAUTENGが1351円。ネットはホテルのWifi使って、iPhoneの自動機能はすべてオフにしていった。だからショートメールの送受信には全てわたしの負担となる。iPhoneに残っている記録を見ると1通話50字から100字くらいだ。つまり1通話50円から80円くらいという計算で、今後の参考になった。海外携帯など買わなくて良かった。

|

April 27, 2018

アフリカ旅行の同窓会の案内が来た。

Victria2
(ビクトリアフォールズの虹の前で)
▼毎日夜になると、様々な街宣や行動がある。そのため帰宅は午後10時頃になってしまう。水曜日は月末の定例編集会議があった。病人二人発生。これからだんだん増えて行くのだろう。まっすぐ帰宅しようと思ったが、「都庁前で築地移転問題で、小池都知事が緊急に会議を開くので、みんなで抗議しよう」と言うツイートが入ったので東京都庁前まで出かける。別の抗議もあったのでバッグの中には中継するための最小限の機材はいれておいた。三脚とライトは貧弱だが、何とかなった。歩き回る距離が長い時は、できるだけ機能よりも軽い装備に限る。それでもビデオカメラを持って行ったので感謝された。
▼昨晩は本郷3丁目で「4月憲法寄席ミニライブ」があったので中継にお邪魔した。最後にアフリカ旅行についてマイクを回されそうになったが、一言だけ喋った。昨日某銀行に記帳に行ったら、損害保険会社から「バッグ遅延による賠償金」が振り込まれていた。実質の交渉は一週間だったが、こちらの希望は最大限入れレもらった。夜の中継をしている最中に一本のメールが入った.アフリカ旅行の時の同窓会の連絡である。写真も添付してあり、個人の顔は特定できないし、個人情報は漏れないのでご紹介する。中央紺のパーカーで半ズボンが筆者です。ビクトリアフォールズの虹がっくきり見えます。ジョニーHさんもブログの旅行記をずっと読んで下さっていることが、昨晩分かりました。ありがとうございます。
▼ツイキャス中継をしていると実績に応じてランクがアップしていく。わたしは2年前に17ポイントくらいから始めたと思う。32ポイントは半年ほと続いたが、昨晩のミニライブが終わって今朝チェックしたら33ポイントにアップした。これも皆さまにご支援して頂いたからです。ありがとうございました。
▼昨日の巷のニューストップはアイドルグループのY。昨日のTVによる街の声。「そんな風には見えなかった」「農家もやっていたしね」農家?「元気村」だろう。あの番組は普段本物の農家人が手入れをしていて、テレビ撮影の時だけ、TOKIOがやっている風に演じるだけなのだ。Yが本気で更正するつもりならば、移住して農村で暮らしていくのがいかに大変かわかるに違いない。ヒルズ近くの、高級マンションに家賃30万円を払っている生活とはおさらばして、地道に汗を流して働けよ。
▼今晩の沖縄の辺野古埋め建てに反対する検察庁前の抗議にいけるかどうかは、体調と相談してから夕方までに決める。それまでに、まず仕事をちゃんとして納品を終えなければならない。

|

April 24, 2018

航空政策の動向と航空労働者の課題

▼昨晩NHKBSを見ていたら、ひと月前に行っていた、ザンビアの野生動物インパラなどが紹介されていた。さらにビクトリアフォールズの空撮が出てきたので、思わず笑ってしまった。今朝の東京新聞によれば同社女性記者が、取材対象者から受けた様々なセクハラの実体が紹介されている。とくに警察・検察など国家権力や地方自治体首長などから受けたセクハラの内容を見ると人間としての素質に欠けているとしか思えない。
▼江東区上空の低空飛行問題の撮影ができなかった部分のお話しです。実はこの取材を申し込んで、「許可」が出るまで2週間やりとりをしました。これだけでかなりエネルギーを割かれます。航空連絡会の津恵正三事務局長のお話をレジメを中心にご紹介します。
1.政府が進めている航空政策では(1)政策の基本成長戦略では●政府=企業が世界で一番活動しやすい国作りをしようとしている。・日本再興戦略として=具体化政策として今、生産性革命が推進されている。
●国交省「生産性革命本部」で20のプロジェクト・プロジェクト8=航空インフラ革命・プロジェクト14=観光産業のイノベーション●石井国交大臣の会見(業界紙から)・2018年を「生産性革命を深化させる」年にする。・「2017年に具体的化を図ってきた各諸施策をさらに推進」・「小さな一歩でも、大きなアウトプットを生み出すという生産性革命の基礎にある考え方をあらゆる分野に生かしていく。」
(2)観光分野では。
●観光産業を日本の基幹産業にする=観光立国を打ち出す(訪日外国人2020年4000万、2030年6000万人が目標である。・これらに対応して首都圏空港の機能強化する→観光立国と言うが、政府の成長戦略の中心は東京の金融国際都市としてのステータス向上に合わせ、航空では羽田・成田の国際ハブ空港としての国際的競争力の強化といビジネスが中心の位置づける。
●今進んでいるカジノやリゾート開発開発で「訪れてよし」「住んでよし」となるのか?(以下国の政策は長いので乱しのみ)
(3)首都圏空港の機能強化、基幹空港の機能強化
(4)民間の智恵と資金を活用した空港経営の抜本的効率化
(5)AIを活用した航空テクノロジーの推進
(6)航空機からの落下物対策
(7)真に必要な航空ネットワークの維持
以下労働組合の考え方
2,企業の事業計画と職場の実態
(1)今がチャンス、成長戦略を受けて事業拡張を推進
(2)JAL破綻を機にした大「合理化」が、今や航空の発展の障害物となっている。
(3)労働条件=とりわけ人員・人材の育成確保、そして勤務改善などーー抜本的改善が必要
   ●パイロット不足は「2030年問題」と言われる状況=現に運休する事態も発生
   ●整備=機材数,MRJ(三菱の小型機)の生産等で、整備系技術者も不足(整備では自給がようやく
1000円になったケースもある)
   ●客室乗務員=やめる人が多く人材が育っていない。新人で18万円(早出、深夜便の帰宅は自腹でタクシー)
    企業によっては経験者募集も=かつてなかった。
   ●グランドハンドリング(航空輸送における空港地上支援業務)=現に募集しても人員確保が困難。
84)FRM(疲労リスク管理)の導入
   ●パイロットから導入が始まっており、安全の確保、労働条件改善の視点から取り組むことが重要。(当初経営者は乗員不足の対応策として導入を検討していた)
   しかしこれを良い制度にしないと機能しない。
3.労働組合が重視し取り組んでいる課題
   ●徹底的なオープンスカイへの対応
   ●安全基盤を強化した安全な航空輸送を提供すること
   ・人員の確保と人材の育成
   ・LCC参入を口実とした安全規則の緩和に反対する
   ・航空機からの落下対策
  ●首都圏空港の・基幹空港の機能強化
  ●AI等を活用した自動化の推進と効率化への対応
  ●必要なネットワークの維持方策の充実を求めて取り組む=公共性の確保
  ●空港の民営化・運営の民間委託=安全の視点から

|

April 23, 2018

◇「ラッカは静に虐殺されている」を見る。

▼シリアは私たち日本人にとって遠い存在である。しかし先週NHKETVで再放送された。「ラーマのつぶやき~この社会の片隅で~」で、家族4人で5年前に日本に難民として逃れて来た話だった。16歳の女子高生ラーマさんは16歳ですっかり日本に溶け込んでいる。しかし収入を失った父親は、プライドも持てずにいる。ラーマは「人間を殺す人間が一番信頼できない」と言う。今シリアのアレッポのテロリスト集団イスラム国に占領されている。3年ほど前に人を介して在日シリア臨時大使にお目に掛かった事がある。そのとき大使は「シリアのアサド政権は民主的な選挙で選ばれた唯一合法政府である」と語っていた。そのときシリアの事を全く知らなかったので、「そうなのか」と思って聞いていた。しかしその後見聞きするシリアとはアサドによってかなり強権的に維持されているのではないか、と思っている。
▼このドキュメンタリーを見ていると、ラッカで反アサド勢力が闘っている最中、どさくさに紛れてイスラム国が、街を乗っ取ってしまったようである。イスラム国は、黒い旗を目印にラッカに乗り込んでくる。やっていることは自分達の意に従わないものを捕らえ、言う事を聞かなければ殺害し、首を切り落としてさらし者にする。あるいは抵抗勢力やその肉親を射殺する場面を録画してYouTubesで公開する。そのイスラム国に反対して闘う人たちは、自主的な抵抗する組織(RBSS)を作ってスマホとSNSを使って、イスラム国の蛮行を告発する。最初はシリア国内でアジトを使って連絡、撮影、編集をしているが、危険が迫って来るので、隣国トルコへ脱出する。イスラム国は連絡用の衛星通信の連絡電波まで察知して、RBSSという抗勢力の場所を特定して、抹殺しようとする。
▼トルコに逃れたものの、一人の記者(と言っても給料も出ない普通の人)が殺害され、さらにドイツまで逃亡しアジトを作る。一番衝撃的なのは、記者の一人の父親を殺害する場面が動画で送られて来たことだ。父親は諦めを捨てきれず、むすこにも抵抗は止めろというメッセージは残さず殺される。
▼逃れたドイツでも、おりから移民に反対するネオナチのデモが行われ、彼等RBSSに対する風当たりは強くなりそうだ。ドイツ警察からもアジトに「危険が迫っているから」と連絡が入る。こうして見ると、アメリカやEU、そしてロシアのシリアに対する「空爆」の意味は何だったのだろうか?結果としてイスラム国は依然として消滅していないし、「元気」に組織を拡大し続けている。自ら抵抗しながらSNSで情報を発信しているRBSSのメンバーは何も報酬は受けることなく、ひたすら「正義」のために、母国シリアに残ってかろうして生活をしている友人や肉親たちから発信される情報を集約してSNSで世界に発信し続ける、願いはあるメンバーがいう「まともな死に方をしたい」である。なぜイスラム国がのさばり続けているか、といえばいまなお東西対立後の間隙の狭間にあって、幼い青少年を洗脳し、少年兵に育ててているからだ、と思う。それはハリウッド的手法を使って、SNSで頭を使わなくても、簡単に引き金を引く方法を疑いもなく普及させているからだ。渋谷アップリンクシアター、ポルポレ東中野で上映中。

|

April 19, 2018

◇「女は2度決断する」を見る。

▼今朝は予定が大幅に狂ってしまい、仕事や原稿執筆の順番が逆になった。すると案の定、午後4時半に原稿催促のメールが来たので夜までまったもらう。今朝の辺見庸氏のブログを読んでいたら、思わず笑ってしまった。それは介護認定を受けようと思って自宅にケアマネージャーさんに来て貰って判定を受けようとしたらしい。しかしイライラしてケアマネージャーさんに当たってしまったらしい。その結果が判定が「1」になってしまったらしい。短気は損気である。辺見氏はご存じのように元共同通信の中国やベトナム特派員をなさったかたで数々の武勇伝もお持ちである。いまは体調を崩して病院に通って、ご自宅の近くの丘をエベレストに例えて「登山」と称して歩行訓練をなさっている。現在の主な活躍の場は作家活動と評論である。辺見氏は病気の関係で手がご不自由のようでキーボードが叩けず、ガラケーのボタンを押して入力し、それをご自分のPCアドレスに送って、ご自身か助手の役割を果たしていらっしゃるご家族の方が文章をつなげて原稿に仕上げていらっしゃるらしい。
▼辺見さんは哲学者で大作家だと、わたしは思っている。ブログで拝見するとどうやら、わたしの家からバス1本でいける距離にお住まいのようだと、推測している。年齢はわたしと全く同じだが、わたしはただの凡人だ。カメラが2週間振りに修理から直ってきて、「ケープタウンの夜景」も救出出来、8回目のブログに入れました。
Sunset_2
(3月31日、ケープタウンの夜景)
◇「女は2度決断する」主人公のカトヤはトルコのクルド人男性のヌリと結婚して5歳の子どもがいる。二人は今、ハンブルグに住んでいる。そもそもの出会いはカトヤは学生時代にヌリからハシシ(大麻)を買ったことだった。カトヤはヌリが刑務所にいるときに結婚する。二人は両親の反対を押し切っての結婚だった。一人息子ロッソの誕生以来、ヌリはきっぱりと薬物の売買を止める。それどころか、刑務所にいるときに経営学を学び、ハンブルグで翻訳や、税務署の仕事をしている。
▼ある日の午後、カトヤは夫の仕事場に息子を預ける。ところが夕方、カトヤが息子を引き取りに戻ると、途中の道路が警察によって規制封鎖されてる。夫ヌリの職場は爆発で炎で燃え上がって、警察は手製のクギ爆弾により、一人の男性と子供が亡くなったとカトヤに伝えます。損傷が激しいからとカトヤは遺体に面会することも叶わなかった。警察は「二人のDNAが判定出来るもの」を自宅に取りに来たのでカトヤは歯ブラシを2本渡す。DNA鑑定により、その二人がカトヤの夫と息子であることが判明する。
▼思い出すと夫の事務所を出て車に戻る時(つまり爆弾テロの少し前)。カトヤは現場で若いブロンドの女性を見かける。女性が乗る自転車は新品なのに、女性は道路に盗難予防チェーンをつけいなかった。しかも自転車の荷台には黒い小包が載っていた。カトヤは取り調べの時、警察官に事件の前に爆弾らしきものを荷台につけた自転車を「自分が見た」と伝えます。しかし、警察官は最初、元夫が昔大麻を飲んでいたので、麻薬密売人の復習に焦点を当てて捜査をする。しかしカトヤは、夫が元クルド人という過去がテロの標的になったと考える。
▼しかし、警察官は国際指名手配されているネオナチの実行犯アンドレと爆弾を作ったエジダ・モダーを容疑者として逮捕し、証拠に基づき二人の殺人を犯した件で告訴する。後に裁判が始まり、予備審問では、科学者がクギ爆弾を使ったテロの恐ろしい仕組みと遺体の損傷具合を詳細を説明する。カトヤを支援するのは腕利きのダニーロ弁護士。しかし容疑者側も老練な弁護士を立てて、昔カトヤが大麻を使ったこと、だから目撃情報も当てにならないとカトヤを責める。カトヤはこうして二度目の苦痛を裁判所で味わうことになる。一方手製爆弾を作ったモダーの父親にお茶に招かれる。父親は息子の行為に対して「悪いことは悪い」と裁判で「爆弾を作ったのは息子だ」と証言する。
▼そして一審の判決は疑わしきは罰せずの原則に基づき容疑者は「無罪」の判決で釈放される。しかし納得できないカトヤは息子が描いた絵と、お風呂の底に沈む海賊船のおもちゃは、カトヤ夫と子どもの事を思い出させる。無罪になった二人は無罪で勾留中の賠償金を手にしてギリシアに車で観光に出かけてしまう。生きる希望をなくし、絶望の淵に落ちたカトヤ。しかし、カトヤは正義と復讐を貫くことを決める。

|

April 18, 2018

「監視」から逃れるため「透明人間」になるには…

▼仕事が輻輳してしまい、この重要な時期に動きがとれない。昨晩も仕事が終わって、私鉄から総武線F駅で乗り換えた。すると元気な女性の声が聞こえてきた「昭恵はでて来い」「安倍は今すぐ辞めろ」などだった。写真を撮らせて貰おうかと思ったが、それもできなかった。勿論首相官邸前で声を挙げることも必要だが、市井で声をあげるには勇気がいる。10人くらいの人たちの声は確実に町に広がっていた。
▼先日NHKBSでフランスのj女性が主人公ドキュメンタリーで「わたしは透明人間になった」(正しい名称は違っているかも知れない)という番組があった。彼女は監視から逃れるためにはどうしたら良いか、世界中の専門家の意見を聴く。その1は、PCのブラウザをマイクロソフトのIEからFIRE FOXにする。こうすればマイクロソフトはネットを通じて情報を集められなくなる。私は10年前から切り替えている。2フェイスブックはやらない。Suicaなどのカードは使わず、現金で切符を買う。アマゾンで買い物はしない。クレジットカードで買い物はしない。携帯電話は止めて公衆電話に切り替える。電子メールは止めて手紙・葉書にする。不必要な電子機器、GPSの入った時計は使わない。カーナビの付いた車には乗らない。監視カメラから逃れるため、仮面をつける。身体の線を全身を覆うコートを着用する。これでも覚えているものの半分くらいだ。どうかみなさんもチャレンジしていただきたい。

|

April 16, 2018

◇「ペンタゴン・ペーパーズ」を見る。

Img_1466
(15歓迎日MX「ニュース女子」打ち切り会場で配布された不買タグ)
▼日曜日も気を抜けない。ツイッターのDMに一通の撮影依頼メールが入っていた。わたしはパーティや宴会にはあまり興味がない。重い撮影機材を担いでいるので、外ではあまり飲まないようにしている。同じ機材で軽いものがあれば、少々高くても買い換える。ツイキャス中継をご希望だったので、すぐご返事をする。実はチラシや新聞折り込みチラシで、これはという集会があると、撮影許可を求めて電話やメールをお送りする。つまり撮影交渉だ。しかし70%は無視される。ツイキャスやYouTubeが理解されていないのだ。集会に集まった人と同じ人数の人が見ていただけるので、宣伝には最高だとおもうのだが、中々理解されない。今週土曜日夜も、ある集会があるのだが、どうなるか分からない。撮影交渉にもの凄いエネルギーを必要とする。
▼ついでに言うと撮影時間の問題である。わたしは映画館に週一回は通っている。腕の良い撮影と編集の専門家が加わった映画でも、我慢できるのは1時間半が限度である。2時間以上の映画は余程の話題作でないかぎり敬遠していかない。良い話だから聞け!見ろ!という押しつけでは、逆に反感を買う。小学校の授業でも15分生徒を集中させるのは至難の業だと聞いたことがある。わたしはずっと管理画面をみて、どのような時にアクセスが増えるかチェックしている。
◇「ペンタゴン・ペーパーズ./最高機密文書」これをテーマにした映画は30年前に一度映画化されている。映画はベトナム戦争の激戦地から始まる。一般兵士に混じって武器を持たない不思議な男が紛れている。「あいつは何者だ?}という問いに「大使館から来て戦争の実体を調べているらしい」と答える。この男こそ、ペンタゴン・ペーパーズをリークさせたエルズバーグである。そもそも彼がベトナムへ行ったのはマクナマラ国防長官の依頼で、ベトナムへの対費用投下は適正なモノか、という調査のためであった。マクナマラはその前フォードの重役として数字に強い男として辣腕を振るっていた。軍も作戦の規模が大きくなると「不正」も起こる。エルズバーグはこんなにカネをつぎ込み、アメリカの若い兵士の命を犠牲にする効果はあるのだろうか、と考える。
▼国内ではベトナム反戦運動や徴兵拒否運動が広まる。そこで彼は情報を「ニューヨーク・タイムス」(以下NYT)に流す。しかし続報は連邦地裁から「続報」の差し止め判決を受け、発表できなくなる。一方「ワシントン・ポスト」(以下WP)は日本で言えば東京新聞」のような地方紙である。女性経営者(メリル・ストリーブス)は父と夫から引き継いだ会社を増資して規模を大きくしようとしている。この増資をすれば優秀な記者30人は雇用して売れる新聞にできると考えている。
▼一方目玉のない新聞に悩んでいる編集長(トム・ハンクス)は目玉として何とかNYTと同じ情報源に接触できないかと部下に命じている。何とか極秘に「文書」にたどり着き一読し、編集長に電話「手に入った」と電話する。文書はスーツケース2個分でファーストクラスの席を予約して本社に戻る。文書は時系列がめちゃくちゃである。10数人の編集部員は手分けして並び替え、文書を時系列に並び替える。何せ発行までに24時間しかない。発行することで処分は受けないか?株主が逃げないか様々な可能性を法律顧問を使って調べる。一方社主は資金集めのパーティを開いている最中である。様々な圧力を考える。もしかしたら記者たちを路頭に迷わせる事になるかも知れない。朝一番に間に合わせる印刷のタイミングが迫って来る。法律顧問は「秘密文書」の公開にあくまでも否定的である。
▼そして重役会議の結論が現場に入ってくる。ハンクスは「run」(輪転機を回せ)と一言.この場面が一番痺れました。アメリカの活字の新聞の作り方はこうだったのか?と勉強にもなりました。このWPの続報で反戦運動はいっそう広がっていく。それにしても日本の忖度新聞とは言論の自由を守るという立場で、新聞社が連携を取るという事でこうも違うのかと思ってしまう。
▼ケープタウンへの道は先週金曜日に終了しました。みなさん「たいへんでしたね」と仰って下さいます。取材に行ったのではないので数字は記憶に頼っていますので、若干の間違いはあります。ご意見やご質問がありましたらメールかツイッターでお願いします。

|

April 14, 2018

ケープタウンへの道(9)最終回。

▼ケープタウンの最終日、まずショッピングセンターで、「お買いものタイム」である。わたしがが最初から「レイボスティー」と喋っていたものだから、みなさん一斉に「ティー」コーナーに走る。そしてあの石油ショックのように大量の「例ボス」をカートの詰めるではないか。わたしも一瞬気後れしてしまった。小一時間のショッピングが終わると同じ建物の2階にあるレストランでイタリアンをいただく。バスはケーブルマウンテンの道を再び上り始めた。道の中腹で止まって下車すると、燦めく町の灯りが一望できた。しかしわたしのカメラは既に動かなくなっていた。もしかしたら、どなたかのカメラに写っているかも知れない。今朝(4月14日)デジカメの修理見積もりを頼んでいた家電メーカーと連絡がついた。それによれば1200円+税であった。ネジ1本は100円もしないから、他は技術料ということになるが、仕方ない。
Sunset
(修理が終わったカメラから救出した、ケープタウンの夜景。テーブルマウンテンの中腹から撮影)
▼明日の朝は混雑を避けるために午前3時半ホテルのロビーに集合だ。忘れ物がないか何度も点検して眠りについた。翌朝3時半にフロントに行き、カードを返し、旅行社からいただいた切手を貼った葉書の投函を依頼した。その葉書は10日たっても日本に着かない。それとは別にモザンビークで3枚の葉書の投函を依頼したが、それも1枚しか着いていない。この国の人たちはどうやって生活をしているのだろうか?先のザンビアとモザンビークで考えた。目の届く範囲では手作りの土産物を売る人たちが、一番底辺にいる。次は歓迎の踊りで出迎えてくれる人たち。次は象サファリの馭者、次は労働力と資本が蓄積できて運営できるショーができる人。次はホテルで清掃などをする人だ。目先の利く人は現地ガイドさんのように3人の娘さんの親だが、彼女たちが将来苦労しないように、家を3軒たててやって、その収益で生計を立てさせることが目的だ、と言っていた。途上国でも学校にかよって腕に職をつける方法がなければ、現金収入を手にする方法はこうなる。サファリのガイドさんなどは恵まれた方だと思う。都会のケープタウンのホテルではチップという方法がかろうじて残っている。賃金は少ないが、そうやって生計を立てている。
▼さて最終日乗り換えでヨハネスブルグにトランジットで立ち寄ったとき、現地に住む日本人コーディネーターさんが説明してくれた。わたしは途中から聞いたので、間違いが少しあるかもしれない。以下彼の説明の要約。ヨハネスブルグはモザンビークやザンビアを流れる河の水が3ヶ月かかってこの都市まで来るので水不足になることはない。しかしケープタウンは下が岩盤で水がしみ込まないから、昔から土地が痩せていて、放牧くらいしか出来なかった。原状ではどうやっても水不足になってしまう。さらにお金持ちは、いくら「水飢饉」だと訴えても守らず、ふんだんに水を使っており、「罰金」が掲示されると、ようやく言う事を聞く。ヨハネスブルグの方から使っていない石油のパイプラインを使って水を引こうとしているが、3ヶ月掛かっても実現のメドはついていない。いずれにしてもお金持ちには住みよい所かも知れないが、貧乏人には仕事もなく住みにくい。失業率は27%と高い。大学を出ても仕事がない。ケープタウンにあった大学も現地の言語だけをやめて英語を中心に全世界に開かれた大学にしたので、人気も出て来た。
Pengin
(野生のペンギン保護区)
▼男性の平均寿命は54歳で女性は64歳である。筆者も毎日ワインを飲んでああいうモノを食べていたら寿命は縮まると思った。NHKETVでダイヤモンド博士シリーズ最後回に「水、食料(ジャンク・フード、医療」の存在が人類の生命を決めると言っていたがまさにその通りである。最後にヨハネスブルグの地名の発祥の由来聞いてみた。すると法律家が作ったとか3つの説がある。しかし今はシリル・ラマボーザという黒人の大統領で、経済もそこそこ上手く回っている。「これが正しい国名の由来だ」と決めてしまうと、大混乱に陥りかねない。だからわざと曖昧にしてある」という解説であった。アパルトヘイトが1994年に撤廃された。その後4半世紀たつが、同国政府の統計によれば、いまだに人口の8%である白人が80%を占める黒人の5倍近くの収入を得ている。
▼最後に南アフリカ共和国の原発私考。かつてこの国は原発の保有国だった。しかしアパルトヘイト政策の終焉とともに自主的に核を廃棄してしまう。いまケープタウンにはフランス、アレバが1984年作ったPWR原発が2基ある。今までは水力発電だけに頼っていたので、工業を発展させるためには、それが一番良いと考えたのであろう。1993年に「南アフリカはかつて核兵器を保有していたが、すべて廃棄した」とデ・クラーク大統領が公表した。それにより、IAEAは特定査察を行い、1995年に核兵器が完全に廃棄されたことを宣言した。以降、南アフリカは核不拡散を推進するための外交政策に積極的に取り組んでいる。(ケープポイント下の野生のダチョウ
▼旅行の間風呂に入ったのはモザンビークのエレファントホテルで4日目に一回だけ。後はビクトリアフォールズの滝のシャワーだけだった。こういう事が苦痛でない人には最適の旅であろう。成田に到着して、家への第一報は「風呂を沸かしておいて」だった。ご意見やご質問がありましたら、文末欄外のツイッターかEメールでご連絡をお待ちしています。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

April 13, 2018

ケープタウンへの道(8)

▼買って2年もたっていない洗濯機が動かなくなってしまった。11日夜寝る前にスイッチを入れたのだが、脱水ところか排水ができていない。色々思案の末メーカ-に電話したら、修理の延長が残っているからと、家電販売店のサービスにたどり着いた。マンションの排水管は2週間前に清掃をしたばかりである。そして修理は、きょう来てくれる事になった。その間仕方なく徒歩3分のコインランドリーに持ち込んだ。洗濯途中だったので、乾燥までやったが45分で800円もかかった。
------------------------------------------------------------------------------------------
Sima
(マンデラ氏の囚われていた監獄のあった島-大きい方です。)
▼31日のケープタウンの夜は賑わっていた。ガイドさんにお聞きすると4月1日から消費税がアップするので駆け込む需要だという。庶民が考える事はどこのくにも一緒だ。朝早くしたのは、この日「ケープタウンマラソン」が開催されていて、道路規制で渋滞することが予想されたからだ。まずテーブルマウンテンに行く。これは函館山のロープウェイを大きくしたようなものだ。当然風が強いと揺れるので欠航になる。とにかくこの日はスケジュールが一杯なので、確か午前8時の朝の一便を狙って並んだ。50人くらい乗れる、ロープウェイの床は四方が見えるように回転する。5分程で頂上に到着する。ケープタウンへの水不足は実はこのテーブルマウンテンの山頂に積もる雪の量に原因があるらしい。山頂から海を見ると島が見える。この島にある監獄にネルソン・マンデラ氏は囚われていたという。彼は3ヶ所くらいの監獄をたらい回しされ、合計40数年収監されていた。帰国後友人たちに「なぜ南アフリカに行ったの?マンデラ氏の足跡でもたどったの?」と聞かれるが、足跡をたどるには別の車をチャーターしなければならない。とてもお金が足りない。テーブルマウンテンからが午前中、雲と霧が滝のように流れ落ちるが、それがまたもの凄い迫力があった。ビデオでご覧いただきたい。
Mandera
(レストランにあった、マンデラ氏の写真)
▼その後アシカだったかオットセイがたくさん住んでいる島までのクルーズがあった。港街にはまた露天の怪しげな土産物店がたくさん並んでいた。値切ると懐から電卓を取りだして「これ以上は無理」というそぶりを見せる。100人乗りくらいの船サーシー・ローンチズ号には各国人の混載となった。幅を利かせているのは中国人でレンズやボディに金モールの入った日本製の高価なカメラを数台ぶら下げている人もいる。聞くと中国では旅行写真の募集サイトがあり、そこに入賞すると日本円で100万単位の賞金がもらえるので、それを狙っているらしいという。クルーズはほぼ1時間で、いよいよ、喜望峰の突端にむかう。途中の海岸沿いの家を見ると、砂が多いせいか窓の外が硝子で全面を囲ってあり、その中に普通の窓がる。しかしいずれもお金持ちでなければ住めそうにない。
Ebi
(昼食のリゾット、ロブスターが大きく食べるのに苦労した)
▼その後有名なペンギンの野生保護区(動物公園)に向かう。場所は陸軍基地のとなりにあった。実はこの地域は細かい砂が舞い散るので、列車の線路も砂に埋まった、一つ手前の駅までしかきていない。外房の平砂浦のようなところだが、それよりも砂は細かい。ペンギンは野犬やカラスに狙われるようだが、土管で作った集合住宅のようなものがあり、好きな時に海水浴をして生活を楽しんでいるようだった。Point
(ケープポイントの灯台)
▼半島を一周してイタリアンレストランに到着する。ロブスターがメインのリゾットだったがスイーツまでのフルコースをこなすにはかなり時間がかかった。店にはマンデラ氏と見知らぬ男性が写った写真が掲示されていた。聞くとこの店のオーナーがマンデラ氏と懇意にしていたという。写真に写っている可愛い娘さんは、もう成人したオーナーの長女であるという。食事後砂を採取してケープポイントと喜望峰にむかう。ケープタウンはあくまでも町の名前である。ポイントは喜望峰から海を見渡す中心部で、左側がインド洋、右大西洋ということになる。行きはケーブルカーに乗り、帰りは徒歩で降りて来た。さらに塩の花が咲く海岸にでる。するとそこには野生のダチョウが棲息していた。明日の総集編で終わります。Cross
テーブルマウンテンから流れ落ちる雲、通称テーブルクロスと呼ばれている。
記事を書くのは苦労ではありませんが、写真を選んでリサイズする労力は耐え難いものがあります。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

April 12, 2018

ケープタウンへの道(7)

Zo02_2
(象に乗ってサファリを行く)
▼ヘリに乗る前に、周遊するコースの説明があった。次は登場する全員の体重測定だ。つまりパイロットの揚力の計算のためだろう。日本の昔のかなり大型の体重計に載せさせられた。象の場合は体重測定はなかったが、レクチャーも全て英語だった。いくら日本語で叫んでも誰にも聞いてもらえない。いやその前に聴く耳をもっていなければならない。
▼モザンビークの空港には、ザンベジ川の歓待風景と同じ現地の人たちが、唄って踊っていてくれた。当然CDもあった。あのときと同一人物なのかどうかは分からない。ビクトリアフォールズからヨハネスブルグまで約1時間半。トランジットで2時間は待たされた。そこからケープタウンまで2時間10分だった。ソラから見るケープタウンは光輝いていた。3日前にヨハネスブルグで、出迎えて下さった乗り換えを手伝って下さった、日本人男性曰く「日本語を良く喋るおばちゃんがいるから」とのことだ。まさにマシンガントークで喋りまくる。お聞きすると九州の日田の近くの町の教育委員会に7年ほど勤めていたことがあるという。年に一回マラソン大会があり、苦手だったが年代別競争で30代は自分一人だったので、無理して走って一位に輝いたという。地上はもう真っ暗な中をバスは走りガイドさんから町の説明を聞く。住居は3段階くらいに分かれており、肌の色や所得によって異なるようだ。失業率は27%。大学を出ても仕事がない、という。
Capehotel
(ホテルの窓から外を見る。大都会だ。
▼ホテルに着くとまた不愉快な事があった。レストランに行こうとすると、ポーターがやってきて荷物を部屋に運びたいから、食べるより指示を先にしてくれという。みんなきょとんとしていたが、わたしは部屋のカードキーが不調だったので、部屋を変えてもらった。そのときポーターと一緒になり、話の内容は「チップをよこせ」というのだ。仕方ないので1ドル紙幣を渡した。後に添乗員さんにお聞きすると、ホテルには総額出払ってあるから渡す必要はない、という。おそらくホテルはそれをポーターに渡さず、ホテルの収入にしてしまっているのだろう。
Crisis
(ホテルの水飢饉のポスター)
▼実は2月頃NHK国際ニュースチャンネルを見ていたら、「ケープタウンは水不足で風呂にも入れず、5月からは完全断水だ」と報じていた。そして水で洗車をした男性が罰金を払う場面が写っていた。事前に旅行社からも、洗濯、風呂はダメ、でシーツの交換もない、と言われていた。ホテルは高層で、わたしの部屋は23階でビュッフェ方式のレストランの食事は美味しかった。冷蔵庫の前には350ミリリットルのペットボトルが1本だけしかなかった。洗面所の水も出ないのでシェービングホームでかろうじてひげ剃りだけした。喉が渇いたので、コップ一杯の水を湯沸かし器で沸騰だせ、冷ましてから飲料水として使った。食事後、しばらく日本の中学校の歴史教育について1時間ほど論議して就寝する。蒲団も毛布もなく寝苦しかった。明日も早いぞ。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

April 11, 2018

ケープタウンへの道(6)

▼フェイスブックの個人情報流出。いまもやっている人は手遅れかもしれないが、即脱退した方が良い。2日ほど前に某CATVで「ポケモンゴー」はCIAが情報収集のために開発したゲームだと、特集していたがスマホそのものが、位置情報を収集して集約する機能を持っている。
▼この数週間に友人・知人が何らかの疾患で救急車で救急搬送され、緊急手術で一命をとりとめが例が2件ある。読者のみなさんも、いつもと違った痛みを感じたらすぐ、救急車を呼ぶなどの対応をして頂きたい。
-------------------------------------------------------------------------
Heri
(ヘリから降りた直後の筆者とガイドさん)
▼ツアーの朝は早い。様々な名所が混雑しないうちに早く出かけるのだ。4に目だけは朝寝をしても良い日程だった。滝の見学をしてから昼飯になる。オナjテーブルで一緒になった。Aさんと元中学の社会科教師だったBさんと同じテーブルになって、ステーキを食べながら映画の話で大いに盛り上がった。なかでも「刑事フォイル」は意見の一致するシーンがAさんとピッタリだった。さらにTVの「相棒」に行き、好きな俳優の話になった。わたしは丹羽刑事が好きだと話した。その後オプションツアーが2つあった。わたしは家族から、「二度と行く機会がない場所だから、多少高くても全部参加したらどうか」と言われていた。1つはビクトリアフォールズのヘリ飛行で、2つ目は象の背中に乗ったサファリの探検である。前者は15分の飛行で180ドル、後者約1時間で130ドルだった。とくに後者は英文の誓約書があり、飜訳したものをみると、象から転落して重大な傷害がおきても、主催者は一切責任を負わない、という長文の文書にサインしなければならない。お金はあらかじめ支払ってあっても「誓約書」を見て怖くなりとりやめる人もいるらしい。ただしキャンセルしてももうお金は戻って来ない。
▼ヘリは5分程のレクチャーがあってから乗り込む.この日は中国から帰化したご夫妻と3人で乗り込んだ。さすが滝の真上まで行くと足のすくむ思いがする。それが終わると駆け足で象ツアーに向かう。ところが人数が増えて「ビッグバスを用意する」と称して1時間も待たされてしまった。みんな「このまま売り飛ばされたらどうしよう」、などと話していた。遅れてやってきたバスは競走馬を運搬するような大型の汚いバスだった。しかも帰りは大雨が降って来て座席が濡れていた。よく見ると、その部分には窓硝子は入っていっていなかった。
▼象には一匹に人間が一人か二人直接、象の背中に乗る。乗馬をやったことがないので、手綱をもつ力、鐙(あぶみ)を踏む力が分からずちょっと不安定になる。現場の説明と馭者一人ひとりの会話はすべて英語。象軍団の戦闘を歩いている人物がショットガンを持っているので理由を尋ねる。すると野生の水牛と野生の象が近寄って来た場合の威嚇だという話だった。スコールが来そうになる直前にツアーは終わり、軽食のあと雨の中、例のオンボロビッグバスに乗り込んでホテルに戻る。
▼夕食が終わってからルナ・レインボーに出かける。これは現地で満月ということもあり、月明かりに映えるまん丸の虹を見ようというツアーだった。わたしはデジカメが故障してしまったので、持参しなかったが、参加者は夜空の月や星に向けてレンズを向けていた。易いレンズとカメラでは暗闇の星など絶対写らないのだが…。この時西の空に潰れた菱形の「南十字星」を見ることができた。約1時間のツアーが終わってホテルまで戻ると、マイクロバスの急ブレーキがかかる。見ると象がゆっくり道を横切っていた。昼間は象ツアーのあとホテルに戻る時、道路脇の草むらにオスのライオンがいた。ここはそういうところなのである。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

April 10, 2018

ケープタウンへの道(5)

Imomusi
(芋虫の佃煮を食べた証明書を発行する)
▼昨晩は急遽、有楽町駅前の九電東京支店前に参加した。穴があいた欠陥原発を「運転しながら直す」と言って憚らない九電瓜生道明社長に抗議するためだ。
▼従前チョベ国立公園のサハリツアーは、それほど広くないが簡単に言えば自然公園のようなもので政府の管理下にある。入り口には野生動物の生々しい頭蓋骨の骨が展示され、ゲートは一台ずつ開けられる。さらにガードマンがおり、許可証を持って資格のある運転手だけが入ることができる。しかし危険があるので、車から下車することは許されていない。見ていると白人観光客は運転手にチップでもやっているのが、自由に降りて歩いているので、時々注意されている。最初に見えて来たのは、インパラである。鹿くらいの大きさで角はまっすぐだ。観光客は最初野生のインパラを見て大興奮である。しかし勝手なもので、暫くすると興奮もしなくなり、「またインパラか」と見むきもしなくなる。前日は大降雨があり、野生動物たちは山奥に避難して一匹も見えなかったとドライバーは話していた。やがて川沿いに小型のワニなどが見えてくる。現地のドライバー兼案内人は視力が素晴らしく良く、2km先にいる動物まで発見できるという。ある場所で車が止まって、ドライバーは何も見えない遙か先を見つめている。オスのライオンがいるという。しかしわたしの目には何も見えない。暫くすると目視できる距離まで近づいて来た。さらに4,5頭のアフリカ象を見たときは怖かったが、迫力は満点である。
Hihi
(野生の尾長ヒヒ、ホテルの庭で)
▼こちらはビデオカメラをメインにコンパクトデジカメで撮影する。さらにブログにアップするためにはアイフォーンでも撮影しなければならない。だから決定的瞬間を捉えるのはかなり難しい。この公園に出入りするには、かなり国境が入り組んでおり、入出国のスタンプが増えていく。出入国の係員はフレンドリーで日本語も飛び出す。サハリに隣接してゴルフ場も完備されており、ゴルフ場に出没する象やライオンがを見せながら各国首脳を接待して、援助資金を引き出すのに使われるらしい。税関の前には大型トラックがかなり多く停められ、建設資材や水道パイプ類が多数積載されていた。目の前を象が横切る。
▼約6時間のサハリツアーが終わってバザールに連れて行かれる。約100平米はあろうかと思われるテントの中に絵手作りのお土産物がずらりと並んでいる。テントと言ってもあの経産省前の脱原発テントとは規模が違う。ガイドの説明では、「まず口頭価格から4割か5割は値切れ」ということだった。わたしの欲しいものは猫の置物である。外国に行くたびに、娘の希望で様々な猫を買い集めてきた。今回も「CAT」と言って「ミャオー」と鳴き声をしても通じない。それどころか、犬や豹、虎、メスのライオンまで持って来て売りつけようとする。おそらくこの南部アフリカには猫という動物はいないのでは、という結論になった。」といくら言っても通じない。結局ザンビアを発つとき空港のみやげ物店で、パルシア猫の置物を見つけたが、90ドルだったので買うのは止めた。
Imomusi_2
(芋虫を食べた証明書。スペルは間違っている)
▼ホテルに戻る。夜はアフリカンバーベキューとダンスショーがあった。入り口には安室奈美恵を若くしたような現地の女性たちが歌とダンスで歓迎してくれた。ここのメインは芋虫の佃煮である。これを食べると証明書がもらえる。親指大の芋虫の佃煮を食べてみたが、昔食べたカイコのさなぎとあまり変わらない味だった。食べ物は肉からケーキまで豊富にあった。シャンベのような太鼓が観客に配られるが、音質も叩き方もとうていマネはできない。2時間ほどしてフィナーレがあり。観客全員が踊り出す。西欧の人びとは子どもや妻と一緒に踊り出すが、その息のあったダンスは見事としか言いようがなかった。しかし日本人観光客は別のグループもいたが、気恥ずかしいのだろうか、一人として踊っていなかった。ダンスショーのファイナル
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

April 09, 2018

ケープタウンへの道(4)

▼10日も日本を空けていたから、課題が多い。抗議行動も首相官邸前の500mくらいは人が大勢いるように見えるが、国会を包囲する勢いはない。留守の間に知人・友人が国会を包囲しているという話しも聞かない。各野党も本当に安倍を引き下ろすならば、国会の駆け引きよりも、大衆を国会包囲に動員することが必要だと思うが、そんな勢いもない。友人たちは首相官邸前がどうなろうとも、放射線の量が高くなろうとも、知らん顔で草刈りに、ドライブにいそしんでいる。京都知事選で立憲民主党の馬脚は現れてしまった。それでもまだ淡い期待を抱いているのか?これもどうやら一瞬の「風」だったようだ。4日は昼間温かかったので、短パン半袖で再稼働阻止ネットの4月の関電・東電抗議に行ったら風邪をひいてしまった。
▼7日午前中は築地市場移転反対行動があって、末席を汚して来た。一流カメラマンは三脚を持ってくれる助手を雇うのだが、私は一流ではないので、どんな重い機材も一人で担いで現場に行かねばならない。築地を途中で抜け出して千葉中央公園で開かれた政治課題とオスプレイの木更津配備に反対する集会が開かれ取材を兼ねて参加した。民進党の小西博之氏は開会前に挨拶をして「証拠」が残らないように、脱出を計った。しかしオスプレイが千葉市周辺に墜落する可能性もあるのに、一般市民の参加が見られないのはどうしてだろう。配備・訓練地図を見るとわたしの故郷も訓練区域に入っているので仰天した。村の人たちは何も知らないだろうな。
------------------------------------------------------------
ケープタウンへの道(3)
Zou328
(ザンベジ川の水浴を終えて巣に帰る子象とその一家)
サンセットクルーズにでる前に夕食を摂りながら自己紹介をする時間があった。わたしは6年前のフクイチ事故から国会前の抗議活動に通ってビデオ撮影してると話した。そして今回もアフリカの様子をビデオに収めたいと付け加えた。それからみなさんかなり自由にお話しすることができた。さらにクルーズ船にのってから、わたしのバッグに「辺野古の新基地反対」というタグが着いているのを添乗員さんが発見して下さり、お身内の方も辺野古でいろいろやっていると話して下さった。タグが縁で話になったのは1月8日以来である。クルーズ船は各種アルコールが揃っていた。わたしは外国のビールは美味しくないのを知っているからワインやウィスキーにした。真っ赤に空を染めたサンセットが過ぎると、暗闇が迫って来る。ホテルに戻っても、パジャマも着替えもない。参加者が貸して下さった携帯の充電器で充電をつつけていると、ドアが何度もノックされる。別の部屋かと思っていたら、自分の部屋でモバイル電池を返してというのと、充電コンセントを返してという催促だった。7日土曜日夜NHKでSNSを介した行方不明の女性たちの話の特集があったが、現代の必需品はまだにこの2つであることが証明された訳だ。
▼風呂の水の出は悪い。ひげ剃りもないので、かろうじて洗髪だけして眠る。部屋の外では、一晩中、何か怪しい鳥の鳴き声が聞こえていた。外出するときもドアはちゃんと閉めるように指示されていた。庭を闊歩しているヒヒなどが入って来るという。外国に来るとホテルのドアを開けて外に出るときいつも勘違いする。というのは内開きなのに、ついドアを押すクセがついているのだ。これは最後まで治らなかった。翌朝6時頃起床すると、早起きの皆さんは既に散歩していた。そして美しいホロホロ鳥の羽を競うように拾っていた。タイミング良ければホロホロ鳥を目撃できるのだが、わたしは見る機会はなかった。わたしはこの朝かろうじて1本の羽根を拾った。
Bauau
(バウバウの樹)
▼この日はビクトリアフォール周辺の散歩である。出発の2日前に添乗員さんから自宅に電話があって、雨合羽と濡れても良い靴を履いてくるよにという指示があった。越境するのでパスポートを持って出発する。わたしは登山用の雨合羽と、捨てても惜しくない夏用にスニーカーを持参した。最初は鉄橋の上から滝の下を見るが目が眩む程の高さである。さらに滝の水滴で出来ている虹が円形をしている。わたしたちが普通に日本で見る虹は半円月であるが、谷が深いので円形になってしまう。鉄橋からジンバブエ→ボツワナ国境を越えて約1時間歩く、ビデオをご覧になればお分かりになるが霧でびしょ濡れになってしまう。わたしはこのために完全防水の水中撮影ビデオカメラを持参した。とにかく見える所は全て濡れてしまう。この滝はあのリビングストンが「発見」し当時の女王である、ビクトリアノナ前を冠したのである。いわば侵略者の尖兵の役割を果たした訳だが、巨大な彼の銅像が二ヶ所も建っている。日射病除けに白い布を後頭部に着けた姿は旧日本軍のそれとうり二つである。
▼抜け目ない現地の住民は、前の日本人観光客が捨てていった使い捨て100円均一の雨合羽を回収してそれを1ドルくらいで販売していた。(当日のドルは105円だった。)片道1時間で歩くと今度は逆方向の道を渡る。添乗員さんのお話しでは「こちらは濡れない」という話だったが、この日は風の具合なのか、さらに水しぶきは強かった。一人だけ国境警備の兵士の持っている小銃をチラッとみたらロシアのAKのホールディングストックタイプだった。往復約2時間のビクトリアフォールズ散歩を終わってから、マイクロバスにのって、チョベ国立公園へ向かう。途中500m程先にキリンの群れがいるのが目視出来た。自然公園の入り口で、2台の4WDのジープに乗り替える。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

April 06, 2018

ケープタウンへの道(3)

Kinaishoku3
(行き3番目の機内食)
▼それは入国手続きが終わって、添乗員さんから「荷物を探して引き取る」ように言われた時に起きた。出てくる荷物をいくら探しても自分のキャリーバッグはでて来ない。ツアーに同行したメンバーに「荷姿」を伝えて探してもらったが、見つからなかった。添乗員さんは「係りの所に行くよう」指示される。係員は真っ黒ではない、現地の人である。以下英語で話した。「わたしのキャリーバッグがでて来ない。」「ブランド名は何か?」「ノーブランド」「どこで行方不明になったのか?」「香港まではあった」「念のためバッグの中に入っているものを4つ挙げよ」実はこれが一番困った。時差ぼけでもあるし、認知症もあるかも知れないのでスラスラ言えない。書類を書き終わって連絡先のメールを書くように言われ、Gマールのアドレスを書くと「俺もGメールだ」と言って握手をして別れる。本件は保険会社に倍賞の支払いを求めて書類を出している最中です。
▼やがて添乗員さんが駆けつけて下さり、「ヒヤリングが上手く出来ている」とおだてられる。」ポルトガル以降NHKラジオ基礎英語を5年間勉強してきた。基礎英語は中学1年から3年程度の内容である。1回30分の番組で毎月最後にヒヤリングのテストがある。この自己採点をするとレベルがどの程度まで行ったか把握できる。相手が何を言っているのか理解出来なければ、道に迷って泣いているだけでは、元に戻れない。今後海外にお出かけの方は出国ロビーにある、書店で即席英語の本を手にしていては遅い。かならずヒアリングのレベルを上げてから来て頂きたい。食事ひとつ選ぶにも国内線のように「和食?洋食?」だけではすまない。しかも相手にはなまりがあるので余計わかりずらい。
Bed_2
(天蓋付きのベッドに一人眠る)
▼係員は端末を目の前で操作した。するとわたしの荷物は香港にあることがただちに分かった。それで24時間後にはホテルに届けるという。しかし着る物はすでに30時間以上着っぱなしで気持ちが悪い。同行のメンバーの待つマイクロバスに乗り込み「お騒がせしました。荷物は香港にあることがわかりました」とお詫びの挨拶をすると、みなさんは一様に「良かったね」と言って下さった。ホテルには午後3時ころに着いた。ホテルの庭にはイボ猪や、手長笊のようなヒヒが闊歩しているではないか。まるで人間が見られているようだ。
Passport
(幾つかの国の行き来が激しいのでパスポートは数日でこうなる)
▼リュックには注意事項にあった、下着、Tシャツ、靴下を各一組とカメラ、ビデオと常備薬は入れてあった。しかし水道水の出具合は悪いので洗濯はできなかった。ひげ剃り、シェービングフォームも同じく手元にはない。一番困ったのは携帯の充電器、変圧器、予備バッテリーである。夕食はホテルのビュッフェ方式で済ませる。一息つくとサンセットクルーズである。乗り場の所には現地の人たちが扮装して踊りと歌で迎えて下さった。それにCDまで売っているので、乗船してから、みんなで「アレは本物かな?」なとど話す。東京でも南米の民族衣装を着た人たちが「コンドルは飛んでいく」を弾きながらCDを売っているけど、あれだった怪しいし…。そもそもあの歌がヒットしたのは、サイモンとガーファンクルが歌ったっだ。南米じゃコンドルなど歌ってないよと話は盛り上がる。コンドル楽団は埼玉の川口にもいる。錦糸町にもいるなどと盛り上がる。こうして2時間のザンベジ川のクルーズは次第に宵闇に包まれていく。
▼困っていた携帯の変圧充電器は添乗員さんが、予備バッテリーはジャズダンスのインストラクターが貸して下さった。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の違約金をいただくことになります。)

|

April 05, 2018

ケープタウンへの道(2)

Airbus
(モザンビーク海峡上を飛ぶエアバスの翼。スマホは世界中どこで撮影しても場所が分かる)
▼昨日、時差ぼけは治っていないが、夜の再稼働阻止ネットの関電・東電抗議に出かけた。その前に旅行中、キヤノンのコンパチのネジが1本外れて行方不明になったので、隣り駅の関電量販店に持ち込んだ。ネジの価格はおそらく100円以下であろう。しかし他には同じネジがないので、修理に出すしかない。このネジは緩く、時々時計用の精密ドライバーで絞めていた。万一の場合も考えてマスキング・テープを持って行ったので、応急処置はして撮影を続けていた。一部参加者の方々からは呆れられていた。他方「さすが用意が良い」と褒めて下さる方もいらした。ネジ1本の原価は百円以下でも、修理代は数千円になると受付で告知された。
Kinai2
(機内食2)
▼海外旅行で困るのは電話である。昨年のフィリッピンの経験があるので、、「イモトの海外Wifi」を事前に申し込んだ。昨年は基本料金1万円に使用料2万円を払った。今回は基本料はアフリカなので2万4千円だった。ネットで契約して数日後連絡があった。「ご訪問先のジンバブエとナミビアは音声通話が出来ない場合がある。その点帰国後に苦情を言われても対応できない」ということだったので、即時解約した。1日1回元気であることが、何らかの方法で家族に伝われば良い。最初のヨハネスブルグ空港で試したら、Wifiは設定がうまく行かずダメだったが、ショートメールは繋がった。あるところからしつこく電話が掛かってきた。うっかり出ると使用者である受信者に1分590円の使用料がかかる。要件は大体見当がついたので、同じ会社の知人にPCメールを送って、処理して貰った。
▼ほぼ独立系、個人商店の場合、海外旅行をするにはこういう苦労がついて回る。いざとなったら衛星携帯をもって行くことになる。ヨハネスブルグのトランジットは2時間ほどあった。空港の中には銀座のショッピングモールのような店が沢山入っていた。わたしはそういうモノには興味がない。今度は国内線に乗り換えてザンビアまで向かう。およそ2時間のフライトだった。わたしはうっかりしていて、「入国カード」を書くのを忘れていた。入国審査は長蛇の列である。添乗員さんは「待っている間に書ける」と励まして下さる。こちらは小規模のツアーなので素早く入国審査の最前列に並ぶ。その間わたしは女子大生らしい人物の力を借りて、カードに必死に記入した。15分くらいで審査のゲートは潜ったが、思わぬアクシデントが待ち構えていた。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の違約金をいただくことになります。)

|

April 04, 2018

ケープタウンへの道(1)

Kinai01
(機内食1)
▼この10日ほどブログを更新できなかった。ツイッターやツイキャスで親しくなっている方には、「さてrは逮捕されたか?」などと心配されるといけないので、事前にDMで10人ほどにご連絡した。そもそもは半年ほど前に家族から「体力があるうちに好きな所へ言っておいた方が良い」とアドバイスされたことだ。旅は一人に限る。何が起きても自己責任で他人を気遣うことはない。決めた場所は幼い時から一度行って見たかった地の果て「ケープタウン」である。小学生の頃NHKラジオで「ピーコとポン太郎」の世界を回る旅番組が強烈な印象に残っている。中でも「ナイヤガラの滝」の場面は今でも思い出す。♪「ピーコポン、ピーコポン、ポンピコポン、世界を回るよポンピコポン」というテーマ曲が良かった。
▼世界三大瀑布というのがあり、ナイヤガラ、南米イグアスの滝、それに今回のビクトリアの滝である。先日見た映画「ナチュラルウーマン」の最初のシーンはイグアスの滝だった。それに滝を有名にしたのは、デニーロの「ミッション」は強烈だった。わたしの旅の楽しみの一つは旅を通じて友人ができることである。いまだに10余年前にチュニジアでご一緒した方とは年賀状の交換やLINEを通じて情報交換をしている。トルコ旅行で親しくなった方とも同様。ポルトガルで知りあった方とも毎年の年賀状で1年の旅情報を交換している。
▼今回一つの難題があった。それは飼い猫Rちゃんの具合がかなり悪かった。甲状腺からじん臓の具合がわるく、わたしが一日おきに150CCのリンゲルを注射していた。それをやる人がいない。自宅でやれば無料だが、獣医につれて行けば1回5千円はとられる。家族は1年前の愛猫の急死でトラウマになり、もう動物病院に近づけない。1日おきの点滴と注射にはN市に住む義姉にお願いした。美人担当医には事情を告げると、「お父さんが帰国するまでは、頑張ってみる」と励まして下さった。
▼成田の桜の開花を見ながら空港に着いた。集合時間の1時間前には到着した。家が狭いのでパッキングも前日に行った。円のドルへの交換も空港へ来てから郵貯から現金を下ろしてC銀行で行った。必要なお金は事前に全て払い込んである。オプションのツアー2つと、幾つかの国の入国税が130ドルほど必要で、あとは豚児がネットを見てヨハネスブルグの名物を注文された。中でもレイボスティーというのが分からなかった。ザンビアのホテルの売店で聞いたが、まったく分からなかった。英語で似た様な名前のティーは無いかと聞き、手帳にスペルを書いて貰うと。「Rooibos」だった。これに最終日まで悩む事になる。
▼成田から香港までは4時間半。香港からヨハネスブルグまでは16時間もある。とにかく生きは自己紹介もないので、知らない人ばかりで会話もできずかなり苦痛である。途中までの外を見ると高度1万メートルなおで、天の川が自分の窓と同じ高さに見えたのは驚きだった。それに機内食は、この間全部で4食食べたが、決して美味しくはない。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の違約金をいただくことになります。)

|

« March 2018 | Main | May 2018 »